199話 俺×本音=届くことを祈ります。
放課後の教室は、思っていたよりも静かだった。
チャイムが鳴ってからそれなりに時間が経っている。すでに帰った生徒も多く、教室の中には数人しか残っていなかった。
誰かが椅子を引く音、鞄のファスナーを閉める音、友達同士の小さな笑い声。
そんな何気ない音だけが、妙にはっきりと耳に届く。
その一方で、自分の胸の中だけが落ち着かない。
心臓がずっと騒がしい。
まるで今さらになって告白の実感が追いついてきたみたいだった。
「……」
真守はゆっくりと席を立った。
何度も考えた、何度も迷った。それでも、もう決めている。
ここで逃げたら、きっとまた同じことを繰り返す。
誰かを傷つけるのが怖いから、関係が壊れるのが怖いから、そんな理由で先延ばしにしてきた。でも今回は違う。自分で決めた、だから進む。
「……咲音」
名前を呼ぶ。
白ヶ崎がゆっくりと顔を上げた。
「……なに?」
少しだけ間のある返事。
その声を聞くだけで緊張する。以前ならこんなことはなかった。
「……ちょっと来てほしい」
真守はそれだけ言った。
理由は言わない。言葉を足した瞬間に逃げ道を作ってしまいそうだったから。
「……どこ?」
「屋上」
短く答える。
「……」
白ヶ崎は何も言わなかった。
数秒の沈黙、その時間がやけに長く感じる。断られたらどうしよう、そんな不安が頭をよぎる。
けれど。
「……うん」
白ヶ崎は小さく頷いた。
それだけで十分だった。
二人は教室を出る。
廊下を歩く。足音だけが静かに重なっていく。会話はない。無理に話そうとも思わなかった。
今ここで言葉を交わしてしまったら、本当に言いたいことが薄れてしまう気がしたからだ。
階段を上る。
屋上へ続く最後の階段、そこだけは妙に長く感じた。
そして——。
屋上の扉を開く。
冷たい風が一気に流れ込んできた。夕方の空は少しずつ赤く染まり始めている。
文化祭が終わってから数日、季節はゆっくりと冬へ向かっていた。
空は高く、風は冷たい。それなのに胸の奥だけが熱かった。
扉が閉まる。静かな音だった。
その瞬間、世界から切り離されたような感覚になる。ここには二人しかいない、その事実が妙に重かった。
「……昨日の話、したい」
真守は振り返らずに言った。
昨日、白ヶ崎に止められた言葉。最後まで言えなかった想い。
それを今日伝えるために来た。
「……」
返事はない。
でも、白ヶ崎がちゃんと聞いているのは分かった。
「……俺」
言葉を探す。
胸の奥で何度も繰り返した言葉。
「ちゃんと決めた」
そこまで言った時だった。
「……なんで」
小さな声が背中に落ちた。
真守の言葉が止まる。
振り返ると、白ヶ崎は俯いていた。長い前髪が少しだけ揺れ、握った拳に力が入っている。
「……なんで、そんな普通なの」
声は震えていなかった。けれど、必死に抑えていることだけは伝わってきた。
「……え?」
真守は思わず聞き返す。
白ヶ崎は顔を上げない。
「……なんで」
もう一度呟く。
「……なんで、いつも通りでいられるの」
その言葉に真守は答えられなかった。
意味が分からないわけじゃない。でも、どう答えればいいのか分からない。
「……真守くんの周りってさ」
白ヶ崎がゆっくり顔を上げる。
視線がぶつかる。
その目は少しだけ赤かった。
「……いつも可愛い子ばっかりだよね」
冗談みたいな言葉だった。でも冗談じゃない、真守にも分かった。
「奏先輩も」
白ヶ崎が言う。
「葵先輩も」
一人ずつ名前を並べる。
「赤坂先輩も」
そのたびに胸が少しずつ重くなっていく。
「みんな真守くんの近くにいて」
「……」
「みんな真守くんのこと気にしてて」
少しだけ言葉が詰まる。
「みんな普通に話してる」
風が吹く。
白ヶ崎の髪が揺れる。
「……距離も近くて」
その言葉は少しだけ苦しそうだった。
「……それでも」
視線が真っ直ぐ向けられる。
「真守くんは普通で」
「……」
「何も変わってないみたいにしてる」
真守は何も言えなかった。
その通りだったから。
いつも通りでいればいいと思っていた、誰かを特別扱いしなければいいと思っていた。
でも、それは違ったのかもしれない。
「……私」
白ヶ崎が小さく息を吸う。
「ずっと不安だった」
夕陽が横顔を照らしている。
「病院で会ったこと思い出してくれて」
「……」
「嬉しかった」
声が少しだけ震える。
「本当に嬉しかった」
その言葉は真っ直ぐだった。
だからこそ苦しかった。
「でも」
白ヶ崎は続ける。
「思い出したあとも何も変わらなくて」
少しだけ笑う。
悲しそうな笑顔だった。
「真守くんは真守くんのままで」
「……」
「私だけが勝手に期待してる気がして」
胸が痛む。
「私じゃなくてもいいじゃん」
その言葉が落ちた瞬間、全部分かった。
白ヶ崎は怒っていたわけじゃない。呆れていたわけでもない。
ずっと怖かったんだ。
ずっと不安だったんだ。
選ばれないことが、特別じゃないことが。
「……違う」
真守の口が自然と動いた。
考えるより先だった。
一歩前へ出る。
白ヶ崎との距離が縮まる。
「違う」
もう一度言う。
今度ははっきりと。
白ヶ崎の目が揺れる。
「……俺は」
言葉を探す必要はなかった。
ここまで来るのに時間はかかった。
迷った、遠回りした、でも答えだけは決まっている。
「好きなんだ」
風が止まった気がした。
「……」
白ヶ崎の瞳が大きく揺れる。
「最初からじゃない」
真守は続ける。
「病院のこと思い出したからとか、そういうのじゃない」
ちゃんと伝えたかった。
「一緒にいて、助けられて、笑って」
少しだけ息を吐く。
「気付いたら隣にいるのが当たり前になってた」
夕焼けが少しずつ色を濃くしていく。
「いなくなるのが嫌だった」
「……」
白ヶ崎は何も言わない。
ただ真守を見ている。
「だから」
真守は一歩だけ近づいた。
「俺は咲音しかいない」
真っ直ぐに伝える。
逃げずにら誤魔化さずに、今度こそ──白ヶ崎だけに。
「……」
時間が止まったようだった。
風の音だけが聞こえる。
遠くでは運動部の声が響いている。誰かの笑い声も聞こえる。それでも、この場所だけが別の世界みたいに静かだった。
白ヶ崎の瞳が揺れる。
涙が溢れそうになる。けれど今はまだ零れない。
真守の言葉を、一つも聞き逃さないように必死に受け止めていた。
そして——。
ようやく、何年も胸の中に抱え続けた初恋が。
届いた。




