195話 俺×決断=もう子供じゃないです。
テーブルの上には夕食が並んでいた。
湯気の立つ味噌汁、焼き魚。、小鉢に盛られた煮物。どれも見慣れた料理だった。
それなのに。
「……」
真守は席に着いたまま、しばらく動かなかった。
妙に静かだったからだ。
耳を澄ませば冷蔵庫のモーター音が聞こえる。時計の秒針が進む音も聞こえる。普段なら気にならないはずの音が、今日はやけに大きく感じた。
その理由は分かっている。
向かいに座る真希那の姿を見る。そして自然と視線が隣へ向く。
そこには誰もいない。いつもなら、当たり前のように白ヶ崎がいた。
「……なんか静かだな」
ぽつりと呟く。
無意識だった。
真希那が少しだけ笑う。
「でしょ?」
箸を手に取りながら言う。
「最近ずっと三人だったしね」
「……まあな」
短く返す。
軽く手を合わせる。
「いただきます」
食事を始める。
味は変わらない。真希那の料理は相変わらず美味しい。それなのに、何かが足りなかった。
いつもなら聞こえる声、くだらない会話、真希那と白ヶ崎の言い合い、そんなものが一つもない。
「……」
無意識に玄関の方を見てしまう。帰ってくるわけでもないのに。
そんな自分に少しだけ苦笑した。
「ねぇ」
真希那が口を開く。
「ん?」
顔を上げる。
真希那は箸を置いていた。
珍しく真面目な顔をしている。
「まーくんさ」
少しだけ間が空く。
そして。
「いったい、誰が好きなの?」
「……は?」
思わず手が止まった。
「……話があるってそれかよ」
呆れたように言う。
「もっとこう、別の話かと思ったわ」
「別にいいでしょ」
真希那は平然としている。
「大事な話じゃん」
「いや急すぎるだろ……」
苦笑いが漏れる。
いつもなら流して終わる。適当に誤魔化して、茶化して逃げる。
そうしてきた、今までずっと。
けれど。
「ちゃんと答えて」
真希那の声が少しだけ変わる。
いつもの軽い調子じゃない。姉としてでもなく、からかっているわけでもない。ただ真っ直ぐ聞いている。
「……」
真守は顔を上げる。
目が合う。
逃げられないと思った。
「……なんで今なんだよ」
「なんででもいいでしょ」
真希那は小さく肩を竦める。
「答えられる?」
「……」
言葉が出ない。
出そうと思えば出せる。でも、それは誤魔化しだ。もう誤魔化したくなかった。
「……」
考える。
頭の中に色んな顔が浮かぶ。
真希那。
赤坂。
奏。
葵。
祇園。
今まで関わってきた人たち。
色んな表情が浮かぶ。
笑顔。
泣き顔。
怒った顔。
呆れた顔。
その中で。
何度考えても。
最後に残る顔があった。
「……」
白い髪。
赤い瞳。
不器用な優しさ。
病院で出会った女の子。
何度も助けてくれた人。
いつの間にか隣にいることが当たり前になっていた存在。
思い出す。
文化祭。
実家。
電車。
夜の会話。
何気ない日常。
その全部に。
当たり前みたいに白ヶ崎がいた。
「……」
胸が少しだけ痛くなる。
今日はいない、ただそれだけなのに、こんなにも気になる。こんなにも落ち着かない。
「……なんで」
小さく呟く。
自分に向けて。
答えはもう出ていた。
出ているのに、口にするのが怖かった。認めてしまえば戻れなくなる気がした。
今までみたいにはいられなくなる気がした。
「……」
指先が少し震える。真守は視線を落とした。そして、小さく息を吸う。
「……俺は」
声が掠れる。
「……」
真希那は何も言わない。
ただ待っている。
「……決めた」
それだけ言った。名前は出さない。けれど、それで十分だった。
真希那は少しだけ目を閉じた。
そして。
「……そっか」
小さく呟く。その声は優しかった。どこまでも、優しかった。
「まーくんも」
ゆっくりと顔を上げる。
「もう大人だもんね」
「……」
胸の奥が少しだけ痛む。
子供の頃からずっと一緒だった。何かあれば真希那がいた。当たり前のように守ってくれた。当たり前のように隣にいてくれた。
そんな存在から少しずつ離れていく。その実感が初めて湧いた。
「ちゃんと自分で決めたんでしょ?」
「……ああ」
小さく頷く。
迷いはある。不安もある。でも、それでも選んだ。
「ならいいよ」
真希那が笑う。少し寂しそうで、でも嬉しそうな笑顔だった。
「それで」
真希那が続ける。
「ちゃんと行きなよ」
「……」
意味は分かる。
「中途半端なの、一番ダサいから」
何も言い返せない。
図星だった。
最近の自分はずっとそうだった。赤坂のことを追いながら、白ヶ崎の気持ちから目を逸らして。
何も選ばずにいた。
「……ちょっとくらい」
真希那が小さく笑う。
「お姉ちゃんで迷って欲しかったけど」
「……え?」
思わず顔を上げる。
真希那はすぐに笑った。
「うそうそ!」
そう言って誤魔化す。
けれど、ほんの少しだけ、その笑顔が寂しそうに見えた。
「……」
何も言えない。
言葉が見つからなかった。
真希那は箸を持ち直す。
「ほら」
軽く振る。
「冷めるよ」
「……うん」
小さく返す。
食事を続ける。
さっきまでとは違う空気だった。少しだけ、前に進んだ気がする。
「……」
心の中で繰り返す。
自分で決めた。選んだ。そう思った瞬間、自然と一人の顔が浮かぶ。
自分から距離を取った少女。ずっと待っていてくれた少女。そして、今は一人でいる少女。
「……」
真守は静かに息を吐いた。
迷いはまだある。
けれど。
答えだけは決まった。
「……行くか」
誰に聞かせるでもなく呟く。その言葉は、白ヶ崎の部屋へ向かうための決意だった。




