168話 俺×核心=その答えはすぐ隣にありました。
朝の空気は、驚くほど普通だった。
昨日までの出来事が、全部夢だったんじゃないかと思うくらいに。
昨日の殴られた箇所が痛み、無意識に頭に手を置く。
「……」
隣を歩く白ヶ崎が、ちらりとこちらを見る。
「大丈夫?」
短い一言。
それだけなのに、ちゃんと心配しているのが分かる声だった。
「……まあ」
曖昧に返す。
本当は、大丈夫じゃない。けれど、それをそのまま言うほどでもなかった。
「……」
それ以上、白ヶ崎は踏み込んでこない。
ただ、歩くペースをほんの少しだけ合わせてくる。
「……」
校門が見えてくる。
いつも通りの景色、いつも通りの生徒たち。その中に、自分も混ざっている。
——はずなのに。
頭の中だけが、妙に騒がしい。
赤坂のこと、会長の言葉、共犯者。
そして——昨日の出来事。
夢百合姉妹の件で、時間を使った。けれど、必要だった。
あれは、必要な時間だった。
それでも——
「……」
間に合うのか、という焦りだけは消えない。
「……真守くん?」
「……ああ」
呼ばれて、少し遅れて返事をする。
「今日も、生徒会?」
「……そうなるかな」
短く答える。
「……」
白ヶ崎が、少しだけ考えるような間を置く。
「無理しないでね」
それだけ言う。
「……」
小さく頷く。
それ以上は、何も言わなかった。
教室には寄らなかった。そのまま、足は自然と生徒会室へ向かっていた。
「……」
廊下を歩く。
足音がやけに響く気がする。
考えがまとまらない。整理しようとするほど、余計に絡まる。
「……」
扉の前で、足が止まる。
一度、息を吐く。
それから——
ドアを開けた。
「おはようございます」
中から声が返ってくる。
「……」
視線を向ける。
そこにいたのは——
葵だった。
痛々しい傷はまだ残っていたが、そこには前から知っている夢百合葵がいた。
「……楽々浦くん、おはよう」
いつもの笑顔、いつもの声。
距離感も、全部“普通”だった。
「……おはようございます」
少しだけ、間を置いて返す。
「……」
違和感は、ない。
ないはずなのに。
どこか、引っかかる。
「……」
「どうしたの?」
葵が首を傾げる。
「昨日の疲れが残ってる?」
「……いや」
首を振る。
「……少し、話いいですか」
「うん、いいよ」
あっさりと頷く。
そのまま、副会長スペースへ移動する。
椅子に座り、向かい合う。
距離は、適切だった。昨日までの“近すぎる距離”は、そこにはない。
「……」
そのことに、少しだけ安心する自分がいる。
「……何かあった?」
葵が、静かに聞く。
その声音は落ち着いていて、変な圧もない。
「……」
言葉を選ぶ。
そして——
話し始める。
赤坂のこと、会長から言われたこと、退学処分の話。
そして——
共犯者がいる可能性。
「……」
全部を順番に、できるだけ正確に、感情は混ぜずに、事実だけを並べる。
「……」
葵は、一度も遮らなかった。
ただ、静かに聞いている。
「……」
相槌も、必要最低限。
「そうなんだ」
「……うん」
その程度。
「……」
話し終える。
少しだけ、息が重くなる。
「……」
沈黙が落ちる。
葵は、すぐに何かを言わない。少しだけ考えるように、視線を落とす。
その間が、やけに長く感じる。
「……」
やがて、顔を上げる。
「……なるほどね」
小さく言う。
その反応は、あまりにも落ち着いていた。
「……」
「共犯者、か」
ぽつりと呟く。
「……」
「確かに、それなら辻褄は合うかもね」
言っていることは、正しい。ちゃんと状況を理解している。
「……」
それなのに——
どこか、“外側”にいる感じがする。
違和感があるけれど、言語化できない。
「どうするの?」
葵が、こちらを見る。
「このまま探す?」
少しだけ迷う。
「……そうですね」
頷く。
「時間もないですし」
「……」
「最後、神楽坂先輩のところへ、いくしかないかなって」
「……」
葵が、静かに頷く。
また、少しだけ沈黙。
その空気の中で、ふと気づく。
「……」
さっきから。
葵の反応が——
“綺麗すぎる”。
無駄がなく、引っかかりもない。
まるで——
用意された答えをなぞっているみたいに。
「……」
「……どうかした?」
視線に気づいたのか、葵が問いかける。
少しだけ迷う。
それでも——
口を開く。
「……葵先輩」
「うん?」
「……さっきから、その」
言葉を探す。
「……妙に落ち着いてますね」
「……」
一瞬の間。
ほんのわずかな沈黙。
「……そう?」
葵が、首を傾げる。
「……普通じゃない?」
「……」
「こういう時こそ、冷静に考えないと」
穏やかに言う。
「……」
間違ってはいない。
正しい。正しすぎる。
「……」
違和感が、消えない。
そのまま、もう一つだけ踏み込む。
「……この話、初めて聞きましたよね」
「……」
また、ほんの少しだけ間が空く。
「うん」
すぐに答える。
「初めてだよ」
「……」
即答。
迷いがない。
「……」
そのはずなのに——
何かが、引っかかる。
「……」
沈黙。その中で葵が、ふっと息を吐く。
「……ねえ」
静かに、声を落とす。
「……」
「楽々浦くん」
「……はい」
「……」
一拍。
ほんの少しだけ、視線を逸らす。
それから——
戻す。
「……それ」
小さく、言う。
「……」
「私なんだよね」




