番外編:とある週末の戦英プロ〜タカラとベルシィの場合②〜
side イラズ・クロミネ
『素晴らしき子供たち計画』。
ガロム正規軍の裏側にベッタリと貼り付いていた裏組織『闇市』で行われていたプロジェクト。
その要点を簡単に説明するなら『500人の子供をスキル因子の培養機として使い捨てにする戦力の濃縮実験』だ。
三年前。
グラム将軍が、どんなルートを使ったのか『研究施設』という組織から取り込んだ『スキル因子の移植』という技術。
それを用いて、孤児や犯罪者から子供を500人集め、それぞれに『闇市』がどうやってか……まあ、絶対に同意の上での譲渡ではないのは確実だろうが、軍が捕まえた犯罪者や『悪徳権』被害者やらの哀れな大人たちから搾り取られたであろうスキル因子を植え付け、エリート兵士になるための教育を施すプロジェクト。
そして、それは単なるエリート教育に収まらず……それぞれが与えられたスキル因子を武器として骨肉の生存競争を、醜悪な蹴落とし合いとスキル争奪戦を繰り広げることを前提としたカリキュラムと環境を与えられたプロジェクト。
その競争の中で使われ、鍛えられ、濃縮されたスキル因子が最大限に活性化され、転生者の能力にも匹敵する特殊技能を開花させる……その点に関してだけは、ほぼほぼ成功と言っていい成果を上げた人体実験。
何故、その実験台が『子供』でなければならなかったのか……端的に言えば、それは『より若い方がスキル因子がよく馴染む』というだけだ。
大人はスキル因子を移植されても、元の持ち主がやったことのある動きやスキルの使い方を『丸写し』でしか使うことができず、移植されたスキルを鍛えようとしても自前の技術よりも上達が遅い。
逆に、子供なら若ければ若いほど……その気になれば生まれたばかりの赤ん坊にだろうとスキル因子は移植可能で、そのスキルは子供の成長性に合わせてそのまま熟練できる。
……だから、あの計画では実験的な意味も含めて、最低限のスキル因子を与えれば兵士としての命令の理解や本格的な訓練が可能なギリギリの年齢までの子供が集められていた。
そして、その最年少が当時八歳か九歳だった俺。
その次に若かったのが、一つ歳上だった女……今のベルシィだ。
そんな位置にいた俺とベルシィとの関係は、ある意味必然のようなものだった。
いくらスキル因子が馴染みやすいと言っても、それ以外の肉体や精神は全く出来上がっていないチビガキ。
同じ子供と言っても上の方は十代後半の連中も少なくはなくて、むしろ俺たちは『こんなチビガキでもスキル因子さえ入れておけばなんとか訓練についていけるんじゃないか?』みたいな実験枠で当然ながら少数派。
当然ながら落ちこぼれて、それでもなんとか訓練についていこうと歳の近い最年少組同士で組むことが多くなった。
……本当に、最初は『それだけ』だった。
最初の頃はまだ、計画は健全な建前を保っていた。
『身寄りのない子供たちを集めて厳しい訓練を積ませ、未来のエリート兵士に育て上げる』。
そんな、子供でも理解できるくらいにわかりやすい立身出世のチャンス。
仮にも文字通りの正規軍であるはずの『ガロム正規軍』が主導する、後ろ暗いものなんてきっとないと信じられていた建前。
スキル因子の移植には驚いたが、それも軍の最新技術だと言われれば信じるしかない……特殊な力なんてなにもなかった子供からすれば、自分が特別な何かになれたような気がするような奇跡。
その奇跡と、どうせ他に行ける場所も逃げ帰る場所もないという現実が俺たちに道を示していた。
子供に対して行われるには異常に厳しい軍事訓練も『これを乗り越えればエリート軍人として居場所と仕事が手に入る』と信じて耐えられた。
その中で落ちこぼれても、まだ『また身寄りを失うかもしれない』くらいの不安で、落ちこぼれ同士身を寄せ合えば脱落するのもきっと一緒、脱落したとしてもそれまでの苦楽を共にした『仲間』がいれば孤独にはならないと思ってなんとか眠ることができた。
……そんな考えが甘かったことを知ったのは、訓練の中で初めて『死人』が出た日。
それぞれが本来自分のものではないスキル因子を移植された計画参加者、厳しい訓練の中で馴染んだスキル因子が活性化され始めて、その力や動きが本人のイメージしていた挙動を越えることは時折あった。
その時はまだ、誰にも殺意なんてなかっただろうと思う。
ただ、そのスキル因子の元の持ち主が技に生き死にを左右される戦場を経験した冒険者か何かだったのか……それなりに激しめの戦闘訓練くらいのはずだった模擬戦の最中、条件反射が暴発して、その暴発を起こしたやつの相手は急所を強く打たれて死んだ。
……今でも、あの時の空気を憶えている。
その瞬間は見ていなかった、注目されるような派手な試合でもなければ言い争いからの取っ組み合いや喧嘩に発展したわけでもない、俺たちにとっては日常になりつつあった訓練の時間。
なのに急に空気がおかしくなって、ざわめきが広がって、何事かと集まった野次馬の中心に誰も足を踏み入れない円が自然とできていて……
その時は、ごく普通に『訓練中の事故』だと認識した。
同じ施設で生活を共にしていた顔見知りの一人が頭から血を流していて、そいつがよく組んでいた同い年のやつが慌てながら声をかけていて、同じグループの中心ポジションだった『委員長』なんてあだ名の女が珍しく慌てながら医療系のスキル因子を持ってるやつを別のグループから連れてこようと訓練所の外へ行こうとしていて。
さすがに、死んでいるとは思わなかった。
もしかしたら、実際その時はまだ死んではいなかったのかもしれない。
きっと、今日の訓練は中止されて、あいつは治療を受けるために運ばれていくんだろうな……順当に、そう思っていた。
だが……
『訓練を続けろ』
……その時は、その時の俺たちのグループを監督していた教官が、そいつだけが異常なのだと思っていた。
あまりにも融通が利かないだけ、事態の重大さを正しく認識していないだけ……そのせいで処置が遅れてしまっただけ。
その日は、いつも組んでいた相方を自分の手で帰らぬ人にしてしまったことで悲嘆に暮れるあいつを不幸な事故だったのだと皆で慰めて、全てはあの教官のせいだと不満を募らせて、あんなやつは罰を受けるはずだと、いくらスキル因子があっても子供の俺たちが実行に移すにはさすがにリスクの高い復讐の願望を皆で抑え込んで。
……その翌日、死んだあいつのスキル因子の『再配分』が告げられた。
成績上位者から優先的にスキル因子を選ぶことができる。
今後は、殺傷許可のない通常訓練中は他の参加者の殺害は基本的に禁止として、発覚した場合は成績の評価に下方修正が加えられる。
……その説明が、俺たちの『殺し合い』と、それによる『スキル因子の奪い合い』を前提としたプロジェクトの正体が顔を出した瞬間だった。
それまでは、落ちこぼれても最悪『計画からの脱落』で済むと思っていた。
だが、本当の最悪は『人生からの脱落』だった。
定期的に教官が堂々と『殺し合い』の許容が宣言される軍事教育というデスゲームの開幕。
さらに『最終的な生存枠』の存在を暗示するルールや、成績による露骨な生活レベルの差別化、グループ同士の対立や本格的に過ぎる軍事演習による命の危険を伴う『事故』の恐怖。
計画参加者同士の疑心暗鬼と競争の激化……生存のための協力や訓練外の策謀による盤外戦術が始まるのにそう時間はかからなかった。
そうして、かつては同じグループというだけで信じられていた連中すら信じられなくなった時、俺が最後に信じられたのは同じ『落ちこぼれ仲間』だったアイツ。
アイツは……計画の正体が『殺し合い』だとわかってから、急激に強くなった。
計画に参加する前の出来事から頭のリミッターが外れやすい体質になっていたアイツは、コンディションに波はあったが、トップの時は倍近い年齢のやつですら殴り倒せるほどの力を発揮した。
だから……俺は、アイツを利用した。
元々、運動に自信がなかった俺のスキル因子は頭脳労働に向いたものに寄っていて、逆にアイツは肉体的なスキル因子を多く集めていた。
元々、最年少の落ちこぼれ組。
素の肉体も精神も出来上がっていない以上、勝負できるのはスキル因子の適合性を活かした特化編成のビルドだけ……二人でどうにか訓練や課題をクリアするために方向性が真逆の因子を集めていたのも半ば意図した役割分担だったが、環境の過酷化はその関係性を先に進めさせた。
俺は、分析と研究。
アイツは、偵察と戦闘。
……『役割分担』と言えば聞こえはいいが、俺は危険な部分を全部アイツに押し付けて、指令塔を気取って前線から離れるムーブを自然にした。
スキル因子から得た知識と分析力でアイツのコンディションの調節法を見つけ、アイツをいくらでも無理ができる『狂戦士』にして、それをチームワークだなんてのたまい『秘策士』なんてコードネームを得た。
そうして、スキル因子の適合性の優位を最大限に使って、落ちこぼれからトップ層へと成績を上げ、自分たちに必要なスキル因子を集められるようになって……
俺だけが、『卒業』した。
誰よりも先にプロジェクトから脱出して、アイツを勝手に置き去りにして軍の研究所という安全地帯に転がり込んだ。
……ビルドの違いだ。
どうやっても正規勇者には届かない程度の『強い兵士』はアイツじゃなくてもスキル因子の移植で造ろうと思えばいつでも造れる。
だが、特殊技能が開花した俺の『研究者』としての能力は軍で進めていた別のプロジェクトのブレイクスルーに必要とされ、スキル因子の適合性と計画参加者としての環境活性の兼ね合いもあって代わりが効かないものだった。
……それだけだ。
俺は、目の前の状況を乗り切るためだけにその場その場ですぐに強くなれるだけのスキル因子を無計画に求めたりせず、研究者としてのビルドを組んで、見事にナンバーワンじゃなくオンリーワンの価値を自分に付与して、軍への売り込みに成功した。
そして、そのビルドを実現するために、無駄スキルを付けなくていいように、無駄なリスクを冒さなくていいように、勝手に俺への仲間意識を持っていたアイツを利用して、盾にして、危険を肩代わりさせて……用が済んだら使い捨てた。
だから、正直に言って今こうして戦英プロで『同僚』になっちまってるのは気まずい以外の感想なんてないし、アイツが……ベルシィが今朝みたいに絡んで来るのは、アイツがまだ何か勘違いしてるんだろうと思う。
だが、研究特化ビルドで戦闘力に乏しい俺としては今でもバリバリ前線張ってる戦闘職のアイツに今更になって復讐とかされても困るから勘違いされてるならそのまま勘違いさせておきたいってのが本音だ。
今朝みたいにあっちから来たなら仕方ないが、積極的に自分からの能動的なコミュニケーションなんて取りたくもない。
ティーンズとしての仕事の話はもう仕方がないと割り切ってるが、学校で世間話とかそういうのは無理だ。
……まあ、滅多に『Cクラス』に行かないのはそうやってベルシィに会いたくないってだけじゃなくて、そもそもあの計画のせいで学び舎的な場所に入ること自体まだかなり抵抗感があるってのが大きいが。
むしろ、あれだけのことがあっても普通に学校に通おうと思えるベルミュジがおかしいだろ。
……まあ、それはいい。
昔から自己暗示が得意なベルシィはともかく、ミュジカはミュジカであの計画に参加して生活レベルが上がったからあんまり辛いとは思わなかったとか言ってる変人だ。
形はどうあれ、あの計画の『生き残り』になったあいつらはそれだけ心に強い部分があったってことだろう……途中で逃げた俺と違って。
まあ、そんなこんなで、だ。
今の俺は一応Cクラスには籍を置いてはいるが、ルビア博士の研究所の住み込み研究員として生活している。
俺の特殊技能はこの研究所でもそれなりに重宝されていて、実験結果の分析なんかで忙しい時にはそれなりに忙しいが、今日の午後はルビア博士と社長が両方別件のために外出する関係で俺の仕事も午前までだ。
俺も一応は保護観察中みたいなものではあるし、責任者がいない時に勝手に実験を進めるわけにはいかないから今日は大掛かりな実験はできないし、仕事といえば簡単なデータ整理くらい。
仮にも研究特化のスキル因子を詰め込まれた改造人間とも言える俺にとっては雑用みたいなもので、時間はかからなかった。
まだ昼まではいくらか時間はあるといった辺りで、めぼしい仕事はほぼ終わり。
とりあえず、残り時間はゼットネイバーの演算実験ついでに前回の戦闘データを踏まえたゴーレムのプログラム調整にでも使うか。
……そんなことを考えながら、区切りがいいところで早めに迎えた休憩時間。
「あら、タカラさん。会議の前に少し勉強をと思って休憩室を使っていたんですけど……タイミングが被っちゃいましたか」
改造人間の俺よりも手際がいいのか、要領がいいのか、あるいは準備が良かったのか。
休憩室で、俺よりも早くに自分の仕事を済ませていたらしく、余裕の態度でいつもの流動食のボトルを傾けながら本を読んでいる社長がいた。
……ちなみに、読んでいる本のタイトルは『赤ちゃんの育て方"0ヶ月〜6ヶ月"編』。
表紙を見る限り、ネタとかじゃなくてガチの母親入門用教材だ。
「いや、『娘』が全員十代スタートのアンタにはいらない知識だろそれ……」
「そうですか? たとえば社員の誰かが知らない内に子宝に恵まれていたり……とかもあり得るかもしれませんし、一応予習くらいはしておいて損はないかと」
「『子宝に恵まれる』って言い方だと良いことっぽくも聞こえるが、それ本当にあったら大分ヤバい事案だろ。仮にも更生施設にあるまじき風紀の乱れだとか、不純異性交遊だとか……いや、この街だと『異性』とは限らないのかもしれないけど」
本当に、なんでいきなりそんな本を読もうと思ったのか。
研究者としての付き合いはそれなりに長くなって来たからこそ断言できるが、この『社長サマ』は狂信者……その称号に違わずかなりの変人ではあるが、無駄に奇行に走るようなタイプじゃない。
知識だって、変に博識振るよりも自分は浅学だと公言する方が新しい知識を教えてもらいやすいと言うのを躊躇わないタイプだ。
この社長がこうやって新しい知識に手を出すのはそれに強い興味が湧いた時か、必要だと思ったタイミングだというのが俺のこれまでの『研究』の結果だ。
となると、ガチでその知識の『予習』が必要になる何かの可能性が浮上してきたって線が濃厚になって困るんだが……今日に限って言えば、直接の関係性がある確証はないが、原因になった可能性がある『何か』の心当たりがある。
「社長、そういえば……話は変わるけど、いいか?」
「はい、なんでしょう?」
「朝、なんかベルシィにやらせてたんだろ? 結局、春子は何をやらかしたんだよ?」
手元の本から目を離さずページを捲る社長。
それから、数秒静かな時間が続いて、やっと声が返ってくる。
「…………さあ?」
「いや、『さあ?』って……何かやらかしたから『狂信者の血』まで使って問い詰めたんだろ? 俺としてはその手に持ってる本と春子のやらかしが無関係であってくれた方がありがたいとは思うんだが……」
「ああ、そういう心配ですか。そこはご安心を……たぶん『まだ』、みたいなので。これは本当に、もしもの時のための予習です。まあ、本当はこういうこともしない方がいいのかもしれないですけど」
「…………はぁ、前からよく思うが、あんたと春子の関係って端から見ててよくわかんねえよな。変な特権与えたかと思えば、こうやって脈略なく尋問したり。いや、そもそもあいつが『夢占い』って呼んでる転生特典も胡散臭いというか、どんなふうに未来が見えてたらあんな謎ムーブしまくることになるのか……しかも、それで大体は最終的にそれが最善手だった感じになってるし。能力で『そうすればこうなる』、みたいな答えでも夢に出てくるのか? もしそうだったら、その最善手と結果はどっちが先でどこから来てるんだよとか聞いてみてもはぐらかされるし……」
「…………」
「社長、あんたはさすがにそこら辺も知ってんだろ? なんで俺たちに教えてくれないのかってのは……まあ、リスク管理とか機密とかそういうのなんだろうが。今回みたいなのって、春子が良からぬことに能力を使おうとしたから事前に察知して釘を差した……とかって解釈でいいのか?」
仮に春子が『良からぬ結果』を出そうとして、夢の中で能力を使ってその結果のために必要な行動を占おうとした……ってことなら、それを事前に察知した社長は春子の夢の中まで監視してることになりかねないんだが。
アトリの料理とかルビア博士の能力とか、やろうと思えばできなくはないだろうが、毎日監視してないと意味がないだろうしそういう意味ではあまり現実味がない方法だ。
「……なんとなく、何か隠して抱え込んでるなって察せられるような態度だったので問い詰めてみたんです。『良からぬこと』というよりも、彼女自身への負担が大きすぎる『占い』、ですかね」
「能力の使いすぎ……みたいな話か? 転生者の能力ってそういう過剰な消耗みたいな代償がはあんまりないイメージがあるんだけどな」
「ええ、まあ、彼女の場合はちょっと特殊ですからね。ただ、黙って無理をしていた理由を問い詰めてみたら、近い内に彼女にしか察知できない重要な分岐点があるらしくて。今朝は警戒しすぎたというか、流石にちょっと悪いことをしちゃいましたね」
「警戒しすぎたって……朝のあれはそれどころじゃなかったように見えたんだが……春子の能力って、そこまで警戒しなきゃいけないやつじゃないだろ? 確かに未来予測ができるってだけでも強力だし助けられてはいるが、春子自身はそんなに強くないわけだし。社長がその気になれば、どれだけ未来を占われようがいつでも押さえられるんじゃないか?」
「…………そうだったら、いいんですけどね。まだ、私の方は春子さんと本気でそういう対立をしてみたことがないので。ただ……私は、今朝みたいな方法以外で彼女に確実に勝てると言えるやり方は思い浮かびません」
『暗殺の技能がある部下に寝込みを襲わせて、縛り上げて石化させて箱詰めにして鍵をかけ、万全の準備をした拷問部屋へ運び込む』。
社長が言った『今朝みたいな方法』というのは、具体的に言えばそういうやり方だ。
……まるで、呪文一つ唱えればそれだけで世界を滅ぼしてしまえる能力者でも相手にするみたいな警戒度に思えてしまう。
そんな能力を持った転生者なんて存在し得ないはずなのに、だ。
「できれば、彼女とは考え方や方法論は違ったとしても最終的な目標や理想だけは常に一致させておきたい……いえ、どんな状況であろうと『ちゃんと話せばわかってくれる人』とは認識していてほしい、とも言えますかね」
「今朝の扱いは逆に信用が消滅しそうな酷さだった気がするけどな……」
「クックッ、あれくらいコミュニケーションの内ですよ。私なら逆に同じことされてもそれほど気にしませんし、むしろ一度くらい……まあ、それはともかく。今回は話し合いの結果、当面はできるだけ春子さんの思い通りにさせてあげることにしました。最初は絶対に譲らないつもりでしたけど、彼女の熱意に負けちゃって。『占い』の結果については詳しくは教えてくれませんでしたけど、春子さんが現実にしたいらしい未来に賭けてみることにしちゃいました……勝手に決めちゃってごめんなさいね」
「わかんない部分が多すぎるんだけど……結局のところ、どういう意味だよ」
「クックッ、わからないのが一番かもしれませんよ? 仮に、今の渡っている橋が実はいつ割れるか知れない薄氷そのものだったとしても、それを知るのは渡りきってからの方がいいでしょう?」
表情の種類が少ない人間らしく『笑顔』以外の表情をほとんど見せたことがない社長は、その口元を本で隠して少しだけ困り眉を作って見せてから、ページを捲って言う。
「なので、今日のことは『なかったこと』だと思って普段通りに……というか、なにもなかった場合のスケジュールと同じように今日を過ごしてほしいかなーと。まあ、これに関しては私の干渉でズレた分のルート修正は協力すると約束したので社長権限でのお願いということで。タカラさんはそういう対応、できなくはないタイプでしょう?」
「よくわからないが……まあ、わかったことにしておいてやるよ。今朝はなにもなかった、俺は何も見なかった。そういうことだな? ……ところでベルシィはどうするんだよ? 今朝のを『なかったこと』にするってんなら、春子の次に影響が大きいのはアイツだと思うんだが……」
「ああ。そのことでしたら、もうやってますよ。ほら、さっきからそこで」
そう言われてみて、社長の視線の先を見る。
視線は休憩室の奥に置かれたソファーの上に向いていて、そこには獲物を呑み込んだ赤い蛇みたいなものがモニュモニュと腹の中を揉むかのように蠢いている。
そして、その蛇の尻尾はよく見れば社長の髪の毛と繋がっていて……
「えっと……まさか?」
「はい、春子さんの件はそもそもの嫌疑から『なかったこと』になりましたので……ベルシィさんは深夜の素行不良のおしおきを兼ねて『狂信者の血』の治験をしてもらってます。春子さんによると今回の調整でのくすぐりは前後の記憶が飛ぶくらい凄かったらしいので、昨夜の分のルート修正も問題ないかと」
「……いや、それは理不尽過ぎやしないか?」
ベルシィは自分で『社長に使い捨てられたい』とは言っていたが……これはさすがに、使い捨てよりちょっと酷い気がした。
ちなみに、タカラさん(イラズくん)の回想に登場した『委員長』が後に『呪怨偶牙』の材料にされた女の子です。
『委員長』と仲の良かった『双剣士』さんもイラズくん・狂戦士さんと同じグループで、イラズくんが一足早く『卒業』した後はパートナーが急にいなくなって孤立した最年少の狂戦士さんを酷い環境下でも人としての道理と倫理観を失わず面倒見のよかった『委員長』が保護する形で新グループを結成。
『委員長』はグループの結成目的を『仲間同士で協力してみんなで生き残り枠を獲得する』というふうに公言していましたが、実際には殺し合い蹴落とし合いを強要される環境そのものを変えるか皆で脱走する・そのために必要なスキル因子を集めるというのを本当の目的としていました。
しかし、ガロム正規軍(グラム将軍)の意に反する動きを画策していた『委員長』は、強力なスキル因子を報酬に彼女の排除任務を与えられた『呪術士』と『傀儡士』によって実戦訓練中に罠にはめられ、彼女自身の肉体は『呪怨偶牙』の素材に使われ、彼女の作ったグループは『委員長』の姿を用いた傀儡による内部からの工作によるパニックを狙った奇襲で壊滅。
その際、『双剣士』と『狂戦士』はグループの戦闘特化ポジションだったため自衛に成功し生き残るも、軍の『出る杭は打つ』教育方針を悟ったため再びグループを結成することはなくそこからは互いにソロで生きることになりました。




