絶望の底での邂逅〜生存確率ゼロの奈落で、神代の鎖に縛られた美少女を『採掘』する
風が耳をつんざく。
漆黒の闇の中、俺の体は重力に引かれるまま、底なしの縦穴を落下していた。
(このまま落ちれば、間違いなく肉塊だ……っ!)
パニックになりそうな思考を、無理やり押さえつける。
過去、理不尽な納期と終わりの見えない徹夜作業の中で培った「思考を止めない」癖が、極限状態の今、俺の命を繋ぎ止めていた。
眼下に、微かな水音と湿気を感じる。地底湖か、川か。
しかし、この高度から水面に激突すれば、コンクリートに叩きつけられるのと何ら変わりはない。即死だ。
俺は暗闇の中で目を見開き、自身の持つ唯一の力——【労働者】の初期スキルに意識を集中した。
「【土木】……いや、違う。——【運搬】だッ!」
本来は重い資材を運びやすくするための底辺スキル。
俺は自分自身の身体を『運搬する荷物』と定義し、空中で無理やり落下軌道をねじ曲げた。
壁面に向かって斜めに滑り落ちるようにベクトルをずらす。
背中が岩壁に激突し、そこに生えていた巨大な苔や菌糸のクッションを削りながら、落下の勢いを殺していく。
「がっ、あぁぁぁっ!」
全身の骨が軋む激痛。
最後に、氷のように冷たい水面へと斜めに叩きつけられた。
◆ ◆ ◆
「はぁっ、はぁっ……!」
泥水の中から這い上がり、俺は湿った岩場に倒れ込んだ。
肋骨が数本折れているかもしれない。全身が血と泥に塗れ、息をするだけで肺が焼けるように痛む。
しかし、生きている。あの高さから落とされて、即死を免れた。
『グルルルゥゥゥ……』
安堵したのも束の間。
遠くの暗闇から、大地を震わせるような獣の咆哮が響いた。
その声だけで、全身の毛穴が粟立ち、本能が「ここには居てはいけない」と警鐘を鳴らす。
俺は痛む体を引きずり、【土木Lv1】のスキルを発動した。
岩壁の土を掘り崩し、人間一人が辛うじて入れる程度の小さな横穴を作る。その中に身を隠し、泥で蓋をして息を潜めた。
直後。俺のすぐ外側を、巨大な多脚の魔物が地響きを立てて通り過ぎていった。
隙間から見えたその姿は、俺の知るどんな生物よりも悍ましく、巨大だった。
(……戦えるわけがない。俺の今の力じゃ、スライム一匹すら殺せない)
これが『忘却の奈落』。
王族や勇者たちですら近づかない、この世界で最も危険な魔物の巣窟。
だが、ここでじっとしていても餓死するか、魔物に見つかって喰われるかの二択だ。
魔物の気配が完全に遠ざかったのを見計らい、俺は横穴から這い出した。
暗闇の奥、微かに青白い光が漏れ出ている方向がある。
俺は壁伝いに、足音を殺しながらその光へと向かって歩き出した。
◆ ◆ ◆
数時間後。
辿り着いたのは、地底にあるとは思えないほど広大な、ドーム状の巨大空間だった。
足元には、見たこともない複雑で巨大な魔法陣が刻まれている。
そして、その空間の中央。
「……嘘だろ」
俺は息を呑んだ。
そこには、一人の少女が倒れ伏していた。
透き通るような長い銀色の髪。ボロボロになった純白のドレス。
血と泥と瘴気に塗れたこの奈落には、到底似つかわしくない、人間離れした美しさを持つ少女だった。
だが、異様なのは彼女の姿ではない。
少女の細い両手足、そして首輪。
それらは、神々しいほどに鈍く発光する『極太の鎖』によって、大地の底へと縫い付けられていたのだ。
足音に気づいたのか、少女がゆっくりと顔を上げた。
宝石のように青い瞳が、俺を捉える。
「……にん、げん……?」
ひび割れた、しかし鈴を転がすような声だった。
彼女は信じられないものを見るように目を丸くし、そしてすぐに悲痛な顔で首を振った。
「どうして、こんな所に……お願い、早く逃げて。もうすぐ『奈落の番竜』が戻ってくる。あなたのような弱い人間なら、一息で灰にされてしまうわ」
「逃げろと言われても、帰る道なんてないさ。上から突き落とされたからな」
俺は痛む腹を押さえながら、少女に近づいた。
彼女から放たれるのは、圧倒的な魔力と、それ以上に深い絶望の気配だった。
「俺は結城湊。お前は……なぜ、こんな所に繋がれている?」
「私はセレスティア……。かつて、この星の理を守護していた一族の末裔。上の王国の人間たちに騙され、この鎖で大地に縛り付けられているの。私の魔力を吸い上げ、あの国の勇者たちを強化するための……生きた苗床として」
セレスティア。そう名乗った少女の言葉に、俺の脳裏で点と点が繋がった。
(魔力抽出の素材。堂島たちが異常な力を持っていた理由。……そういうことか)
いじめっ子たちが異世界で無双し、英雄として持て囃されている裏で。
この薄暗い奈落の底で、一人の少女が何年も、魔力を搾取され続ける生き地獄を味わわされていたのだ。
怒りが、肚の底から湧き上がってくる。
理不尽な暴力で俺を突き落とした連中。他人の犠牲の上に胡坐をかき、自分を特別な存在だと勘違いしているクズども。
「この鎖を壊せば、お前は自由になれるのか?」
俺の問いに、セレスティアは力なく微笑んだ。
「ありがとう、優しい人。でも……無駄よ。これは『神代の鎖』。神話の時代に作られた、決して破壊できない概念の金属。どんな魔法でも、どんな伝説の武器でも、傷一つ付けることはできないわ」
決して破壊できない。
俺は少女を縛る光る鎖を見下ろし、そして、ステータス画面を開いた。
俺の職業は【労働者】。
そして俺の持つスキルの中に、対象を削り取るためのスキルがある。
俺は鎖に触れ、【採掘Lv1】を発動してみた。
――『対象:神代の呪縛鎖。現在のレベルでは採掘不可能です』
脳内にそんな感覚がフィードバックされる。
だが、俺は不敵に笑った。
(『不可能』……なるほど。だが、『対象外』ではないんだな)
俺は周囲を見渡し、足元に落ちていた、先が鋭く尖った硬い鉱石を拾い上げた。
そして、セレスティアの腕を縛る鎖に向かって、その鉱石を力一杯叩きつけた。
ガァァンッ!!
火花が散り、強烈な反動で俺の手から血が吹き出した。
鎖には傷一つ、かすり傷すらついていない。
「湊……? 何を……?」
俺は血に塗れた手で再び鉱石を握り直し、鎖に向かって振り下ろす。
ガァァンッ!!
「やめて! 手が壊れてしまうわ!」
「俺は……絶対に諦めない。俺をコケにした連中を、絶対に許さない。そのためには力が必要だ」
ガァァンッ!!
「この絶対に壊れない神話を削り切った時……俺の『労働』は、途轍もない対価を生むはずだ。だから、お前はそこで見ていろ」
俺は狂ったように、鎖を叩き続けた。
これは、終わりなき労働の始まり。
ブラック企業での徹夜作業など生温い。血を流し、骨を削り、泥水をすすりながら、ただひたすらに神代の物質にピッケル代わりの石を叩きつける。
何日かかるか分からない。何ヶ月かかるか分からない。
だが、異常なまでの執念と忍耐力だけが、俺の唯一の武器だった。
(削り切ってやる。この理不尽な鎖も……俺たちを底辺に追いやった狂った世界も、全て!)
漆黒の奈落の底で、俺と少女の、反逆のための過酷な『労働』が幕を開けた。




