123話 俺×メッセージ=うまくいきません。
家のドアを開けた瞬間、静けさが広がった。
「……」
当たり前のはずなのに、少しだけ違和感があった。
真希那がいない。それだけのことなのに、気楽とか解放感とか、そういうものはなかった。
ただ——
「……静かすぎるな」
ぽつりと呟く。
靴を脱いで、そのまま部屋に入る。電気もつけずに、しばらくそのまま立っていた。
腹は減っている。何か食べようと思ってキッチンに向かい、棚を開けてカップラーメンを取り出す。お湯を沸かそうとして——
「……」
手が止まる。
理由はよくわからなかった。ただ、さっきまでの時間が頭のどこかに残っている。
白ヶ崎と神宮丸と過ごした時間。何も考えずに笑えた時間。
それと、この静けさが妙に噛み合わなかった。
コンロの火をつけずに、ポケットからスマホを取り出し、画面をつける。
無意識だった。
開いたのは——真希那とのトーク画面だった。
最後のメッセージは、あの時のまま。喧嘩の余韻が、そのまま残っている。
既読はついている。でも、そこから何も動いていない。
「……」
何か打つ。
消す。
また打つ。
何を書けばいいのかわからない。
謝るべきか、普通に話しかけるべきか、今さら何を言えばいいのか。
指が止まる。
「……」
小さく息を吐く。
それでも、何も送らないままにするのは違う気がした。
ゆっくりと、文字を打つ。
『……話せる?』
短い一文。それだけ。
送信ボタンを押す。
「……」
既読がつくまでの時間が、やけに長く感じる。画面を見つめたまま、動けない。
数秒後——既読。
「……」
それだけだった。
返信は、来ない。
「……まぁ、そりゃそうか」
小さく呟く。
当然だ。あれだけのことを言っておいて、都合よく返ってくるわけがない。
「……」
少しだけ肩の力が抜ける。
いや、違う。
落ちたのは、気持ちの方だった。
「……はぁ」
息を吐く。
やっぱり簡単にはいかない。さっきまで少し軽くなっていたはずの気持ちが、またじわじわと重くなる。
その時だった。
——着信。
「……っ?」
画面を見る。
真希那。
一瞬、思考が止まる。
「……」
すぐに出るべきか、少し迷う。
けれど——
そのまま、通話ボタンを押した。
「……もしもし」
少しだけ声が固くなる。
『……なに』
短い声。
冷たいわけじゃない。でも、優しくもない。
「いや……その」
言葉を探す。
「……ちょっと、話したくて」
『……それで、あの一言?』
「……」
『雑すぎでしょ』
「……悪い」
素直に出た言葉だった。
でも、それ以上が続かない。
『……』
一瞬、沈黙が流れる。
『で、なに』
真希那の声が、少しだけ強くなる。
「いや……別に、なんていうか……」
言葉にできない。
謝るべきなのはわかってる。
でも、それを口にするには、まだ何かが引っかかっている。
『……はっきりしなよ』
「……」
『話したいって言ったの、そっちでしょ』
「……」
言い返せない。
けれど——
「……そっちだって」
気づけば、口が動いていた。
「……言い方、あるだろ」
『は?』
空気が変わる。
『なにそれ』
「いや……」
「……こっちもさ、普通に話そうとしてんのに」
言ってから、自分でもわかる。
違う。
これは、言いたいことじゃない。
でも、止まらない。
『普通?』
真希那の声が、はっきりと苛立ちを帯びる。
『あんな終わり方しておいて、普通に話せると思ってんの?』
「……」
『こっちは、まだ全然整理ついてないんだけど』
「……」
胸の奥が、少しだけ痛む。
でも——
「……俺だって同じだよ」
反射的に返す。
「……全部、整理ついてるわけじゃねぇよ」
『じゃあなんでそんな態度なの?』
「……っ」
言葉が詰まる。
『さっきからさ、自分のことばっかじゃん』
「……」
『ちゃんと謝る気あるの?』
「……」
ある。
けど——
言えない。
『……もういい』
その一言で、空気が切れる。
「ちょっ——」
『今は無理』
「……」
『……また連絡して』
そこで、通話が切れた。
「……」
静寂が戻る。
スマホを見つめたまま、動けない。
「……はぁ……」
深く、息を吐く。
「……なんでこうなるんだよ」
頭ではわかっている。自分が悪いことも、今の言い方が違ったことも。
それでも——うまくいかない。
「……」
ベッドに倒れ込む。
天井を見上げる。
さっきまで、少しだけ軽かったはずなのに、また元に戻ったみたいだった。
それでも——何も変わっていないわけじゃない。
連絡をした、ほんの一歩。それだけでも、前に進んだはずだった。
けれど——
「……遠いな」
その距離は、まだ思っていたよりもずっと遠かった。




