第25話 『主役』の辞め時
side 夜神夕子
『日本舞踊』。
『おはぎ作り』。
『テスト勉強』。
どれも、私が上手くなるために『何度も繰り返した』ことがあるもの。
当たり前に『反復練習』するものとして考えてきて、実際にそうやって修得してきた記憶があるもの。
『日本舞踊』は、全身の神経を張り詰めさせて、正解のルート以外の全ての空間が見えない地雷原に変わる世界の中で『正しい動き』を確実に再現できるようにするために。
『おはぎ作り』は、決して材料の量や加熱時間、成形を間違って失敗作を作り出さないように。
そして……私にとっての『テスト勉強』は、お母様が学校の先生から買い取った模範解答をテスト時間の本番で解答用紙に書き写すために暗記するもの。
そう……きっと、さすがに先生方も情報漏洩にはリスクがあって、問題文までは売れなかったか……あるいは、私に渡された模範解答が『正しいもの』になるように逆にテスト問題を作らせていたのか。
本当に最低限必要なものとして、お稽古の時間を削らずにこれだけ暗記すればいいと言われて渡された『模範解答』を何度も何度も真似して、模写するように解答の順番や文字の形を、並びを手に覚え込ませて、どんな問題の答えなのかもわからないまま暗記した時間。
それが、私にとっての『テスト勉強』だった。
だから、私には普通の日本人が積み重ねて来ているべき人並みの経験値がない。
一度きりのテストで役目を完全に終える暗記の記憶……そんなのを繰り返して、本当は『人生のほとんどの時間を無駄にしていただけ』なんてわかっていた。
いや、それ以外の考え方なんてないと思って、絶望的な自分の人生の不合理さを直視するのを避けて、それを『自分にとっては当たり前のこと』と思うことで何とも思わないようにしていた。
だから、それが『長所』に繋がるなんて考え、本当に全くなくて……
「夜神さん! この五本の杭、この一本目の高さと『同じ高さ』で切ってみてー! できれば一本ずつ順番にねー!」
「わかりましたわ……【黒い恋人】!」
周りに壊れて困るものがない屋外の訓練場。
シックスさんが二十歩分ほど離れた位置に打ち立てた五本の杭。
杭と杭の間隔は少しばらついているけど、距離は私から見て一定。
端の一本だけが短めに寸断されていて、他は少し長め。
指示された通り、まずは『見本』の一本の断面スレスレを走るように『黒い恋人』の耳を伸ばした『不明の刃』で境界線をなぞって、念のため次は少し早めに同じ軌道で刃を振って……
「いきますわ……フッ! フッ! フッ! ハッ!」
コンッ、コンッ、コンッ、コンッ。
指示された通り、それぞれに同じ動きで守護者の刃を水平に当てて、杭の高さを揃えてみる。
そして、攻撃が終わってすぐにシックスさんがその断面の高さを測り始めて……
「すごい……この距離で四本とも、見本の一本と高さの差がミリ単位だよ。地面の凹凸とか考えるとほぼ計測誤差みたいなもんだし……一息に水平斬りしたわけでもないのに」
「あの……これって、そんなにすごいことなんですの? 転生特典なんて『そう動かそう』と思ったら『そう動く』というものではなくて?」
「んなわけないでしょうが……私の『魔人』でやろうとしたらこの距離でも最低拳分くらいズレるっての」
横からのちょっと怒り混じりの呆れ声。
私の困惑にツッコミを入れたのは、シックスさんと一緒にこの『実験』に付き合ってくれている蓬さん。
今日はリーナさんと一緒に林業の手伝いをした日の翌日。
仕事から帰ってきてリーナさんからの報告を聞いた蓬さんとシックスさんから、明日の放課後は時間を空けておいてほしいと言われてこうして放課後を使って行っている実験。
私は単に『杭を同じ高さで斬ってみてほしい』と言われてそのとおりにしただけなのですけれど……
「『条件反射』の擦り込みは兵士や冒険者でも基本ではあるけど……この精度の再現性を一回や二回の『予行演習』で全く同じように連続で実演できるなんて、なかなか……っていうか、誰もできないよ。できたとしても、ゼット・ネイバーの補助ありでの社長サマかルビアさんがやれるかどうかだと思う」
……というのが、私の目の前で杭の断面の高さを記録して誤差を出しているシックスさんの評。
そして、私の守護者が暴走したときの安全性のためにと見守っていた蓬さんは、改めて呆れたようにため息を付いて私に言いますわ。
「夕子の守護者が異様に疾かった理由が一年越しにようやくわかったわ……そりゃ、追い付けないわけよ。昔はどうにか気合で追い付こうって頑張ってたけど、根本的に操作方法が違ってたんじゃ……『マウスでのカーソル移動とクリック操作』対『ゲームコントローラーでの技コマンド入力』みたいな差じゃ、そりゃ動作のスピードで勝てないわけだわね」
長年の疑問が解けたと言うように額に手を当てて首を振る蓬さん。
私が無自覚に蓬さんもそんな反応をしてしまうような『変な特技』を身に着けてしまっていたのは理解できましたけど……
「あの……私の『これ』が、あまり他の人にはできないことなのはわかりましたけど……これって、何かの役に立つんですの?」
『ずっと作業に集中していなくても片手間で荷運びができる』……確かに便利ではあるけれど、それは蓬さんやリーナさんだって真面目に集中して仕事をしていれば事足りる話で。
『不明の刃をミリ単位の誤差で同じように動かせる』というのも、少し時間はかかっても定規や刃物を使ってやれば誰でももっと正確にできることで。
「蓬さんの言うようにスピードが求められる守護者同士の戦闘とかならともかく、平和的な利用法なんて……」
と、そこで。
私の手を握ったのはシックスさん。
「ほら、そんなふうにマイナスから入らない。そういう時は『そんなものないんじゃないか』じゃなくて『そういうものを一緒に見つけてほしい』って言わなきゃ」
「……夕子、シックスさんに感謝しておきなさい。シックスさんが先に行かなかったら私、あんたにまたキツいデコピンかましてたから」
「ええっ!?」
「あははっ、実はそんな気がして先回りしたんだけど……大丈夫。話を聞いた時点で夜神さんにこれが出来たらやれそうな『お仕事』は考えてあったから。ちょっと一緒にチャレンジしてみよう」
「は、はい。よろしくお願いいたしますわ……」
……そして、二日後。
助っ人先の作業時間の都合で午前の授業時間の代わりの『お仕事』としてやってきたのは、石材を得るための採石場……言い方を変えれば『石切り場』。
そこで、印が付けられた岩塊を前にして……
「失敗してもやり直せるから気負わずやってみて!」
「は、はい!」
『黒い恋人』を影から出して、耳の刃を振るう。
ダミーさんの設計で、刃として振るわれる時のウサギの耳は『不明』が元の性質を保ったまま刃先から滲み出る仕様になっているので、発光物でなければ硬度に関係なく木の杭も岩塊も同じように切断できる。
そして、真っ直ぐ走る刃に触れた部分を『呑まれた』岩塊の断面は平滑そのもので……ズンッ!
地面に落ちて傷付かないように刃から触手代わりへ役割を変えた『黒い恋人』の耳で持ち上げた石材の塊を数個、石台の上に運んで乗せる。
これで、事前に言われてリハーサルしていた通りの『寸断』と『運搬』の仕事は完了ですわ。
「オッケー! すみませーん、これって使えますか?」
シックスさんが離れていた職人さんたちを呼んできて、私が切り出した『ブロック』を見てもらう。
戦闘型の転生者が石切場の仕事を手伝うと聞いて、雑な破壊行為を想像していたのか少し警戒していたように見えた彼らだったけれど……
「こ、この断面は……いや、ほんとどうやったらこんな空間ごと切れたみたいな形になるんだ?」
「ここの間隔、ほとんど一定のままこの長さを一気に切ってるぞ……あれだけのパワーですごい精度だ」
「これなら多少誤差があっても粗加工まで一気に行けるかもな……なあ! ここからもっと精度は上げられるか!?」
「え、あ、はい。見本の表面をなぞって練習させてもらえれば……このくらいシンプルな形なら、五分くらいで全く同じ形状にできると思いますわ」
「ヤバいな……頼りきりになっちまうとこっちが失業の危機だが、臨時で大量の石材が必要になった時には本当に助かるかもしれねえ」
……普通に大雑把な力仕事で構わない『荷運び』なら、同じ動きを正確に再現できるような精度は必要とされない。
逆に、精密加工が求められるような『もの作り』だったら、私の守護者みたいな過剰なパワーは必要ない。
そう思っていたけれど……
「すごいよ夜神さん! 時々臨時で人手が欲しいときに来てくれると助かるって、職人さんたちから大好評!」
「え、ええ……そうみたいですわね。けれど、まさか本当に『こんなこと』が強みになるなんて」
「当然だよ! 『加工前の巨石をそのまま動かせるパワー』『ミリ単位で石材を切り出せる切れ味と精密動作』、この二つを併せ持ってて強みにならないわけないわけないんだから!」
「……ええ、そう、ですわね。私が知らなかっただけで、世界にはたくさんのお仕事があるのですものね」
きっと、私一人だったらこの『強み』を知ったところで、一生こういう使い方には気付けなかった。
『パワーが必要な仕事ならリーナさんでもいい』。
『精密加工が必要な仕事ならダミーさんでもいい』。
そうやって、周りの人を見上げて、心の中で羨んでいた気持ちを基礎に置いたまま、自分にないものだったものが自分にもあるものになったと思うだけなら、結局『同じことができるだけ』というところから先へ行けなくて、こうして『自分にしかできないこと』に辿り着くことはできない。
これがきっと『知見』を広げる意味なのだろうと、こういう解決方法を思いつけるようになるのが『大人』になるということなのだろうと……『大人を尊敬できる』というのはこんな感覚なのだろうと、生まれて初めて素直に思えた気がしましたわ。
そして、それからしばらく。
職人さんたちと話し合いながら『私にできること』を見てもらったり、私が切り出した石材の精度を詳細に調べてもらったり、一般的な石切りの規格を教えてもらったりという時間を過ごして、いつしかお昼を越えて時間は午後。
石切り場を去った私とシックスさんは、ピークドットのお店でテーブルに運ばれてきたケーキを挟んで対面していますわ。
「え、本当にいいんですの? 私、そんな大したことは……特に疲れるような仕事もしていないのに」
「いいんだよ、そんな『疲れきるまでやらなきゃ頑張ったなんて言えない』みたいな考え方しなくても。夜神さんは真面目に仕事をやって、スムーズにやるべきことを完遂して、みんなの役に立った。それだけで、ご褒美を受け取るには充分なことなんだから」
「でも、このケーキとかってお高いんじゃ……私、ペリカンコインしか持っていませんわ」
「そこは当然、奢り……っていうか経費だから気にしない。そもそも、Cクラスが使えるのが社内通貨だけだからって、その仕事の報酬がそれだけってわけじゃないし。今回みたいに能力を貸した職人さんとか依頼人さんから会社にお金が入ってきて、その一部をペリカンコインとして夜神さんたちに渡してるんだよ? つまり、今回のお仕事代の一部であるこれも、実質夜神さんの稼ぎの結果ってこと。まあ、もちろんこれは特別だからボクが補填しておくけどね」
「じゃあ……いただきますわ」
「うん、どうぞ召し上がれ」
私としても、自分の働きが認められてご褒美がもらえるというのは嬉しいもの。
こうしてちゃんと甘くて美味しいものを特別に食べさせてもらえるというのは、その美味しさがそのまま私の価値を認めてもらえているような気がして……
「美味しい……本当に、美味しいと思えますわ」
そういえばと、結局食べずに終わってしまったソニアさんからのお詫びのケーキセットを思い出す。
あの時には自分がケーキを食べていいのか、何かを楽しんでいいのかなんてことから悩みに悩んで、迷走して、自分はどこまでも苦しまなければいけないんじゃないかと思ってしまって勝手に苦しんで。
あれから、短い間にいろいろあって、完全に悩みが解決したわけじゃないけれど……今は、なんとか目の前のケーキを『ちゃんと楽しめる』ようにはなった。
ねねさんに言われたみたいに、今の自分がとりあえず何をしたいのかと問いかければ『もう一口このケーキを食べたい』と答えられる瞬間を生きている。
それが、なんと言っていいのかわからないけれど……
「私……『進めている』、みたいですわ」
そこから数分。
私がケーキをほとんど食べ進めて最初よりもずっと小さくしてしまうまで微笑みながらこちらを見つめていたシックスさんは、ポツリと言いましたわ。
「結局、『私』が活躍するまでもなく自己解決しちゃったね」
いつもの、その女性らしい容姿からすると少し不自然な『ボク』という第一人称とは違う『私』という言葉を口にしたシックスさん。
その響きに少しだけいつもと違う何かを感じつつ『最後の一口』を食べ終えて、甘味の余韻に満たされながらシックスさんの言葉を吟味する。
そう……そういえば、私がさっき考えたソニアさんの件からのねねさんの言葉までの間には、シックスさんとは……
「い、いいえ! そんなことは……今回の石切り場の仕事を教えてくれたのもそうですし、他のことも、私が進めたことはみんな、シックスさんのおかげでもあると思いますわ」
「そうかな? 具体的には、どこら辺がそうだと思うの?」
「レイさんに引き合わせて、転生特典の使い方を変えるという考え方を教えてくれたり……アンナさんに引き合わせてくれて守護者を容れ物に入れるアイデアをくれたり」
「ふふっ、それはレイさんとアンナさんのおかげだよ。私は二人のいる所まで案内しただけ」
「あと、おはぎの時も……あれは、偶然だったかもしれないけれど。私にとっては大きかったと思いますわ」
あの日、アトリさんに会えて心の引っかかりが解決した。
私の中で大きな枷になっていた部分が、本当はもっと早く考えなければいけなかったのに考えるのを避けていて心に負荷をかけていた棘が抜けた。
あれは、本当に大きかったように思える。
それに、ソニアさんはまだおはぎを渡していなかった時だけど、ダミーさんが私の問題を彼女なりにどうにかしようとしてくれたり、リーナさんが私自身が気付かなかった強みを教えてくれたのも、私が手探りながらもクラスメイトの皆さんの『友達』として振る舞おうとしたから。
「本当に、何がどうしてというのは複雑で、『いろいろあって』としてか言えないけれど……シックスさんの言葉や助けがなかったら、皆さんと赤の他人だったら、きっと今の私はこの私と大きく違ったと思いますわ」
「でも、それだってきっと、夜神さん自身が頑張って、夜神さんがいい方向に生きられるように悩んで行動して、前に進んだからだよ。それは、私のおかげってわけじゃないんじゃない?」
「……それでも『少しでも前に進みたい』と思って、でも具体的にどうしたらいいかわからなくて動けなかった時、その熱意が立ち消える前に進む手伝いをしてくれたから。だから、私はいろいろなきっかけを作って、私の小さな勇気を護ってくれたシックスさんに感謝しているのだと思いますわ」
『こんな私なんかに』と、謝りたいと感じてしまうほど幸せで、だからこそ感謝している。
『勇者部長』たるシックスさんにとっては戦英プロの諸問題の解決が仕事だからそうしたのであったとしても、それでも心から感謝したいと思えるほどに。
「そういえば……シックスさんはいずれ、戦英プロの『社長』になるというお話をテーレさんがしていましたわね。今とは立ち回り方とかが違うのかもしれないけれど……シックスさんはきっと、上手くやれると思いますわ。今だって、とっても頼れる大人なんですもの」
「ふふっ、ありがとうね。ただ、少しだけ個人的な問題があってね……ボク自身……私自身は、あんまりそう思えてないんだ」
「そ、そうなんですの?」
少し驚きながら問い返した私に、少し曖昧に微笑み返すシックスさん。
そして、少しだけ息を吸って意を決したように……
「ねえ、夜神さん。明日のお休みなんだけどさ……ちょっと特殊なお仕事の依頼、いいかな?」
「特殊なお仕事……ですの?」
「そう。具体的に、端的に言うとねー……ボクと一日、デートしてみてくれない?」
「で、デート? それって、恋人同士がするような、あれですの?」
「うん、それそれ、そのデート。ボクのことを……『私』のことを好き過ぎない、それにあんまり『私の活躍』で助けられたってわけじゃない夕子ちゃんだからこそ頼みたいことが……確認してほしいことがあるんだ」
シックスさんは、困ったような笑みを浮かべながら真っ直ぐな瞳で私を見つめて言いましたわ。
「本当の意味で、『私』が『大人』になるために、魔王を斃した勇者の後日談としての『自分探し』にゴールを定めるために。私の中の『勇者』の部分と……斃すべき魔王を討ち取ってしまって、未だにこれからどう扱うべきか決められてない……自分自身の中の『勇者因子』と向き合うために」




