153話 俺×お弁当=距離の意味を見失っています。
副会長スペースの一角。昼休みのざわめきが遠くで広がる中、二人の間だけが妙に静かだった。
「……」
真守は箸を持ったまま、ほんの少しだけ動きを止める。
視線を感じる。正面から、まっすぐに。
「……」
葵が、こちらを見ている。瞬きすら少ないまま、ただじっと。
逃げるように視線を弁当に落とす。
蓋を開けた瞬間から分かっていたが、見た目はしっかりしている。色合いも良く、丁寧に作られているのが一目で分かる。
「……」
一口、口に運ぶ。
味は——分からない。
緊張で、舌がまともに機能していなかった。それでも、何か言わなければいけない気がした。
待たれている。そう感じる。
「……美味しいです」
少し間を置いて、そう言う。
「……」
一瞬の静止。
それから、葵の表情がふっと緩む。
「ほんと?」
「……はい」
「よかった」
心から安心したような声だった。
その笑顔は自然で、柔らかい。
けれど——
「……」
そのあとも視線は外れない。食べながらも、ずっとこちらを見ている。
落ち着かない。
ただ食事をしているだけなのに、試されているような感覚が続く。
会話は続かない。
そのまま、静かな時間が流れ——やがて弁当は空になった。
「……ごちそうさまでした」
「うん」
満足そうに頷く葵。
それで昼の時間は終わった。
食後の空気を引きずったまま、真守は立ち上がる。
「……次、行きましょうか」
「うん」
自然に並ぶ。
そのまま書記スペースへ向かう途中、真守は小さく口を開いた。
「……さっきみたいなやり方は、やめてください」
「……」
葵はすぐには返さない。
「坂下先輩、完全に怯えてました」
「……」
「無関係な人にああいう聞き方をするのは、違うと思います」
少し強めに言う。
「……分かった」
意外なほど素直だった。
「今回はちゃんとやる」
その言葉に嘘はなさそうだった。
「……お願いします」
そう言って前を見る。
書記スペースに着くと、池鶴と黒ヶ峰がそれぞれ作業していた。
空気は静かで、張り詰めている。
「……」
このまま話しかけるのは危険だと判断する。
真守は葵に視線を送る。葵も理解したように軽く頷いた。
「池鶴先輩」
葵が声をかける。
「少し、お時間もらえますか」
「……」
池鶴がゆっくり顔を上げる。
視線だけがこちらを捉える。
冷たい。感情がほとんど乗っていない。
「今、作業中なんだけど」
淡々とした声。
拒絶の意思だけが、はっきりとある。
「すみません」
葵は一歩引く。
「少しだけでいいので」
「……短くして」
間を置いて、そう言う。
池鶴は立ち上がり、黒ヶ峰から少し距離を取る。
「で」
腕を軽く組む。
「何?」
「確認したいことがあって」
葵の声も落ち着いている。
「最近の生徒の動きについてなんですけど」
「……」
「赤坂唯のこと、知ってますよね」
「知ってる」
即答。
「その人と、何か関わりありました?」
「ない」
迷いがない。
一切の揺らぎもない。
「……最近、様子おかしいとか」
「別に」
短く切る。
「何も変わってない」
「……」
その答えは、あまりにも真っ直ぐだった。隠している感じがまるでない。疑う余地がない。
「……そうですか」
葵もそれ以上踏み込まない。
「お時間ありがとうございました」
軽く頭を下げる。
真守も続く。
「ありがとうございました」
「……別にいいけど」
池鶴が一言だけ付け加える。
視線は変わらない。
「仕事の邪魔はしないで」
静かなのに、冷たい。
「……はい」
真守は小さく頷く。
そのまま二人はその場を離れた。
池鶴はすでにこちらに興味を失っていた。最初からいなかったかのように、作業に戻っている。
副会長スペースへ戻る。
椅子に座ると同時に、空気が少しだけ緩む。
「……今のは違いますね」
「うん」
葵も同意する。
「完全に無関係」
「……」
残るは限られてくる。
黒ヶ峰と——アリス。
「……次、どうしますか」
「今日はやめとこ」
「……え?」
予想外だった。
「一気に詰めると警戒されるから」
葵が指先で机を軽く叩く。
「でも途中でやめるとさ」
視線が上がる。
「“なんで途中で終わったんだろう”って思うでしょ」
「……」
「それが不安になる」
「……なるほど」
理解できる。
「疑われてるかもって思わせるんですね」
「そう」
葵が笑う。
「時間置いたほうが、勝手に崩れるよ」
「……」
理にかなっている。
「……いいと思います」
真守は頷いた。
そして、気づけば放課後が近づいていた。
「……今日はここまでにしましょう」
立ち上がる。
「自分は帰ります」
その瞬間だった。
「待って」
手を掴まれる。
強い。
「……」
「一緒に帰ろ」
「……今日はちょっと」
言葉を探す。
「用事が——」
「後でいいよね」
被せられる。
「……」
力が強くなる。逃げられない。
顔を上げ、葵の目と合う。
「……」
さっきまでと違う。
笑っているのに、笑っていない。
「……分かりました」
それしか言えなかった。
「うん」
葵が満足そうに頷く。
黙ったまま下駄箱で靴を履き替えて、並んで歩く帰り道。
沈黙が続く。
「……」
空気が重い。
「……」
やがて、真守は口を開く。
「……あの」
「ん?」
「そんなに近いと、奏先輩は怒らないんですか?」
「……」
一瞬、葵の表情が止まる。
ほんのわずかに。
「……奏?」
繰り返す。
「関係ないよ」
軽い。
軽いはずなのに——
それ以上、何も聞けなかった。
そのまま会話は途切れたまま、二人は別れた。
家の前に立つ。
「……」
今日の出来事が頭の中でゆっくり整理される。
違和感。
距離。
視線。
「……」
まだ何も分かっていない。
それでも——
確実に、何かがおかしくなっている。
そう感じながら、真守は静かにドアを開けた。




