第3話:動き出す影と、先回りの一手
ガリア帝国の特使ヴァルカニスが、青ざめた顔でアスタリアを立ち去ってから数日。
アスタリア大商会タワーの最上階――白銀の景色を一望できる執務室では、シェリィとレオンハルト大公がチェス盤を挟み、静かに盤面を動かしていた。
「――シェリィ、報告通り帝国が動き始めた」
レオンハルトが黒のナイトを静かに進めながら、低い声で切り出す。
「西方の主要交易路に帝国軍が小規模な『検問所』を設置した。アスタリアへ向かう商隊に対し、不当な積載検査や書類不備を口実にした嫌がらせを始めているようだ。我が国の魔導原石と熱エネルギーが流出するのを、力ずくで遅延させる気だな」
「ふふ、まあ……想定通りの浅はかな足あがきですわね」
シェリィは優雅に温かい紅茶を口にし、碧眼を不敵に細めた。手に持った白のビショップを動かす。
「レオンハルト様、事前に手配しておいた【南国物流バイパス】と【ヴァルモント新国境交易ルート】への完全切り替えを指示してくださいな。帝国の検問など、ただの空振りに終わらせますわ」
「すでに手を打っていたか」
「当たり前ですわ。特定の一国が握る物流ルートに依存することほど、リスクの高い経営はございませんもの。帝国が検問所で無駄な検問を行っている間に、我がアスタリアの物資は新ルートを通って大陸全土へ支障なく届きます。……無駄な兵糧攻めで国庫を擦り減らすのは、帝国の方ですわ」
シェリィの唇に、冷徹で美しい笑みが浮かぶ。
前世、国際的なエネルギーサプライチェーンの寸断や地政学リスクを幾度も解決してきた彼女にとって、この程度の通商妨害は想定の範囲内に過ぎなかった。
レオンハルトは感嘆の溜息を吐きながら、チェス盤を見つめた。
「相変わらず隙がないな、シェリィ。……だが、あのプライドの高いガリア帝国だ。表からの経済的攻勢が通じないと悟れば、裏からの『不当な工作』に打って出る危険がある」
「裏の工作……とおっしゃいますと?」
「我がアルスター公国、あるいは同盟国であるヴァルモント王国の国内……特に魔導鉱脈の地下ラインや、王都の重要施設を狙った影の破壊工作だ。帝国は裏社会の暗殺組織や過激派を金で抱え込んでいるという噂がある」
その言葉に、シェリィは満足そうに頷いた。
「ご心配には及びませんわ、レオンハルト様。我が母国――ヴァルモント王国には、頼もしい新国王が即位されたばかりですから」
◇
その頃――ヴァルモント王国の王都・王宮。
「――ジュリアン陛下、ガリア帝国の裏工作員と思われる者たちが、王都の地下水路および魔導鉱脈の周辺で極秘裏に接触を図っている形跡を捕捉いたしました」
執務机で書類に目を通していた新国王ジュリアンに対し、影の護衛隊長が静かに報告を告げる。
ジュリアンは冷徹な眼差しを上げ、薄く微笑んだ。
「そうか。……シェリィからの事前の警告通りだな」
ジュリアンは手元にあった羊皮紙――アスタリアから極秘裏に届けられた『地政学リスク分析レポート』を指先でトントンと叩いた。そこには、ガリア帝国が取り得る工作の手口と、王都内で接触するであろう旧寄生貴族の残党リストが完璧に網羅されていた。
「旧体制の残党どもが、帝国の金に目が眩んで手引きをするつもりか。……愚かなことだ。シェリィを追放しただけで我が国が傾いたというのに、今度は帝国に国を売り渡そうとはな」
ジュリアンは静かに立ち上がると、窓の外――平和を取り戻しつつある王都の街並みを見下ろした。
「我がヴァルモント王国は、すでにアスタリア大商会と【優先供給の特例密約】を結んだ対等な同盟国だ。アスタリアの熱エネルギーと経済力のおかげで、我が国の民はこの冬を温かく過ごせている。……それを害しようとする鼠どもを、生かしておく理由はない」
「はっ。如何ように処置いたしますか?」
「捕縛の必要はない。帝国の工作員、およびそれに通じた内通者どもは、事態が表沙汰になる前に『影』の中で完璧に処理せよ。……我がヴァルモント王国は、二度とシェリィの足を引っ張るような真似はさせん」
「御意」
影の護衛隊長が一瞬で姿を消す。
ジュリアンは冷たく澄んだ瞳で、遠く北方の空を見つめた。
「シェリィ……君が描く新しい世界を、私はこの国から完璧に守り抜いて見せるよ」
表の市場ではシェリィとレオンハルトによる圧倒的な経済先回り、そして裏の影ではジュリアン新国王による冷徹な排除工作。
ガリア帝国が張り巡らせようとした暗雲は、アスタリアとヴァルモント王国の鉄壁の同盟によって、知らぬ間に打ち砕かれようとしていた――。




