後日談2~世界は偶然でできている~
こちらは完全に蛇足です。
「はぁ」
下品でない程度に紅い口紅がひかれた唇が物憂げなため息を吐いた。同じ部屋にいた薄紫色の髪の男性も、ため息を吐いた女性の対面に座りつつ眉間の皺を揉みほぐす。
「……勿体ないですわね」
二人が見つめるのはテーブルに置かれた黒い山。正確には黒と茶色の糸山だ。
「これ以上、どうしようもないのですね? トラル」
専属服装師の名を呼んだエリザベートに彼は装飾師らしい細くて繊細な手を組んで肯いた。
「この手触り、柔らかさ、光沢を残しつつ脱色、着色しようとしましたが、ここまでが限度でした。これ以上色を抜くとぱさつき、軋み、ひび割れと、糸としても使用できなくなります」
「けれどこの色では服飾に用いるのは難しいでしょうね」
黒と茶だけでは作れる服が限られてくる。極上の喪服は出来るかもしれないとエリザベートは窓の外を眺めた。
最初に植物からこの繊維を取りだしたとき、そのあまりの滑らかな手触りに皆言葉を失っていた。今まで取り扱ってきたどの光沢のある繊維よりも太く、しなやかで丈夫なそれは文字通り防具と装飾を両立させることができるかもしれないと期待されたのだ。
が。天は二物を与えずといったところだろう。繊維の色は漆黒であり、先程トラルが報告したとおり着色も脱色も出来ないことが判明した。
「色を抜くことで繊維の強度が下がり、触り心地に影響するのでしょう。もったいないことですがこの色のまま使う方法を考えた方が早いかもしれません」
「防御と汚れを気にしないという観点から鎧の下に身に付ける下着や……はぁ。伸縮性が少ないのでドレスに使われれば長持ちしますのに……」
後ろ髪引かれまくりのエリザベートに珍しいことだと苦笑するトラル。職人や研究者たちの努力を知っていればこそ諦めきれない部分もあるのかもしれない。
部屋に再び落ちた沈黙を破ったのはノックの音だった。
「はい」
入室を許可すると専属侍女が来客を告げる。長居しすぎたかと腰を上げたトラルを止めたエリザベートは訪問者を招き入れた。
「シルフィルド公、突然の訪問をお許し下さい。トラルも来ているということでしたので、シルクシフォン生産の進捗状況と……」
急いできたのだろう、額や首の汗を拭う財務大臣はいつも被っている帽子を少し持ち上げていた。最近は「私の髪の毛が薄いことが知れ渡ってしまったので気にしないことにしました」と開き直っている彼だが(その前から皆知ってはいた)、もともとお洒落な彼は帽子もデザインの優れたものが多くてそのまま着用することにしたようだ。
「……」
「……」
頭の毛の薄い財務大臣を食い入るように見つめる二人。報告を聞いているかどうかすら怪しいが、エリザベートは顔を財務大臣に向けたまま、正確には帽子のその奥に視線を向けたままトラルに話しかけた。
「どう思いますか? トラル」
「悪くないお考えだと思いますが……私の専門からは少し離れますね」
「ですが繊維を扱わせれば一番なのは服飾師でしょう。黒や茶ならそのままでも使えますわ。もしかしたら病気で失った方や長さの足りない方の救世主になるかもしれません。……光沢のあるしなやかで真っ直ぐな繊維。この長所を最大限に引き出す使い所を見つけたようですわね」
付き合いの長い二人の会話についていくことが出来ず、それでも彼女たちが自分を話題にしているのが判っていた財務大臣は小さく首を傾げる。
「あの……シルフィルド公?」
「財務大臣でしたら快く開発に付き合って下さるでしょう。センスのいい方ですし、腕のいい帽子職人の伝手もありそうですし……そうだ、ライ」
エリザベートは扉の横で控えていた侍女兼護衛の影を呼ぶ。無表情な侍女が黙って近付くと、彼女は使えるものはなんでも使うとばかりに指示を出した。
「貴方たちも変装に使っているのですよね? でもあまり質が良くないのでキャップや帽子などで誤魔化しているという話を憶えてるわ。だから手伝ってちょうだい。屋敷の警護から一人選任してトラルの下に付けて」
「かしこまりました」
侍女は反対することなく丁寧にお辞儀をすると、手配の為に早速部屋を出ていく。
「あの……」
未だ事態を呑み込めていない財務大臣にエリザベートは含みを持たせた笑みを向け、机の上で両手を組んで顎を乗せた。
「とても良いものが出来上がると思いませんか? この繊維はある植物を長時間雪に晒すことで取り出せるので、大陸中に評判が広まればこの国の新しい輸出品になるでしょう。ですから大臣の思い描くものが出来るまで決して妥協しないで下さいませ。どれだけ自然に装えるかがこの繊維の未来にかかっているのですから」
先程の落ち込みが嘘のように浮かれたエリザベートと完全に困惑した財務大臣、それを柔和な微笑みを浮かべたトラルが見守る中、会談は更に白熱していく。
この後、今までにない画期的なカツラが開発された。
手触りや光沢が今までの物とは一線を画し自然に見えるとの評判と、同時に売り出された服飾師トラルのカツラと合わせた新作ドレスにより、北の大国の貴族に瞬く間に広がった。頭髪に不安のある者だけではなくお洒落に敏感なご婦人方に受け入れられたことで、それは他国への広がりもみせている。
だが皆がカツラに慣れても開発者の一人である財務大臣は彼に似合った帽子を被り続けた。もちろん帽子を着用できない公式の場でもカツラを使うことなく、その心許ない髪型で出席した。
後年、なぜ自身が開発したカツラを着用しないのかと聞かれた彼はこう答えたという。
「まるで自分の髪のようなカツラを身に着けて判ったよ。私自身を表現するのに髪は必要なものではなかったのだとね。帽子は私によく似合うだろう?」
お読みいただきありがとうございました。