145話 俺×あたりまえ=変化しています。
夜の部屋は、昼間よりもずっと静かだった。
カーテンの隙間から、街の明かりがぼんやりと差し込んでいる。
テレビもつけていない。音はほとんどない。
それでも——
「……」
前みたいに、何もないとは思わなかった。
「……」
ソファに腰を下ろす。
向かいには、白ヶ崎。
当たり前みたいにそこにいて、当たり前みたいに同じ空間にいる。
「……」
少し前までは、それが異常だった。
誰かが部屋にいること自体が落ち着かなかったし、気を遣うことの方が多かった。
なのに今は——
「……」
違和感がない。
それどころか、いない方が落ち着かないかもしれないと、ふと思う。
「……」
自分でも少しだけ驚く。
変わったのは状況じゃない。
多分、自分の方だ。
「……」
白ヶ崎が、キッチンの方から戻ってくる。
飲み物を二つ持って、何も言わずに一つ差し出される。
「ありがと」
自然に受け取る。それもまた、当たり前みたいな動きだった。
「……」
一口飲む。
少しだけ、落ち着く。
そこで、昼間のことを思い出す。
葵のこと。
あの空気。
あの距離。
そして、会長の言葉。
“明日じゃ間に合わない”
あの一言だけが、ずっと引っかかっている。
「……」
白ヶ崎に、簡単に話す。
葵とどうなったのか、どんなやり取りをしたのか。
それから、会長に呼び止められたこと。赤坂の名前が出たこと。
「……」
白ヶ崎は、途中で口を挟まない。
ただ静かに、最後まで聞いていた。
「……」
話し終えて、少しだけ息を吐く。
「……なんかさ」
言葉が自然と続く。
「嫌な予感しかしないんだけど」
苦笑に近い声だった。
「……」
会長がわざわざあのタイミングで声をかけてきたこと。
赤坂の名前を出したこと。
そして、あの言い方。
ただの雑談じゃない。
そんなのは、分かっている。
「……」
白ヶ崎が、少しだけ首を傾ける。
「……唯先輩が、何かやらかしたってこと?」
「……多分」
曖昧に答える。
確証はない。でも、流れとしてはそれが一番自然だった。
「……」
少しだけ、胸の奥がざわつく。
赤坂のことを思い出す。
あの態度、あの違和感。
全部が、繋がりそうで。でもまだ、はっきりしない。
「……」
白ヶ崎が、ゆっくりと口を開く。
「……大丈夫でしょ」
その言い方は、あまりにもあっさりしていた。
思わず、顔を上げる。
「……なんでそんな適当なんだよ」
「適当じゃない」
すぐに返される。
「……真守くんがいるから」
「……」
一瞬、言葉が詰まる。
あまりにも、迷いがなかった。
根拠とか、理屈とか、そういうものじゃない。ただ、それが“当たり前”みたいな言い方だった。
「……」
変な説得力がある。
ふっと、肩の力が抜ける。
「……なんだよそれ」
小さく笑う。
「……」
でも、不思議と——
さっきまでのざわつきが、少しだけ薄れていた。
「……」
完全に消えたわけじゃない。
それでも、抱えきれないほどじゃなくなっている。
「……」
しばらく、何も言わない時間が続く。
けれど、それは気まずさじゃなかった。
ただ、落ち着いているだけの時間。
その中で、ふと思う。
このまま、流されるのは違う。
今までのこと、結城のこと、祇園のこと、赤坂のこと。
「……」
全部、中途半端なまま進んでいる。
なら——
一度、戻るしかない。
口を開く。
「……実家、戻ろうと思う」
白ヶ崎が、少しだけ目を細める。
「……」
続ける。
「アルバムのこと、まだ引っかかってるし……母親にも、ちゃんと聞きたい」
曖昧なままにしておくには、もう無理だった。
「……」
白ヶ崎は、少しも迷わなかった。
「……じゃあ、一緒に行く」
当たり前みたいに言う。
思わず、苦笑する。
「……即答かよ」
「当たり前でしょ」
「……」
その言い方が、あまりにも自然で。
少しだけ、安心する。
そのまま、時間が過ぎていく。
時計の針の音だけが、静かに響く。
「……」
やがて、白ヶ崎が立ち上がる。
「……そろそろ寝よ」
「……うん」
自然に返す。
寝る、という言葉に、もう変な緊張はなかった。
ベッドに入り、並んで横になる。
「……」
少し前までは、それだけで落ち着かなかった。
距離とか、体温とか、全部が気になって仕方なかった。
でも今は——
普通だった。むしろ、安心する。
「……」
目を閉じようとした、その瞬間。
白ヶ崎が、当たり前みたいに近づいてくる。
そのまま、抱きつく。
「……」
一瞬だけ、体が固まる。
けれど——
もう、驚かない。
ため息のように、力が抜ける。
「……」
横を見る。
白ヶ崎は、もうほとんど寝ていた。無防備な顔。安心しきった表情。
その顔を見ていると——
胸の奥のざわつきが、少しずつ静まっていく。
「……」
大丈夫だと、思えた。
根拠なんてない。それでも。
ゆっくりと、目を閉じる。
気づけば、すぐに意識が沈んでいった。
何も考えずに眠れるのが、こんなに楽だったのかと——
そのまま、思う間もなく。




