155話 俺×期限=間に合わない予感しかしません。
夜の記憶が、まだ少しだけ残っていた。
左右から感じた体温、近すぎる距離、あのどうしようもなく落ち着かない状況。
「……」
目が覚めた時、すでに二人の姿はなかった。
布団だけが残っている。まるで、最初から何もなかったみたいに。
「……夢かよ」
小さく呟く。
けれど違う。確かに現実だった。その証拠に、妙な安心感だけが胸の奥に残っている。
「……」
頭を軽く振り、切り替える。
今はそんなことを考えている場合じゃない。
そう自分に言い聞かせるように、真守は支度を整え、そのまま足を生徒会室へと向けた。
生徒会室の前に立つ頃には、さっきまでの余韻もほとんど消えていた。
ドアを開ける。
「……」
誰もいない。
一瞬、見間違いかと思うほど静かだった。
「……あれ」
いつもなら、誰かしらいるはずなのに。
中へ入る。
机も、椅子も、そのままの状態。人の気配だけが、綺麗に抜け落ちている。
「……葵先輩?」
呼んでみる。
返事はない。
「……」
ここにいても仕方がない。
そう判断するのに、時間はかからなかった。
葵がいない。それだけで、思っていた以上に動きが制限される。
「……一旦、教室戻るか」
そう呟き、踵を返そうとした時だった。
「楽々浦君」
背後から声がかかる。
振り返る。
そこにいたのは、会長だった。
「……会長」
「少し、いいかな」
柔らかい口調。
けれど、その奥にあるものが少し違う気がした。
「……はい」
頷く。
そのまま会長に促される形で、真守は会長室へと足を運んだ。
会長室に入ると、扉が静かに閉まる。
外の空気が遮断される。その静けさの中で、真守は自然と背筋を伸ばしていた。
会長は椅子に腰掛けると、少し間を置いてから口を開いた。
「進捗はどうだい」
「……まだ、何も」
正直に答える。
「そうか」
会長は特に驚く様子もなかった。
むしろ、最初からそうなることを分かっていたような落ち着きだった。
「それでね」
軽く指を組みながら続ける。
「期限を設けることにした」
「……期限、ですか」
「文化祭」
短く言う。
「一週間後に開催される」
「……」
「それまでに、共犯者を見つけてほしい」
「……っ」
言葉が、一瞬詰まる。
一週間、短すぎる。
「……一週間……」
思わず口に出る。
「十分だと思うけどね」
会長は穏やかに言う。
「君なら」
「……」
何も返せない。
頭の中が一気に現実へ引き戻される。
まだ何も掴めていない。候補はあっても、確証はない。
「……分かりました」
それでも、そう答えるしかなかった。
「期待しているよ、楽々浦君」
その言葉を背に、真守は会長室を後にする。
廊下に出た瞬間、ようやく呼吸が戻る。
「……一週間か」
短く呟く。
足を動かしながら、頭の中を整理しようとする。
だが、思考はうまくまとまらない。焦りだけが先に出てくる。
「……」
とにかく、今できることをやるしかない。
そう思いながら教室へ向かう途中、ふと前方に人影が見えた。
見覚えのあるシルエット。
「……奏先輩?」
声をかける。
奏がゆっくりと振り返る。
「……ああ」
その声で、すぐに違和感に気づく。
元気がない。
明らかに。
「……どうしたんですか」
自然と口から出ていた。
「……別に」
短い返答。
けれど、その一言に力がない。
「……」
そのままにしていい状態ではなかった。
「何かあったんですか」
少しだけ踏み込む。
奏は視線を逸らし、小さく息を吐いた。
それから、ぽつりと口を開く。
「……葵のことだ」
「……」
その名前が出た瞬間、胸の奥がざわつく。
「最近、あいつおかしいだろ」
「……」
否定できない。
「顔色も悪いし、何考えてるか分かんないし」
言葉が続く。
「話してても、どっかズレてる」
「……」
全部、心当たりがあった。
「……自分も」
ゆっくりと口を開く。
「少し……怖いって思いました」
「……」
奏がこちらを見る。
「……やっぱりか」
小さく呟く。
その一言が、やけに重く感じた。
そのまま沈黙が落ちる。けれど、それは長くは続かなかった。
奏が一歩、距離を詰めてくる。
「……え」
そのまま、手を握られる。
「……っ」
完全に不意を突かれた。
思考が止まる。
奏はそのまま、真っ直ぐこちらを見ていた。
逃げ場のない視線。
「今の葵は」
低く、静かに言う。
「危険かもしれない」
「……」
「本当に」
わずかに、力が強くなる。
「近づかないほうがいい」
「……」
その言葉には迷いがなかった。
ただの心配ではない。確信に近いもの。
「……分かりました」
小さく頷く。
奏はそれを確認すると、ゆっくり手を離した。
「……気をつけてね」
それだけ言う。
「……はい」
短く返す。
そのまま、二人はすれ違う。
教室へ向かう足は、さっきよりも少し重くなっていた。
葵の違和感。
奏の言葉。
会長の期限。
全部が、どこかで繋がっている気がする。
「……」
けれど、まだ形にならない。
分からない。
ただ一つだけ、確かなことがあった。時間がない、その事実だけが、頭の中に強く残っていた。




