214話 俺×視線=気のせいじゃないです。
屋上から戻る途中も、黒ヶ峰の言葉は頭から離れなかった。
監視カメラ、盗聴器、会長。どれも現実味のない話ばかりだった。
普通なら笑い飛ばして終わる。けれど、黒ヶ峰は冗談を言う人間じゃない。
だからこそ厄介だった。
信じたいわけじゃない、むしろ信じたくなかった。それでも、一度耳に入ってしまった情報は簡単には消えてくれない。
真守は重い扉を押し開け、生徒会室へ戻った。
中の様子は何も変わっていない。
誰かは書類を整理している。誰かはパソコンへ向かっている。会長も机に座り、何かの資料に目を通していた。
いつも通りだった。
本当にいつも通り。それなのに、真守には全部が違って見える。
壁、天井、照明、時計。今まで気にもしていなかったものが、急に意味を持ち始めていた。
「おかえり、楽々浦君」
会長が顔を上げる。
柔らかい声だった。
真守は足を止める。
「……はい」
短く返事をする。
すると会長は小さく微笑んだ。
「黒ヶ峰君と、お話できたみたいだね」
「……っ」
真守の動きが僅かに止まる。
二人で生徒会室を出た、二人で戻ってきた。それは見ていれば分かる。
だが——
“話した”かどうかまでは分からない。
少なくとも普通なら。
「……そうですね」
何とか返す。
会長は満足そうに頷いた。
「それなら良かった」
それだけだった。
それだけなのに、背筋に冷たいものが走る。考え過ぎだと、そう自分へ言い聞かせる。
偶然かもしれない。
ただそう思っただけかもしれない。けれど、黒ヶ峰から盗聴器の話を聞いた直後だった。だからこそ、その一言が妙に引っ掛かる。
まるで、自分達の会話を最初から聞いていたみたいだった。
「……」
真守は黙ったまま席へ向かう。
椅子へ座る。だが落ち着かない。書類を開いても頭に入ってこない。
視線が勝手に動く。
壁、天井、窓。生徒会室そのものが、何か別の空間へ変わってしまったような感覚だった。
息苦しい。
自分でも笑ってしまうほど単純だった。つい数十分前まで普通にいた場所なのに、今は長く居たくないと思っている。
「……」
立ち上がる。
誰も止めない。会長も何も言わない。そして、真守はそのまま生徒会室を出た。
扉が閉まる。
その瞬間だった。
「……はぁ」
自然と息が漏れる。
まるで水の中から顔を出したようだった。自分でも驚く。たった数分、それだけだったのに。
教室へ戻る。
授業が始まるまでの時間は、いつもの教室だった。
神宮丸が騒いで。誰かが笑っている。その横で、女子達が雑談している。その光景を見て、少しだけ肩の力が抜けた。
普通だ。
少なくとも、ここは普通に見える。そう思いたかった。だが、授業が始まっても集中できなかった。
黒板を見る、教師の声を聞く、ノートを取る。身体はいつも通り動いている。それなのに頭の中では別のことばかり考えていた。
考えれば考えるほど、今までの違和感が繋がりそうで繋がらない。
そして昼休み。チャイムが鳴った瞬間、教室の空気が一気に緩む。
椅子が引かれる音、笑い声、誰かが走り出す音。普段なら好きな時間だった。
「飯行くぞ楽々浦!」
神宮丸が立ち上がる。
「……ああ」
反射的に返事をする。
白ヶ崎も席を立つ。
三人で食堂へ向かう。
神宮丸はずっと喋っていた。文化祭の後片付けがどうとか、教師がどうとか、クラスの女子がどうとか、本当にどうでもいい話ばかりだった。
普段なら適当に相槌を打って終わる。それで十分だった。
けれど今日は違う。
真守の視線が無意識に上を向く。気にしていけないのは分かっている。なのに、黒ヶ峰の言葉が頭をよぎる。
『監視カメラと盗聴器だらけ』
「……」
考え過ぎだ。
そう思いたい。でも、一度知ってしまったものは消えない。
食堂へ入る。いつもの席、いつもの光景。神宮丸が大盛りを注文し、白ヶ崎が呆れた顔をする。見慣れた昼休みだった。
「聞いてくれよ」
神宮丸が言う。
「昨日さ——」
何か話している。けれど内容が頭に入ってこない。真守はまた周囲を見ていた。
柱、壁、時計、校内放送のスピーカー。どこにあるんだ、そんなことばかり考えてしまう。
「楽々浦?」
呼ばれる。
顔を上げると、神宮丸が不思議そうな顔をしていた。
「聞いてたか?」
「……悪い」
「聞いてねぇじゃねぇか」
神宮丸が笑う。
普段なら自分も笑っていた。
でも今日は違う。
「……何かあった?」
白ヶ崎が小さく聞く。彼女だから気付いたのかもしれない。
真守は一瞬だけ言葉に詰まる。
全部話してしまいたかった。けれど、黒ヶ峰の言葉も頭に残っている。
不用意に話すな。誰が聞いているか分からない。
「……いや」
結局そう返すしかなかった。
「何でもない」
嘘だった。
白ヶ崎は少しだけ納得していない顔をする。それでも追及はしなかった。
「……そっか」
それだけだった。
その一言に少しだけ罪悪感を覚える。
昨日までなら、白ヶ崎と一緒にいるだけで楽しかった。神宮丸が騒いでいるだけで笑えた。
それなのに、今は天井を見て、壁を見ている。誰かに聞かれているんじゃないか。誰かに見られているんじゃないか、そんなことばかり考えている。
楽しいはずの昼休みなのに。どこにも安心できる場所がないみたいだった。
放課後、その日は特に進展はなかった。生徒会室へは最低限しか顔を出さず、真守は白ヶ崎と一緒に寮へ戻る。
途中、何度か白ヶ崎が話しかけてくれた。けれど上手く返せなかった。白ヶ崎も途中から何も言わなくなる。
そのまま、寮へ着く。
夕飯を食べ、真希那が騒ぐ。いつも通りだった。なのに、黒ヶ峰の言葉だけが頭から離れない。
この学校はおかしい。
その考えが、ゆっくりと根を張り始めていた。
考え事をしていたせいか、すっかり夜になってしまう。そして、部屋で考え事をしていた時だった。
ピンポーン。
インターホンが鳴る。
「……?」
こんな時間に。
真守は立ち上がり、モニターを見る。そして、思わず目を見開いた。
「……黒ヶ峰?」
画面の向こうには、昼間と変わらない無表情の黒ヶ峰が立っていた。
けれど、こんな時間に、わざわざ寮まで来る理由が思いつかない。
真守は無意識に唾を飲み込む。
何かが起きる。
そんな予感だけが、静かに胸の奥へ広がっていった。




