198話 俺×前触れ=落ち着かないです。
明日、全部言う。
昨夜、そう決めた。
白ヶ崎の部屋を出たあとも、その決意だけは揺らがなかった。
なのに——。
当日の朝になった今、真守はまるで別人みたいに落ち着きを失っていた。
制服のシャツに腕を通す。ボタンを留める。それだけの作業なのに、何度も指が止まる。
「……」
鏡を見る。
いつもと同じ顔。寝不足というほどでもない、体調も悪くない、それなのに胸の奥だけが妙に騒がしかった。
昨日は言えなかった。いや、言わなかった。白ヶ崎が止めたから。
それだけだ。
今日言えばいい、ただそれだけの話。頭では理解している、理解しているはずなのに。
「……はぁ」
小さく息が漏れた。
自分でも驚くくらい緊張していた。
告白なんてしたことがない。今までそういうことを考える余裕もなかった。
だから分からない。
何を言えばいいのか、どう伝えればいいのか、どんな顔で言えばいいのか。
「いつも通りでいいだろ」
自分に言い聞かせる。
それしか方法を知らなかった。
結局まとまらないまま寮を出て学校へ向かう。
朝の空気は冷たかった。季節は少しずつ冬へ向かっている。吐いた息が少しだけ白く見えた。
その景色を見ながら歩いているうちに、あっという間に教室へ着いてしまった。
「よぉ楽々浦」
神宮丸だった。
相変わらず朝から元気そうだ。
「……おう」
軽く返す。
席へ向かう。
そして自然と視線が横へ流れた。
「……」
白ヶ崎はもう来ていた。
窓際の席。
朝日が横顔を照らしている。
その姿を見た瞬間、胸の奥が少しだけ熱くなる。
目が合う。
ほんの一瞬だけ。
それだけだった。
けれど、白ヶ崎はすぐに視線を逸らした。
「……」
真守も何も言えない。
言葉が出てこない。
昨日の続きを話したい。
けれどまだ違う。
今じゃない。
そう思ってしまう。
結局何も言えないまま授業が始まった。
ノートを開き、ペンを持つ。教師の声が教室に響いている。黒板に文字が並ぶ。
「……」
なのに頭に入らない。
気付けば同じ行を何度もなぞっていた。何を書いているのか自分でも分からない。
視線だけが勝手に白ヶ崎を探してしまう。そのたびに慌てて黒板を見る。
「……落ち着けって」
小さく呟いた。
隣の神宮丸が怪訝そうな顔をする。誤魔化すようにノートへ視線を戻した。
けれど、時間は待ってくれない。あっという間に昼休みになっていた。
チャイムが鳴り、教室が一気に騒がしくなる。
「よし、飯行くぞ」
神宮丸が立ち上がる。
「……ああ」
真守も立ち上がる。
白ヶ崎も無言で席を離れ、三人で食堂へ向かう。けれど会話は少ない。
神宮丸だけが一人で喋っている。
文化祭の話、クラスの話、どうでもいい雑談。本来なら笑って聞いているはずなのに、今日はほとんど耳に入ってこなかった。
食堂へ着き、席を確保する。そのあと、適当に注文する。
そして向かい側に白ヶ崎が座った。
「……」
距離は近い。
なのに遠い。
お互い何も言わない。昨日までなら自然に話せていたはずなのに、今は妙な沈黙がある。
それが逆に意識を強くさせていた。
「……なんだよこれ」
思わず小さく呟く。
その時だった。
「真守」
声がかかる。
顔を上げと、目の前にいたのは奏だった。
「奏先輩」
「隣、いい?」
「……あ、はい」
自然と頷く。
奏は迷いなく真守の隣へ座った。
距離が近い。
昔なら気にしなかった。けれど今は少しだけ違う。向かい側にいる白ヶ崎が気になった。
「最近さ」
奏が話し始める。
「葵と電話してるじゃん」
「……はい」
少しだけ頷く。
「停学中で暇みたいなんで」
「へぇ」
奏は小さく笑った。
「すごい喜んでたよ」
「……そうなんですか」
それは知らなかった。
「うん」
奏は頷く。
「楽々浦くんと話せるの嬉しいって」
「……」
言葉が詰まる。
その瞬間だった。向かい側の白ヶ崎の箸が一瞬だけ止まった。ほんの僅か、気付かない人は気付かない程度。
でも真守は見てしまった。
「でさ」
奏が少しだけ顔を近付ける。
「私にももっとそういう話してよ」
「……そういう話ですか?」
「最近何してるとか」
少し笑う。
「何考えてるとか」
「……」
どう答えるべきか分からない。
その間にも、白ヶ崎は黙っていた。視線を落としたまま何も言わない。
何も聞かない、何も責めない、ただ静かに。
それが逆に痛かった。
「おおおお!!奏先輩!!」
神宮丸が食いつく。
「俺も話します!!」
「はいはい」
奏が適当に流す。
いつもの光景だった。本当にいつも通り、何も変わっていない。
そう見える。
けれど、真守には違って見えた。
「……」
向かい側を見る。
白ヶ崎は笑っていなかった。怒ってもいなかった。ただ少しだけ寂しそうだった。
そんな気がした。
気のせいかもしれない。でも、胸の奥に引っかかる。
そういえば、葵との電話のことを白ヶ崎は知らないはずだし、奏との最近の出来事を知らない。
そして自分は、それを説明しようともしていない。
「……」
小さな違和感だった。
でも確実にそこにある。
白ヶ崎が最近少しずつ距離を取っていた理由。その答えが、目の前にある気がした。
それでも真守はまだ気付けない。
理解できない。
なぜなら今の頭の中は、今夜のことでいっぱいだったから。
「……」
箸を動かす。味がしない。胸だけが妙に騒がしい。
視線を上げると、白ヶ崎はまだこちらを見ていなかった。
「……」
真守は小さく息を吐く。
今日。
全部言う。
それだけは決めている。
胸の奥にある違和感も、白ヶ崎の沈黙も、全部終わったあとで考えればいい。
そう思っていた。
だから気付かなかった。白ヶ崎が今にも限界を迎えそうなことに。
「……今日、言う」
誰にも聞こえない声で呟く。
その決意だけを握りしめながら、真守は残った昼食を口へ運んだ。




