192話 俺×帰宅=何も進んでないです。
結局、その日は何も進まなかった。黒ヶ峰の言葉を頼りに考えてみたものの、決定的な何かに辿り着くことはなかった。
見えているところを見ろ。確かに、その通りなのかもしれない。けれど、見えているはずのものが多すぎる。
赤坂のこと、会長のこと、施設のことら実家で思い出した過去。一つを見ようとすると別のことが浮かび、別のことを考えると最初の疑問に戻ってくる。
まるで出口のない迷路の中を歩いているようだった。
「……はぁ」
真守は小さく息を吐いた。
机の上には資料が広がっている。メモ帳には、自分なりに整理しようとした内容が並んでいた。けれど、それらを見返しても答えには繋がらない。
時計を見る。もう帰る時間だった。
「……一回戻るか」
このまま一人で考えていても埒があかない。
そう判断すると、真守は机の上を軽く片付け、生徒会室を後にした。
夕方の校舎はどこか静かだった。部活動へ向かう生徒たちの声が遠くから聞こえる。
文化祭が終わって数日、学校は少しずつ元の日常へ戻ろうとしていた。その流れに乗れていないのは、自分だけのような気がした。
寮へ戻る。
玄関の前で一度立ち止まり、小さく息を吐く。考えても仕方がない、そう自分に言い聞かせてから扉を開いた。
「まーくんおかえりー」
入った瞬間、真希那の声が飛んでくる。
聞き慣れた声だった。それだけで、少し肩の力が抜ける。
「……ただいま」
靴を脱ぎながら返事をする。
視線を向けると、真希那はソファの上でくつろいでいた。テレビはついているが、ほとんど見ていないらしい。
その奥では、キッチンから包丁の音が聞こえてくる。視線を向けると、白ヶ崎が夕飯の準備をしていた。
「もうすぐご飯できるよ」
振り返ることなく声が飛んでくる。
「……手伝ってたのか」
「ちょっとだけ」
白ヶ崎は短く答えた。
相変わらず素っ気ない返事だったが、その声を聞くだけで少し落ち着く。
「……そっか」
真守はバッグを置き、そのまま椅子へ腰を下ろした。
キッチンから漂ってくる匂いが、思っていた以上に空腹を刺激する。
そういえば昼もあまり味を覚えていなかった。考え事ばかりしていたせいだろう。
しばらくすると料理が並び始める。
湯気の立つ皿、味噌汁の香り、どこか家庭的な光景だった。
三人が席につく。
「いただきます」
軽く手を合わせる。
箸を持った瞬間だった、真希那がじっとこちらを見ていることに気付く。
「……なんだよ」
「で?」
真希那は即座に返した。
「顔が死んでるけど?」
「そんなにか?」
「うん」
迷いなく頷く。
「いつもの三割増しくらい」
「微妙なラインだな」
思わず苦笑する。
真希那は笑わない。
本気で言っているらしかった。
「……で、どうだったの?」
今度は白ヶ崎が聞いてくる。
真守は箸を置いた。もう、隠すつもりもなかった。
「……何も進んでない」
正直に答える。
「わかんないことだらけだし」
言葉を整理するように続ける。
「赤坂先輩にどうやって接触するかも分からない」
一つ。
「会長がなんであそこまで嫌ってるのかも見えない」
二つ。
「施設の職員も何か知ってそうだったけど、結局何も教えてくれなかったし」
三つ。
並べれば並べるほど、進んでいないことが分かる。
「とりあえず」
真守は続ける。
「やることはその中の、二つだと思う」
白ヶ崎と真希那が黙って聞いていた。
「赤坂先輩と接触する方法」
指を一本立てる。
「それと、会長が赤坂先輩を嫌ってる理由」
もう一本。
「それが分かれば多少は進むと思うんだけど」
「……ふーん」
真希那が気のない返事をした。
「で、詰まってると」
「……まあな」
「ダサ」
「うるせぇ」
即座に返す。
真希那は楽しそうだった。
こっちは全く楽しくない。
そんな二人のやり取りを見ながら、白ヶ崎が静かに口を開く。
「……接触は難しいと思う」
「やっぱりか」
「向こうが拒んでるなら、正面からは無理」
その言葉は冷静だった。感情論ではない、現実的な意見だ。
「……だよな」
真守も頷くしかない。
施設での反応を思い出せば、それは分かる。
「でも」
白ヶ崎は少しだけ言葉を続けた。
「完全に切れてるわけじゃない」
「……?」
「真守くんが動いてることは、多分知ってる」
「……」
確かにそうかもしれない。施設に行ったことも、叫んだことも、職員が伝えている可能性は十分ある。
「だったら」
白ヶ崎は真守を見る。
「どこかで反応するはず」
「……待つしかないってことか」
「それも一つ」
小さく頷く。
真守は少しだけ考え込む。
それは受け身だ。
けれど今の自分にできることも限られている。
「もう一個は?」
真守が尋ねる。
白ヶ崎は少しだけ視線を落とした。
何かを整理するように。
「……嫌ってるっていうより」
短く間を置く。
「引っかかってる感じ」
「……引っかかってる?」
「うん」
白ヶ崎はゆっくり顔を上げた。
「普通じゃない」
それだけだった。
けれど真守には十分だった。
会長の反応、あの態度、あの視線、思い返せば確かに少し不自然だった。単純な嫌悪だけでは説明できない。何か別の感情が混ざっている。
そんな気がしてくる。
「まぁまぁ」
そこで真希那が空気を切り替えるように割って入った。
「難しい話はそれくらいにしてさ」
そう言ったあと、ふと白ヶ崎を見る。
「ねぇ」
「なに?」
「咲音ちゃんって、ずっとこの部屋にいるの?」
突然の質問だった。
白ヶ崎は少しだけ考える。
「……このことが解決するまでは」
「えー!!」
真希那が大袈裟な声を上げた。
「じゃあ、まーくん独り占めできないじゃん!」
「なんなんだよそれ」
思わずツッコミが出る。
白ヶ崎がちらりとこちらを見る。
それから。
「……真守くんが中途半端だから」
ぽつりと言った。
「……」
言葉が詰まる。
痛いところだった。
「確かに」
真希那も深く頷く。
「中途半端だよね」
「真希ねぇまで乗るな」
「だってそうじゃん」
あっさり返される。
反論できない。
「唯ちゃんの問題も大事だけどさ」
真希那が箸をくるくる回しながら呟く。
「その前に解決することあるでしょ」
「……は?」
意味が分からない。
けれど真希那はそれ以上説明しなかった。ただ意味ありげに笑っているだけだった。
白ヶ崎も何も言わない。それが余計に気になる。
そのまま話題は流れ、夕食は終わった。
夜になり、それぞれ部屋へ戻る。気付けばいつも通り三人で寝る流れになっていた。
布団へ入り、部屋の明かりが消える。
静かな夜だった。
「……」
そこで真守は違和感に気付く。
白ヶ崎がくっついてこない。ほんの少し、本当に少しだけ、距離を空けている。
触れそうで触れない距離、意識しなければ気付かない程度。
けれど、気付いてしまった。
「……」
横では真希那が既に眠そうにしている。相変わらず警戒心がない。
真守は天井を見上げた。
「……なんなんだよ」
小さく呟く。
返事はない。
ただ静かな呼吸音だけが聞こえてくる。
目を閉じる。
すると昼間の会話が浮かんだ。
真希那の言葉。
──その前に解決することあるでしょ。
「……解決すること、か」
赤坂のこと、会長のこと、施設のこと、それ以外に何かあるのだろうか。
考えてみる。
けれど答えは出ない。
今日一日、ずっとそんなことの繰り返しだった。
少し進んだと思ったら止まる。掴めそうで掴めない、そんな感覚。
「……」
結局、何も分からないまま、真守の意識はゆっくりと眠りへ沈んでいった。




