191話 俺×停滞=進みそうで進まないです。
昼休みが終わると、さっきまでの騒がしさが嘘のように校内から引いていった。
食堂から戻る生徒たちの足音も徐々に少なくなり、廊下には授業開始を知らせるチャイムの余韻だけが残っている。
「……」
真守は一人、生徒会室へ向かっていた。
神宮丸とのくだらない会話も、白ヶ崎の少し機嫌の悪そうな様子も、今となっては遠い出来事のように感じる。
昼休みは確かに騒がしかった。けれど、その騒がしさが消えると、結局残るのは考え事ばかりだった。
赤坂のこと、施設のこと、実家で知った過去。そして、まだ見えないままの真実。
一つ一つが頭の中に浮かんでは消えていく。整理しようとしているのに、うまくまとまらない。まるで霧の中を歩いているようだった。
生徒会室の前に辿り着く。だが、扉の前で足が止まった。
「……」
理由は分からない。けれど、一瞬だけ躊躇してしまう。
何かを期待していたのかもしれない。葵がいるかもしれないとか、会長が何か新しい情報を持っているかもしれないとか、そんな曖昧な期待。
真守は小さく息を吐くと、そのまま扉を開けた。
「……」
静かだった。
誰もいない。当たり前だ、授業中なのだから。それでも、どこか拍子抜けしたような感覚が残る。
生徒会室の広さだけが妙に目立った。窓から差し込む午後の日差し、整然と並ぶ机、壁に掛けられた時計の秒針の音、普段は誰かがいるから気にならないものばかりが、今日はやけに存在感を持っている。
真守は自分の席へ向かった。
椅子を引き、腰を下ろす。机の上には途中まで処理した書類が積まれていた。
ペンを手に取り、一枚目の資料を見る。数字を追う。けれど──
「……」
視線だけが動いている。ただ、内容が頭に入ってこない。一行読んでは止まり、次の行を読んではまた止まる。
気付けば、同じ場所を何度も見ていた。
「……」
ペン先が紙の上で止まり、窓の外を見る。グラウンドでは体育の授業が行われているらしい。
遠くから笛の音が聞こえた。その音を聞きながら、真守は無意識に考えていた。
施設でのことを、職員の女性の顔、「会わせられません」何度も繰り返された言葉。
あの時の自分の声。
叫ぶつもりなんてなかった。けれど気付けば叫んでいた。あれは届いたのだろうか、赤坂は本当に近くにいたのだろうか。
それとも──。
「……わかんねぇな」
小さく呟く。
声は静かな生徒会室に吸い込まれていった。
考えても答えは出ない。けれど考えるのをやめることもできない、そんな状態だった。
その時だった。
ガチャ。
扉の開く音が響く。
真守は顔を上げた。
入ってきたのは黒ヶ峰だった。相変わらず無表情に近い顔。歩く姿にも無駄がない。
そのまま部屋へ入り、真守の存在に気付くと一瞬だけ足を止めた。
「……あ」
小さな声だった。
珍しく驚いたようにも見える。
黒ヶ峰は数秒だけ考えるような顔をしたあと、口を開いた。
「……夢百合先輩」
「……いや」
真守は苦笑する。
「いないけど」
黒ヶ峰が瞬きをする。
そして数秒後。
「……あ」
再び小さな声。
「停学だった」
「今思い出したのかよ」
思わずツッコミが出た。
黒ヶ峰は悪びれた様子もなく真守を見る。
「……そうみたい」
「そうみたいじゃねぇよ」
少しだけ空気が緩む。
黒ヶ峰はそのまま近付いてきた。そして机の上に積まれた書類へ視線を落とす。
数秒、黙ったまま見ている。その沈黙が妙に居心地悪かった。
「……止まってる」
ぽつりと呟く。
「……」
図星だった。
「集中できてない」
「……まあな」
誤魔化す気にもなれない。黒ヶ峰相手だと、変に取り繕うのが馬鹿らしく思えてくる。
「考えてるけど」
真守は書類へ視線を落とした。
「繋がらないんだよ」
自分でも何を言っているのか分からない。けれど、今の感覚を表現するならそれだった。
「全部がバラバラでさ」
小さく息を吐く。
「あと少しで分かりそうなのに、そこで止まる」
黒ヶ峰は黙って聞いていた。
そして。
「無理に繋げなくていい」
静かな声だった。
「……は?」
予想外の言葉に顔を上げる。
黒ヶ峰は変わらない表情のまま続けた。
「見えてるところを見ればいい」
「……」
「全部を一気に理解しようとするから止まる」
淡々とした言葉だった。けれど不思議と胸に残る。
「見えてないものじゃなくて」
少しだけ間を置く。
「見えてるものを先に確認した方が早い」
「……」
真守は返事ができなかった。
確かにそうだった。自分はずっと全体を見ようとしていた。
赤坂の過去、事故のこと、会長のこと、施設のこと、全部を一度に理解しようとしていた。
だから何も進まなかった。
黒ヶ峰はそれ以上何も言わない。役目は終わったとでも言うように踵を返す。
「じゃあ」
そのまま出口へ向かう。
「おい」
思わず呼び止めた。
黒ヶ峰が振り返る。
「……なに?」
「その……」
少しだけ言葉を探す。
「ありがとな」
黒ヶ峰は数秒だけこちらを見ていた。
それから。
「……別に」
小さく返す。
そのまま生徒会室を出ていった。
扉が閉まり、再び静寂が戻る。けれど、さっきまでとは少し違った。
真守は机の上へ視線を落とす。
書類、メモ、赤坂のことを書いたノート、頭の中の断片、全部は繋がっていない。
けれど。
「……見えてるところ、か」
小さく呟く。
今まで見ようとしていなかった部分があるのかもしれない。
答えはまだ遠い。
それでも、完全に止まっていた思考が、ほんの少しだけ前へ進んだ気がした。




