101話 俺×作戦=まだ平和です。
あれだけ騒がしかった昨日の余韻が、まだどこかに残っていた。
朝、目を開けた瞬間から、それはなんとなくわかる。胸の奥にあった重さが、ほんの少しだけ軽い。完全に消えたわけじゃないのに、息がしやすくなっているような感覚だった。
「……」
天井を見上げたまま、ぼんやりする。
何も起きていない。
それがこんなにも楽だとは、少し前までは思っていなかった。
「まーくん、起きてるー?」
ドア越しに聞こえる声。
昨日と同じテンション。
「起きてる」
短く返すと、すぐにドアが開いた。
「じゃあ起きてるならいいよね」
「何がだよ」
「朝ごはん一緒に食べるの」
「昨日も食べただろ」
「今日も食べるの」
強引だった。
けれど、その強引さがどこか安心する。
「……わかったよ」
そう言うと、真希那は満足そうに笑った。
「よし」
それだけで嬉しそうにするのが、少しだけ可笑しい。
その流れのままリビングに向かうと、テーブルには簡単な朝食が並んでいた。昨日よりは少しだけ手を抜いた感じの内容だったが、それでも何もないよりは十分だ。
「今日はちょっと手抜きね」
「自分で言うな」
「昨日頑張ったからいいの」
椅子に座らされるようにして、そのまま食事が始まる。パンをかじりながら、どうでもいい会話が続く。
内容は覚えていない。ただ、笑ったり、軽く言い合ったりする、その空気だけが残る。
「ねぇ」
真希那が不意にこちらを見る。
「今日も一緒にいたい」
「生徒会ある」
「終わってから」
「……」
少しだけ考えてから、
「好きにしろ」
と返す。
「やった」
その一言で満足そうに笑う。
その顔を見て、また少しだけ肩の力が抜けた。
警戒はしている。何かが起きるかもしれないという感覚も消えていない。それでも、こうして普通に朝を過ごせることが、少しだけありがたく感じていた。
そのあとの時間は、驚くほど何も起きなかった。
教室では神宮丸が相変わらずのテンションで騒ぎ、白ヶ崎がそれを冷たく流す。真守はその間で適当に言葉を返しながら、流れに身を任せていた。
昼休みには自然と三人で食堂へ向かい、そこに赤坂が加わる。軽口と笑い声が重なり、時間はあっという間に過ぎていった。
結城の姿はなく、それについて深く考えることもなかった。ただ、少しだけ静かな余白がある。それだけの違いだった。
特別なことは何もない。
それでも、どこか満たされるような時間だった。
気づけば放課後になり、そのまま生徒会室へ向かう。
扉を開けると、静かな空気が広がっていた。
その中に、葵の姿がある。
「お疲れ様、楽々浦くん」
「お疲れ様です、葵先輩」
短い挨拶を交わし、そのまま自然に席へ向かう。
「今日、教室どうだった?」
「平和でした」
「そっか」
葵は安心したように頷く。
そのまま軽く作業の確認をしていると、部屋の隅に座っている人物に気づいた。
「……あ」
アリスだった。
「み、みなさんお揃いですね……」
少しだけ、おどおどした様子でこちらを見る。
「どうしたんですか」
真守が声をかけると、アリスは少しだけ視線を下げてから、
「その……ちょっと、気になることがあって……」
と、小さく言う。
その一言で、空気がほんのわずかに引き締まる。
「……手紙の件ですか」
「う、うん……」
頷く。
「まだ断定はできないけど……」
少し間を置いて、
「……たぶん、そろそろ動くと思う」
その言葉は小さかったが、はっきりと聞こえた。
さっきまでの穏やかな空気が、ゆっくりと沈んでいく。
「……タイミングは?」
葵の声が変わる。柔らかさの中に、仕事としての鋭さが混じる。
「わ、わからない……でも……」
アリスは一度息を整えてから、
「“油断している時”を狙ってくる可能性が高い」
と続けた。
「……」
真守は黙って考える。
油断している時。今まさに、その状態だ。
「……今だな」
自然と口に出る。
葵も静かに頷く。
「対象は……」
その先を、真守が引き取る。
「真希ねぇだ」
迷いはなかった。
これまでの違和感が、一本に繋がる。
「……うん」
アリスも小さく頷く。
沈黙が落ちる。
数秒。
その中で、結論はすぐに出た。
「やりましょう」
真守が言う。
「……何を?」
「護衛です」
はっきりと言い切る。
「向こうが動く前に、こっちが先に動く」
葵は一瞬だけ目を伏せてから、ゆっくりと顔を上げた。
「……うん」
小さく頷く。
「やろう」
その言葉に、迷いはなかった。
「アリス先輩、協力お願いします」
「は、はい……!」
一度おどおどした様子を見せてから、
「……作戦、立てるね」
と、少しだけ口調が変わる。
「時間帯、行動範囲、接触パターン……全部整理して、配置を決める」
さっきまでとは違う、はっきりとした声。
「……頼りになりますね」
真守が言うと、アリスは少しだけ照れたように視線を逸らした。
「そ、そんなこと……」
けれど、その表情はどこか強かった。
「……よし」
真守が小さく息を吐く。
「決まりですね」
葵が横に並ぶ。
三人の視線が揃う。
さっきまでの平和な一日の延長線。その中で、静かに決まった。
真希那を守るための、護衛作戦。
まだ何も起きていない。だからこそ。
その“まだ平和な今”の中で、確実に動き出していた。




