169話 俺×天秤=その答えには代償が伴います。
「……私なんだよね」
その一言で、思考が止まった。
「……は?」
間の抜けた声が出る。
けれど、それ以上言葉が続かない。
「……」
目の前の葵は、いつもと変わらない顔をしている。少しだけ困ったような、申し訳なさそうな表情。
それだけだった。
「……どういう、意味ですか」
ようやく絞り出す。
葵は少しだけ視線を逸らして、それから戻す。
「そのままだよ」
静かに言う。
「……私が、生徒会室に入ってた」
頭の中で、点が繋がっていく。
夜な夜な忍び込んでいた人物。
生徒会メンバーじゃないと入れない。
葵と赤坂の仲。
「……」
「……でも」
葵が続ける。
「そんな大事になってるとは思ってなかった」
「……」
「ちょっと、気になっただけで」
「……」
「まさか退学とか、そういう話になるなんて思ってなかった」
本当にそう思っている顔だった。
軽率だった。でも、悪意はない。そういうタイプの“やらかし”だった。
真守は、深く息を吐く。
「……まずいですね」
素直に言う。
「……」
「このままだと、葵先輩も——」
言葉を選ぶ。
「……退学になる可能性、ありますよ」
「……」
少しだけ沈黙。
「……そっか」
葵が、小さく言う。
「仕方ないね」
あっさりとした言い方だった。
その軽さに、少しだけ苛立つ。
「よくないです」
はっきり言う。
「……」
「そんな簡単に、納得しないでください」
葵が少しだけ目を丸くする。
「……でも」
「でもじゃないです」
被せる。
「まだ、どうにかできる可能性あります」
「……」
「会長に、話します」
「……」
「今から」
そのまま立ち上がる。
もう、迷いはなかった。その足取りは真っ直ぐで、無意識のうちに会長室の前に立った。
一度だけ息を吐き、それからノックする。
「どうぞ」
中から、いつもの声が返ってくる。
ドアを開ける。
「失礼します」
「やあ、楽々浦君」
穏やかな笑顔だった。
「どうしたんだい?」
「……」
少しだけ間を置き、それから、口を開く。
「共犯者が、分かりました」
会長の表情は、変わらない。
「……そうか」
ただ、それだけを言う。
「……」
「それで、その人はどうなりますか」
名前はあえて、出さない。
「……」
会長が、少しだけ考えるように視線を落とす。
「……そうだね」
静かに言う。
「退学が妥当だろう」
その一言が、重く落ちる。
「……どうにか、なりませんか」
すぐに言葉を重ねる。
「事情があって、悪意があったわけじゃなくて」
言葉を探す。
必死に。
「……」
会長は、じっとこちらを見ている。
それから、ふっと小さく笑う。
「……そんなに葵君を庇って、どうするんだい?」
「……っ」
心臓が、跳ねる。
言葉が出ない。
「……」
会長は、静かに続ける。
「分かっていたよ」
穏やかな口調のまま。
「君が辿り着くことも、その答えも」
「……」
「そして——」
少しだけ、間を置く。
「夢百合君の抱えていた問題も」
「……」
頭の中で、何かが弾ける。
「……なんで」
ようやく声が出る。
「……分かってて……なんで、葵先輩と一緒に」
言葉が詰まる。
「協力するように、言ったんですか」
会長は、首を傾げる。
「言っていないよ」
「……え」
「僕は」
静かに言う。
「“夢百合君に頼んだよ”としか言っていない」
「……」
「葵君とは、一言も言っていないよ」
その瞬間——
理解する。
「……」
確かに、言われていない。
“葵”とは、一度も。
「……」
自分で決めていたんだ、勝手に。
会長は、ずっと分かっていた。
入れ替わりも、違和感も、全部。
「だから」
会長が続ける。
「君に任せた」
「……」
「結果的に、全て解決に向かっている」
「……」
何も言えない。
葵も、同じだった。
少しだけ俯いている。
その空気の中で——
会長が、ふっと息を吐く。
「……ただ」
少しだけ、声のトーンが変わる。
「今回の件については、上に掛け合ってみよう」
「……」
顔を上げる。
「……葵君の件は停学処分で、どうにかなるかもしれない」
「……っ」
思わず、頭を下げる。
「ありがとうございます」
隣で、葵も深く頭を下げる。
「……ただし」
会長の声が、少しだけ強くなる。
「赤坂の件は、別だ」
「……」
「彼女の行動は、明確に悪意がある。僕は、それを許すつもりはない」
はっきりと言い切る。
「……」
空気が、引き締まる。
「……楽々浦君」
名前を呼ばれる。
「君は、彼女をどう思っている?」
「……」
言葉に詰まった。
正直、分からない。
あの日から、関係は変わってしまった。
「仲がよろしくないのは、分かっているよ」
会長が、淡々と言う。
「それでも、助ける必要があるのかい?」
「……」
一瞬の迷い。
それでも——
「……はい」
はっきりと、答える。
根拠はなかった。
理由も、うまく言えない。
それでも——
「……」
会長が、小さく苦笑する。
「……そうか、仕方ないね」
少しだけ、目を細める。
「それなら」
一拍置く。
「それ相応の覚悟を、しておくといい」
「……」
その言葉の意味は、分からない。
けれど——軽くはないことだけは、分かった。
会長室を出る。
扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。
「……」
廊下に出て、葵と隣に並ぶ。
しばらく、何も言わない。
「……」
先に口を開いたのは、真守だった。
「……とりあえず、助かりましたね」
「……うん」
小さく頷く。
「……」
また、沈黙。
「……」
それでも、さっきまでとは違う重さが、少しだけ軽くなっていた。
ただ、問題はまだ終わっていない。
むしろ——
ここからが、本番だった。




