208話 俺×嫉妬=そういうことだったんですね。
「咲音ちゃん、ちょっとこっち」
寮へ戻ってから数分後。
真希那はそう言うと、白ヶ崎の手首を掴んでそのまま別室へ連れて行った。
「え、ちょっ──」
「いいからいいから」
バタン。
扉が閉まる。
「……」
リビングに残された真守は、ぽつんと一人になった。
意味が分からない。
本当に意味が分からない。
ついさっきまで機嫌が悪かった白ヶ崎がいて、真希那が妙にニヤニヤしていて、そのまま連行された。
状況が理解できない。
「……」
耳を澄ませる。
当然ながら何も聞こえない。特待生寮の防音性能は無駄に高い。中で何を話しているのか全く分からなかった。
十分。
二十分。
三十分。
思ったより長い。
その間ずっと落ち着かなかった。
何を話しているんだろう。自分の悪口だろうか、それとも今日のことだろうか、考えれば考えるほど気になってくる。
「……」
ソファに座ったまま天井を見上げる。
嫌な待ち時間だった。
そして──
ガチャ。
ようやく扉が開いた。
真守は反射的に顔を上げる。出てきたのは白ヶ崎だった。真希那も後ろから出てくる。
「……?」
様子がおかしい。
白ヶ崎の顔が真っ赤だった。耳まで赤い。目元も少し潤んでいる気がする。
「……?」
何があった。
真守が困惑していると、白ヶ崎がこちらへ歩いてくる。そのまま目の前で立ち止まった。
「……ごめんなさい」
「え?」
意味が分からない。
本日何度目かの困惑だった。
「……なにが?」
「……」
白ヶ崎は視線を逸らす。
返事がない。
代わりに後ろから真希那が言った。
「まーくんも謝って」
「は?」
「いいから」
「いや意味分かんねぇって」
「いいから謝る」
「……」
意味は分からない。
分からないが、真希那がここまで言う時は逆らうと面倒になる。
「……ごめん?」
とりあえず謝る。
白ヶ崎は小さく頷いた。
「……うん」
やっぱり意味が分からない。
真守が首を傾げていると、真希那が盛大にため息を吐いた。
「ほんとに鈍感なんだから」
「なんだよ」
「まーくん」
真希那が真面目な顔になる。
「今の彼女は誰ですか?」
「咲音」
即答だった。
考えるまでもない。答えなんて一つしかなかった。
「うん」
真希那が頷く。
「じゃあ、それが答え」
「……?」
意味が分からない。
白ヶ崎は顔を伏せている。
「だから何なんだよ」
「だからね」
真希那は呆れたように続けた。
「彼女がいるのに、他の女の子の部屋へ二人きりで行くのは彼氏としてどうなのって話」
「……」
真守の思考が止まる。
「いや、でも葵先輩だぞ?」
「そういう問題じゃないの」
真希那が即答する。
「まーくんは情報聞きに行っただけなんでしょ?」
「そうだけど」
「咲音ちゃんもそれは分かってる」
「……」
白ヶ崎が小さく頷く。
「でも」
真希那が続ける。
「嫌だったんだよね?」
「……」
白ヶ崎はしばらく黙っていた。
それから小さく息を吐く。
「……私も分からなかった」
小さな声だった。
「なんでイライラしてるのか」
俯いたまま続ける。
「でも、葵先輩の部屋に行ったって聞いたら……嫌だった」
「……」
「なんか、嫌だった」
言葉を探しながら話している。それが余計に本音だと分かった。
「……」
真守は何も言えなかった。
真希那が指を差す。
「それ、嫉妬」
「……」
白ヶ崎が固まる。
真守も固まる。
数秒後。
「……あ」
ようやく理解した。
そういうことか。
「だから咲音ちゃんも混乱してたし、まーくんも意味分かってなかったの」
真希那は呆れながら言う。
「二人とも初めてなんだから仕方ないけど」
「……」
白ヶ崎は顔を隠していた。
恥ずかしいらしい。
「……悪かった」
真守が言う。
今度はちゃんと意味を理解して。
「いや……」
白ヶ崎が小さく首を振る。
「私も分からなかったから」
ようやく空気が少し和らぐ。
その様子を見ていた真希那が満足そうに頷いた。
「よし!!仲直りのチューでもしなさい」
「は?」
真守が固まる。
白ヶ崎も固まる。
「冗談だよ冗談」
真希那はケラケラ笑う。
「そんな顔しなくても──」
そこまでだった。
白ヶ崎が立ち上がった。
「……え?」
真守が固まる。
真希那も固まる。
白ヶ崎は真っ赤な顔のまま真守へ近付いてくる。
一歩。
また一歩。
そして。
ゴッ。
「いっ!?」
「っ……!!」
普通に歯が当たった。
痛い、めちゃくちゃ痛い。
白ヶ崎はその場で停止。
真守も停止。
完全に固まる。
数秒。
誰も動かなかった。
「……」
「……」
「……」
そして。
「いや本当にやるんかーーーーーい!!!」
真希那が爆発した。
「冗談だったじゃん!!なんで実行するの!?付き合ったばっかりだよね!?」
「俺に言うな!!」
「咲音ちゃん!?」
白ヶ崎は顔を両手で隠していた。耳まで真っ赤だった。今すぐ消えたい顔をしている。
そこからしばらく。
真希那が騒ぎ、真守が止め、白ヶ崎が恥ずかしさで固まり続ける。
カオスだった。
ようやく落ち着いた頃には、全員ぐったりしていた。
「……」
真希那はソファへ腰を下ろす。
さっきまでの騒がしさが嘘みたいに静かだった。
「……本当に彼女になったんだね」
ぽつりと呟く。
その声だけは少し寂しそうだった。
「……」
真守は返事に困る。
真希那は笑った。
「でも本当に、咲音ちゃんなら安心」
そう言って立ち上がる。
「今日は別室で寝る」
「え?」
「流石に邪魔でしょ」
「いやそんなつもりじゃ」
「ある」
「ない」
「ある」
言い切ると、そのまま部屋を出て行った。
扉が閉まる。
静かになる。
途端に空気が変わった。さっきまでは真希那がいた。今は、二人だけだった。
「……」
「……」
気まずい。
付き合った。そして数十分前にキス未遂をした。気まずくない方がおかしい。
夜。
ベッドへ入る。同じ部屋、距離は空いている。それでも近かった。
「……」
「……」
先に口を開いたのは真守だった。
「……さっきの」
言いかけた瞬間。
「言わないで」
即答だった。
白ヶ崎は布団を頭まで被っている。
「無理だろ」
「忘れて」
「無理だ」
「……」
沈黙。
「ごめん、私も無理」
そう言うと。
布団の中で何かがもぞもぞ動いた。多分また赤くなっている。
「……」
「……」
しばらく沈黙が続く。
それでも不思議と嫌じゃなかった。
やがて真守の意識はゆっくりと落ちていく。静かな寝息が聞こえ始める。
その頃になっても、白ヶ崎だけは眠れていなかった。
「……」
暗闇の中で横を見る。真守は眠っている。そして、少しだけ見つめる。
「……真守くん」
小さく呼ぶ。
返事はない。
もう寝ている。
「……」
少しだけ迷う。
心臓がうるさい。
けれど、さっきは失敗してしまった。だから、今度こそ。
そっと近付く。今度はぶつからないように、ゆっくり、慎重に、短く触れる。
そして、離れる。
「……」
成功した。
白ヶ崎は数秒固まった。
それから慌てて布団へ潜り込む。
顔は真っ赤だった。
「……できた」
小さく呟く。
誰にも聞こえない声。
「……おやすみ、真守くん」
そう言って目を閉じる。今度は、少しだけ幸せそうな顔をしていた。




