9話 俺×保健室=危険な香りがします。
痛い……
左頬が痛む。いや、顎も痛い。
絶対に顔が腫れている。なぜなら、目がしっかり開かないからな。
「なんで、こうなったんだよ……」
不幸を避けて高校生活を送ると誓った当日に、とんでもない不幸に襲われている。
だが、真守自身、自らが不幸を選んだことは初めてだった。赤坂を助けなければ穏便に済んだ(生徒会に勧誘されたのは抜きにして)。しかし、これもまた運命だったのかもしれないと考える。
「あら、目が覚めたの?」
「はい……!?」
保健室の先生が俺の目覚めを迎えてくれる。
なんて素晴らしい光景なんだ。胸が大きすぎて白衣から溢れ出てるではないか。
これが先ほどの不幸を払拭してくれる幸せだと言うのか。
「もう、初日から喧嘩って災難ね」
巨乳保健師は優しく真守の頭を撫でる。
生きててよかった……
「ねぇ、君さ、可愛らしい顔してるわよね」
「えっ!?」
まさかの褒め言葉。俺の脳があらぬことを想像してしまいそうになる。
「おねぇちゃん、食べちゃおうかな♪」
「お、おねぇちゃん……?」
ちょっとまて、自分のことをお姉ちゃんと言ったか?
「お姉ちゃん」と「お姉さん」は全然違う。
個人の見解だが、お姉ちゃんを使う場合は実の姉の確率が高い。
そもそも、俺は自分のことをお姉ちゃんと呼んでいる人を身近にいるのを忘れていた。その答えはもう出ている。俺の血の繋がった実の姉、楽々浦 真希那それしかいない。
「真希ねぇ、ここで何してるの!?」
「あら、バレちゃった?」
『真希ねぇ』こと楽々浦真希那は俺の実の姉で俺に溺愛している弟愛好家だ。
年齢は10歳離れていて、結構な年の差の姉弟になっている。
容姿は茶色に染めたミディアムロングに、白衣からあふれんばかりの立派なものをお持ちで、悔しいほどにルックスは普通に良い。本当に自分と血が繋がっているのかと疑うぐらいだ。まぁ、繋がっていなくても恋愛感情は全く生まれないんだが。
「バレたじゃなくて……」
呆れた真守は頭を掻き毟る。
「もう、まー君が学校で倒れたって聞きつけて心配になって飛んできたのよ」
さすが弟愛好家。
確か今日は仕事だったはずだ。しかもその仕事はわざわざ俺が入学する高校のために場所まで移し、やっと昨日から始まったばかりの新しい職場だった。そこを早くも抜けてくるなんて、本当に真希ねぇの行動力にはいつも驚かされる。
まぁしかし、なぜそこまで俺にくっついてくるのかはちゃんとした理由がある。
それは俺がまだ物心がつく前のお話。
ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー
3歳になりかけた俺は、まだおしゃぶりを咥えていた。かなりの甘えん坊で、かまってくれなかったらよく泣いていたらしい。
一方の真希ねぇは当時、反抗期真っ只中で毎日イライラしていた。親にも反抗し、時間があれば友達と遊びに行き、夜が遅いことも多々あったという。
そんな俺たち姉弟に起こった事件。それは真希ねぇが学校を早退してきた時だった。
早退した真希ねぇは、ちょうど母親と俺がお昼寝している時に、友達と夜遊びするための準備をしていた。
ドライヤーや服をクローゼットから出す音で目覚めた俺は、その時にいつも使っていた「かまってかまって」攻撃を真希ねぇにしようとした。
「ねぇね、あそぼ、あそぼー」
「チッ、うっせーなこのガキは」
「ねぇね、たかいたかいしてくれないとないちゃうよ!」
「うるせっつてんだろ!」
キレた真希ねぇは俺のことを結構な勢いで蹴飛ばし、壁に押し付けた。
「死んでろガキ!」
「ねぇね……」
そう、当時は全く俺のことには興味がなく、どちらかというと仲が悪かった。きっと、俺が生まれてから両親がつきっきりで子育てをしていたせいで、まだ育ち盛りの真希ねぇを放っておいたのが失敗だったのだろう。
「黙れ黙れ黙れ!」
「……」
そして、突き飛ばされた俺は当たりどころが悪かったのか気を失った。
一方で怒鳴っていた真希ねぇに気づいた母親が目を覚ます。
「おい、聞いてんのかガキ!」
「ちょっと、真希那うるさいわよ!」
「あぁ?こいつがうるせぇからだろ!」
「こいつって……真守、ねぇ真守ったら」
母親は気を失った俺の身体を揺すった。
「……」
「嘘、こんなのって……」
母親は真希ねぇの首を絞めていた手を解き、すぐさま救急車を呼び、俺は病院に搬送された。
そこから俺は一週間ほど意識がなかったらしい。それに罪悪感で押しつぶされそうになっていたのが当時の真希ねぇだった。
「私の……私のせいで……」
「真希那、今日も帰るわよ」
「でも、真守が、真守が起きないから!」
「もう時間だから病院にいられないのよ」
「でも、真守が!!」
家にいたある日。真希ねぇは何度も自分を責め続け、挙げ句の果てに自傷行為までしようとしていた。
「私なんて、生きてる価値なんてないわ……」
「真希那なにしてるの!?」
たまたま真希ねぇの部屋に用があった母親は、今まさに手首を切りつけようとしたい瞬間に出くわした。
「関係ないでしょ!ママまで傷つけたくないから、私に近づかないで!!」
右手に持っていたカッターを母親に向ける。
「真希那、いい加減にしなさいよ!」
「だって、真守は一週間も目が覚めないのよ!もう死んでるも同然じゃない……私は人殺しなのよ!!」
「違う、違うわ真希那。あなたは人殺しでもなんでもないわ」
「でも、でも……」
「真希那のそんな姿、真守が目覚めたら悲しむと思うわ」
「えっ……?」
緊迫した空気に少しの沈黙が訪れる。
「あなたがごめんなさいって謝るだけでいいのよ。それに、真守がそんなことでお姉ちゃんのことを嫌いになるわけないじゃない」
強く握っていたカッターをその場に落とす。それと同時に母親は真希ねぇのことを抱きしめた。
「ママ……」
「だから、真守の目が覚めたらごめんなさいしない。そして、次からは真守を傷つけるんじゃなくて、お姉ちゃんがしっかり守ってあげるの、いい?」
母親がなんとか自傷行為はやめさせ、弟を大事にするように慰め諭した。そこから真希ねぇは、二度と俺のことを傷つけまいと過保護になり、それが弟愛好家の始まりだった。
意識がなかった俺は無事、二週間で意識を取り戻し、今も元気に生きてるというわけだ。俺にとっては全く記憶ないエピソードだったが、真希ねぇにとっては忘れられない思い出となっていた。
そんなことより……
「真希ねぇ、その白衣どうしたの?」
ずっと気になっていた。一体どこから持ってきたというのか。
真希那はあたかも保健室の先生のように装っていた。その行為にはどのような意図があったのか、真守は気になって聞きだしていた。
「あぁ、これはね、この部屋に置いてあったから勝手に着ちゃったの!」
「はぁ……」
「そしたらね、まー君の『あそこ』が大きくなったから〜」
少し照れながらど下ネタをぶっ込んでくる実姉。こんなの、黙っていられることなんてできるはずがない。
「真希ねぇ、一つ言っておくけど俺は全く真希ねぇに対して恋愛感情はないから」
「えぇっ!?まー君、なんでそんなひどいこと言うの?」
先ほどの照れた顔から一転して、次は涙目になっていた。
ちなみに真希ねぇは俺のことを「まー君」と呼んでいる。正直恥ずかしくてたまらない愛称だ。
「あの、これ毎日言ってることなんだけど、なんで毎回そんな新鮮なリアクションが取れるの?」
このやり取りは日課みたいなもので、俺の真希ねぇに対する可能性を毎回否定することによって、まだギリギリ姉弟の間を保てている。こうでもしないと、いつ一線を超えてしまうのかわからない。
いや、超えるつもりは更々ないけれど……
「まぁまぁ、そんなことよりさ、まー君。どうしてそんな怪我したのか教えてくれる?」
真希那は真守の顔面の傷を痛くならないようにそっと撫でる。
「あぁ、これは、多分だけど先輩に殴られて――、
「先輩っ!?そんな、まー君がいきなり先輩と喧嘩!?」
リアクションが大きいんじゃ。まだ俺が喋ってたろうに。
「喧嘩じゃないよ、ちょっと、俺が調子のっちゃっただけだって」
「そんな、殴られるようなことをしたって言うの?」
「まぁ、それをしたから殴られたわけであって……」
「もう、一体誰なの、まー君を殴ったやつは!」
若干お怒りモード。昔、不良をやっていたせいか、その血が騒ぎそうになる時がある。
まさに今がその時だ。
「お、落ち着いて真希ねぇ!」
「ダメっ、私のまー君が殴られたのよ。このまま黙っているわけにはいかないでしょ!」
「うーん、それをやると余計ややこしくなるんだけどな……」
とりあえずこの場を静めたい真守は真希那の手を握る。
「真希ねぇ、俺は大丈夫だから」
「ま、まー君……」
真希ねぇは俺からのスキンシップにめっぽう弱い。これは、この人の弱点であって、一番気持ちを落ち着かせられる行為だ。てか、お願いだから本気で照れないでくれ……
「とりあえず、もう傷も痛くないし、真希ねぇは仕事に戻っていいよ」
「いや、仕事は早退したから今日はもうなにもないのよ」
「そうだったのか、なんかごめんね……」
新しい職場なのに申し訳ないことをしてしまったな……
「ううん、まー君は悪くないのよ。それより、お姉ちゃんはまー君の新居見てみたいな!」
「新居って、ただの学生寮だけど」
すっかり放課後が終わり、生徒たちが誰も残っていない学校。そこで、俺は真希ねぇと新しい生活の拠点、学生寮へと足を進めた。