第29話 第■■■回『第一回 巌黒春子の剣術講習』
side 夜神夕子
『歩けない人を歩けるようにする発明』。
脳や神経の病気や損傷で日常生活を送ることが難しくなってしまった人を助ける装置。
私たちが戦英プロの一員として普段使っている学習ゲームや通信端末の魔法のような……いえ、現代技術のような機能のタネとして恩恵を受けている『ゼット・ネイバー』は、元々そういったコンセプトで開発されていた試料が事故で変異して生まれたものなのだとか。
難しい話は専門外の私にはよくわからないけれど、そのベースは体内から動作の補助を行う共生型の魔法生物として改良された微生物。
春子さんの話によれば、生物学的には『脳』というのはそもそも思考するためのものではなく、『筋肉』を動かすための補助器官として発達したものだそうで、『ゼット・ネイバー』は第二の脳として機能するように進化した寄生生物とも言えるとのこと。
そして……私が協力を求められたのは、ただ『歩けるようにする』の先にある研究。
歩行以外にも、より複雑な動作の補助を誰にでも適用できるようにする研究。
「……つまり、敢えて練習期間ほとんどなしの素人が、人前で見せられるだけの剣舞を修得して披露すれば、それだけ実力を証明できると同時にこの研究に自信を持ってお勧めできるというアピールにもなると?」
「そういうこと。まあ、そのために『仮にゼットネイバーが上手く働いてくれなくても自力でリカバリできる人』にその試験役をやってもらうっていうのはちょっとズルかもだけどね。研究成果のお披露目とは別にライブそのものはちゃんと成功させなきゃだし」
剣舞というものを概念として知っているだけで経験そのものは皆無でもいい……むしろ、それくらいの方がいい。
求められているのは最高の剣舞ができるスキルではなく、私の『動作を精密に再現できる技術』。
つまりは、ゼットネイバーの動作アシストを受けながら、その時の全身の筋肉の動きをそのまま自分のものにすること。
それも、それが主目的ではなく、あくまで非常時のリカバリーとして自力でもできるようにしておいてほしいだけ。
非常時のことを考えないのであれば、全て『ゼット・ネイバー』に身を委ねるだけの簡単なお仕事。
取り繕わない言い方をすれば誰がやってもいい『学芸会の木の役』みたいなポジション。
そう言われてみれば、むしろ気楽ではある……本当に気楽に受けてしまっていい仕事なのかわからないけれど、説明を受けてつい『そういうことなら……』と口にしてしまってなし崩しに協力を約束してしまうくらいには。
その上で……シックスさんとのデートの翌日。
学校がお休みなのを利用して開かれたのは、春子さんによる『講習会』。
「基本は『ゼット・ネイバー』にお任せとはいえ、『自分がどういうことをやってるか』『自分の動作が最終的にどんな意味を持つか』を知ってるか知ってないかで動きが全然違うからね。三日坊主でも身に着けられるくらいの範囲で軽い講習はさせてもらうよ」
本社区画の中にある屋内運動場を使って、ホワイトボードを前にして運動着になって『剣術の基本』と題された講習を同じく運動着の春子さんから受けているのが現在の状況。
……護身術の最初の座学もこんな感じですけど、改めて普通の学校で受ける体育の授業みたいですわね。
春子さんとの年齢の近さを考えると授業というよりも部活の先輩から新入部員への説明の方が近いかもしれないけれど。
「春子さん、先に一つ質問してもいいかしら?」
「はい、夜神さん。質問をどうぞ」
「教えてもらえるのはありがたいのですけれど、剣術というのは……そんな、数日で理解できるものなのかしら? この世界には剣士や騎士という職業の方もたくさんいると思いますけど……そういう方々って、子供の頃から毎日、何年も剣を習ってようやく剣術というものを身に着けられるものでは?」
少なくとも、私のイメージの中では一つの技術を人前で披露できるものにするというのはそういうこと。
私が習った日本舞踊がそうであったように……きっと、剣を手にすれば握り方で叱られ、持ち方で叱られ、構え方で叱られ、動き方で叱られ、そうやってたくさんの『地雷』の位置を身体に染み付かせてその全てを避ける動きを当たり前にしていく。
剣術なんて全く知らない私が何も下地がない所から剣舞を舞えるようになるのなんて、それだけの『見えない地雷』の位置を見つけてその避け方を全身に染み付かせるなんて、何年もかかるだろうとしか思えない。
私が小学生に入る頃から十六で死ぬまで続けた『日本舞踊』がそうだったように、寝る間も惜しんで、他の全部を捨てて、何年もかかるとしか思えない。
正直に言えば、『ゼット・ネイバー』のアシストに従えばいいと言われたから受けた話であって本格的に剣術を修得しろという話なら『黒い恋人』で逃げ出してでもお断りしたいのですけれど……
「正直に言えば、『ゼット・ネイバー』のアシストに従えばいいと言われたから受けた話であって本格的に剣術を修得しろという話なら『黒い恋人』で逃げ出してでもお断りしたいのですけれど……とか、思ってるんでしょ?」
一瞬、脳がバグったように感じた。
自分の思考がそのまま目の前の春子さんの口から聞こえたように思えたから。
不意を突かれた私の表情に満足したらしい春子さんは、小さく笑う。
「先に言っておくけど、心は読んでないよ。私の『占い』は心じゃなくて行動を読むものだからね。そこから逆算しただけ……実際厳しくして逃げられたルートだと泣かせちゃったし逃げた理由をなだめてちゃんと聞くまで一日かかっちゃったから、あれは申し訳なくて即リセしたなぁ……蓬ちゃんにも炙られたし」
「…………春子さんとは普通に会話できてる気はあまりしてませんけど、シックスさんの言っていたことはわかりましたわ。もう、春子さんとのやり取りは『そういうもの』と思っておきますわ」
『占い』という能力が何をどうやってどこまで知ることができるのものなのかはわかりませんけれど。
心を読んで嫌がらせをしてくるというわけでなし、むしろ私への負担が少なくなるように配慮してくれているようであれば毛嫌いすることもありませんわ……思い返せば、社長サマとかも会話の先読みくらいは能力なしで普通にしてましたし。
人の心理や行動を予想できるくらい頭のいい人は普通にそういうこともできるものだと思っておきましょう。
「さて、じゃあ講習そのものを始める前に大事なことを一つ。オブラートに包んだ言い方をするのよりもハッキリ言った方が夜神さんのためになるって『占い』だったから、この際ストレートに言わせてもらうから覚悟して」
「は、はい」
真剣な表情になった春子さんの視線に射抜かれて思わず背筋を伸ばす。
きっと何か怒られるのだろうと無意識に張り詰めた精神で言葉を受け止めようとして……襲ってきたのは、物理的な衝撃。
……意味不明な一手。不意打ちのデコピンでしたわ。
「チェスト!」
「あうっ!? な、何を……」
「こうしないと夜神さん、心を硬くして言葉を吸収しなくなっちゃっうっていうか、言われたことを憶えてるかの質問に答えられるだけの丸暗記で、『わかったふり』でやり過ごそうとしちゃうから……『こうすればいいんだ』ってわかるまでは苦労したよ、ホントに」
「……?」
「さて、脳のガードが緩んだところで改めて大事なお話。夜神さんがさっき考えてた『技を覚えるならこうしなきゃいけないはず』っていうのは、すごく間違った認識なの。それも、本当に最低最悪、それを正解だと思い込んで他人にやらせるやつが本当にいたとしたらそいつは人類史上稀に見るレベルの馬鹿じゃなきゃありえない、目の前にいたら今すぐにぶっ殺してやりたくなるってくらいに」
……さすがに言い過ぎではないかとも思う。
思わず、春子さんの言葉がお母様が聞かれていないかと周りを確認してしまいそうになったくらいに。
けれど、その否定の強さにどこか奇妙な清々しさすら感じてしまった。
私の人生の否定ではあるけれど……同時に、その人生の中で私が抱いてきた、口に出せなかった想いを肯定してくれたような、そんな気がしたから。
ここまでハッキリ言われてみて、生まれて初めて、『ああ、あれってやっぱり間違ったやり方だったんだ』って、合点がいってしまったから。
先に不意打ちで心構えを解かれてしまっていたせいか、内心で『そんな考え方は理解しようとしてはいけない』という反証の理論武装を整える間もなくすり抜けて、新しい考え方を入力されてしまったから。
先に物理で脳を揺らされてしまっていたから、それがこちらを説き伏せるための『論争』なんかじゃない、春子さんが本当に感情的に『私が強いられてきたこと』に怒ってくれていると感じられたから。
けれど……
「……私、自分のやってきたやり方が間違っているのだとしても、『正しいやり方』がわかりませんわ」
「大丈夫、ちゃんと教えるから。どう間違ってたのかも、これからはどうしたらいいのかも」
そう言って、春子さんはホワイトボードに図を書き込む。
左側には『問題A→答えB』から始まって、一対一の対応式をズラリと縦に並べた図。
右側には『問題A→解決法α+解決法β→答えB』から始まって、左の図と同じ『問題』の羅列に対して数種類の『解決法』の組み合わせを経由して左と同じ『答え』を出す図式。
そして、さらにその下にたくさんの『解決法α〜Ω』という解決法を一纏めにした枠を経由して問題と答えが繋がった左の図に近い形のスッキリとした図を描く。
「まず、夜神さんがずっとやらされてたのはこっちのやり方。『Aと言われたらBと答える』っていう、『判断』の段階を挟まないで入力と出力の組み合わせだけを延々と蓄積していく方」
「…………」
「これは、たとえるなら『すごく将棋が強い人』が、子供も自分と同じ将棋の達人にしようとして、出来うる盤面全部に『自分ならここでこう打つ』って対応表を作って掛け算の九九みたいに暗記させるみたいなやり方だよ」
「……将棋で強い人というのは、皆そうやっているものではありませんの? 私はてっきり、そういう『頭のいい人』ってすごく記憶力がいいからたくさんの手を知っているのだと……」
「まあ、序盤の定石とか詰め将棋の段階だけならそれでもいいけど、全部をこれで解決しようとするのは絶対的に間違いなのよ。入力から出力される答えは一緒だから学校のテストとかだと区別できなくて一緒だと思ってる人も多いけど、これは問題を解いてないし自分の処理してる情報の意味を理解してないやり方。どんな難問でも即答できちゃうけど、やればやるほど脳が『役に立たない情報』でいっぱいになっていくやり方なの」
春子さんは私に内心での擁護や甘い解釈を許さないとばかりに強い言葉で断言する。
真剣に、私の目を見ながら。
「確かに理論上、このやり方なら、将棋のルールを全く理解してない子供でも将棋の世界での最強にだってなれるよ? けど、それで勝てちゃって自分で判断しないままだと戦術思考とかそういうのに使える機能は育たないから実質的な部分で頭は良くならない。どころか、その『必勝法』を丸暗記して忘れないようにするために、応用の利かない対応式の暗記と維持に膨大な時間と労力、それに脳の記憶容量を使うことになって他のことができなくなる」
「脳の……記憶容量……?」
「そう、それを努力とか根性で度外視しようとする人は多いし、実際まだ脳が柔軟な子供のうちはそれで詰め込めば入っちゃうからこれが正しいって思い込んで一生同じことをやり続ける人もいる。けど、絶対的な限界値っていうのは確かにある。だから本来人間の脳ってのは、『意味を理解できない情報』なんて、他のもっと役に立つ情報を優先して詰め込んでいく内に押し出されて忘れていくようにできてる。他の価値観、言い換えれば『今の自分にとって未知の情報の持つ価値』を否定してインプットを避けた上で、無理矢理にでも復習を繰り返しでもしない限り」
「それって……私がこの世界でしてきた……」
「そういうこと。普通は環境が変われば習慣だって変えざるを得なくなるし、『生活の中で役に立つ情報』の優先順位なんて簡単に変わるものだけど……そこら辺は、夜神さん自身は悪くないけど、『冒険』をする前に戦術兵器として軍の施設に囲い込まれちゃって、日本にいた時とほとんど同じ生活習慣を続けられちゃったのも大きいかな。けどね、本来は『丸暗記での完全解答』なんてのは新しい情報が入る期間を挟まない一夜漬けか、長くても十日そこらのテスト週間くらいが実用限界なの。一度でもその情報が役に立たない旅期間でも挟めば一気にその情報の優先度の低さを意識して思い出せなくなる……『旅は人を変える』って言うくらいにね」
目から鱗の連続だった。
そもそも『脳の記憶容量』なんて、その限界なんて概念は考えたことがなかった。
だって、『憶えなければいけない』と言われたものは、憶えられなかったら憶えられるまで繰り返して記憶に刻み込むものだと思っていたから。
それでも憶えられなかったら、それは『もっと真面目にやってないから』だと何度も言われてきたから。
当然、忘れることだっていけないことだから……忘れないように毎日練習を繰り返して思い出し続けることだって、あまりに当然のことだった。
「健全な生活をしていれば、記憶は代謝する。より役立つ情報を選り分けてすぐ使えるようにすると同時に他をデスクトップから押し出すことで『より優れた判断ができる脳』が組み上げられていく。なのに、その記憶の代謝を無理矢理にでも拒否するってことは、『意味のわからない情報の丸暗記よりも役に立ちそうな情報を記憶しないようにする』、つまり『物事の意味を理解するのを自分から避けて生きる』ってことになる」
「…………」
「その上、そういう応用の利かない丸暗記に頼る『必勝法』は、少しでも忘れて穴が空くとその手が必要になった盤面で即座に破綻する。うっかり生まれつきの記憶力が良かったとかで、そういう必勝法の丸暗記に頼って成績や実績を手に入れちゃった人は、そうやって手に入れた『強さ』を維持するために全部のパターンを繰り返し丸暗記し続ける必要があるから記憶容量を圧迫される」
「繰り返し、丸暗記し続ける……」
「そう……その上、後から本当の意味で行為の意味を理解して行動しようとすると、どうしても慣れてない『判断』を求められる行程が挟まるせいで必ず『弱くなる』段階が来る。周りの評価とか指導者が厳しかったりして、その段階に入りそうになるのを『良くない傾向』だと感じて徹底して避けようとすると、ますます丸暗記しかできなくなる……そうして脳の労力と時間を消費しながら非効率なループを続けていくと、前提のやり方が非効率なまま、脳が少しでもその負担を減らそうとして、基本の思考法がそういうやり方に最適化されていっちゃうんだよ。夜神さんなら心当たりはあるだろうけど」
私の中の『見えない地雷原』に入る感覚を思い出す。
何万回、もしかたら何億回もお母様の口から発されて耳に染み付いてしまった音がほんの僅かなミスで弾ける爆弾の……『違う! そうじゃなくてこう!』という怒声が脳内に鳴り響く恐ろしい地雷の群れ。
その時に否定された動き、訂正された動きを『その型の正しい動き』として憶えて、また怒鳴られるのが嫌で、忘れないように忘れないようにと毎日練習を繰り返す中で生まれた感覚。
きっと、これを春子さんの将棋の例えに則るのなら、その親『自分ならこう打つ』という打ち手から外れた瞬間に怒鳴りつけられて、打つべきマス以外の全てのマスに地雷が浮かび上がって見えるようになったような、そんな感覚なのでしょう。
ただ、私が『丸暗記』させられてきた日本舞踊の場合は、将棋のように『線で区切られたマス目の中に駒を置きさえすればどんなに大雑把な動きでも構わない』というわけではなくて、爪先から表情筋まで完全な再現が必要だったというだけ。
最近わかった私の奇妙な『特技』も単にその副産物。
その上で空間を埋め尽くすような『地雷』を避け続けるためには、自分の身体が今どんな形をしているか、どう動かせばどんな形になるかまでミリ単位で再現できなければいけなかったというだけ。
そして……その『必勝法』の型を記憶し続けるために、私は『物事を深く考えないようにする癖』を無意識に身に付けてしまっていた。
だから、戦場での自分の振る舞いのことも、ソニアさんに言われるまで改めて意味を考えることもなかった。
「なら……私は、どうすれば……」
「それは簡単。遠出しなくても脳に『旅』をさせることはできるんだから、知識と経験の世界で『冒険』に出ればいい。難しく考えず、『このやり方を刷り込まれてきた分野と違う分野に挑戦して、そこで新しいやり方を体験する』。基本の基本から、将棋で言ったら『このゲームの目的は敵の王将を取ることです』くらいの説明から始めて、教えられたことの意味や理由をその基本や意義に結びつける癖を付けていくの。これまでのやり方が間違ってたって自覚ができているなら、あとはそれだけでいいんだよ」
「それだけ……」
「信じられないって思ってるでしょ? けど、何も嘘は言ってないから」
そう言って、春子さんはホワイトボードの下に置いてあった練習用の模造刀を手に取って、鞘から抜く。
刃は付いてないけれど金属の輝きを宿したそれを、本来の持ち方とは反対に刃の部分を手で持って、柄を私へ差し出す。
「持ってみて、どんな構え方でもいいから」
『見本』がないまま剣を手にするように言われて、内心で小さなパニックを起こしかけて、すぐに春子さんにされたばかりの話を思い出した。
そう……私は今、丸暗記して真似するべき模範解答がないまま『どうやって剣を構えるべきか』という『判断』を求められて、反射的に拒否感を起こしてしまった。
けれど、それは……『間違っている』とハッキリ言われた思考の癖だ。
そう念じて、おそるおそる剣の柄を手にする。
私が使うことも想定して選んだのか、少し触れただけで模造刀とわかるほど軽い……けれど、尖った部分は危ないから、とにかく自分にも春子さんにも刃が当たらないようにして。
少し悩んで、剣を構えてみるだけにしてはきっと長すぎる時間をかけて、最終的に剣道のような捻りのない構えに落ち着く。
これも、見本のない遠い記憶だけの見様見真似で、剣の角度や足の位置が正しいのかがわからなくて不安になってしまうけれど。
「うん、いい感じ。それじゃあ、まずは基本の基本……剣術っていうのはね、『相手を斬ること』よりも『自分が斬られないこと』の方が目的として大きいんだ、ちょっと意外だけどね」
先程模造刀を抜いた鞘の方を手にした春子さんは、それを剣の代わりに手にして私の構えた模造刀の刃に沿わせるように動かす。
もし私の構えている剣がなければ、そのまま私の首に鞘の先端が届いていそうな軌道を想起させる動作で。
「『剣』っていうのは本来『大きな板よりも軽くて素早く動かしやすい棒状の盾』として扱うものなんだ。ゲームなんかでは攻撃力ばっかりに目が行くけど、本来は防具の一種なんだ。心理的な制空圏、刃やその可動域を相手との間に挟まる『壁』として置く、それだけでも充分に『剣を使う術』になる。夜神さん、そのまま私の方に向かって剣を構えててくれる? 私がもういいって言うまで常にね」
「は、はい。春子さんの方に……常に?」
私がそう言った直後。
春子さんは、何の前触れもなく『ひょいっ』と私の脇を抜けて背後へ……
「あっ! まって!」
『判断』。
いきなり動くなんて言われてなかったから、その動きに合わせてこちらも動いていいのかわからなかったけれど、『常に』と言い添えられていたのを思い出して背後に回った春子さんの方へ剣を向ける。
その直後に……
「そう、それが正解。『相手に剣を向け続ける』っていうのは、『盾で自分を護る』ってことと同じ。なんだから、敵が後ろへ回り込んだらそれに合わせて自分も方向を変えるのは『正しい判断』だよ。それから、こうされたら?」
スローモーションで振られていた鞘。
けれど、私がとっさに振り返っていなければきっと私の首に当たっていた斬首の水平斬り。
それに私が模造刀を挟んで軌道を遮ると、春子さんはあっさりと鞘を引く。
「それでいい。『かっこよく一刀両断』とかそういうのは後回しでいい。鍔迫り合いに勝つための筋力とか、硬い物体を上手く切るための太刀筋とか、そういうのは必要な人だけがやればいい。『常に相手と自分の間に刃を置く』『自分からは攻めない』、『攻撃が来たらとにかく払う』、その『判断』を徹底してるだけでも何も知らない素人よりはかなり『強い』から」
「そう……なんですの?」
「そうだよ。極端な話、刃物を持った人がハンマー投げみたいにグルグルしてるだけでも半端な技術じゃ迂闊に近付けないし、そのまま相手に近寄って行くだけでも素人相手なら逃げさせることくらいはできるからね。それを綺麗にやれば立派な『剣舞』に見えるってだけ」
そう言って、また不意に歩を進める春子さん。
大股で、小股で、速く、遅く、私の周りを無作為な動きで回りながら、スローモーションの鞘をこちらに振ってくるので模造刀で防ぐ。
鞘の動きは段々と、私の動きを誘導するように大きく、素早くなり始めて、それを防ごうとする私の動きはいつしか拙いながらも確かに『剣舞』のようになっていた。
「そうそう、いい感じ。これで夜神さんの剣術スキルもLV20くらいは行ったかな? プロが200くらいでその一割くらいって感じで」
「たった、これだけで?」
「これだけでも、ね。剣を持ってみたとして、誰でも何も教えられず同じことができるかって言ったら意外とそうじゃないっていうか、パニクってガムシャラに攻撃せずにはいられなかったり、無駄に走って隙だらけで逃げちゃったりもするからね。こうやって淡々と守りに徹しながら相手に剣を向け続けられるっていうのは充分に実用的なスキルなんだよ。だって……私の次の言葉、わかるかな?」
『剣術の目的は斬ることじゃなく斬られないことだから』。
きっと、そういうようなことを言いたいのだろうと思って、そう予想して、今の自分がしているのがまさにその『目的』のための動作であることに気付く。
見本通りでなくても、見本なんてなくても、こうして鞘の攻撃から自分自身を護れているのなら、これも『正解』なのだと。
そして……
「はい、もう構えは解いていいよ。お疲れ様」
「そんなに言うほど疲れてはいませんけれど……」
「でも、『守りを固める』っていう一つの技を手に入れたのは事実だから、やっぱりお疲れ様だよ。無駄に労力をかけない小さな疲れだったとしても、その疲れに『様』をつけていくらいい立派なすごいこと」
「一つの技を……私が、手に入れた?」
「そうそう。だって、これで夜神さんは誰かに襲われた時、『下手に攻め込まず、相手に刃を向け続けて身を護る』って判断ができるようになるんだから。簡単だけど実用的で役に立つ『技』だと思うよ?」
一つの技を手に入れた。
『見えない地雷原』に入ることなく、見本を何ヶ月も繰り返し繰り返し真似し続けてやっとものにするというものでもなく、ほんの数分で。
それは、私にとってはとても新鮮な体験だった。
私の中の『新しい技を一つ憶えるなら、最低でも何ヶ月かはかけて正しい動きを完璧に再現できるようにしなければいけない』という固定観念が揺らいでしまうくらいに。
そして……
「それで、これからもこんな感じで剣の使い方についていろいろと教えていきたいと思います。その上で、提案なんだけど……ねえ、夜神さん? 明日は学校だと思うけど、授業はお休みして剣の練習に付き合ってくれない?」
「え?」
「ライブの直前だからっていうのもあるけど、この機会にしっかりと剣術の基礎だけでも集中的に教えてあげたいから、夜神さんの頭の中の『悪い癖』を抜くついでにさ。もちろん、ライブのための特別レッスンを受けてもらうって形にもなるし、初期対応部の仕事の一部って扱いで、その分のペリカンコインもちゃんと払うからさ」
「そ、それは……確かに、ためになるかもしれませんけれど、そのために学校を休むなんて……」
「そっか。だけどね……」
渋る私を見て、微笑みを深めた春子さん。
彼女は私のそんな反応なんて最初からわかりきっていたとばかりに私の耳元に唇を寄せて囁きかける。
「私の『占い』の結果って、あんまり他人に直接言うものじゃないけどさ……ここだけの話、夜神さんが明日一日しっかりと剣術の基礎を学んだら、近い未来で必ず初期対応部みんなの役に立つ時が来るからさ」
「えっ、皆さんの役に……?」
「うん……本当に、そこで上手くやれなかったら、あの時どうしてもっとちゃんと剣を習っておかなかったのかって、後悔してもしきれないまま辛い余生を送らなきゃいけなくなるってくらいに大事な時が」
どこか、私じゃない私に言っているような遠い声。
後半は、本当に小さな独り言のような呟き声でよく聞こえなかった。
春子さんの唇が耳元から離れる。
けれど、その言葉は頭から離れない。
「どうする?」
『必ずみんなの役に立つ時が来る』。
それは、初期対応部において未だ何も誇れる仕事をしていない私にとっては甘い毒のような言葉で……
「お、お願いしますわ……」
「よしっ! もう社長サマにも話は通してあるからよろしくね! それにしても……この子、相変わらずこう言うとすぐチョロくなるなぁ……」
最後の部分はよく聞こえなかったけれど、それ以外はとっくに答えを知っていたかのような返し。
これが人生経験の差なのか、はたまた春子さんの転生特典の力なのか。
気付けば私は春子さんの思ったとおりに動かされているのでした。




