159話 俺×告白=壊れる音が聞こえます。
昼休みの終わりが近づいていた。
副会長スペースの空気は、落ち着いているはずなのに妙に重い。
目の前にいる葵と向かい合っているだけなのに、距離が近いと錯覚するほど圧があった。
「……」
何も言わない。ただ、こちらを見ている。
視線が逸れない、逃げ場がない。
耐えきれず、目を逸らす。机の上に視線を落としながら、無理やり思考を整理する。
やるべきことは決まっている。
赤坂の件、共犯者、次に話を聞く相手。
「……神楽坂先輩のところ、行こうと思ってます」
ようやく口を開くと、葵は少しだけ首を傾げた。
「アリス先輩?」
「はい。書記と会計はシロっぽかったですし、残るのは神楽坂先輩なので」
「……そっか」
短く頷く。そこまでは普通だった。
けれど——
「……でもさ」
葵が、少しだけ身を乗り出す。
距離が、また縮まる。
「その前に、ちゃんと一緒にいてくれるよね?」
「……」
一瞬、言葉が止まる。
まただ。
さっきから何度も出てくる、その言葉。
軽く流すこともできる。けれど、それじゃダメな気がした。この違和感を、そのままにして進むのは危険だとどこかで分かっている。
「……葵先輩」
慎重に、言葉を選ぶ。
「最近、それ言いますよね。離れないでって」
葵は何も言わない。ただ、じっとこちらを見ている。
「……それ、どういう意味なんですか?」
沈黙が落ちる。
数秒のはずなのに、やけに長く感じる。
「……どういうって?」
ゆっくりと返ってくる。
「そのままの意味だけど。一緒にいてほしいってこと」
「……」
違う。
言葉は合っているのに、何かが噛み合っていない。
「……それだけ、ですか?」
思わず踏み込むと、葵は少しだけ笑った。
「それ以外に何があるの?」
その笑い方が、妙に引っかかる。
やっぱり、おかしい。
言葉を探す。
「……なんか、前の葵先輩と少し違うというか——」
そこまで言いかけた瞬間だった。
「——もういい」
ぽつりと落ちる声。
顔を上げる。
空気が、変わっていた。
「……もう、いいや」
静かに繰り返す。
「一回さ、ちゃんと聞いてくれる?」
拒否できない空気だった。
「……はい」
葵はゆっくり息を吸う。
「……私さ、前にも言ったよね。好きって」
「……っ」
思い出す。
あの時のこと。
「……あの時は断られたけど、それでも諦められなかった」
静かな声なのに、妙に重い。
「だってさ、ちゃんと好きになったの初めてだったし。諦めろって言われても無理じゃない?」
返せない。
言葉が出てこない。
「……だから」
一歩、近づく。
距離が完全に詰まる。
「もう一回、ちゃんと聞いて……私、真守のこと好き」
真っ直ぐだった。
あまりにも。
だからこそ、苦しい。
目を逸らす。
逃げるように。
「……正直に言います」
喉が詰まるが、それでも続ける。
「今の葵先輩は……少し怖いです」
空気が止まる。
「……だから、距離を置かせてください」
完全な拒絶だった。
葵は動かない。
何も言わない。
ただ——
表情が消えていた。
その沈黙が、一番怖い。
「……なんで?」
小さな声が落ちる。
「なんでダメなの?」
一歩、踏み込まれる。
「ちゃんと好きって言ってるのに」
距離が詰まる。
逃げようとしても、背中が壁に当たる。
「何がダメなの?」
目の前。
近すぎる距離。
「ねえ、どこがダメ?」
答えられない。
その瞬間——
ガタッ、と音がした。
机の上にあったカッター。
気づいた時には、押し倒されていた。
背中に床の冷たさが伝わる。
葵が馬乗りになり、身動きが取れない。
「……葵先輩!」
返事はない。
ただ、カッターを持つ手がゆっくり動く。
真守ではない。葵の手首に、刃が当てられている。
「……ねえ」
静かな声。
「これ以上言ったら、死ぬよ?」
次の瞬間——
赤い線が走った。
「——っ!!」
遅れて血が滲む。
「やめてください!!」
反射的に手首を掴む。
力を込めて止める。
「……ほら」
葵は笑っていた。
「本気だよ?」
「やめろ!!」
低く、叫ぶ。
その時だった。
「——何してんだ!」
鋭い声が響く。
扉が開く。
視線が一瞬逸れる。
その隙に、カッターを叩き落とす。
軽い金属音が響く。同時に複数の足音が一気に近づいた。
「押さえろ!」
三宝と山影が葵を取り押さえる。
暴れる。
叫ぶ。
止まらない。
「離して!!なんで止めるの!?まだ話してる途中でしょ!?真守!!」
声が壊れている。
「なんで逃げるの!?ちゃんと好きって言ったじゃん!!なんでダメなの!?ねえ!!ねえってば!!」
そのまま暴れ続ける。
完全に、壊れていた。
真守は、動けなかった。
頭が追いつかない。
その時だった。
「楽々浦君」
落ち着いた声が入る。
振り向くと、会長が立っていた。
「こっちへ」
短く言われる。
「大丈夫だ。君はもう離れていい」
その言葉で、ようやく体が動く。
その場を離れる。
廊下に出ると、さっきまでの音が少し遠くなる。
何も考えられないまま、会長に導かれるように歩く。
「こちらだ」
会長室に入る。
ドアが閉まる。
それだけで、完全に別の空間に切り替わった。
「……座りなさい」
促されるままソファに座る。
手が、少し震えている。
何か言わなきゃいけない気がするのに、言葉が出てこない。
「……驚いたね」
静かな声。
「……はい」
ようやく返す。
「……すみません」
無意識に出た言葉だった。
「謝る必要はない」
はっきりと言われる。
「君は間違っていない」
その言葉が、ゆっくりと胸に落ちる。
「むしろ、よく止めた」
「……」
さっきの光景が蘇る。
血。
刃。
あの目。
「……怖かっただろう」
小さく頷く。
会長は、それ以上は何も言わなかった。
ただ、静かにそこにいる。その沈黙が、妙に優しかった。
少しずつ、呼吸が戻る。
そして——
一つだけ、はっきりしていた。
もう、元には戻らない。その事実だけが、静かに残っていた。




