201話 俺×関係=これが答えでいいですか。
屋上を吹き抜ける風は、さっきまでよりも少しだけ穏やかになっていた。
夕焼けも、もう終わりかけている。
オレンジ色だった空はゆっくりと紫色へ変わり始めていて、校舎の影が長く伸びていた。
その景色を眺めながら、真守は小さく息を吐く。
隣には白ヶ崎がいた。
いや、もう違う。白ヶ崎咲音は、今までとは違う立場で隣にいる。
そう理解しているはずなのに、不思議と実感が追いついてこなかった。
「……」
手はまだ繋がったままだった。
離そうと思えば離せる。けれど、どちらも離そうとしない。
離した方が不自然な気さえした。それなのに、妙に落ち着かない。何か話した方がいい気がする。けれど、何を話せばいいのか分からない。
告白する前までは、あれだけ言葉が浮かんでいたのに。
肝心なことを伝え終えた途端、頭の中が妙に静かになってしまった。
そんな沈黙を破ったのは白ヶ崎だった。
「あのさ」
少しだけ遠慮がちな声。
真守はそちらを見る。
「ん?」
白ヶ崎は一度視線を逸らして、それから小さく真守を見る。
「……これって」
言葉を探すように口を開く。
「……付き合ってるってことで、いいんだよね」
その問いに、真守は一瞬だけ固まった。
付き合う。
恋人。
そういう言葉を、自分が使う日が来るなんて思っていなかった。
ましてや、その相手が白ヶ崎だなんて、少し前の自分なら想像もできなかっただろう。
「……」
だからこそ、返事が少し遅れた。
白ヶ崎が不安そうにこちらを見る。その視線に気づいて、真守は慌てて首を縦に振った。
「うん」
小さく息を吐く。
「俺もこういうの初めてだから分かんないけど」
少しだけ苦笑する。
「そういうことになるんじゃないか」
正直な答えだった。
恋人同士が何をするのかもよく分からない。付き合った経験なんてない。
それでも、好きだと伝えて、好きだと返されて、手を繋いでいる。
だったら、多分そういうことなんだろう。
「……そっか」
白ヶ崎が小さく呟く。その声は驚くほど柔らかかった。そして、少しだけ口元が緩む。
ほんのわずかな変化。けれど真守には、それが誰よりも嬉しそうな表情に見えた。
「……」
また沈黙が落ちる。
けれど、不思議と苦しくない。何も話さなくても成立する時間だった。
むしろ、この静けさすら心地良かった。
そんな中で、真守は手に違和感を覚えた。白ヶ崎の指先に、少しだけ力が入る。
握る力が強くなる。離れないように、確かめるように、そんな感覚だった。
何気なく白ヶ崎を見る。
そして。
「……え?」
思わず声が漏れた。
白ヶ崎の目元が少しだけ潤んでいた。
夕焼けの光のせいじゃない。
明らかに涙だった。
「おい」
思わず声をかける。
「なんで泣いてるんだよ」
「泣いてない」
即答だった。けれど、声が微妙に震えている。全く説得力がない。
「いや泣いてるだろ」
「泣いてない」
「泣いてる」
「泣いてない」
子供みたいなやり取りだった。
白ヶ崎は少しだけ顔を逸らす。その横顔を見ているうちに、真守はふと不安になった。
もしかして、何か間違えたんじゃないか、そんなありもしないことを考えてしまう。
「……嫌だったか?」
思わず口から出た。
すると、白ヶ崎が勢いよく顔を上げた。
「は?」
本気で意味が分からないという顔だった。
「なんでそうなるの」
「いや……」
「それは、違う」
はっきりと言い切られる。その声には迷いがなかった。
「そうじゃなくて」
白ヶ崎は少しだけ目を伏せる。
言葉を探しているようだった。
そして。
「……なんか」
小さく息を吸う。
「力抜けた」
ぽつりと呟く。
真守は何も言わなかった。でも、その意味は分かる気がした。
病院で出会って、初恋をして、離れ離れになって、ようやく再会して、それでも素直になれなくて。
ずっと不安で。
ずっと怖くて。
その全部を抱え続けてきたのだろう。
張り続けていた糸が、ようやく緩んだ。そんな感覚なのかもしれない。
「……」
白ヶ崎の瞳から、また涙が一筋だけ流れる。それを見ても、真守はもう何も言わなかった。
泣いてもいいと思った。
むしろ泣かない方がおかしい。
何年も抱えていた恋なのだから。
「……ダサいよね」
白ヶ崎が小さく呟く。
「別に」
真守は自然に返した。
「こういう時くらい泣いてもいいだろ」
白ヶ崎が少しだけ目を見開く。
「我慢する方がよっぽど良くない」
真守自身、上手いことを言ったつもりはなかった。ただ思ったことをそのまま言っただけだった。
けれど、白ヶ崎は小さく笑った。
「……なにそれ」
「知らん」
「ふふ」
小さな笑い声が漏れる。その声を聞いているだけで、胸の奥が温かくなる。
しばらく二人で夕焼けを見ていた。空はもう夜へ変わろうとしている。
そろそろ帰らないといけない時間だった。
「帰るか」
真守が呟く。
「……うん」
白ヶ崎が頷く。
どちらからともなく歩き出す。
それでも手は繋いだままだった。離す理由が見つからない。いや、本当は離したくなかったのかもしれない。
屋上の扉を開く。
少し冷たい空気が廊下から流れ込んできた。
昼間の喧騒はもうなくなっている。静かな校舎、誰もいない廊下、その中を二人で歩く。
「……咲音」
真守が名前を呼ぶ。
「なに?」
返事が返ってくる。
以前と同じはずなのに、どこか違う。名前を呼ぶだけで妙に照れくさい。
「……いや」
言葉に詰まる。
呼んだ理由なんて特になかった。ただ呼んでみたかっただけだ。
「なんでもない」
そう答える。
白ヶ崎は少しだけ笑った。
「……なにそれ」
「知らん」
また同じ返事になる。
それでも、白ヶ崎は楽しそうだった。その笑顔を見ていると、真守まで少しだけ笑ってしまう。
当たり前じゃなかったものが、少しずつ当たり前になっていく。
今までは隣にいた、これからも隣にいる、ただそれだけのことなのに、世界が少しだけ違って見えた。
二人の足音が静かな廊下に響く。
急ぐ理由はない。この時間が終わってほしくないと、どこかで思っていた。
だから真守は歩幅を少しだけゆっくりにする。白ヶ崎も何も言わずに合わせてくる。
そのことが、少しだけ嬉しかった。
隣を見ると白ヶ崎がいて、手を繋いでいる。そして今は、それが当たり前になった。
真守は小さく息を吐く。
答えなんて、もうとっくに出ていたのかもしれない。遠回りして、ようやく辿り着いた。
それでも、この答えで良かったと、今は素直に思えた。




