第16話:『覇王の盾と、王家の誓い』
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エレノア前王妃が気高くも優しげな笑みを残して退室したのち、減圧結界の満ちる室内に、ずしりと重厚な足音が響いた。
扉をくぐり、歩み寄ってきたのは——ヴァルモント王国・前国王アーサー。
かつて隣国との激戦を幾度も制し、ヴァルモント王国を列強の脅威から護り抜いた「英主」である。その背広越しにも伝わる筋骨隆々とした体躯と、鋭い黄金の瞳は、いまなお一国の覇王たる圧倒的な威圧感を放っていた。
「……シェリィ」
低く腹に響く声。
だが、その黄金の瞳の奥には、武人としての鋭さとは対極にある、愛おしい姪を見つめる不器用で温かな情愛が色濃く宿っていた。
「アーサー様……」
シェリィがベッドの上で身を起こし、気高く背筋を正して一礼しようとする。
アーサーはそれを大きな手で制し、豪快に、しかしどこか慈しむようにシェリィの頭へその太い掌を置いた。
「ふむ、よい顔になったな。エレノアの優しすぎる光に包まれて、少しは毒が抜けたか。……13年前、あの幼く細かった赤ん坊が、いまや帝国皇帝と堂々と渡り合う公爵令嬢か。大したものだ」
「お褒めいただき、恐悦至極にございます。……アーサー様」
「堅苦しい挨拶はいらん。今のワシは、ヴァルモントの先代の王であり……ただの、お前の叔父だ」
アーサーはそう言ってフッと目尻を下げると、重々しく椅子へ腰を下ろし、腕を組みながら真剣な眼差しでシェリィを見つめた。
シェリィはハッと胸を打たれ、固さが解けたように柔らかな笑みを浮かべた。
「……承知いたしました。では……アーサーおじ様」
「うむ! それでいい」
アーサーは満足そうに髭を撫で、力強く頷いた。
「シェリィ。エレノアがお前に授けたのは、荒れ狂う魔力を自らの中で安全に巡らせる『循環と自律の術理』だ。いわば、体内の暴風を穏やかな風に変える技だな。……だが、我がヴァルモント王家の血を引く者として、そして筆頭公爵家の娘として、お前にはそれだけでは足りん」
「足りない……でございますか?」
「ああ。魔力とは、ただ自らの中で納めていれば済むものではない。外部からの理不尽な暴力、あるいは今回のような『魔王領の外気魔素』という悪意ある圧力が押し寄せた時……それを一滴たりとも内側へ通さず、完全に相殺・無効化する『盾』を持たねばならんのだ」
アーサーはそう言うと、右手をシェリィの前へと突き出した。
2
「封印の第二の鍵……合計35%の魔力をいま解放する。覚悟はいいか、シェリィ」
「——いつでも、お命じください」
シェリィが毅然とした瞳で応えると同時に、アーサーの掌から重厚極まる深青と黄金の光が放たれた。
ぐっ、とシェリィの胸の奥で、さらに20%の封印の鎖が音を立てて弾け飛ぶ。
体内で解凍された新たな自魔力が、再びドッと溢れ出そうとする。しかし、直前にエレノアから授かった「第一の鍵(循環回路)」が瞬時に働き、魔力の暴走を押し留めた。
そこへ——アーサーの解き放った防衛の波長が、覆い被さるようにシェリィの体内に流れ込んでくる。
(……くっ、重い……! これが、かつて我がヴァルモント王国を他国の侵略から護り抜いた『英主の壁』……!)
アーサーの魔力波長は、エレノアのそれとは全く異なっていた。
どこまでも頑丈で、隙がなく、あらゆる外圧を真っ正面から受け止めて霧散させる、絶対的な構造体。
シェリィは思考のギアを最大まで跳ね上げた。
前世のアナリストとしての分析脳をフル回転させ、体内で新たに解凍された20%の莫大なエネルギーと、アーサーから注ぎ込まれる防衛の波長を「システム構築」の視点で読み解いていく。
(単に魔力で『壁』を作るのではない……! 外部から押し寄せる歪んだエネルギーの『ベクトル(方向と質量)』を解析し、体内の魔力で真逆の波長をぶつけることで、衝撃そのものを『定常波(相殺)』へと変換している……!)
「ほう……! 破綻を起こさず、ワシの防衛理論をその速度で読み解くか!」
アーサーの瞳に、感嘆の光が走る。
シェリィは体内の「構造最適化」を実行。
アーサーの防衛理論を『広域・自動指向性相殺シールド』のソースコードとして書き換え、体内の新たな魔力回路として組み込んでいく。
バチバチバチッ……!
シェリィの体の表面に、極小の黄金の防衛展開膜が張り巡らされた。
外部から微かに残っていた空気の軋みや魔力のノイズが、その展開膜に触れた瞬間、サーッと音を立てて無力化され、無へと消えていく。
過負荷の原因であった「外部魔素との圧力差」が、完全に『相殺』された瞬間だった。
3
「……見事だ、シェリィ!」
アーサー前国王は膝を打ち、満足感に満ちた豪快な笑みを浮かべた。
「完璧だ。いまのお前は、どれほど劣悪で過酷な魔素環境に身を置こうとも、この『相殺の盾』によって自身の肉体と精神を完璧に防護できる。もはや北方の原始魔素など、お前を脅かすことはできん」
シェリィは深く息を整え、体内に根付いた力強い「盾」の感覚を確かめた。
体の芯が、まるで鋼のように揺るぎなく安定している。
自らの内にある「恐ろしいはずの莫大な魔力」が、自分を護る最高の防壁へと生まれ変わっていく感覚。
アーサーは静かに胸元へ手を伸ばすと、一つの品を取り出した。
それは、緻密な彫刻が施された、重厚な黄金のリング——13年前のあの雪の夜、赤ん坊だったシェリィの産着の胸元にそっと添えられた、あの『約束の品』である。
「これは、ワシの防衛波長が刻み込まれた王家の宝具……第二の『マスターキー』だ」
アーサーはシェリィの手を取り、その華奢な指に優しく、しかし確かな重みとともにリングを滑らせた。
「シェリィ。ワシの息子であるジュリアンは、新しき王としてヴァルモントの舵を取っておる。そしてお前は、アナリストとして、アスタリア魔法経済特区の代表として、王国の経済と未来を切り拓いている」
アーサーの瞳が、深く、温かい父親・叔父の光を宿す。
「ジュリアンとシェリィ……お前たち二人が揃ってこそ、このヴァルモント王国の新しい時代は完成する。ワシの盾を受け継いだお前は、どうかジュリアンと共に、この国を、そしてお前自身を永遠に護る揺るぎなき『盾』となれ」
シェリィは指輪をぎゅっと握り締め、青磁色の瞳に強い決意を宿して、深く頭を下げた。
「……はい、アーサーおじ様! ジュリアン殿下と共に、この国を、ヴァルモントの名を、そして私に注いでくださった皆様の愛を……死力で護り抜いて見せますわ」
「うむ。良い返事だ!」
アーサーは満足そうに頷き、その太い手で力強くシェリィの肩を叩いた。
4
二つのマスターキーを手に入れ、過負荷の恐怖を完全に克服したシェリィ。
その佇まいには、すでに悲壮感はなく、圧倒的な気品と確かな自信が満ち始めていた。
アーサー前国王が立ち上がり、扉の方へと向かう。
「さて……ワシの役目はここまでだ。……外でずっと息を殺し、お前の無事を祈り続けている『本命たち』に交代するとしよう」
ドアの取っ手に手をかけ、アーサーは振り返って不敵に笑った。
「シェリィ。ここからの二人は……これまでのワシたち以上に、13年分の『重い想い』を抱えておるぞ。しっかりと受け止めてやってくれ」
「……はい、アーサーおじ様」
パタリ、と扉が閉じられる。
部屋の中に再び訪れた静寂。
シェリィは静かに呼吸を整え、胸元に掲げた髪飾りと指輪に触れた。
そして——カツン、と小さく繊細な足音が廊下に響く。
開かれたドアから足を踏み入れてきたのは、ドレスの裾を強く握り締め、目元を真っ赤に腫らした女性。
ヴァルモント王国の貴族社会において「冷酷無慈悲な裏外交官」と恐れられ、幼いシェリィに一度も母らしい微笑みを見せることなく追放同然の処分を下した——実の母、マーガレット公爵夫人であった。
13年間の偽りの仮面が、いま、静かに剥がれ落ちようとしていた。




