第2話:帝国の特使と、冷徹なる市場ロジック
アスタリア大商会タワーの最上階応接室。
ガラス張りのドーム越しに注ぐ陽光と、床下を通る魔導熱パイプがもたらす完璧な温もりに包まれた室内で、一人の男が不機嫌そうに鼻を鳴らしていた。
ガリア帝国からの特使――ヴァルカニス子爵。
軍事国家である帝国の威光を後ろ盾に持つ男は、給仕された高級な紅茶に口もつけず、豪奢な皮椅子に深く身を沈めていた。
「――お待たせいたしました、ヴァルカニス特使」
静かにドアが開き、室内に入ってきたのはシェリィ・ヴァルモント、そして共同経営者であるレオンハルト大公であった。
シェリィの耳元で輝くダイヤモンドのイヤリングと、優雅な立ち振る舞い。
ヴァルカニスは目の前の若い少女を一瞬品定めするように見下すと、薄笑いを浮かべて一枚の羊皮紙をテーブルへ叩きつけた。
「挨拶は不要だ、シェリィ代表。帝国の要請は親書に書いた通り。『アスタリア魔導熱インフラ』および『魔導原石』の全採掘権の過半数を、帝国へ直ちに譲渡せよ。さもなくば、我が帝国は西方の交易全ルートを即刻封鎖する」
開口一番の脅迫。
だが、シェリィは表情一つ変えず、優雅にソファーへ腰掛けると、バツンと音を立てて扇を閉じた。
「まあ……『お願い』にあがった使者様にしては、あまりに不躾で無知な交渉術ですこと」
「な……『不躾』だと!? 貴様、相手がガリア帝国だと理解しているのかッ!?」
ヴァルカニスが身を乗り出して怒声を上げるが、シェリィは冷ややかな碧眼で彼を射抜いた。
「理解しておりますわ。そして……貴方方が【市場と供給網の構造】を何も理解していない愚か者だということも」
シェリィは優雅に手を挙げると、側に控える側近から一枚の巨大な大陸経済地図を受け取り、テーブルへ広げた。
「ヴァルカニス特使。貴国が西方の交易路を封鎖した瞬間、何が起きるかお分かりかしら?」
「何……?」
「第一に、アスタリアから貴国を経由して流れている『高純度魔導原石』の供給が即座に全停止いたします。現在、貴国の冬季暖房および軍事魔導炉の四割は我がアスタリアの資源に依存していますわね。それがゼロになります」
シェリィは美しい指先で、帝国の国境線をなぞる。
「第二に、我がアスタリア、ヴァルモント王国、そしてグラン・アルスター公国による【三国関税同盟】に基づき、帝国に対する食料および農産物の優先輸出を全面差し止めいたします。……帝国の国内物価は一週間で三倍に跳ね上がり、厳しい冬を前に民と兵士が凍え、腹を空かせることになりますわ」
「くッ……脅しのつもりか!? 我がガリア帝国には圧倒的な大軍勢がある! 経済封鎖など、力で押し潰せば――」
「どうぞ、お攻め込みなさるとよろしいわ」
シェリィはクスリと可憐に微笑んだ。その笑顔は、氷点下の風よりも冷たかった。
「我が軍事顧問であるレオンハルト大公の防衛陣形、そして覚醒した私の魔導障壁を破るのに、帝国は何万の兵を失うかしら? その間に国内で起きる暴動と大規模インフレ……大攻勢を仕掛けた瞬間に、帝国は内側から自滅いたしますわよ?」
「な…………ッ!?」
前世で世界最高峰の地政学・資源アナリストとして数々の国家間交渉を仕切ってきたシェリィの、寸分の隙もない完全なロジック。
自分たちが有利だと信じ込んでいた軍事力も威圧も、高度な経済ネットワークの前には単なる自虐行為でしかない現実を突きつけられ、ヴァルカニス特使の顔から急速に血の気が引いていく。
「契約とは、対等な信頼と相互の利益の上に成り立つもの。武力を誇示して奪おうとする野蛮人に、我がアスタリアの『熱』は一滴たりとも与えません」
シェリィは冷酷に言い放ち、立ち上がった。
「お引き取りくださいな、使者様。交渉のテーブルにつきたくば、非礼を詫び、正規の市場価格と対等な外交条約をお持ちになることですわね」
立ち尽くす帝国の特使を横目に、シェリィはレオンハルトと共に優雅に応接室を後にした。
世界のエネルギー地図を塗り替える戦いは、アスタリアの圧倒的な勝利から始まったのである――。




