迫害された獣人たちと森の工房〜難攻不落の隠れ家を創成する
木漏れ日が降り注ぐ大森林の中を、俺とセレスティアは静かに歩いていた。
足元には柔らかな腐葉土が広がり、名も知らぬ色鮮やかな花々が咲き乱れている。
奈落の底で百日以上も死と隣り合わせの暗闇を過ごしてきた俺たちにとって、この平和な森の空気は、それだけで涙が出そうになるほど尊いものだった。
「湊、見て! あそこに綺麗な青い鳥がいるわ!」
白銀の杖を握りしめたセレスティアが、子供のように目を輝かせてはしゃいでいる。
少し前まで神代の鎖に繋がれ、絶望の底で死を待つだけだった少女の笑顔。それを見ているだけで、俺の心も不思議と穏やかになっていく。
「あんまり走るなよ。まだ体力が完全に戻ってるわけじゃないんだから」
「ふふっ、平気よ。この杖から溢れてくる魔力のおかげで、体が羽みたいに軽いの」
彼女はくるりとスカートを翻して笑った。
だが、その穏やかな時間は、遠くから響いてきた鋭い悲鳴によって唐突に引き裂かれた。
「キャァァァァッ!! やめて、弟には手を出さないでっ!」
「ぎゃははは! いいぞ、もっと泣き叫べ! 獣人のガキは高く売れるんだからよ!」
下品な男たちの笑い声と、木々が薙ぎ倒される音。
俺とセレスティアは顔を見合わせ、即座に声のする方角へと駆け出した。
◆ ◆ ◆
森の開けた場所に辿り着くと、そこには胸糞の悪くなるような光景が広がっていた。
銀色の甲冑に身を包んだ五人の男たち。
その胸元には、俺をゴミのように見下し、奈落へ突き落とした『聖王国』の紋章が刻まれている。
彼らは、狼の耳と尻尾を持つ獣人の少女と、その背中にしがみついて震える幼い弟を、剣を抜いてニヤニヤと取り囲んでいた。
少女の衣服は所々が破れ、足から血を流している。逃げ回る彼らを、狩りの獲物のようにいたぶって楽しんでいたのだろう。
「ほらほら、どうした? 自慢の俊敏さはもう終わりか、汚らしい亜人どもめ」
「隊長、この姉貴の方もなかなか上玉ですよ。奴隷商に引き渡す前に、俺たちで少し『味見』していきましょうぜ」
「違いねえ。聖王国の威光を知らしめてやらねえとな」
下卑た笑いを浮かべる騎士たち。少女は絶望に顔を歪め、弟を庇うようにぎゅっと目を閉じた。
「……相変わらず、クズの煮凝りみたいな国だな」
俺の冷たい声が、森に響いた。
「あァ? なんだ貴様——」
振り返った騎士の隊長が、俺を睨みつける。だが、その視線はすぐに俺の背後に立つセレスティアへと吸い寄せられた。
「お、おお……っ! なんだあの女は……! 王族の姫すら霞むほどの絶世の美女じゃねえか!」
「隊長! あんな極上の女、見たことがありませんぜ!」
騎士たちの目に、醜悪な欲望の色が浮かぶ。
彼らは獣人の姉弟から興味を逸らし、獲物を品定めするように俺たちへと向き直った。
「おい、そこの黒コートの男。その女を置いてさっさと消えろ。俺たちは聖王国の高貴なる騎士だ。大人しく差し出せば、命だけは助けてやるぞ」
剣の切っ先を俺に向け、隊長が傲慢に言い放つ。
俺は漆黒の剣の柄に手をかけながら、冷酷に口角を上げた。
「断る、と言ったら?」
「ならば死ね、平民のゴミがッ!!」
隊長が地面を蹴り、一瞬で距離を詰めてきた。
振り下ろされる、ミスリル製の重厚な長剣。並の人間なら反応すらできずに両断される速度だ。
「危ないっ!」
獣人の少女が悲鳴を上げる。
だが、俺は避けることすらしない。ただ、迫り来る剣の刃に向かって、素手である左手を無造作に伸ばした。
「『分解』」
パァァンッ……!!
俺の指先がミスリルの刃に触れた瞬間。
絶対に折れないはずの強靭な剣が、まるで飴細工のように砕け散り、細かな鉄粉と魔力の残滓へと還元されて空中に霧散した。
「……は?」
隊長が間抜けな声を漏らし、柄だけになった剣を見つめて固まる。
「な、何をした……!? 俺のミスリル剣が……!」
「ただの鉄と魔力の塊だろ。俺にとっては『素材』の分別にすぎない」
俺はそのまま左手を伸ばし、隊長の着ている強固な銀色の甲冑の胸倉を掴んだ。
「ヒッ……!?」
「人のものを奪おうとしたんだ。お前らも奪われる覚悟はできてるよな?」
そのまま甲冑に『分解』の意思を流し込む。
ガシャァァァンッ!!という音と共に、隊長を包んでいた鎧、兜、籠手、その全てが一瞬にして金属のパーツと革紐に解体され、地面にバラバラと崩れ落ちた。
下着一枚の無惨な姿でへたり込む隊長。
「ば、化け物……ッ!! お前ら、何をしている! そいつを殺せ! 魔法で焼き尽くせ!!」
恐怖に顔を引き攣らせた隊長の叫びに、残りの四人の騎士が我に返り、一斉に詠唱を始めた。
「「「炎の精霊よ、灰燼と化す業火となれッ!!」」」
四人の魔力が合わさり、俺たちを飲み込むほどの大文字の炎が放たれる。
「湊!」
セレスティアが杖を構えようとするが、俺は片手でそれを制した。
「炎なんて、熱と酸素の結びつきにすぎない」
俺は迫り来る業火の壁に向かって、指を鳴らした。
パチン、という軽い音と共に『分解』が発動する。
燃焼という現象そのものが強制的に解体され、猛威を振るっていた炎は、俺の数メートル手前で「ただの生温かい風」へと変わり、霧散した。
「なっ……極大魔法が、消えた……!?」
「どんなチートだ……! 逃げろ、こいつは人間じゃねえ!!」
戦意を完全に喪失した騎士たちが、背を向けて逃げ出そうとする。
俺は地面に触れた。
「『創成』」
足元の土と岩が意志を持ったようにうねり、巨大な『石の手』となって地面から飛び出した。
石の手は逃げようとする騎士たちの胴体を正確に鷲掴みにし、空高く吊り上げる。
「ぎゃあああっ!」
「は、離せッ! 骨が砕けるぅっ!!」
「聖王国の騎士なんて、こんなものか。……これ以上、俺の視界を汚すな」
俺は石の手の構造を変化させ、彼らを森の遥か彼方へと全力で『投擲』した。
悲鳴はすぐに森の奥へと消え、二度と戻ってくる気配はなかった。
◆ ◆ ◆
静寂が戻った森の中で、俺は獣人の姉弟へと振り返った。
「怪我はないか?」
「あ、はい……っ。助けていただいて、本当にありがとうございます……!」
狼耳の少女が、弟を抱きしめたまま深く頭を下げる。
セレスティアが近寄り、優しく彼女の足の傷に杖を向けた。淡い光が傷を包み、あっという間に塞いでいく。
「すごい……痛くない。聖女様、ですか……?」
「ふふっ、ただの通りすがりの迷子よ」
セレスティアが微笑むと、緊張していた姉弟の顔にもようやく安堵の色が浮かんだ。
少女はリリア、弟はルンと名乗った。
彼らの集落は数日前に王国軍の襲撃を受け、焼き払われたらしい。王国は今、異世界から来た『勇者』たちの力を背景に、亜人たちを奴隷として狩り集めているという。
「……堂島たちの仕業か」
あいつらが力を手に入れてから、この世界の理不尽は加速しているようだ。
「リリア。お前たち、これからどうするつもりだ? 集落がないなら、また奴らに狙われるぞ」
「わかりません……。でも、森の奥へ逃げるしか……」
俯くリリアを見て、俺は周囲の開けた土地を見渡した。
「なら、ここに住めばいい。俺たちも、これから拠点を作ろうと思っていたところだ」
「え……拠点、ですか?」
きょとんとするリリアたちをよそに、俺は両手を大地に突き立てた。
俺の頭の中にあるのは、かつてブラック企業で見た「理想のオフィスビル」……ではなく、ファンタジー世界における『絶対防衛の巨大工房』の設計図だ。
先ほど分解した騎士たちの武具の金属。
森の木々。そして、足元の強固な岩盤。
これら全てを素材として、一気に再構築する。
「『創成』——万象工房」
ゴゴゴゴゴゴォォォォォォォォッ!!!
大地が鳴動し、森の木々が光を放ちながら形を変えていく。
リリアたちが腰を抜かして見上げる中、何もない空き地に、巨大な白い石壁がせり出してきた。
それはただの家ではない。
頑強な城壁に囲まれ、中央には居住区と巨大な工房を備えた、白亜の美しい要塞だった。
さらに、要塞の周囲の魔力を『調律』し、外部からはただの森にしか見えない『不可視の結界』を創り出す。
ものの数十秒。
神の奇跡としか呼べない光景を前に、獣人の姉弟は声も出せずに震えていた。
「……よし、完成だ。水回りも魔力で自動化しておいたから、快適に過ごせるはずだぞ」
俺が額の汗を拭うと、セレスティアが呆れたような、けれど誇らしげな笑顔で歩み寄ってきた。
「湊……あなた、本当に何でも作っちゃうのね。お城が一瞬で建つなんて、おとぎ話でも聞いたことないわ」
「俺の【労働】の成果さ。……リリア、ルン。ここで俺たちの手伝いをしてくれるなら、三食昼寝付きで、絶対に安全な暮らしを保証する。どうだ?」
俺が手を差し伸べると、リリアはポロポロと涙をこぼし、俺の手に縋り付いた。
「はい……っ! なんでもします! 湊様、一生ついていきます……!!」
こうして、俺の復讐のための前線基地『万象工房』が誕生した。
ここから、世界を狂わせている連中への、徹底的な反逆が始まる。




