第10話:三兄弟の矜持と、極秘の打電
ガリア帝国の宮殿、皇帝の執務室。
重々しい空気のなか、ガリア帝国を統べる三兄弟――第8代皇帝カール・グスタフ、長兄である第一軍団長コンラート将軍、そして次兄である補給要塞総督マクシミリアンが揃い踏みしていた。
卓上に置かれているのは、亡命貴族オルロック子爵から持ち込まれた『アスタリア大商会の裏帳簿』と称する密告書である。
「……フン。賄賂、密告、他人を陥れてのし上がる害虫どもか」
カール皇帝は琥珀色の瞳を冷酷に細め、深く鼻を鳴らした。
「余が帝位に就いて以来、このガリアから排除し続けてきた過去の暗黒時代の『膿』が、また蠢き始めたようだな。かつて私腹を肥やし、真面目な臣民を追い詰めていた腐敗の亡者どもと同じ匂いがする」
ガリア帝国はかつて、貴族たちの賄賂や裏工作、不正な横領が横行する暗黒の時代があった。権力者が法を歪め、弱き臣民が虐げられる時代を終わらせたのは、他ならぬカール皇帝であった。彼は即位後に自ら治世を正し、不正を行った者たちを徹底的に摘発・服役させて「臣民が安心して暮らせる清廉な国家」へと叩き直してきた強い自負があるのだ。
長兄コンラートが重々しい口調で言葉を重ねる。
「我が第一軍団も、一端の亡命貴族の密告に踊らされるつもりはない。臣民の生活を支え、ギルドとの信義を守るためにも、安易に兵を動かして商会を脅かすような真似は俺たちの誇りが許さん。……だが、もしアスタリア側に万に一つでも不正があれば、我が国と結んだ協定そのものの信頼が揺らぎかねん。確認は免れぬかと」
「……そうだ。不正は断じて許さん。だが、真面目に商いを行う者を不当に疑うこともまた、余の治世の理念に反する」
カール皇帝の言葉を受け、次兄マクシミリアンが静かに眼鏡の枠を押し上げた。
「ご安心ください、皇帝陛下、コンラート兄上。……実は、支会立ち上げの初日から、私直属の『絶対の忠臣』を一般労働者として1名、すでに潜入させております」
マクシミリアンが潜入させたのは、三兄弟が心から信頼し、その者自身も三兄弟を深く尊敬して忠誠を誓う、ガリア軍最高幹部の極秘諜報員であった。外部の金や脅迫などに決して屈することのない、絶対の審眼を持つ人物である。
「なるほど、お前らしい手抜かりのなさだ」
カール皇帝は口元に不敵な笑みを浮かべた。
「ではマクシミリアン、その『密告があったこと』と『我が方の審議調査』の件、アスタリアのシェリィ・ヴァルモントへ直接打電せよ。ガリア軍最高幹部専用の『最暗号通信』を使え。我が国の足元で蠢く亡命貴族どもを一網打尽にするため……あのお嬢さんに共闘を申し入れるのだ」
◇
その頃――アスタリアの本部執務室。
シェリィ・ヴァルモントは、デスクの上に置かれた『最暗号魔導通信具』からの緊急打電を受け取っていた。
ノイズの向こうから響くのは、ガリア帝国次兄マクシミリアンの冷静で格式高い声。
『――アスタリア代表、シェリィ・ヴァルモント。我が帝国内にて、貴殿の商会を陥れようとする亡命貴族の不審な動きを察知した。密告を逆手に取り、奴らを完全に炙り出し、一網打尽にすべく共闘を申し入れたい』
「……ガリア帝国の最高幹部通信ですわね。マクシミリアン閣下」
通信を終えたシェリィは、静かに碧眼を伏せ、金髪を夜風に揺らした。
その脳裏に去来したのは、前世――世界的なリスクアナリストとして世界中を駆け巡っていた頃の、苦い記憶であった。
(……前世の不正調査の現場で、私は嫌というほど見てきたわ……)
誠実で真面目だった経理担当者が、家族の病の治療費のために目先の金に目が眩み、涙を流しながら帳簿を偽造していた姿。
愛する者の命を人質に取られ、不本意ながら組織を裏切る不正に手を貸さざるを得なかった哀れな人々の姿……。
(人間は、弱いわ。追い詰められ、隙を与えられれば……誰だって間違えてしまう。だからこそ私は、人を疑い罰するのではなく、『誰も不正に追い込まれず、誰も罪を犯さずに済む完璧な仕組み(システム)』を創ると決めたの……!)
シェリィは碧眼に強い決意の光を宿し、通信具に向かって優雅に唇を開いた。
「マクシミリアン閣下。ガリア帝国の清廉なるお心遣い、感謝いたしますわ。……申し入れ、謹んでお受けいたします。我がアスタリアが誇る『絶対に誰も不正ができない完璧な構造』をもって、明日の査察でお答えいたしますわ」
光と影、二つの覇者が手を取り合い、亡命貴族たちの浅はかな企みを打ち砕くための最高の盤面が整ったのだった――。




