120話 俺×過ぎていく時間=落ち着いてるだけのはずです。
一人になってから数日。静かな時間が、当たり前みたいに続いていた。
教室には寄らない。生徒会室にも顔を出さない。そのまま奥の部屋へ向かう。扉を開けて、中に入る。椅子に座る。書類を手に取る。
——それだけで一日が始まる。
「……」
無駄がない。
考えることも、話すことも、必要最低限で済む。誰にも気を遣わないし、誰にも踏み込まれない。あの部屋は、そういう場所だった。
気づけば、作業の手は止まらなくなっていた。
以前よりも、明らかに速い。迷いがない。感情に引っ張られない分、判断も単純になる。
「……悪くないな」
小さく呟く。
その言葉に、嘘はなかった。
これでいい。
そう思えるくらいには、もう慣れていた。
けれど——
ふと、手が止まる瞬間がある。
静かすぎる部屋の中で、自分の呼吸だけが聞こえる時。ページをめくる音すら途切れた時。
「……」
何もない。
本当に、何もない。それが、少しだけ——
「……」
考えかけて、やめる。
余計なことだ。
そうやって、また作業に戻る。
ノックの音がする。
「失礼するよ」
扉が開いて、会長が顔を出す。
「順調そうだね、楽々浦君」
「……はい」
「顔色もいい。無理をしている様子もない」
穏やかな声。
「君はちゃんと、自分に合ったやり方を見つけた」
「……そう、ですかね」
「そうだよ」
即答だった。
「無理に誰かと関わる必要はない。君はもう十分、頑張っている」
否定されない。
むしろ、肯定される。
「……」
それだけで、胸の奥にあった小さな引っかかりが、少しだけ薄れる。
「……ありがとうございます」
「何かあれば、いつでも頼ってくれ」
そう言って、会長は静かに部屋を後にした。
「……」
また、一人になる。けれど今は、その状態が自然だった。
気づけば、放課後になっていた。
いつも通り部屋を出て、靴を履き替えに向かう。廊下の空気が、少しだけ重く感じるのも、もう慣れていた。
下駄箱に着くと——
「あ、真守くん」
白ヶ崎の声。
「……白ヶ崎さん」
視線を向けると、その隣にもう一人。
「おい楽々浦!助けてくれ!」
神宮丸だった。
やたらと必死な顔をしている。
「こいつがさっきから冷たすぎるんだよ!」
「当たり前でしょ」
即答だった。
白ヶ崎が腕を組んだまま、冷めた目で神宮丸を見る。
「なんであんたに優しくしなきゃいけないの」
「いや同じクラスだし!仲良くしようぜ!」
「断る」
「即答!?」
「無理」
「二回言う!?」
「無理なものは無理」
「心折れるわ!」
テンポよく続くやり取り。
「……」
いつもなら、ここで何か言っていたはずだった。
ツッコミを入れて、呆れて、巻き込まれて。
けれど——
「……」
言葉が出てこない。
ただ、少し離れた場所で、そのやり取りを見ている自分がいる。
どこか、他人事みたいに。
「いやお前も何か言えよ楽々浦!」
神宮丸がこちらに振る。
「その無言が一番刺さるんだけど!」
「……」
少しだけ口を開く。
けれど、何も出てこない。そのまま閉じる。
「ほら見なさい」
白ヶ崎が淡々と言う。
「困ってるじゃん」
「困ってんのは俺だよ!」
「知らない」
「冷たっ!」
そのやり取りを見て——
「……ふっ」
小さく、笑いが漏れた。
ほんの一瞬だった。
自分でも気づかないくらいの、小さな笑い。
けれど——
「……」
その感覚が、少しだけ引っかかる。
いつぶりだ。こうやって、何も考えずに笑ったのは。
「お」
神宮丸がニヤリとする。
「今笑っただろ」
「……別に」
「いや絶対笑った!」
「気のせい」
「いや今のは笑ってた!」
食い下がる。
「ほら白ヶ崎も見てただろ!」
「見てた」
「だよな!」
「ちょっとだけね」
「ちょっとでもいいんだよ!」
勝手にテンションが上がっている。
「よし決めた!」
急に声を張る。
「ゲーセン行くぞ!」
「は?」
白ヶ崎が即座に反応する。
「なんでそうなるの」
「今の流れだろ!」
「どの流れよ」
「楽々浦が笑った、いい空気、遊びに行く!完璧だろ!」
「意味わかんない」
「論理的だぞ!?」
「どこが」
白ヶ崎がため息をつく。
「……あんたがいなければ考える」
「俺が条件で外されてる!?」
「当たり前でしょ」
「ひどっ!」
即答だった。
「……」
そのやり取りを、またぼんやりと見ている。
「ほら楽々浦!」
神宮丸がこっちを見る。
「お前も来るだろ!」
「……」
少しだけ考える。
帰っても、やることは同じだ。
誰もいない部屋に戻って、静かな時間を過ごす。
それは楽だ。
間違ってはいない。
けれど——
「……」
さっきの笑いが、少しだけ残っている。
「……どうするの」
白ヶ崎がちらっとこちらを見る。
いつもの調子で、深くは踏み込まずに。
「……別に」
小さく息を吐く。
「少しだけならいいよ」
「よっしゃああ!!」
神宮丸がガッツポーズを取る。
「決まりな!」
「はぁ……」
白ヶ崎が呆れたように肩を落とす。
「ほんと、なんでこうなるの」
「楽しいからだろ!」
「うるさい」
「辛辣!」
わちゃわちゃと騒ぎながら歩き出す二人。
「……」
その後ろを、少し遅れてついていく。
さっきまでの静かな時間とは違う空気。
騒がしくて、面倒で、でも——
「……まぁ、いいか」
小さく呟く。
ほんの少しだけ、足取りが軽くなっていた。




