206話 俺×手掛かり=少しだけ前に進みました。
「……誰かを怖がってる、ですか」
真守は葵の言葉を反芻した。
女子寮の廊下には誰もいない。
当然だった。この時間は授業中で、生徒たちは校舎にいる。窓から差し込む昼の日差しだけが静かに廊下を照らしていた。
「うん」
葵は小さく頷く。
「確証はないんだけどね」
少しだけ困ったように笑った。
「でも職員さんと話してる時に、そんな感じがしたんだ」
「そんな感じ……」
「赤坂さんの話になると、みんな慎重になるというか」
葵は言葉を探すように視線を上へ向ける。
「守ろうとしてる感じ?」
「……」
真守は黙る。
施設へ行った時のことを思い出していた。
職員たちは明らかに警戒していた。ただ会わせないだけではない。何かから隠しているような、そんな違和感が確かにあった。
「でもね」
葵が続ける。
「もう一つ分かったことがあるんだよね」
「……もう一つ?」
真守が顔を上げる。
葵は少しだけ表情を崩した。
「赤坂さん、お墓参りに行ってるみたい」
「……墓参り?」
予想していなかった言葉だった。
思わず聞き返してしまう。
「うん」
葵が頷く。
「定期的に行ってるらしいよ」
「……」
真守は少し考える。
施設からほとんど出ていないと思っていた。けれど例外がある。それが墓参り。
「場所は分かるんですか?」
自然と質問が出る。
「分かるよ」
葵はスマホを取り出した。
「職員さんに聞いたから」
「……」
真守は思わず眉をひそめる。
「先輩」
「ん?」
「なんでそんなに仲良くなってるんですか」
率直な疑問だった。
自分が施設へ行った時は門前払いに近かった。それなのに。
「え?」
葵はきょとんとした顔をする。
「何回か行ったら普通に話せるようになったよ?」
「……」
「今度来たらお茶飲んでいきなさいって言われたし」
「常連じゃないですか」
「そうかな?」
本人は本気で分かっていないらしい。
真守は小さくため息を吐いた。
こういうところは本当に敵わない。
人との距離を縮める才能だけなら、生徒会の誰よりも上かもしれなかった。
「それでね」
葵がスマホをこちらへ向ける。
「ここ」
表示された地図を見る。
「……」
真守は少し目を細めた。
施設のある街ではない。電車で数駅の、三十分ほど離れた隣町だった。
「結構遠いですね」
「そうなんだよね」
葵も頷く。
「施設の近くじゃないみたい」
「……」
わざわざ時間をかけて向かう場所。
ただの習慣ではない、そこには何か理由がある。そんな気がした。
「ありがとうございます」
自然と頭が下がる。
「役に立った?」
「かなり」
即答だった。
葵は少しだけ嬉しそうに笑った。
「よかった」
その笑顔を見て、真守も少しだけ肩の力が抜けた気がした。
今まで何もなかった。けれど今は違う、次に向かう場所だけは見えた。
「それじゃ」
真守は踵を返す。
「学校戻ります」
「うん」
葵が小さく手を振る。
「無理しないでね」
「先輩も」
短く返して、廊下を歩き出した。
背中越しに、
「また話そうね」
という声が聞こえたが、真守は軽く手を振るだけに留めた。
そして、学校へ戻る。授業中の校舎は静かだった。
廊下を歩きながら、真守は何度も地図を思い返していた。
墓地、隣町、赤坂、まだ何も分からない。けれど、止まっていた状況が少しだけ動き始めている気がした。
生徒会室へ入り、仕事を片付ける。書類を確認し、報告書をまとめる。集中しているつもりでも、頭の片隅にはずっと墓地のことが残っていた。
気が付けば放課後になっていた。窓の外は夕焼け色に染まり始めている。
「……帰るか」
小さく呟く。
机の上を片付け、生徒会室を出る。教室へ向かう足取りは自然と軽くなっていた。
昨日までなら真っ先に赤坂のことを考えていただろう。けれど今日は違う、教室へ行けば待っている人がいる。
そう思うだけで、少しだけ気持ちが変わる。
廊下を曲がる。
教室が見えてくる。
そして──
「……」
真守の足が止まった。
教室の入口。壁にもたれるようにして立っている白ヶ崎の姿が見えた。
腕を組み、頬を膨らませ、明らかに不機嫌そうな顔をしている。
「……」
嫌な予感しかしない。
白ヶ崎は真守に気付くと、じとっとした視線を向けてきた。
「……遅い」
開口一番、それだった。
「いや、生徒会が──」
「関係ない」
即答。
反論を許さない声だった。
「……」
真守は思わず言葉を失う。
そんな様子を見て、白ヶ崎はさらに頬を膨らませた。
「……真守くん」
「なんだよ」
少しだけ視線を逸らしてから、
「……午前中、どこ行ってたの?」
ぽつりと聞いてくる。
「どこって……」
真守は少し考える。
別に隠すことじゃない。
「葵先輩のところ」
そう答えた瞬間だった。
「……」
白ヶ崎が固まる。
「……え?」
小さな声。
「だから葵先輩」
真守は特に気にせず続ける。
「赤坂先輩の件で話聞きに──」
「……そう」
白ヶ崎が視線を逸らす。
「……?」
なんだその反応。そう思った時にはもう遅かった。
「……帰ろ」
白ヶ崎はそう言って歩き始める。
明らかに機嫌が悪い。
「お、おい」
慌てて追いかける。
「なんか怒ってる?」
「別に」
即答。
「怒ってない」
怒っている時のやつだった。
夕焼け色に染まる廊下を歩きながら、真守は首を傾げる。
理由が、全く分からなかった。




