凍てつく心と正妻の熱情〜絶対零度を打ち破る至高の『剣』の創成
地下都市の安全を確保した俺たちは、ついに凍結した海の中央にそびえ立つ、巨大な『氷の城』へと足を踏み入れた。
水晶のように透き通る城の最深部。
玉座の間と呼ぶべき広大な氷のドームの中央に、第六の魔王【絶氷の海王】は静かに佇んでいた。
それは、透き通るような氷の肌と、冷酷なまでに美しい美貌を持つ、人魚と精霊を掛け合わせたような姿の女王だった。
「……五月蝿い熱が来たと思えば、矮小な人間と竜の小娘、それに裏切り者の星の意志か」
海王の唇が動いた瞬間、空気が凍りつき、ダイヤモンドダストが舞い散る。
「私を倒しに来たのだな。……愚かな熱よ、永遠の静寂に沈むがいい」
海王が指先を軽く振るった。
それだけで、玉座の間の空間そのものが『凍結』し、目に見えない絶対零度の波が俺たちに襲いかかった。
「旦那様、ここは私に任せろ! 竜王の炎で一気に——ッ!?」
前に出ようとしたフレアの動きが、空中でピタリと止まった。
彼女の口から放たれようとしていた紅蓮の炎が、発火する前に魔力ごと凍りつき、彼女自身も氷の彫像のように動きを封じられてしまったのだ。
「フレア!?」
「無駄だ。私の『絶対零度』は、物理的な温度だけではない。魔力の流動、思考の伝達、時間の進行……その全てを分子レベルで強制停止させる。お前たちの着ているその防寒具も、いずれ内側から凍りつく」
海王の冷酷な声が響く。
俺は星鋼の剣を構え、海王との距離を一気に詰めた。
「なら、凍らされる前に解体するまでだ! 『分解』ッ!!」
俺の掌から放たれた万象を塵に還す光が、海王の美しい氷の肉体に直撃する。
だが。
「……なに!?」
俺の『分解』の魔力が、海王の表面をツルリと滑り落ち、明後日の方向へと反射された。
そして、海王の身体を構成する氷の肉体が、まるで液体のようにグニャリと形を変え、摩擦ゼロで俺の剣をすり抜けたのだ。
「超流動……だと!?」
現代物理学からすると異常現象。極低温下において、液体が粘性を完全に失い、摩擦ゼロであらゆる隙間に浸透する状態。
海王の肉体は、絶対零度でありながら流動性を保つ『超流動体』だったのだ。
物理攻撃は摩擦ゼロですり抜けられ、魔法は対象に定着する前に凍結・反射される。
「遅い。そして、脆い」
俺の背後に回り込んだ海王が、俺の背中に氷の刃を突き立てた。
ガァァァァンッ!!
『絶対恒温の竜衣』が弾き返すが、その接触面から強烈な冷気がスーツの真空層を突破して侵食してくる。
「がっ……! くそぉッ!!」
俺は距離を取ろうとするが、超流動体である海王の動きは俺の認識を完全に上回っていた。
前後左右、あらゆる方向から摩擦ゼロの氷刃が降り注ぐ。
防戦一方となり、俺は広大な氷のドームの中をただ逃げ惑うことしかできなくなった。
「逃げてどうなる? お前の創るという力も、対象に触れられなければ意味がない」
海王が冷酷に腕を振るうと、玉座の間の床から無数の氷の柱がせり出し、俺の退路を完全に塞いだ。
そして、俺の周囲の空間そのものが、巨大な『絶対零度の檻』となって俺を閉じ込めた。
ピキピキピキッ……!!
竜衣の保温システムが限界を迎え、警報音を鳴らす。
手足の感覚が消え、視界が白く霞んでいく。俺の体内の魔力回路すらも、冷気によって動きを止められようとしていた。
(……駄目だ。触れられない。創成の魔力も出せない)
圧倒的な力の差。手も足も出ない理不尽なまでの絶望。
かつて、元の世界で理不尽な納期とパワハラに押し潰されそうになった時の、どす黒い記憶がフラッシュバックする。
『お前なんて代わりがいくらでもいるんだよ。無能な底辺が』
(そうか……俺は所詮、ただの労働者なんだ。どんなにチートな力を手に入れても、根本の器が、こんな理不尽な厄災に届くはずが……)
氷の檻の中で、俺の心がポッキリと折れかけた、その時だった。
「——下を向かないで、湊ォォォォォッ!!!」
氷のドームに、悲痛で、だが魂を揺さぶるような凛とした声が響き渡った。
「セレスティア……!?」
見れば、氷の檻の外から、セレスティアが素手で分厚い氷の壁を叩いていた。
絶対零度の氷に素手で触れればどうなるか。彼女の白い肌がみるみるうちに凍傷で黒く変色し、血が滲んでいる。
それでも彼女は、痛みに顔を歪めながらも、両手で氷の壁を溶かそうと、必死に自らの魔力と体温を注ぎ込み続けていた。
「やめろ……! 手が壊れるぞ、セレスティア!」
「嫌よ! あなたが諦めようとしているのに、私が見ているだけなんて絶対に嫌!」
彼女の瞳から溢れた涙が、氷の壁に落ちて温かい光を放つ。
海王が鬱陶しそうにセレスティアへ氷の槍を放つが、その槍は彼女から溢れ出す星の魔力によって空中で弾き飛ばされた。
「あなたは……あなたは底辺なんかじゃないわ! 私を暗闇から救い出してくれた、みんなの悲しみを解体して笑顔を創ってくれる……私の、世界一の旦那様なんだから!!」
ガンッ!!と、セレスティアが血まみれの拳で氷の檻を叩き割った。
わずかに開いた隙間から、彼女が俺の胸に飛び込んでくる。
冷え切っていた俺の体に、彼女の温かい体温と、星の意志としての莫大な魔力が流れ込んできた。
「だから立って、湊! 世界がどれだけあなたを理不尽に否定しても、私が……私だけは、あなたの全てを全肯定するわ!!」
俺を見上げる彼女の青い瞳には、一切の迷いも疑いもなかった。
ただ純粋な、俺への絶対的な信頼と、深い愛情。
その熱い言葉と温もりが、俺の凍りついていた心と魔力回路を、一瞬にしてドロドロに溶かしていった。
「……っ。ああ、そうだな。俺は、お前の旦那様だったな」
俺はセレスティアの傷だらけの両手を優しく握りしめ、ゆっくりと立ち上がった。
(俺は労働者だ。現場がどれだけ理不尽でも、道具がなければ……自分で創って解決してきたじゃないか!)
俺の目に、再び万象の造物主としての圧倒的な光が宿る。
「超流動体ですり抜けるなら、すり抜けられない状態にすればいい。魔力が凍るなら、凍る隙を与えないほどの『超高温』と『振動』を剣の内部に閉じ込めればいい」
俺は空間収納庫から、大量の星鋼と高純度の魔石を取り出した。
そして、セレスティアから流れ込んでくる星の魔力と融合させ、俺の頭の中にある現代科学の極致をこの世界の理に書き落とす。
「超音波による水中の真空気泡の圧壊。その際に生じる数千度の局所的な超高温発光現象。そして、磁場によって数万度の太陽の熱を閉じ込めるプラズマ技術……!」
それら全てを、一本の剣に練り上げる。
「俺の持てる全ての知恵と魔力を以て、お前の理不尽を解体する!」
俺は両手を合わせ、圧縮した魔力を爆発させた。
「『創成』——【星鋼超高周波プラズマ振動剣】ッ!!!」
眩い光と共に俺の手に握られたのは、刀身が存在せず、代わりに数万度に達する『超高圧縮プラズマの刃』が超音波で振動している、光り輝くエネルギーの剣だった。
「なんだ、その異常な熱量は……!? 私の絶対零度の空間で、そのような熱が維持できるはずが——」
「俺を凍らせたつもりだったな、海王」
俺はセレスティアを背後に庇い、氷の檻を内側からプラズマの刃で一閃した。
音もなく、絶対零度の檻が蒸発し、玉座の間を包んでいた極寒の空気が一気に常温へと引き上げられる。
「今度はこっちの番だ。その摩擦ゼロの体、丸ごと沸騰させてやる!」
俺は大地を蹴り、海王の懐へと一瞬で肉薄した。
「遅い! その熱の刃も、私の超流動の前にはすり抜けるだけだ!」
海王が余裕の表情で俺の斬撃を受け流そうと、体を液状に変化させる。
だが。
ブォォォォォォォォンッ!!!
プラズマの刃が海王の超流動の体に触れた瞬間。
超音波振動によって海王の体内に無数の「真空の泡」が強制的に発生し、それが超高温のプラズマと反応して内部で一気に圧壊・爆発したのだ。
「——ァ、アァァァァァァァァァッッ!?!?!?」
摩擦ゼロですり抜ける隙すら与えない、内側からの超高温の爆発。
海王の絶対零度の肉体が、凄まじい悲鳴と共にドロドロに溶け、水蒸気となって吹き飛んでいく。
「ば、馬鹿な……私の絶氷が、破られるなど……っ!」
「お前が世界を凍らせるなら、俺はそれに抗う熱を創る。それが俺の『労働』だ」
俺は剣を上段に構え、俺を信じてくれた正妻の想いを全て刀身に乗せた。
「消え去れ、厄災ッ!!」
振り下ろされたプラズマの一閃が、海王の核である氷の心臓を完全に両断した。
ピキィィィィンッ……!!
甲高い音を立てて、第六の魔王【絶氷の海王】の体が光の粒子となって砕け散り、玉座の間を満たしていた冷気が嘘のように霧散していった。
静寂が戻った氷の城。
「……湊っ!」
背後から、セレスティアが駆け寄ってきて俺の背中に強く抱きついた。
「勝ったのね……! あなた、本当に海王を倒したのよ!」
「ああ。……俺の折れかけた心を引っ張り上げてくれたおかげだ。ありがとう、セレスティア」
俺は振り返り、凍傷でボロボロになった彼女の手を優しく握った。
そして『分解』と『創成』の力で、彼女の美しい手を元の傷一つない白魚のような肌へと再構築する。
「私、信じてたもの。湊なら絶対にやってくれるって」
涙ぐみながら満面の笑みを向けてくる彼女を、俺は力強く抱きしめ返した。
「オ、オホンッ! ……旦那様、私というものがありながら、随分と熱い抱擁を見せつけてくれるじゃないか」
いつの間にか氷の拘束から解放されたフレアが、顔を赤くしてプイッとそっぽを向きながら歩み寄ってきた。
「フレア、無事だったか」
「ふん、この程度の氷、私の竜の熱気でいずれは溶かしてみせたさ! だが……まあ、旦那様が勝てたのは、その……そこの白髪女の言葉があったから、というのは少しだけ認めてやろう」
フレアが悔しそうにセレスティアから視線を逸らすと、セレスティアは勝ち誇ったように俺の腕にさらに強く抱きついた。
「当然よ。私は湊の正妻だもの。夫の窮地を救うのは妻の役目よ」
騒がしくも、愛おしい日常の空気が戻ってくる。
俺たちは互いの無事を喜び合い、氷の城を後にして、生存者たちの待つ前線基地へと帰還の途についた。
海王の討伐により、南の海を覆っていた氷は急速に溶け始め、遠からずかつての美しい大海原が戻ってくるだろう。
二体の魔王を退け、俺たちの絆はより強固なものとなった。
だが、歴史の陰で暗躍する魔王と、未知の存在に、俺たちはまだ気づいていなかった。




