195話 俺×片思い=気づいてないのは俺だけです。
生徒会室は静かだった。
窓の外では運動部の掛け声が聞こえている。昼休み前の校舎はどこか落ち着かず、それでいて授業中特有の静けさも混ざっていた。
真守は椅子に腰を下ろし、小さく肩を回した。
「……っ」
背中の奥が少しだけ張る。
昨日の道場の疲れだろう。激しい筋肉痛というほどではない。
それでも腕を動かした時に残る鈍い感覚が、久しぶりに身体を動かしたことを思い出させていた。
「……久しぶりに動いたな」
小さく呟く。
机の上には書類が積まれている。
やることはある。けれど、意識は何度も別の方向へ向かっていた。
迷いが二つ。
一つは外。
もう一つは内。
師範の言葉が何度も頭の中を巡る。
赤坂のこと、会長のこと、その辺りは分かる。だが、もう一つが見えない。
考えようとしても輪郭だけがぼんやり浮かび、掴もうとすると消えてしまう。
「……」
真守はペンを置いた。
一度息を吐く。考えていても進まない、そんな気がした。
ふとスマホを取り出す。連絡先を開き、少し迷ってから通話ボタンを押した。
数回のコール。
そして。
『もしもしー?』
明るい声が耳に届く。
「お疲れ様です」
『おつかれさま!』
いつもより少しだけ元気な声だった。
だが次の瞬間。
『っていうかさ』
少し間が空く。
『暇すぎて死にそうなんだけど』
「停学中だから仕方ないですよ」
『そうなんだけどさー』
葵の不満そうな声が聞こえる。
『朝起きるじゃん?』
「はい」
『やることないじゃん?』
「はい」
『暇じゃん?』
「はい」
『もう疲れた』
「意味分かんないです」
思わず笑ってしまう。
葵も小さく笑った。
『でも本当に暇なんだよ』
「それは十分、伝わってますよ」
『でしょ?』
少しだけ嬉しそうな声だった。
停学になってから一週間以上。誰ともまともに会えない状態が続いている。
明るく振る舞っているが、葵なりに退屈しているのだろう。
「……ちょうどいいかもな」
『ん?』
「少しお願いしてもいいですか」
『いいよ』
即答だった。
『何?』
「赤坂先輩のことなんですけど」
『……うん』
少しだけ空気が変わる。
葵も真面目な声になる。
「施設の周りとか、何か動きがないか見てもらえませんか」
真守は言葉を選びながら続ける。
「無理はしなくていいですし、危ないこともしなくていいので」
『いいよ』
また即答だった。
今度は迷いもなかった。
「……いいんですか?」
『うん』
少しだけ沈黙。
そして。
『頼ってくれるの、ちょっと嬉しいし』
「……」
真守は言葉に詰まる。
そんなつもりではなかった。ただ、人手が欲しかっただけだ。
けれど。
『なんかさ』
葵が笑う。
『やっと二人でちゃんと、協力して作業っぽいことしてる気がする』
「……確かに」
少しだけ声が柔らかくなる。
『任せてよ』
明るい声。
『ちゃんと見ておくから』
「ありがとうございます」
素直にそう言えた。
『……ねぇ』
ふと声の調子が変わる。
「はい?」
『最近ちゃんと寝てる?』
「……まあ、それなりに」
『それなりって声じゃないでしょ』
呆れたような笑い声。
『無理しすぎないでよ』
「……はい」
短く返す。
『約束ね』
「……善処します」
『あ、それ絶対守らないやつ』
「失礼ですね」
『だって本当だし』
葵が笑う。
真守も少しだけ笑った。
『じゃあまたね』
「はい、お願いします」
通話が切れる。
静寂が戻る。
「……」
真守はスマホを机の上に置いた。
少しだけ肩の力が抜けている。
誰かに頼る。
師範の言葉ではないが、それだけでも少し前に進めた気がした。
だから気付かなかった。
その電話を終えた直後、たまたま生徒会室の前を通り過ぎた白ヶ崎が、小さく足を止めていたことに。
扉越しに聞こえていた真守の笑い声。その相手が誰だったのか、白ヶ崎には分かっていた。
「……」
何も言わない。ただ、静かに歩き出す。誰にも気付かれないまま。
そのまま教室へ戻っていった。
⸻
授業はいつも通り進んだ。
黒板の文字を書き写しながらも、真守の頭の中は別のことで埋まっている。
赤坂、会長、施設、そして師範の言葉。気付けば視線が前に向く。
白ヶ崎の後ろ姿。
真っ直ぐ前を向いている。ノートを取る姿もいつも通り、けれど。
「……」
どこか遠い。
理由は分からない。
分からないまま時間だけが過ぎていき、やがて休み時間になる。
「よぉ楽々浦」
神宮丸が近付いてくる。
「……なんだよ」
「あのさ」
少しだけ声を潜める。
「白ヶ崎、最近元気なくね?」
「……」
真守は言葉に詰まった。
心当たりはある。
けれど理由が分からない。
「……そうか?」
とぼけるように返す。
神宮丸は即座に首を振った。
「いや絶対そうだろ」
「……」
「空気違うって」
真剣だった。
ふざけている顔ではない。
「なんかさ」
神宮丸が続ける。
「お前のこと見てる時だけ変なんだよ」
「……は?」
意味が分からない。
「いや、だから」
神宮丸は呆れたように言う。
「お前マジで気付いてねぇの?」
「だから何を」
「いやもういいわ」
神宮丸が頭を抱える。
「めんどくせぇ」
「なんなんだよ」
「俺が言うことじゃねぇし」
そう言って肩を竦める。
真守は首を傾げるしかなかった。
ふと視線を向ける。
白ヶ崎と目が合う。
一瞬だけ。
「……」
すぐに逸らされた。まるで見てはいけないものを見たみたいに。
「……」
胸の奥に小さな違和感が残る。
けれど理由は分からない。
「お前、なんかしただろ」
神宮丸がニヤつく。
「してねぇよ」
「いや絶対なんかあるって」
「ねぇよ」
少し強めに返す。
神宮丸は呆れた顔になった。
「彼氏なんだからどうにかしろよ」
「は?」
思わず声が出る。
「違うからな」
「はいはい」
軽く流される。
その態度が余計に腹立たしい。
⸻
放課後。
生徒会室での作業を終える。
特に進展はない。それでも時間だけは過ぎていく。窓の外は夕焼け色に染まり始めていた。
真守は荷物をまとめて立ち上がる。
「……帰るか」
小さく呟く。
そして寮へ戻る。
玄関を開ける。
「……」
静かだった。
いつもなら聞こえてくる声がない。リビングを見渡すと、白ヶ崎の姿が見当たらなかった。
「まーくんおかえりー」
奥から真希那が顔を出す。
「……ただいま」
靴を脱ぎながら聞く。
「咲音は?」
すると真希那が少しだけ真面目な顔になった。
「咲音ちゃんならさ」
そして、さらりと言う。
「今日は自分の部屋に戻るって言って出てったよ」
「……え?」
思わず声が漏れる。
その返事は予想していなかった。
ずっと一緒にいた。当たり前みたいに。だからこそ、その一言が妙に重く感じた。
胸の奥がざわつく。理由は分からない。ただ、嫌な予感だけが残る。
「あとさ」
真希那が続ける。
「まーくんに話がある」
「……は?」
意味が分からない。
けれど、真希那の表情は妙に真剣だった。
そして真守はまだ気付いていない。白ヶ崎が離れた理由にも、真希那が何を言おうとしているのかにも。
気付いていないのは——
本当に自分だけだった。




