146話 俺×和解=不思議な距離です。
朝の空気は、思っていたよりも軽かった。
玄関を出た瞬間、少しだけ冷たい風が頬を撫でる。今までの重さが完全に消えたわけではない。それでも、どこか薄れているような感覚があった。
隣には、白ヶ崎。
当たり前みたいに並んで歩いている。会話は少ない。それでも沈黙は苦しくなかった。歩幅も自然と揃っていて、足音が重なるのが妙に心地いい。
少し前なら考えられなかった。
誰かと一緒にいることが、ここまで“普通”になるなんて。
「……」
校門が見えてくる。
日常の景色。けれど今日は、それだけじゃなかった。
会長の言葉が、まだ頭に残っている。
“明日じゃ間に合わない”
「……」
靴箱で履き替えながら、短く言う。
「先に生徒会室行ってくる」
白ヶ崎は少しだけこちらを見てから、軽く頷いた。
「分かった。教室いるから」
それだけ言って、自然に別れる。
「……」
そのやり取りすら、どこか落ち着いていた。
一人になると、少しだけ空気が変わる。軽さの中に、わずかな緊張が混ざる。
「……」
廊下を進む。足音がやけに響く。
理由は分かっている。これから聞く話のせいだ。
「……」
生徒会室の前に立つ。
一瞬だけ、呼吸を整える。それからドアを開けた。
「おはようございます」
中にいた数人が軽く反応する。
その中で——
「真守、おはよ」
足が止まる。
視線を向ける。
葵がこちらに歩いてきていた。
いつもの笑顔。
いつもの調子。
けれど——
今、名前で呼ばれた。
「……あ、おはようございます」
ほんの少しだけ間が空く。
それでも、何事もないように返す。
違和感はあった。けれど、それを口にするほどのものでもない。
そう思って、流す。
葵はそのまま、すぐ近くまで来る。
距離が近い。
昨日よりも、確実に。
「……」
それでも、表情は変わらない。
自然なまま。
真守は視線を外す。今はそれより優先することがある。
「会長のところ行ってきます」
軽く言って、その場を離れる。
生徒会室の奥へ進む。
会長の部屋へ続く廊下に入ったところで、背後に気配を感じた。
振り返る。
葵がついてきている。
「……」
無言で、こちらを見ている。
少しだけ言葉を選ぶ。
「葵先輩、会長とちょっと話があるんで」
やんわりと距離を取ろうとする。
「二人きりで大丈夫です」
柔らかく言ったつもりだった。
けれど——
「なんで?」
返ってきた言葉は、まっすぐだった。
「……」
一瞬、言葉に詰まる。
「いや、その……」
曖昧な返答になる。
葵は一歩、距離を詰める。
「私、ずっと真守のそばにいるって言ったじゃん」
言葉が止まる。
昨日の会話が、そのまま蘇る。
顔がわずかに引き攣る。
その反応を見て、葵がふっと笑う。
「冗談だよ」
軽く言う。
それだけで空気が戻る。
葵はそのまま背を向ける。
「ちゃんと話してきなよ」
そう言って、副会長スペースへ戻っていった。
その背中を少しだけ見送る。
違和感は消えない。むしろ、はっきり残ったままだった。
それでも、今は進む。
会長の部屋のドアをノックする。
「どうぞ」
中から声が返る。
「失礼します」
ドアを開けて入る。
会長はいつもの位置に座っていた。
「おはよう、楽々浦君」
穏やかな声。
「おはようございます」
軽く頭を下げる。
「座ってくれ」
言われるまま椅子に座る。
一瞬、間が空く。
会長の視線がこちらに向けられている。
「さて」
静かに口を開く。
「昨日の続きをしようか」
「はい」
自然と背筋が伸びる。
会長は淡々と話し始めた。
赤坂のこと。
ここ一ヶ月、学校に来ていないこと。それだけでも異常だった。けれど、それだけじゃない。
夜な夜な生徒会室に侵入していること。
そして、何かしらの情報を持ち出そうとしていること。
頭の中で、赤坂の姿が浮かぶ。
けれど、どうしても結びつかない。あの人が、そんなことをするのか。理解が追いつかない。
会長は感情を乗せずに続ける。
「昨日、君に話そうとしたのはこの件だ」
言葉が出ない。
そして——
「赤坂は、退学処分になる」
その一言で、すべてが止まる。
数秒遅れて意味が落ちてくる。
「待ってください」
ようやく声が出る。
「それ、確証あるんですか」
会長は表情を変えない。
「ほぼ確定だ」
反論しようとする。けれど同時に思う。
この人が言うなら、調べていないはずがない。
言葉が詰まる。
「君の意見を聞きたかったんだよ」
静かに続ける。
「昨日の時点で待ってくれと言ってくれれば、間に合ったんだがね」
胸の奥が揺れる。
選択をミスした。そう思いかける。
けれど、すぐに打ち消す。
あれは間違いじゃない。そうじゃなきゃいけない。
会長は肩をすくめる。
「上が少々うるさくてね。この僕でも完全には止められない」
つまり、決定はほぼ下っている。
それでも、諦めきれない。
「何か方法、ないですか」
会長がわずかに微笑む。
「一つだけ、あるかもしれない」
空気が変わる。
「赤坂がここに出入りできる時点で、内部に協力者がいる」
言葉が重く落ちる。
「しかも、それは生徒会メンバーだ」
息が止まる。
この中に、裏切り者がいる。
会長は続ける。
「それを突き止めたい。その上で処分を決める」
思わず言う。
「それでも退学は変わらないんじゃ」
「それは」
被せるように。
「君次第だ」
言葉が止まる。
「君の頼みなら取り消すこともできる」
会長はいつもの優しい声で続ける。
「僕に協力してくれれば、上の圧力も抑えてあげよう」
条件は良すぎる。だからこそ重い。
生徒会の中から犯人を探す。そんなこと、できるのか。
それでも——
口が先に動く。
「分かりました」
自分でも驚くほどあっさりと。
「共犯者、探します」
会長がニヤリと笑う。
その瞬間だった。
「それじゃあ」
視線が、真守の後ろへ向く。
「夢百合君」
反射的に振り返る。
そこに、葵が立っていた。
いつからいたのか分からない。気配もなかった。
会長が優しく言う。
「楽々浦君に協力してあげな」
「はい」
葵が即答する。
明るい声で、笑顔のまま。
頭が追いつかない。
何も言えないまま立ち上がる。
「失礼します」
それだけ言って部屋を出る。
廊下に出た瞬間、空気が変わる。現実に引き戻される。
後ろに気配。
葵がついてきている。
何も言わない。言えない。
そのまま生徒会室を出る。
行き先も決めずに歩く。
自然と足は教室へ向かっていた。
頭の中が整理できない。
赤坂。
退学。
共犯者。
そして——葵。
全部が繋がっているようで、まだ何も分かっていない。
ただ一つ確かなのは。
もう、後戻りできないところまで来ているということだけだった。




