第17話:『13年目の涙と、母の愛』
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アーアー前国王が退室し、再び室内に静寂が戻った。
カツン、カツンと、小さく繊細なヒールの音が廊下に響く。
開かれた重厚な扉から足を踏み入れてきたのは——ドレスの裾を指先が白くなるほど強く握り締め、目元を真っ赤に腫らした女性であった。
ヴァルモント王国の社交界において「氷の淑女」「冷酷無慈悲な裏外交官」と恐れられ、幼いシェリィに一度も母らしい微笑みを見せることなく追放同然の処分を下した——実の母、マーガレット公爵夫人。
「……お母様」
シェリィがベッドの上から優しく声をかける。
その一言が、13年間にわたってマーガレットの心を縛り続けていた強固な呪縛を、一瞬で打ち砕いた。
「っ……あ……ああ、シェリィ……! 私の、私の愛しいシェリィ……っ!!」
普段の完璧な作法も、貴族としての矜持も、すべてが吹き飛んだ。
マーガレットはドレスが汚れることすら厭わず、崩れ落ちるようにベッド脇へ膝をつくと、シェリィの華奢な体を強く、強く抱きしめた。
「ごめんなさい……! ごめんなさいね、シェリィ……! 母親でありながら、あなたを抱きしめることも、甘やかしてあげることもできず……冷たい言葉で突き放し続けて……っ!」
マーガレットの目から溢れ出る大粒の涙が、シェリィの肩口を濡らしていく。
13年前のあの雪の夜。
あまりにも巨大すぎる魔力を宿して生まれた赤ん坊。その力を狙う国内外の野心家や政治的思惑から我が子を護るため、彼らが選んだのは「無能の烙印」を押して遠ざけるという悲壮な道だった。
母として、娘を抱きしめたい衝動を必死に押し殺し、陰で血の涙を流しながら「出来の悪い娘」として冷遇し続けた13年間。
「どんなに恨まれてもいい……冷酷な母だと蔑まれてもいい……! ただ、あなたに生きていてほしかった……! 無事でいてほしかったのよ……っ!!」
痛切なまでの母性の吐露。
シェリィはそっと腕を回し、小さく震える母の背中を優しく抱き返した。
「……お母様。お泣きにならないでくださいませ」
シェリィの青磁色の瞳には、温かな理解の光が宿っていた。
「わたくし、一度だってお母様を恨んだことなどございませんわ。……アナリストとして、商会代表として社会に出たからこそ解るのです。我が身を悪役に削り、私を護り続けてくださったお母様の深い愛と、その孤独な苦しみが」
「シェリィ……っ」
「ありがとうございます、お母様。わたくしを……この世に生んでくださって」
「ああ……! 我が愛しい宝物……!」
13年の時を経て、偽りの仮面は完全に破片となって散り去り、二人は真の実の母娘として固く抱き合い、涙を分かち合った。
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溢れる涙をハンカチで拭い、マーガレットは深く息を整えると、毅然とした公爵夫人としての美しさを取り戻した。
「さあ……立ち止まっていては、外で待つあの方に叱られてしまいますわね。シェリィ、私からの『覚醒』を受け取ちなさい」
マーガレットは優しくシェリィの手を取り、自らの胸元へと当てさせた。
「私があなたに伝えるのは、筆頭公爵家に伝わる『精密情報解析と構成書き換えの術理』です。シェリィ……あなたが持ち、今やアスタリア魔法経済特区の根幹を支えているその『構造最適化』の資質……それは、私からあなたへ受け継がれた血統の才能なのですから」
「……お母様から……?」
「ええ。魔力とは、単なるエネルギーの奔流ではありません。それは万物の理を書き換える『膨大な情報』の集積体。……封印の第三の鍵を解放します。全体の60%まで高まる魔力を、あなたの卓越した頭脳で完全に情報定義しなさい!」
マーガレットの手のひらから、刃のように鋭く、クリスタルのように澄み切った銀と紫の光が解き放たれた。
ドオンっ……!!
シェリィの体内で、さらに25%の封印の鎖が粉々に砕け散る。
一気に跳ね上がる魔力出力。全体の60%という、一国の師団を容易に消滅させ得る莫大な魔力がシェリィの全身を駆け巡る。
だが、今のシェリィには恐怖も迷いもなかった。
15%の『循環』で魔力を巡らせ、35%の『相殺』で外圧を弾く。
そこへ、母マーガレットから注ぎ込まれる『精密情報解析』の波長が完璧に噛み合っていく。
(……見える……! 体内を流れる莫大な魔力の一つ一つの粒子、その情報構造が……完璧に視認できる……!)
シェリィは持ち前の前世のアナリスト頭脳と「構造最適化」を極限まで駆動させた。
母の魔力波長を『高次元コンパイラ/データ最適化エンジン』として同期。
60%まで膨れ上がった荒々しい魔力データを一瞬で解読・整理し、1ミリの無駄もない「純粋なる高密度情報」へと瞬時に再構築していく。
バチバチバチッ……!
シェリィの体表を包む光が、濁りの一切ない、完璧な幾何学模様を描くクリスタルゴールドの粒子へと変化した。
自身の莫大な力を、力づくで抑え込むのではなく、完璧な『情報構造』として制御・支配した瞬間であった。
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「……見事です、シェリィ!」
マーガレットの瞳に、感涙と溢れんばかりの誇らしさが宿る。
「私の想像を遥かに超える精度……。あなたこそ、ヴァルモント公爵家が誇る至高の頭脳ですわ」
マーガレットは愛おしそうにシェリィの頬を撫でると、胸元から一つの品を取り出した。
それは、白銀の精霊銀で細工された、繊細で美しい髪飾り——13年前のあの雪の夜、赤ん坊だったシェリィの産着の胸元に添えられた、あの『約束の品』である。
「これは、私の解析波長が記憶された魔導具……第三の『マスターキー』です」
マーガレットは震える指先で、その髪飾りをシェリィの美しい金髪へそっと挿し込んだ。
「これを持ちなさい、シェリィ。これがあればもう、どんなに複雑な古代魔法も、他国の企みも、あるいはあなた自身の膨大な魔力も……あなたは一瞬で構造を見抜き、支配することができますわ」
髪飾りが触れた瞬間、シェリィの思考回路はさらに澄み渡り、60%の魔力が体の一部として完全に馴染んだ。
「お母様……素晴らしい教えと、あたたかな愛を……本当にありがとうございます」
シェリィが深く頭を下げると、マーガレットは涙ぐみながらシェリィの額に優しく口づけを落とした。
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「さて……私の役目は果たせましたわ。……さあ、いらっしゃいませ、あなた」
マーガレットが振り返り、ドアに向かって呼びかける。
重々しい扉がゆっくりと開かれ、そこに立ち尽くしていたのは——
腕を組み、目頭を真っ赤に染めながら、泣き声を悟られまいと必死に口元を結んでいた大型の男。
「国の最強の剣」と恐れられ、武勲によってヴァルモント王国を支えてきた実の父——ヴァルモント公爵であった。
「……フン、女同士の泣き落としは終わったか」
強がりな声を出すものの、その声は微かに震えている。
「あら、あなただって外でずっと涙を堪えていらっしゃいましたでしょう?」
「む……っ! 余計なことを言うな、マーガレット!」
照れ隠しに顔を背ける父の姿に、シェリィは思わずフッと温かな笑みを漏らした。
武骨で不器用で、誰よりも不器用に娘を愛し続けてきた「最強の父」。
四人目の師との、かけがえのない覚醒の刻が始まろうとしていた。




