114話 俺×すれ違い=取り返しがつきません。
部屋の中に、さっきまでの空気がわずかに残っていた。
笑い声の余韻だけが薄く漂っていて、それが逆に今の静けさを際立たせている。
「……」
向かいにいる赤坂を見る。
いつもと同じように落ち着いた表情。けれど、その静けさが今は妙に引っかかる。
「……さっきの話なんですけど」
言葉を選びながら、ゆっくりと口を開く。
「どこで出会ってたっていうんですか」
赤坂は迷いなく答えた。
「小学校」
「……小学校」
その言葉を、そのままなぞる。
胸の奥に、小さな違和感が残る。
「……じゃあ」
一度、息を整える。
「思い出の場所とかって……」
赤坂は少しだけ目を伏せて、それから静かに言った。
「……公園」
一拍置いて、
「それと……道場」
「……道場」
その瞬間、頭の奥が揺れた。
木の床の感触。叩きつけられる音。荒い呼吸。
——「まも君、大丈夫?」
——「男は女の子のために頑張るんだ!」
断片的な記憶が、浮かび上がる。
はっきりとは思い出せないのに、確かにそこにある。
「……それは、思い出してる」
思わず、呟いていた。
その瞬間だった。
赤坂の表情が、わずかに変わる。
ほんの少しだけ目を見開いて、それから力が抜けたように緩む。
「……そっか」
小さく、安心したような声。
「……」
その反応に、引っかかる。
嬉しそうに見えた。
けれど——
「……なんで」
自然と口から漏れる。
「なんで、そんな顔するですか」
自分でも理由は分からない。
ただ、違和感だけが残る。
「……」
赤坂は何も言わない。
その沈黙が、余計に気になる。
「……なんで今まで言わなかったんですか」
少しだけ声が硬くなる。
「言えなかったから」
短い返答だった。
「……それ、理由になってないです」
気づけば、すぐに言葉が返っていた。
自分でも少し強いと思ったが、止められなかった。
「……もしかして」
一度視線を逸らしてから、また戻す。
「夏休み、俺の実家来てましたよね」
アルバムを見たから、と言いかけた瞬間だった。
「……それは関係ない」
赤坂が遮るように言う。
はっきりとした否定だった。
「……じゃあ」
言葉が続かない。
赤坂は少しだけ視線を落としながら、静かに言った。
「……思い出そうとすると、体調崩すでしょ」
「……」
一瞬、思考が止まる。
「……なんで、それ」
喉が少し乾く。
「知ってるんですか」
「知ってるから」
淡々とした返答だった。
確かに、思い出そうとしたときの違和感はあった。呼吸が乱れるような、体が拒否するような感覚。
それを知っていること自体は、不自然ではないはずなのに——
胸の奥の引っかかりは、消えない。
「……だから、言えなかった」
赤坂が続ける。
「無理に思い出させたくなかったから」
「……」
一瞬だけ、納得しかける。
それでも、どこかが噛み合わない。
「……じゃあ」
もう一度、視線を向ける。
「なんで今、それを言うんですか」
赤坂は少しだけ迷うようにしてから、言葉を選ぶ。
「……結城さんが」
一度、言葉を切る。
「……怖いの」
「……怖い?」
思わず聞き返す。
「真守のこと、知ってるみたいに振る舞って……私の代わりみたいに」
少しだけ間を置いて、
「……なりすましてるみたいで」
「……は?」
理解が追いつかない。
「だから」
赤坂はまっすぐこちらを見て言う。
「結城さんには、会わないで」
「……何言ってるんですか」
自然と声が出る。
「なりすましって……意味わかんないんですけど」
赤坂はそれ以上説明しない。
ただ、静かにこちらを見ている。
その態度が、余計に苛立ちを煽る。
「……俺、まだ結城とちゃんと話してないんですよ」
気づけば、声が少しずつ荒くなっていた。
「何も分かってないんですよ!会えてすらいないんですよ!」
「……だからこそ」
赤坂が静かに返す。
「会わないで」
「……」
胸の奥で、何かが揺れる。
「……この期に及んで」
低く、押し殺した声が出る。
「まだそんなこと言ってるんですか」
空気が、一気に重くなる。
「俺、何も知らないままなんですよ。それなのに会うなって……」
言葉がまとまらない。
「……それ、本気で言ってます?」
「本気だよ」
迷いのない返答だった。
その瞬間、何かが切れた。
「……ふざけんなよ」
低く、吐き出す。
「勝手に知ってることだけ並べて……結城のことも!俺のことも!」
呼吸が荒くなる。
「……なんなんですか」
一歩、踏み出す。
「中途半端に全部知ってるみたいな顔して!止めてきて!」
言葉が止まらない。
「……出てってください」
空気が止まる。
「今すぐ」
視線を逸らさずに続ける。
「二度と……顔見せないでください」
「……」
赤坂が、初めて一歩だけ踏み出した。
「……待って」
小さな声だった。けれど、はっきりと届く。
「まだ、話——」
「いいから」
被せるように言葉を遮る。
「もういいです」
そのまま視線を外さない。
「聞きたくない」
「……っ」
赤坂の表情が揺れる。
それでも、もう一度だけ口を開こうとする。
「……まも君」
「やめてください」
低く、言い切る。
「その呼び方も」
一瞬の沈黙。完全に空気が途切れた。
ただ、目に涙を浮かべたまま、こちらを見ている。そのまま、ゆっくりと背を向けた。
ドアに手をかける。
そして——そのまま部屋を飛び出した。
廊下の向こうで、足音が止まる。
「……あれ?」
真希那の声だった。
「唯ちゃん?」
少し間があって、
「……え、ちょ、なんで泣いてんの!?」
慌てた声が響く。
「どうしたの、何かあった?」
返事は聞こえない。
ただ、そのまま慌ただしい気配だけが過ぎていく。
少しして、玄関のドアが開いた。
「ただいまー……って」
真希那が部屋の中を見て、足を止める。
「……まーくん?」
すぐに様子がおかしいことに気づいたようだった。
そのまま近づいてくる。
「唯ちゃん、泣いて部屋戻ってったけど」
少しだけ真剣な声。
「また喧嘩したの?」
「……」
言葉が出てこない。
胸の奥に残っているものが、うまく整理できない。
怒りなのか、
混乱なのか、
それとも——
別の何かなのか。
「……」
真守は何も答えられないまま、その場に立ち尽くしていた。




