16話 俺×副会長=そんな器ではありません。
だだっ広い生徒会室の中で、一年生の真守が三年生の先輩たちに囲まれている。
それだけでも十分に異常な状況なのに、周囲の空気はどこか張り詰めていて、真守は落ち着くどころか時間が経つにつれて居心地の悪さばかりが増していった。
視線の置き場に困るたび、真守は壁際に置かれた大きな古時計へと目を向ける。
一度見たところで状況が変わるわけでもないのに、何度も見てしまうのは、それだけ今この空間から意識を逸らしたかったからだ。
(……そういえば、もうこんな時間だけどHRは大丈夫なのか?)
そんな現実的な疑問が頭をよぎる。
だが、その疑問を口にする前に、会長がいつもの穏やかな調子で次の言葉を口にした。
「それで、楽々浦君。僕は君を副会長に選出するつもりなんだが、大丈夫かな?」
「えっ……俺が、副会長ですか!?」
真守は素っ頓狂な声を上げた。
てっきり自分に回ってくるとしたら、一番下っ端っぽい庶務あたりだろうと勝手に思っていた。
まさか、副会長なんていう生徒会の中核そのものみたいな役職を告げられるとは思ってもいなかったのだ。
「次期生徒会長になる君には、僕の近くにいてもらいたくてね」
さらりと言う会長。
「そ、そんな……俺がこんな荷の重い役職、務まるわけないですよ!」
真守は慌てて否定する。
すると会長は、小さくため息をついた。
「はぁ……君はいつまでそのキャラを貫くつもりなんだね?」
「そ、それは……」
返す言葉が詰まる。
真守にしてみれば、キャラを作っているつもりなどない。
本気で無理だと思っているから否定しているだけだ。
だが、会長にはそうは見えていないらしい。
「じゃあ、もうここからは全部、話が決まった前提で進めよう」
「決まった前提で……?」
「そうだよ。このままだと埒が明かないからね。こちらで全部決めてしまう」
「ちょ、ちょっとそれはいくらなんでも——」
「ダメだ。これはもう決定事項だよ」
声のトーンは柔らかい。
だが、その言葉には反論を許さないだけの強さがあった。
「そ、そんな……」
真守は肩を落とす。
しかし落ち込んでいる暇すら与えられないまま、会長は淡々と次の話へ進めていった。
八ツ星学園の副会長。
それは、生徒会全体の状況を把握し、会長と共に最終判断を下す役職らしい。
つまり、書記や会計など他の仕事もひと通り理解しておく必要があり、会長の補佐として常に全体を見ていなければならない。
要するに——
とんでもなく重い役職だった。
「まずは、君の当選はほぼ確実なものだから、早速仕事を覚えてもらおうか」
会長はそう言うと、真守の背を軽く押し、ある人物の方へと向かわせた。
「池鶴君。今日から二日で、楽々浦君に書記の基礎を優しく教えてやってくれ」
「か、会長……かしこまりました。責任を持って指導させていただきます」
嫌そうだった。
声に出していないだけで、それははっきり伝わってきた。
池鶴は言葉を受け入れながらも、ちらりと真守を睨む。
「おいおい、まじかよ……」
真守は小さく呟く。
いきなり生徒会での最大級の山場が来た気分だった。
書記の池鶴景子。
この生徒会の中で一番攻略難易度が高そうな人物。そんな相手から指導を受けるのだから、前途多難にもほどがある。
「何ぶつぶつ言ってるの?気持ち悪いだけだから、早くこっちに来てくれるかしら?」
「うっ……はい」
素っ気なく言い放たれ、真守は素直に従うしかなかった。
池鶴に連れられて書記のスペースへ向かう。
そこには綺麗に整理された机と資料棚があり、他の場所よりもさらに“隙のなさ”を感じさせた。
「それじゃあまず、この書類からまとめてもらおうかしら」
池鶴は一冊のファイルを置く。
さらにその横にも、同じような資料をどさりと積み上げた。
「……これって」
真守は思わず表紙を見る。
そこに書かれていたのは、前回の生徒会選挙の記録だった。
「いやいやいや……俺、その時まだこの高校にいないんですけど」
当然の疑問だった。
知らないことをまとめろと言われても、想像力だけでどうにかなる範囲ではない。
真守は資料を抱えたまま、池鶴の元へ戻る。
すると池鶴は、自分の席で悠々と爪を整えていた。
「あの、先輩。さすがに俺がまだ在籍もしてない時の資料をまとめるのはちょっと……」
「はぁ?」
池鶴の手が止まる。
「人がせっかく爪を整えてるっていうのに、邪魔する気?」
「い、いや、邪魔しようとは別に……」
「口答えすんじゃないわよ!」
声が鋭く跳ねた。
次の瞬間には池鶴が立ち上がり、真守のすぐ目の前まで詰め寄ってくる。
その表情は完全に怒っていた。
(こわっ……)
真守は思わず身を引いた。
冷たいだけではない。
この人、本気で怒るとかなり怖い。
「おやおや、騒がしいようだね。何かあったのかな?」
タイミングを見計らったかのように、会長が近づいてくる。
「会長、申し訳ございません。少し取り乱してしまいました」
池鶴はすぐに頭を下げた。
その切り替えの早さに、真守は逆に驚く。
(いや、“少し”じゃないだろ……)
さっきまで完全に鬼みたいな顔してたぞ。
「池鶴君」
会長の声が少しだけ低くなる。
「厳しいことを言うようだけど、もし楽々浦君を侮辱する行為、あるいは本人が嫌がる行為をした場合は、たとえ成績優秀な君でも関係なく生徒会を辞めてもらうよ」
「……っ、会長」
池鶴は顔を上げる。
その表情には驚きと動揺がはっきりと浮かんでいた。
三年間、生徒会で積み重ねてきたものがあるのだろう。
だからこそ、“切る”という一言が重く響いたに違いない。
「君も、昨日の生徒のようにはなりたくないだろう?」
「はっ……はい。それだけは、どうかご勘弁を」
池鶴は再び深く頭を下げた。
一方で真守は、会長の口から出た「昨日の生徒」という言葉が気になっていた。
「会長、お話の途中で申し訳ないんですが……昨日の生徒って一体?」
空気を読まないようでいて、本人はわりと本気で気になっていた。
「あぁ、そういえばまだ言ってなかったね」
会長はさらりと答える。
「昨日、楽々浦君を殴った生徒を退学にさせたんだよ」
「た、退学!?」
真守は目を見開いた。
確か昨日自分を殴ってきたのは、三学年のクラス委員だったはずだ。
それも卒業を目前にした上級生。
そんな人間を、あっさり退学に?
「そんなに驚くことでもないよ。次期生徒会長を殴ったんだ。そんな無礼者はこの学校には必要なかったってだけさ」
あまりにもあっさりした口調。
だが、内容は重い。
「でも……あの時は俺もかなり無礼だったと思うので、お互い様じゃないですか?」
真守が恐る恐るそう言うと、会長はすぐに首を横に振った。
「いや、お互い様ではないよ」
その声には、さっきまでの柔らかさとは違う冷たさが混じっていた。
「相手は暴力を振るった。それは決して許されることじゃない」
「……」
真守は黙るしかなかった。
会長は笑っている。
いつもの穏やかな表情も崩していない。それなのに、言葉だけが妙に冷たい。そのギャップが逆に不気味で、真守はぞくりとした。
「ところで、楽々浦君。君は池鶴君に嫌なことをされたんじゃないのか?」
「えっ、嫌なこと……ですか?」
精一杯とぼけてみる。
だが、会長の前ではその努力もあまり意味をなさない。
「指導を丸投げして、自分は爪を整えている。実に良いご身分じゃないか。そう思わないかい?」
「うっ……」
そこまで見ていたのか。
というか、最初から全部見ていたのではないか。そう思えてしまうくらいには、会長は何もかも把握している。
「楽々浦君が池鶴君を切りたいなら、気軽に言ってくれ。僕が手配をするよ」
「……」
簡単すぎる。
その選択肢は、あまりにも簡単だった。
目の前には、ずっと頭を下げたままの先輩がいる。それを一言で切り捨てられる立場に、自分がいる。
その状況が妙に嫌だった。
(……こんなの、簡単すぎるだろ)
真守は小さく息を吸う。
そして、池鶴の一歩前に立った。
「あはは……大丈夫です。池鶴先輩が取り乱したのは、たぶん全部俺のせいなんですよ。だからこの件は終わりってことで……ダメですかね?」
見え見えの嘘だった。
自分でもわかるくらい、不自然な庇い方だった。
「楽々浦君、君って人は……」
会長は小さくため息をつく。
だが、それ以上は何も言わなかった。
そのまま踵を返し、元の位置へ戻っていく。
「ふぅ……なんとかなった……」
数分しか経っていないはずなのに、真守は妙に疲れていた。
一気に色々な神経を使ったせいで、全身から力が抜ける。椅子に腰を下ろした瞬間、どっと疲労が押し寄せた。
その時だった。
「あ、あの……その……」
池鶴が、おそるおそる真守の席までやって来る。
「ん?」
真守が顔を上げると、池鶴は明らかに落ち着かない様子で視線をさまよわせていた。
感謝を言い慣れていないのが一目でわかる。
そのぎこちなさが、逆に面白かった。
「ぷっ……」
思わず吹き出してしまう。
「あはは、池鶴先輩、俺は全然大丈夫なんで気にしないでください」
「なっ……何笑ってるのよ!やっぱりあんたのこと嫌いっ!」
馬鹿にされたと思ったのか、池鶴はすぐに噛みつく。
「す、すみません!別にそういうつもりじゃ……」
「そ、そんなこと言っても許さないんだから!」
完全に調子が狂っている。
さっきまでの冷たい雰囲気とはまるで違う。
(……あれ、これ普通に可愛くないか?)
ギャップだった。
普段は冷静沈着そうな人間が、動揺を隠せずに赤くなっている。それはなかなかに破壊力があった。
「で、でも……一応、庇ってくれてありがとう。助かったわ……」
「えっ、あ……いや、そんなお礼言われるほどじゃ……」
頬を赤くしたまま絞り出すように礼を言う池鶴。その姿に、真守は別の意味で動揺した。
(ギャップ萌えってこういうことかよ……)
「それじゃあ、私が一から教えてあげるから、この書類を一緒に読むわよ」
「えっ……」
真守が視線を落とす。
そこには、文字がびっしりと詰まった書類の山があった。
「『えっ』じゃないでしょ。あんたが教えてくれって言ったんだから」
「ま、まぁ、それはそうですけど……」
「だったら、この書類を今日と明日で終わらせるわよ!」
(いやいやいやいや)
量がおかしい。
教えてくれとは言った。だが、それとこれとは話が違う。とはいえ、そんな反論が通じる相手ではないことも、もう薄々理解していた。
こうして真守は、これから五日間、生徒会の仕事を半ば強制的に叩き込まれることになったのだった。




