103話 俺×静寂=来ない恐怖が一番怖いです。
夜の空気は、妙に澄んでいた。
湿気も少なく、風もほとんどない。音が吸い込まれるような静けさが、街全体を覆っている。
その中で、真守たちは外に立っていた。
真希那の家から少し離れた位置。
街灯の影に紛れるようにして、周囲を見張っている。
「……」
時間だけが過ぎていく。
スマホの画面に表示された時刻は、すでに二十一時を回っていた。
「……来ないですね」
小さく、呟く。
「うん……」
隣で、葵が同じように周囲を見渡しながら答える。
「来ると思ってたんだけど」
その言葉に、真守も小さく頷く。
来るなら、もう来ているはずだった。
前回の流れを考えても、今回の状況を考えても、タイミングはとっくに過ぎている。
それなのに——何も、起きない。
「……あの」
少し後ろで、アリスが声を出す。
いつもよりも、さらに小さい声。
「なにか……変」
「……変?」
葵が振り返る。
「は、はい……」
アリスは手元のメモを見ながら、震える指でページを押さえる。
「この人……動くとき、迷いがないのに」
「……」
「来るなら……もう来てるはずなの……」
その言葉は、真守の中にあった違和感と、ぴたりと重なった。
「……じゃあなんで来てないんですか」
思わず、口に出る。
「……」
誰も答えられない。
静寂が、また戻る。
遠くで犬が吠える音が一度だけ響いて、すぐに消えた。
「……静かすぎるな」
真守が言う。
「……うん」
葵も同意する。
「嫌な感じ……」
それは、単なる不安じゃない。
“何かを見落としている”感覚。
それが、ずっと引っかかっている。
「……」
真守はゆっくりと周囲を見渡す。
人影はない。車もほとんど通らない。異常は、どこにも見当たらない。
それなのに——胸の奥だけが、落ち着かない。
「……」
時間が、さらに過ぎる。
二十一時半。
二十二時。
それでも、何も起きない。
「……今日は」
葵が、ぽつりと口を開く。
「来ない……のかな」
その言葉に、誰もすぐには答えられなかった。
来ないなら、それでいいはずだ。守るべきものは守られている。何も起きないのが、一番いい。
なのに——
「……いや」
真守は小さく首を振る。
「おかしい」
その一言に、葵もアリスも顔を上げる。
「来るつもりなら、もう来てる」
「……」
「それが来ないってことは……」
言葉を途中で止める。
その先を、うまく言葉にできなかった。
「……」
沈黙。
そして——
「……今日はもう、戻りますか」
真守が言った。
「このまま外にいても、動きがなければ意味がない」
「……うん」
葵も頷く。
アリスも、小さく「うん」と答えた。
家の中に戻ると、さっきまでの外の静けさとは違う“生活の音”があった。
それだけで、少しだけ現実に引き戻される。
「おかえりー」
リビングから、真希那の声。
「どうだった?」
「……何もなかった」
真守が短く答える。
「え、じゃあ今日はセーフ?」
軽い口調。
けれど、その奥に少しだけ安心が混じっているのがわかる。
「……まだわからない」
そう返すと、真希那は少しだけ眉をひそめた。
「なんか、顔怖いよ?」
「……そうか?」
「うん。めっちゃ考え込んでる顔」
ソファに座りながら、真希那がじっと見てくる。
「……」
言い返せない。
「……来ない方がいいんでしょ?」
「……ああ」
「じゃあいいじゃん」
あっけらかんと言う。
その言葉は正しい。正しいはずなのに——
「……」
真守は視線を落とす。
納得できない。
「……来ないのが怖いって顔してる」
真希那が、ぽつりと言った。
「……」
図星だった。
「……」
否定しないまま、沈黙する。
「……」
真希那も、それ以上は何も言わなかった。
ただ、軽く肩をすくめる。
「まあ、来たらぶっ飛ばせばいいじゃん」
軽い口調。けれど、その言葉に少しだけ救われる。
「……そうだな」
小さく返す。
けれど——
胸の奥のざわつきは、消えなかった。
「……」
来ない。
それ自体が、おかしい。
そして——
その“おかしさ”の意味を、まだ誰も理解していない。
静かに、確実に。
何かが、ズレ始めていた。




