第15話:『包み込む慈愛と、巡る光』
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大后陛下の『絶対防御』によって重々しく遮断された、ラードン領主館の一画。
窓の外を吹き荒れる魔族領の禍々しい風も、大気に渦巻く荒々しい原始魔素も、その空間へは一切届かない。まるで時間が止まった神殿のように、静寂と穏やかな光だけが満ちていた。
「……さて。カール皇帝、レオンハルト大公」
大后陛下は気高く背筋を伸ばし、部屋の隅で茫然と立ち尽くしていたガリアの覇者へと静かに向き直った。
「ここからは、我がアスタリアの最高機密に属する療養と儀式執り行います。たとえ同盟国の皇帝陛下であろうと、これ以上の立ち入りは許されません」
拒絶の言葉すら優雅な旋律のように響く。
カール皇帝は、目の前の5人が放つ「世界最高峰の魔力密度」と、ただ一人の少女のために他国の最北端へ降り立った国家そのものの意志に、冷や汗を拭いながら不敵な苦笑を漏らした。
「……相変わらず、規格外にも程がある一族だな。よかろう、邪魔者は退散するとしよう。……だが、無事にその令嬢の目を覚まさせてやってくれ」
カール皇帝は短く首を振ると、護衛を引き連れて静かに部屋を後にした。
レオンハルトは大后陛下へと深く一礼し、絞り出すような声で「シェリィを……よろしくお願いいたします」と言い残し、ドアの外枠の警護を引き受けるべく退室していった。
パタリと重厚な扉が閉じられ、部屋は完全なる密室——アスタリアの至高たる5人と、横たわるシェリィだけの特別な『減圧空間』となった。
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「……ん……っ」
かすかな息吐きとともに、シェリィの長い睫毛が微かに震えた。
重かった瞼をゆっくりと持ち上げると、視界に飛び込んできたのは見慣れぬ天井と、柔らかな黄金色の光。
あれほど彼女の全身を苛んでいた、カミソリで削られるような激痛も、吐き気を催す過負荷も、まるで悪い夢だったかのように消え去っていた。
代わりに全身を包み込んでいたのは、陽だまりの中に揺られているような、どこまでも優しく温かな温もり。
「……あ……わたくしは……」
「シェリィ……! ああ、シェリィ……! 目を覚ましたのですね……!」
気高くもどこか震えた、美しく鈴の鳴るような声。
見上げれば、ベッドの傍らに腰かけ、シェリィの小さく冷ややかな手を両手で包み込んでいる女性の姿があった。
美しい金髪を優雅に結い上げ、王家の気品を全身に纏った女性——アスタリア前王妃、エレノア。
「エレノア様……? なぜ、このような場所に……」
シェリィが驚きに青磁色の瞳を細め、体を起こそうとすると、エレノアは「いけません、まだ動いては」と、そっと優しくその肩を押し戻した。
その動作のなんと愛おしげなことか。
まるで、触れれば壊れてしまう最高級のガラス細工でも扱うかのように、細くしなやかな指先がシェリィの頬に触れる。
「恐ろしい思いをさせましたね、我が愛しい姪……いいえ、私の大切な娘。……ごめんなさいね。もっと早く、あなたの元へ駆けつけてあげたかったのに……!」
エレノア前王妃の目から、溢れ出た涙が水晶のように零れ落ち、シェリィの手の甲を濡らした。
一国を統べる王妃としての完璧な作法と気品を崩さぬまま、しかしその言葉と瞳からは、13年間押し殺し続けてきた溢れんばかりの情愛がボロボロと漏れ出していた。
「エレノア様……涙をお拭きになってくださいませ。王妃様がそのような顔をなさっては……」
「いいのです、シェリィ。今だけは……この部屋の中にいる間だけは、王妃としての仮面など脱ぎ捨てさせてちょうだい」
エレノアはシェリィの手を自身の胸元へ引き寄せ、愛おしそうに頬を寄せる。
「13年前……幼いあなたの体から魔力を封印し、冷たい仮面を被ってあなたを遠ざけねばならなかったあの夜から、私の心はどれほど痛んだことでしょう。無能の烙印を押され、一人で寂しい思いをさせてしまったというのに……あなたはこんなにも気高く、美しく成長して……」
「……エレノア様」
「許さなくていいのですよ。大人たちの勝手な都合で、あなたの幼少期を奪ってしまったのですから。ですが……どうかこれだけは知ってください。私たちは一日たりとも、あなたのことを愛さなかった日などなかったということを……」
王妃としての高貴な言葉遣いの端々に、偽りのない『母性』の熱が満ちている。
その温もりに触れ、シェリィの胸の奥がじんわりと熱く痺れていくのを感じていた。
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「さあ、シェリィ。涙を拭って……これからあなたに、私からの『贈り物』を受け取っていただきますわ」
エレノアは気高く笑みを浮かべると、涙を拭い、優雅にシェリィの前に両手を差し出した。
「13年前に施した封印……その第一の鍵を、今ここであなたにお返しいたします。まずは全体の15%……過負荷によって傷ついたあなたの心身を癒やし、自らの魔力を滑らかに巡らせる『循環と回復の術理』です」
エレノアの手のひらから、透き通った黄金と薄桃色の光が揺らめき立った。
それは、アスタリア王家に代々受け継がれる、至高の回復と調整の波長。
「私の魔力に身を委ねなさい、シェリィ。あなたの体内で暴れる莫大な力を、優しく包み込み、巡らせる方法を教えます」
「……はい、エレノア様」
シェリィは静かに瞳を閉じ、前世のアナリストとしての思考エンジンを静かに駆動させた。
エレノアの手から流れ込んでくる、繊細で滑らかな魔力の波長。
シェリィは持ち前の「構造最適化」を発動し、その波長を『自己修復および降圧制御のプログラミング・ライブラリ』として高速解析していく。
体内で過負荷を起こし、乱雑に散らばっていた自魔力の15%が、エレノアの回復波長と噛み合っていく。
荒れ狂っていた濁流が、まるで整備された用水路を流れる清らかな水のように、滑らかに、静かに、シェリィの全身の魔力回路を巡り始めた。
(……すごい……。魔力を抑え込むのではなく、体内で完璧に『循環』させることで、圧力を相殺している……! これが、王家の循環回路……!)
体内の芯から、冷え切っていた細胞が瑞々しく蘇っていく。
荒れていた呼吸は整い、蒼白だったシェリィの頬に、ポッと上気したような健康的な桜色が戻っていった。
「見事ですわ、シェリィ……!」
エレノアの瞳が、感嘆と誇らしさで輝く。
「私の波長を、これほど一瞬で理解し、ご自身の回路として組み替えてしまうなんて……。あなたは本当に、完璧で、恐ろしいほどに愛らしい天童ですわね」
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回路の再構築が完了した室内には、静かで高貴な黄金の余韻が漂っていた。
エレノア前王妃は胸元から、そっと一つの品を取り出した。
それは、緻密な金工細工が施された、手のひらほどの優美な扇。
13年前のあの雪の夜、赤ん坊だったシェリィの産着に添えられた、あの『約束の品』である。
「これは、私の循環波長を永久に記憶させた魔導具……あなたの第一の『マスターキー』ですわ」
エレノアは、シェリィの手を優しく取り、その小さな手のひらに金細工の扇をそっと握らせた。
「これをお持ちなさい。これがあればもう、あなたの体内でどれほど魔力が膨れ上がろうと、パニックを起こすことはありません。いつでもこの扇の波長が、あなた自身の魔力を優しく巡らせ、自らを癒やしてくれます」
シェリィは握りしめた扇の温もりを感じ、青磁色の瞳を潤ませながら、気高くも深く頭を下げた。
「……エレノア様。温かいお心と、かけがえのないお力……誠に、ありがとうございます」
「お礼などいりませんわ、愛しいシェリィ。……ああ、本当なら、このままあなたを抱きしめて、王宮で幾晩でもお茶会を開きたいくらいですけれど……」
エレノアは名残惜しそうにシェリィの髪を撫で、クスリと気高く微笑んだ。
「次の『先生』が、待ちきれないご様子で外でソワソワしておりますからね」
カツン、カツン、と重厚な足音が廊下に響く。
部屋の扉が静かに開かれ、次に姿を現したのは——重厚な威厳と、甥や姪への温かな情愛を全身から溢れさせた、アスタリア前国王・アーサーであった。
「……エレノア、無事に終わったか」
「ええ、アーサー。私たちのシェリィは、驚くほど見事に第一の鍵を使いこなしてみせましたわ」
エレノア前王妃は誇らしげに胸を張り、シェリィへ優しく目配せを送る。
「さあ、シェリィ。次は王家の『守護』の術理ですわ。……どこまでも気高く、お進みなさい」
「……はい!」
第一の鍵をその手に握りしめたシェリィは、確かな自信と温かな愛を胸に、次なる覚醒への扉を見つめた。




