第8話:覇者たちの夜会と、深淵の地政学
中立都市の迎賓館で催された【環大陸エネルギー相互協定】の批准調印式典。
絢爛豪華なシャンデリアの下、各国の首脳や高官たちが杯を交わし、歴史的な同盟の誕生に歓声をあげていた。
だが、主役であるはずのアスタリア代表シェリィ・ヴァルモントは、華やかな喧騒から少し離れたテラスの欄干に寄りかかり、夜風に金髪を揺らしていた。
「……ふう。式典というのは、何度経験しても疲れますわね」
手にしたグラスの泡を眺めながら可憐に溜息をつくシェリィのもとへ、重厚で静かな足音が近づいてくる。
「祝勝の酒すら喉を通らんか。相変わらず隙のないお嬢さんだ」
姿を現したのは、ガリア帝国第8代皇帝カール・グスタフであった。
黒金の上衣を纏い、片手に濃い琥珀色のグラスを傾ける彼の表情には、昼間の殺伐とした覇気ではなく、ひとりの「覇者」としての穏やかな不敵さが漂っていた。
「カール陛下……」
「余を『地政学リスク』で締め上げ、背中に刃を突き立てて協定を結ばせた張本人が、随分と神妙な顔をしているではないか」
カール皇帝はドカリとテラスの手すりに背を預け、白銀に輝く街並みを見下ろした。
「……改めて見事だったぞ、シェリィ・ヴァルモント。一度は余の二重補給線に呑み込まれ、どん底まで絶望しながら……わずか一時間で余の背後にあった『ルナシアの空白』を突いてみせた」
「光栄ですわ、陛下」
シェリィは扇を優雅に揺らし、碧眼を不敵に細めた。
「ですが……あれは賭けでも奇跡でもありませんの。我がアスタリアが持つ世界最大の物流データと、ガリア帝国の軍事配置を照らし合わせれば導き出される、ただの『数値(答え)』に過ぎませんわ」
「クハッ! 言うようになったな」
カール皇帝は豪快に笑うと、グラスを一口煽った。
「これで我がガリア帝国とアスタリア、そしてヴァルモントとアルスター、東方のルナシアを含めた巨大な『環大陸経済圏』が完成した。……だが、お前はこれで満足してはおらんだろう?」
カール皇帝の鋭い眼光が、シェリィの真意を射抜く。
「勿論ですわ、カール陛下。条約を結ぶのはスタートラインに過ぎませんもの」
シェリィは空を指差し、大陸全図を脳内に展開した。
「今回結んだ『環大陸エネルギー同盟』を真に機能させるためには、ガリア帝国の重工業技術と、我がアスタリアの熱交換インフラを融合させた『大陸横断・新魔導物流グリッド』の建設が不可欠ですわ。これが完成すれば、冬場の北方の寒波も、東方の流通麻痺もすべて過去のものとなります」
「ほう……ガリアの技術とアスタリアの資源を直結させ、大陸全体の血脈を作り替えるか。……どこまでも果てのない小娘だ」
カール皇帝が深く感心するように頷いたのを受け、シェリィは静かに、しかし冷徹な国家アナリストの眼光で言葉を重ねた。
「陛下が納められる帝国の安寧こそが、今回の調印の『肝』になりますの。世界の中心には何事も、誰も寄せ付けない【深淵の渦】が存在し……その遥か南には【ネフィリム大陸】が、そして陛下の帝国のすぐ北には【魔王領】がございますわ。……ですからこれからは、ガリア帝国が東方と西方を繋ぐ絶対的な『中継地点』となりますの」
「……」
カール皇帝の琥珀色の瞳が、一瞬だけ怪しく光った。
世界地図の全容を巨視的に俯瞰し、世界の危険地帯(魔王領・ネフィリム大陸・深淵の渦)を抑え込む「世界の要(要塞)」としてガリアを位置づける……。それは一見、ガリア帝国へ絶大な地政学的価値を与える賞賛のように聞こえる。
だが、地獄の戦場を潜り抜けてきたカール皇帝の嗅覚は、その華やかな提案の裏にある「シェリィの真の狙い」を即座に察知していた。
(……ほう。帝国を『中継地点』として物流のハブに据えることで、我が国の中に『アスタリア直属の巨大商業網(支会)』を合法的に張り巡らせる気だな、お嬢さん?)
ガリア帝国に富と物流が集中すれば、やがて帝国は増長し、世界を独占しようとする。
だからこそシェリィは、帝国領内に「自らの意思で動くアスタリア大商会の流通拠点」を根深く打ち込み、物資と富の流量を裏からコントロールすることで、「富をガリア一国に独占させない構造(手綱)」を握ろうとしているのだ。
カール皇帝の口元が、猛獣のような不敵な歪みを描く。
(……余に富を独占させぬための手綱か。いい度胸だ。自国の胃袋の中に、毒にも薬にもなる他国の巨大商会を呑み込めと言っているのだからな)
その「見え透いた手綱」すらも包み込み、利用して見せるのが覇者の余裕というもの。
カール皇帝は低く笑うと、手元のグラスをシェリィの持つ扇の骨へと軽く打ち合わせた。
カチン、と澄んだ音が夜空に響く。
「……クハッ、乗ったぞシェリィ! 帝国の領土を『血脈の要』として差し出してやろう。帝国内での貴様の商会の動き、どこまで広げられるか見ものだな?」
「ふふ、ご期待に沿ってみせますわ、カール陛下」
互いに相手の裏の裏(狙い)を読み合い、巨大な経済の盤面で手綱を握り合う二人の覇者。月光の下で、彼らは真の対等な笑みを交わし合うのだった。
◇
式典が終わり、中立都市からアスタリアへと帰還する豪華な魔導馬車の車内。
向かいに座るレオンハルト大公と、ヴァルモント王国の新国王ジュリアンが、心底感心したようにシェリィを見つめていた。
「見事だったよ、シェリィ。カール皇帝を味方に引き入れ、大陸全体の物流の握り拳を君が握った。これで我が国の平和と繁栄は揺るぎないものとなったな」
ジュリアンの言葉に、レオンハルトも深く頷く。
「ああ。ヴァルモント公爵家やアルスター公国、そしてアスタリアの連携は完璧だ。もはや表の舞台で我が同盟に牙を剥く国など存在しないだろう」
「ええ。我がアスタリアの商業網は、いよいよガリア帝国の深部へ、そして未知なる北方や東方へと大きく広がっていきますわ」
シェリィは碧眼を白銀に輝く夜空へ向け、決意に満ちた笑みを浮かべた。
「国家の武力ではなく、人とモノを結ぶサプライチェーンの力で世界をひとつにする……。ここからが、アスタリアの本当の挑戦ですわ」
【環大陸エネルギー相互協定】が批准され、アスタリア大商会は帝国内部への進出と『新魔導物流グリッド』の建設という次なる巨大プロジェクトへ足を踏み出すのだった――!




