予算取り合い騒動! 生徒会vs軽音部 -19-『藤崎楓』
2026/7/8
内容推敲して修正しています。
この12話以降の内容、展開が変わっています。
よろしくお願いします。
その日、俺は購買でパンを買った帰りに渡り廊下で妙な人だかりを見つけた。
女子の集団が数人、一箇所に固まってきゃあきゃあと騒いでいる。何事かと思って視線をやると、その中心にいたのは一人の女子生徒だった。
背は高く、姿勢がいい。制服の着こなしも、どこか隙がない。すれ違う生徒の何人かが挨拶がてら声をかけていく。その全員に彼女は気さくに笑い返していた。
「あ、鈴木さん。この前の数学、分かった?」
「藤崎さん! 分からないところがあるの、最後の小テストのところなんだけど……」
「あー、あそこね! 放課後暇なら見てあげようか?」
「ほんと!?」
どこかで見たような光景だった。人望とか、慕われるとか、そういう言葉がそのまま具現化したような空気感。
「……あれ、誰だ?」
俺は思わず、隣を歩いていた真琴に尋ねた。
「あー、俺も今朝知ったばっかなんだけどよ。あれが藤崎先輩だよ」
「は?」
俺は思わず足を止めた。
「あの人が……」
「そ。噂には聞いてたけど、生で見るとまた違うな」
真琴も少し圧倒されたような声を出す。
俺たちがそんな話をしていると、ふとその女子生徒——藤崎楓と、目が合った。
「あら」
彼女はこちらに気づくと、まっすぐ歩み寄ってきた。
「もしかして、有島くんと秋村くん?」
「……え、なんで名前」
俺は思わず動揺した。面識なんて一度もないはずだ。
「ふふ、有名だよ、君たち。生徒会側で戦うっていう」
藤崎は悪びれもせずそう言った。声のトーンは軽やかで、それでいてこちらを見下すような色は一切ない。ただ、興味深そうに俺たちを見ている。
「私、藤崎楓。今回、軽音楽部側で助っ人させてもらうことになったの。よろしくね」
差し出された手を俺はとりあえず握った。しっかりとした、意思のこもった握手だった。
「……あんたが、噂の助っ人か」
真琴が少し警戒気味にそう言う。
「そうそう。まあ、そんなに睨まないでよ。ただの生徒同士の勝負でしょ?」
藤崎はくすりと笑った。敵意というものが一切感じられない笑い方だった。だからこそ、逆に底が知れないとも思った。この人は一体何を考えているんだろう。
その時だった。
「……」
ふと気配を感じて振り返る。
いつの間にか、九条が俺たちの後ろに立っていた。
「うおっ、びっくりした……! 九条、どうした……?」
俺の言葉に反応はなかった。
しかし、九条の登場で藤崎の表情が一瞬だけ変わった。それまでの気さくな笑顔が少しだけ、真剣なものに変わる。
「久しぶり、葵」
その呼び方に、周りの空気が変わった気がした。
二人はしばらく無言で見つめ合っていた。俺と真琴は何も言えずに、その様子を見守るしかなかった。
「……楓」
九条が静かに口を開いた。
「なんで、あっち側」
その一言に俺は息を呑んだ。九条の声はいつも通り淡々としていたが、その奥に明らかな何かが滲んでいた。
藤崎は少しだけ困ったように微笑んだ。
「ん、まあ、色々あってね」
「……楓がいなくなってから、応援部、変わった」
九条が続ける。
「まだ、一年あったのに」
その言葉には、責めるような響きはなかった。ただ静かな、しかし深い、何かの想いが滲んでいた。
藤崎はその言葉を真正面から受け止めるように、じっと九条を見つめた。
「……ごめんね」
彼女はそう言った。だがその謝罪の言葉には、後悔よりも何か別のものが混じっているように俺には聞こえた。
「でも、これで良かったと思ってる」
「……」
「葵はもう、私がいなくても大丈夫だよ。応援部のこと、ちゃんと引っ張ってるじゃない」
「……それは」
九条が何かを言いかけて、止める。
俺は二人のやり取りを見ながら、なんとなく思った。この二人の間には、俺たちにはまだ分からない、長い時間の積み重ねがあるらしい。それも、簡単に言葉で説明できるようなものじゃない。
藤崎はそれから、少しだけ声のトーンを変えた。
「ねえ、葵」
「……なに」
「今回、私が助っ人に入ったこと、どう思う?」
その質問に九条はしばらく黙り込んだ。
「……分からない。なんで、今更」
「うん、分からなくていいよ」
藤崎はあっさりとそう言った。
「ただ、一つだけ言っておく」
彼女はそこで初めて、笑顔を消した。
「本気で来てね、葵」
その言葉にはこれまでの気さくな調子とは違う、確かな重みがあった。
「私も、本気で行くから」
九条はその言葉に何も答えなかった。ただじっと、藤崎を見つめ返すだけだった。
その視線には戸惑いと、それから——何か、俺には読み取れない複雑な色が滲んでいた。
「……それじゃ、また本番でね」
藤崎はそう言い残すと、軽やかな足取りで去っていった。周りにいた女子生徒たちが、また彼女に群がっていく。人望とか、求心力とか、そういうものをこれでもかというほど体現した後ろ姿だった。
その場に残された俺たちはしばらく、誰も口を開けなかった。
「……九条」
俺は恐る恐る声をかけた。
「あの人、お前にとって……」
「……前の部長」
九条は短く、それだけ答えた。
「私に、ゲーム教えてくれた人」
その一言だけで、俺は多くを察した。応援部という居場所、そこで見せる九条の様子、そして——この複雑な表情。全部がその一言に繋がっている気がした。
だが、それ以上のことは九条は語らなかった。
「……行こ」
九条はそれだけ言うと、先に歩き出した。俺と真琴は顔を見合わせて、黙ってその後を追った。
夕方の廊下を歩きながら、俺はさっきの藤崎の言葉を反芻していた。
——本気で来てね、葵。
あれは、ただの挑発だったんだろうか。
それとも——。
俺にはまだ、その真意は分からなかった。ただ、あの言葉の奥に単純な敵意以上の何かが込められていたことだけは、確かな気がした。
本番まで、もう時間はない。
だが、俺たちはまだ一つ大きな謎を抱えたまま、その日を迎えようとしていた。




