20話 俺×偵察=不自然すぎます。
色々と問題は山積みだが、とにかく一つずつ片づけていくしかない。そう頭では分かっていても、真守の気分は朝よりもさらに重くなっていた。
白ヶ崎の教科書の件。
クラスの妙な空気。
千堂の視線。
そして、会長が以前口にした「いじめが始まる」という言葉。
それらが頭の中でぐるぐると回っていて、真守は今すぐにでも教室を出たかった。
昼休みを告げるチャイムが鳴った瞬間、ようやく息がつけると思ったくらいだった。
「おい、一緒に飯食おうぜ!」
そんな真守の背後から、いつものように神宮丸の明るい声が飛んでくる。
相変わらず、こいつだけは空気が変わらない。
もちろん、真守の返事は決まっていた。
「ノーだ。俺はやらなきゃいけないことがある」
「くぅ〜、やっぱり生徒会は一味違いますな!」
「うるせぇ。一々“生徒会”って単語を出すな!」
軽くあしらうように返す。
そして、これ以上余計な会話に巻き込まれる前に、真守はさっさと教室を後にした。
向かう先は、二年A組。
会長に頼まれた“偵察”という名の面倒事を片づけるためだ。
「先輩のいる階ってだけでも緊張するのに、二年A組って……」
思わず独り言が漏れる。
ただでさえ上級生の教室というだけで入りづらいのに、相手はA組——つまり、この学校でもトップクラスの人間が集まる場所だ。
そこへ一年生の自分が、こそこそ様子を見に来る。
どう考えても怪しい。
そんなことは分かっていたが、行かないわけにもいかなかった。
真守はできるだけ目立たないように廊下の端から二年A組の中を覗き込む。
すると、すぐに一人の人物が視界へ飛び込んできた。
「……多分、あの人が夢百合先輩か」
そこにいたのは、見るからにクラスの中心にいる人間だった。
周囲には女子生徒たちが何人もいて、まるで彼女を囲うように楽しげに話している。
「ねぇ〜、葵、今日は私と帰ってよ!」
「え〜、今日は私でしょ?」
「まぁまぁ、きみたち。私は一人しかいないんだから」
そのやり取りを見て、真守は思わず目を細めた。
(なんだこれ……宝◯歌劇団か?)
そんな感想が真っ先に浮かぶくらいには、夢百合葵の周囲だけ空気が違っていた。
ただ目立つとか、人気があるとか、そういう単純な話ではない。
自然と人が集まり、自然とその中心にいる。そんな、妙なカリスマ性があった。
その時だった。
「夢百合、このプリントあとで職員室に持ってきてくれ」
「赤城くん、りょーかい!」
別の男子生徒が声をかける。
真守はそのやり取りに反応した。
(赤城……ってことは)
資料に載っていた名前と一致する。
夢百合葵。
そして赤城悟。
これで少なくとも二人は顔を確認できた。
順調——そう思ったのも束の間だった。
「ねぇ〜、葵。あそこにずっと見てる一年生いるんだけど、知り合い?」
「あれ、ほんとだ」
囲っていた女子の一人が、真守の存在に気づいた。
しまった、と思った時にはもう遅い。
夢百合本人がこちらへ歩いてくる。
「ま、まずい!!」
真守は咄嗟に踵を返しかけた。
「ちょっと待って!!」
だが、その動きより相手の方が早かった。
「ねぇ、きみ、もしかして一年生の楽々浦君?」
腕を引かれる。
そのまま距離を詰められる。
「えっ、あ、あの……俺は楽々浦ではないです」
「わかりやすい嘘だなぁ」
「いや、本当に人違いで……」
誤魔化すには無理があった。
相手はすでに確信しているような顔をしている。
「楽々浦君、この学校じゃもう有名人だからね。すぐ分かっちゃうんだよ」
「俺が有名人……?」
「俺、って認めてるよね?」
「はっ、しまった!!」
見事に墓穴を掘った。
その瞬間、真守の脳内には一つの最悪な可能性がよぎる。
覗き。上級生の教室。女子生徒。
言い逃れ不能。
反射的に、真守はその場で土下座の体勢に入っていた。
「大変申し訳ございません!決してやましい気持ちで覗いていたわけではございませんので、ここは一回見逃してくれませんか!!」
床に頭をつける勢いで謝る。
痴漢冤罪に近いものを感じていた。
まだ何も起きていないのに、なぜか人生が終わりそうな気がしたのだ。
「ちょっと、私は別にそんなつもりで捕まえたわけじゃないよ?」
慌てて夢百合が真守を起こす。
そのまま目線を合わせるように顔を覗き込んできた。
「私、きみと友達になりたいと思ってたの!」
「……えっ?」
予想の斜め上すぎる言葉に、真守は固まる。
「お、俺と友達ですか!?」
「ダメかな……?」
上目遣い、というより、まっすぐな目だった。
冗談を言っているようには見えない。
ダメなわけがない。
ないのだが、なぜ自分はこうも次から次へと“目立つ人間”に気に入られるのだろう。
「あ、ダメなわけないです!俺でよかったらよろしくお願いします!!」
真守は思わず勢いよく頭を下げた。
「もう、きみ礼儀正しすぎ」
夢百合はくすっと笑う。
近くで見ると、彼女の容姿はやはり目を引いた。
奇抜な金髪。片側は編み込みになっていて、そこから覗くピアスがよく目立つ。
目つきは鋭いはずなのに、不思議と冷たさはなく、むしろどこか人を惹きつけるような強さがあった。
(……こんな人と俺が釣り合うわけないだろ)
見ているだけでそう思う。
「ところで、きみは私のクラスに何の用があって来たの?」
「あっ……それは……とくにないです」
明らかに怪しい返しだった。
自分でもわかるくらい、目線が泳いでいる。
「う〜ん、本当のこと言いなさい!」
夢百合はぐいっと顔を近づけてくる。
吐息がかかるくらいの距離。
近い。近すぎる。
しかも、いい匂いがする。
「えっと……」
「もう、本当のこと言わないと、このままキスしちゃうよ?」
「……は?」
衝撃発言だった。
真守の思考はその一言で吹き飛ぶ。
目の前にいるのは、どう見てもクラスの中心に立つような人間だ。男女問わず人気があるのも想像できる。
そんな人とキスなんてしたら——
間違いなく敵が増える。しかも、とんでもない数だ。
「いや、それは勘弁してください……」
「え〜、つまらないな」
夢百合は少し残念そうに身体を引いた。
その反応すら軽い。
「さすがにキスはちょっと……」
真守は距離が空いたことに心底安堵しながら、ようやくまともに息をついた。
「それじゃ、ちゃんと要件を言ってね!」
「……はい」
ここまで来たら、もう隠しても無駄だった。
真守は観念して、生徒会から頼まれて夢百合たちを調査しに来たことを、包み隠さず話した。
すると——
「へぇ〜、それ面白そうじゃん!!」
「……へっ?」
返ってきたのは、予想外に前向きすぎる反応だった。
「私もそれ、手伝うよ!」
「あ、あの……調査される側なんですが……」
「そんなの関係ないよ」
夢百合はまるで気にしていない様子で笑う。
「私が他の二人を調査してあげる!」
「いや、ちょっ——」
止める間もなかった。
夢百合は真守の持っていた資料をひょいと取り上げると、そのまま何の迷いもなく教室へ戻っていく。
「あぁ〜……やってしまった……」
取り返そうにも、もう遅い。
会長にこのことがバレたらどうなるのか、真守には想像もつかなかった。
ただ一つ確かなのは——
今、自分の心臓が嫌なくらい強く脈打っているということだけだった。




