170話 俺×本番前夜=ワクワクします。
あれから、数日が経った。
時間だけは、何事もなかったかのように進んでいく。
校舎の中はすっかり文化祭一色で、廊下には装飾が増え、教室の扉には手作りのポスターが貼られている。
どこを見ても準備の音と笑い声で溢れていて、その中心に自分もいる——はずなのに、どこか現実味が薄かった。
「おい楽々浦!手止まってるぞ!」
「……ああ、悪い」
神宮丸に呼ばれて我に返る。
教室ではメイド喫茶の準備が進んでいて、机を動かしたり装飾を貼ったりとやることは多い。手は動かしているつもりなのに、どうしても意識が散る。
「お前ほんとやる気ねぇな」
「ちゃんとやってるっての」
「じゃあもっとキビキビ動けよ、明日が本番だぞ」
「お前はテンション上げすぎなんだよ」
軽く返すと、神宮丸は満足そうに笑った。
その横で、白ヶ崎は黙々と装飾を整えている。
「これ、どこに置く?」
「その辺でバランス見て頼む」
「雑すぎ」
呆れながらも、きっちり配置していくあたりが白ヶ崎らしい。
その様子をぼんやり眺めていると、すぐに見抜かれる。
「……ぼーっとしてる」
「してない」
「してる」
即答だった。
「顔に出てる」
「……」
言い返せない。
「無理しないでね」
少しだけ声を落として言われる。
「……ああ」
短く返すと、それ以上は踏み込んでこなかった。
その距離感が、ありがたかった。
そのまま午前の準備が一段落し、流れるように昼休みへと移っていく。
「よし、飯行くぞ」
神宮丸が立ち上がる。
「お前は元気だなほんと」
「文化祭前日だぞ?浮かれない理由あるか?」
「ないな」
呆れながらも立ち上がり、白ヶ崎と三人で学食へ向かう。
いつも通りの流れだった。
食券を買い、空いている席を見つけて座る。
「今日はカツ丼にするしかねぇ」
「毎日、肉じゃねぇか」
「いいだろ別に、文化祭前日だし」
「関係ねぇよ」
軽口を交わしながら食べようとした、その時だった。
「楽々浦くん」
聞き慣れた声に顔を上げる。
葵だった。
「ここ、いい?」
「……どうぞ」
白ヶ崎が先に答える。
その後ろに、もう一人。
「私もいい?」
奏だった。
「……」
白ヶ崎が一瞬だけ視線を強める。
それでもすぐに逸らす。
「どうぞ」
短く返す。
葵が自然に席に座り、奏は——迷いなく真守の隣に座った。
「……」
距離が、近い。
「え、あ、先輩っすよね!?」
神宮丸が一瞬で反応する。
「めっちゃ可愛いんですけど……!」
「うるせぇよ」
「いや仕方ないだろ!?可愛いし!」
すぐにテンションが崩れる。
「初めまして、神宮丸です!」
「……夢百合奏です」
奏が少し困ったように笑う。
「奏先輩っすか!?名前も可愛いっすね!」
「……ありがとう」
軽く受け流す。
「双子なんですか!?あと趣味とか——」
「神宮丸、落ち着け」
「ごめんごめん!でも気になっちゃって!」
テンションはそのまま、言葉だけ敬語。
「……」
奏は困りながらも、嫌な顔はしない。
その柔らかさが、余計に目を引く。
「……」
真守は横目でそれを見る。
今までの奏とは、明らかに違う。
棘がない。ただ、柔らかい。
本来の奏は、こういう姿なのかもしれないと、ふとそう思う。
「……」
思わず、少しだけ見入る。
「顔になんかついてる?」
「……い、いや」
視線を逸らす。
その時、袖を引かれる。
「ね、これ食べてみて」
「……いや、自分のあるんで」
「いいから」
軽く押し付けられる。
「……」
断れない。
その様子を見ていた白ヶ崎が、すぐに動く。
「ちょっと、近い」
奏の腕を引いて距離を取る。
「別にいいでしょ」
「よくない」
「過保護すぎない?」
「うるさい」
静かに火花が散る。
「いや〜仲いいなほんと」
神宮丸はなぜか楽しそうに笑う。
「お前は黙れ」
「なんでだよ!」
全く反省していない。
葵はそんな様子を横で楽しそうに見ていた。
「ふふ、賑やかだね」
止める気は一切ない。
そのまま、なんだかんだと騒ぎながら時間が過ぎていく。
笑い声があって、軽口があって。
普通の昼休みだった。
「……」
それなのに、どこか現実味が薄い。
葵と奏が、普通に並んでいる。軽く言い合いながら。何もなかったかのように。
やがて昼休みが終わり、席を立つ。
「よし、戻るぞ」
神宮丸が先に歩き出す。
白ヶ崎もその後ろにつく。
その流れの中で——
「楽々浦くん」
横から、葵が小さく声をかけてくる。
ほんの少しだけ距離が近い。
周りには聞こえないように、声を落とす。
「停学の件」
「……」
「文化祭終わってから、一ヶ月だって」
「……そうですか」
短く返す。
「ごめんね」
「……」
「巻き込んで」
「……別に」
首を振る。
「どうにかなったんで」
「……うん」
それだけで会話は終わる。
すぐに距離を戻す。
まるで何もなかったかのように。
「……」
各自、午後の準備へ戻っていく。
作業に没頭していたせいか、気づけば外はすっかり暗くなっていた。
「よし!こんなもんだろ!」
神宮丸が満足げに言う。
教室はそれらしい形になっていた。
「意外とちゃんとしてるわね」
白ヶ崎が呟く。
「だろ?俺の采配だ」
「何もしてなかったでしょ」
「精神的支柱だよ」
「いらない」
軽口が飛び交う。
「……」
真守は教室を見渡す。
準備は整っている。
明日、ここで文化祭が始まる。
「……」
胸の奥が、静かにざわつく。
何も終わっていない。
むしろ——ここからだ。
小さく息を吐く。
そして——
翌日。
文化祭当日になった。




