第22話 【黒い恋人】
side 夜神夕子
『これは夢なのだろう』。
明晰夢と呼ぶには深く微睡みに沈んだままのボンヤリとした頭でそう思う。
その夢の中では、私は一匹のウサギとして生きている。
白い毛皮の群れの中、何故だかわからないけれど黒く生まれてしまった一匹のハグレモノ。
怖がられて、避けられて、仲間外れにされて。
あまりに辛くて、死にたい気分にならない日の方が少なくて。
そんなある日、私は『黒い沼』を見つける。
毒草を好んで食べる仲間たちでも近寄ろうとしない危ない樹がたくさん生えた場所。
とても甘くて心地良い匂いがするけれど、本能がそこに近付くことを死に近付くことと同義だと教えてくれる沼の淵。
夢の中の私は、死にたい気分になる度にそこへ行き、ドロリと粘つく沼の水を飲んだ。
死んでもいいと思っていたから、そこに溶け込んだ毒の樹液を堪能した。
そうすると、頭の中が痺れて、身体が火照って、辛いことも苦しいこともどうでもよくなったから。
最初はすぐに倒れてしまった。
次はお腹いっぱいになりすぎて泣いてしまった。
でも、繰り返す内に倒れなくなって、沼の水を飲めば飲んだだけ身体が膨らむようになって、いくらでも飲めるようになった。
そうして気付けば、白い群れの仲間たちは私から遠く逃げていて、本当のひとりぼっちになっていた。
一人……一匹で生きるのなんて平気だと思っていたのに、それを理解してしまうと沼の水も癒してくれないくらいの穴が自分の中に生まれていた。
だから、私は飲めるだけの沼の水を飲んで、沼の水を生み出す毒の樹も食べられるだけ食べて、大きくなれるだけ大きくなって、他の動物の群れを探した。
どこかで、自分の中の穴を埋めてくれるような何かが見つかるかもしれないと思って冒険に出た。
そして……私はすぐに、穴を埋めてくれるものを見つけた。
初めは、獣の番。
黒い沼の水を飲み続けた私は、いつしかその毒と同じ香りを発するようになっていたらしく、私が風上から近寄っただけでほとんどの獣は乱れ狂い、その中でも特に番たちは特別な行動に走った。
舐め合い、おぶさり、絡み合う。
私が目の前まで近付いても、逃げ出すことも牙を剥くこともなく他のことなんて眼中にないように触れ合いの感触に夢中になる。
私は、自分の意志で沼の毒を身体から絞り出して大きさを自由に変えられるようになっていた。
身を縮めて溢れた毒を吐きかけると、番は毒の粘り気に絡め取られながら互いの肉に溺れて死んでいく。
汚泥に塗れながら一つの塊のように絡み合って終わるその姿が、私にはとても羨ましく思えた。
私の中の穴を埋めてくれるのは『これ』に違いないと思えた。
だから、私は目の前にあるけれど自分のものにならないそれを自分の穴へ注ぐ方法を探した。
毒の汚泥にまみれた番の亡き骸をそのまま食べ尽くしてみた……穴は埋まらなかった。
今度は小さな獣を選んで番が息絶える前、互いに夢中になっている最中に丸ごと呑んでみた……お腹の中で番が動いている間は胸が弾むような感覚がしたけれど、すぐに終わってしまった。
そして……いろいろな獣で穴を埋める方法を試している内に、私は『人間』の群れが住む『里』に行き着いた。
私たちを『ドクソウカジリ』と呼び、他の生き物ができない『毒袋の切除』という方法で私たちを容易く捕食してしまう一番危険な生き物。
けれど、沼の毒の力を持った私はもう恐れなかった。
私が毒を絞り出して風上から忍び寄るだけで、彼らもまた番と寝床へ向かい、ただの獣に成り下がる。
彼らの巣の覗き穴から見るそれに、私の心は獣の番を見るときよりも大きく震えた。
私の欲しいものがそこにあった。
だから、あらゆる方法を試して、奪い取ろうとした。
……愉しかった。
穴はいつまでも埋まらなかったけれど、確かに穴に何かが注がれる感覚はあった。
特に、あれは良かった。
番の雄の方……雌を強く粘つく毒で動けなくした目の前で、私が雄の腹の上で死ぬまで跳ねてやると、雌はとてもいい顔をして、雄はいい鳴き声を聞かせてくれた。
特に、あれも良かった。
番の雌の方……雄を毒で動けなくした目の前で、私が雌の腹の中の臓物に舌を伸ばして毒液を塗り込めてやると、雄はとてもいい顔をして、雌はいい鳴き声を聞かせてくれた。
あれは良かった。
番の間にあった『なにか』、私が欲しかった『なにか』を、間違えなく奪えたという感覚があったから。
私の中の穴は埋まらなかったけれど、続けていけばきっと埋まると思えたから。
だから、続けた。
だから、続ける。
これまでも、これからも。
そこにその『なにか』があると感じれば、そうしない理由はない。
だから……
『夕子』『夕子ちゃん』『夕子さん』──
『番』でなくたって、構わない。
あの教室に、この場所に、あの輪の中にそれがあると感じられるのだから、同じことをするだけ。
そう、だから……
「はわっ! ……って、あれ? 夕子さん? こんな夜中にどうしたんですか?」
誰でもいい。
誰からでもいい。
この雌でいいから、早く欲しい。
「え? ちょっと、こっちは私の部屋ですよ? お手洗いはあっちで……寝ぼけちゃってます? それに、そのパジャマ、支給品じゃなさそうですけど、今日のソニア様とのお出かけで買ったんですか? あ、ちょっと待って、夕子さ──」
…………そんな、夢を見た。
最後は、暗い真夜中の廊下から他人の部屋へ押し入ることで終わる夢を。
そして……朝。
小鳥の鳴き声と眩しい光をなんとなく認識しながら、舌先に妙な感覚を憶えて、ふと瞼を上げると……
「んっ……んんっ……はぁ、はぁ……夕子、さん……もう、私……」
「えっ……ダミー、さん……?」
私の知らない、作業道具や工芸品が所狭しと詰め込まれた半分工房みたいな状態の寮部屋。
部屋の隅に追いやられた生活用品に囲まれたベッドの上で、シーツを握りしめながら私の真下で顔を赤らめているダミーさんと……彼女をベッドに押し倒した上、豊満な胸とお尻を鷲掴みにしながらはだけられたそのお腹に、その真ん中のオヘソに舌を這わせている私。
あと、何故だか、全身にピッチリとゴムが張り付いているような感覚。
これは……
「あ、あの……これは……」
「起きたなら、ど、どいてくださぃ……トイレ、行く直前だったから……もう、漏れそうなんですよぉ……」
三十分後。
涙目で顔を赤らめたダミーさんの前で自主的に正座する私……その私の身体を包む、謎のゴム質の黒い革のようなもの。
何故か脱ごうとしても上手くいかないそれを脱ぐことを断念して『昨日の夜に見た夢』を白状し終えた私に、顔を真っ赤にしたダミーさんは震え声で言いましたわ。
「めちゃくちゃ執拗におヘソを舐められました……そのまま内臓を吸い出そうとしてるんじゃないかってくらい、執拗に」
「な、なんででしょうね……変な夢を見て、寝ぼけてしまった、とか……」
少なくとも、故意ではない……はず。
確かに普段からダミーさんの身体は、なんというかミュジカさんにも負けず劣らずのご立派というか、ミュジカさんよりも身長が少しだけ低いのも相まってさらに強調されているように見えてよりご立派に見えるとは思っていましたけども。
夢遊病のような状態で夜這いをかけてしまうほど意識していたわけでは……
「……原因はわかってます。一目瞭然です」
「そ、そうなんですの? いったい、どうして……」
「……これで、夕子さんもわかりますか?」
そう言って、工房の作業道具の中から手鏡を選び出して鏡面をこちらに向けるダミーさん。
そうすれば、当然そこには私の姿が映り込むわけで……
「……はい?」
『黒いウサギの耳』。
一番に認識したのは、自分では見えない頭の上に位置していた特徴的なそれ。
そして、それを『耳』と認識した途端に、私がどうしても脱げなかった黒ゴムの革の、いえ、『皮』のようなものが一匹の、いえ、一羽の動物の輪郭として浮かび上がってきて……
「…………きゃぁぁあああああっ!?!? ごめんなさいごめんなさいごめんなさぃぃいっ!?」
「はわぁあっ!? さ、作業用の防音壁に改造しておいてよかったですぅ……」
『黒い恋人』。
私がつい昨日、ソニアさんと一緒にその息の根を止めてしまった森の悪神。
あろうことか、私がキグルミパジャマのように身をくるませていたのは、特徴的なゴムの質感に変化した毛皮そのもので……
「ななな、なんで、なんでここに、私の身体に、知らない内に!!」
「はわわぁ……そのぉ、見た感じ、ガッツリ呪われちゃってるみたいですぅ……よっぽど怨まれるような……いえ、執着されるような殺し方、しちゃいました……?」
「し、しましたけど、森の民の方々はそういったことを防ぐために儀式の準備を……」
そこで、思い出してしまう。
あの時……『彼女』の死の間際、その目を見ないようにと施された目隠しを外し、その瞳に映った自分を見たことを。
私が『彼女』を見つめていたあの時、『彼女』も私を見つめていて、それは儀式の準備をしてくれた森の民の方々の想定にはなかったはずのことで……
「あの……ダミーさん? ダミーさんがお手洗いに行っていた時から私、このラバーズさん……の毛皮、ずっと、脱ごうと頑張っていたのに脱げなかったのですけれど、もしかしてこれは……」
「えっと、その……詳しく調べてみないと断言はできないけど、たぶん本来の権能が抜けた分の器に夕子ちゃんの『守護者』がはまり込んじゃってるというか、相性が良すぎて癒着しちゃってるみたいなので……完全に脱ぐのは、一生無理かも……」
「…………いゃぁああああっ!!」
一時間後。
私が目覚めたのは早朝だったということもあって、まだ他の人は起きていないくらいの時間。
ひとしきり無理矢理にでも毛皮を脱ごうとしてみたり鏡に向かって謝罪と懇願を繰り返したりという無駄な試みを続ける私の横で、作業道具なのか作成品なのか判断が難しいマジックアイテムらしきものを使って私を調べ続けていたダミーさん。
彼女は、何かの確信を得たようでベッドの隅で膝を抱える私にこう言いましたわ。
「とりあえず、各種の計測と検証が終わりました! 結論から言って……夕子さん、やっぱり呪われちゃってます!」
「…………でしょうね」
「今は意識が覚醒状態なので影響は少ないと思いますが、この感じだとまた眠れば、その……さっきまで、みたいに、このウサギさんの生前の行動パターンに影響された行動を無意識にとってしまう可能性が高いかと。今回は偶然遭遇したのが私だっただけで、たぶん、手当たり次第に……」
「………………でしょうね」
「それと……いえ、それも、でしょうか。その毛皮が、夕子さんの守護者と半ば癒着しちゃってるのが大きくて、転生者の肉体は擬似権能を入れるための空の器みたいな神器としての機能もあるので、転生特典を捨てられないように、その毛皮も……」
「……………………でしょうね…………」
『守護者』は、精神の具現化とも言える能力。
転生特典の中でも転生者の精神の影響を強く受けるタイプであると同時に、その逆流もあり得る……守護者を派手に使うことでストレスが発散できたりするのと逆で、精神影響を普通の人よりも強く受けてしまう場合もあるというのは、蓬さんが他の転生者との戦いの経験談として教えてくれたことがありますわ。
私が今身に着けている『彼女』は、元々精神影響を与えるタイプの権能を持っていた『森の神様』の成りかけ。
私の心の闇の具現ともいえる『不明』に滑り込むだなんて……いいえ、『不明』に自分自身を取り込ませることだって、不安定を極めていたあの瞬間の私を相手にすれば不可能ではなかったのでしょう。
なんと言ったって……あの時、『彼女』が受けていた恐怖は、私が『不明』という性質の守護者を発現させた原因であろう暗闇への恐怖の始まりとほとんど同じものだったはずなのだから。
共鳴して、協調して、私がそう意図しなくても貼り付いて混ざってしまうくらいに性質が噛み合ってしまった。
ソニアさんがあの場で解体したはずの遺骸の一部である毛皮がここにあるのは、それしかあり得ない。
私の無意識が『不明』に触れた毛皮を引きずり込んで、持ち帰ってしまった。
そして……
「……夕子さん。もしかして、今も精神影響受けてる感覚、あったりするです?」
「はい……さすがに、この一時間ずっと自分の内側を見つめざるを得ない状況だったので」
この毛皮がどうやっても物理的に脱げないようになっているとわかってしまえば、骨も筋肉もない毛皮だけがどうやって私にしがみついてるのかと私自身の肌との境目を調べてみて、そこに潜んでる『不明』が原因であることは、パペットや手袋を操作している時の状態と似ていてすぐわかったから。
私の能力の暴走でこうなってるのなら、私の精神の問題かもしれない。
そう思えば、自分の心の中を見つめるしかなかったから。
『それ』を自覚するのも簡単だった……いや、むしろ、もっともっと早く自覚してもいいはずのものをようやく自覚しただけだった。
「『誰かにちゃんと愛されたい』……けれど、私なんかが誰かに愛してもらえるわけがない。だから、妬ましくて、羨ましくて、恋しくて……他人が互いに向け合っている愛を横取りしたいと衝動的に思いますの。ダミーさんを、Cクラスの人を襲ったのも……あの空間には愛が溢れてると、私がそう思っていたから……手の届かない愛が、そこにあると。だから、手が届かないなら、混ざれないならせめて、奪ってやりたいと」
難しい言葉を知らない『彼女』には定義できなかったグチャグチャの気持ち。
『植え付け』というよりも『増幅』された、私自身の中にもあった醜い感情。
それが好きだから欲しいわけじゃなく、自分だけが持っていないのが悔しいというだけで他人の輝きに毒の汚泥を吐きかけて塗り潰したいと思う浅ましい欲求。
……わかっていますわ。
みんなが、私を受け入れてくれていて、私も同じ輪の中にいると思っていい、そう思えるようにしてくれていることは。
…………わかっていますわ。
壊しちゃいけない、そんなことをすれば本当に欲しいものは離れていってしまうことは。
後は、私の心構えだけの問題で、手を伸ばせばきっと届くはずのものを臆病になって掴めないでいるだけだということは。
……それなのに、掴むことを選ばずに壊してしまえば、絶対に『そのまま怯えずに掴んでいればよかっただけなのに』と後悔することは。
けれど……
「……不安が、疎外感がありますの。白い群れの中で、一人だけ黒く生まれてしまったウサギのように。私は……毎日、みんなが『初期対応部』として行動している中で一人だけ『自分探し』なんかに時間を使っていて、結局まだ一度だって皆と一緒に戦うこともできていない。最初の出動で足を引っ張って、みんなを全滅させかけて、それだけ……『正直、これからもずっと戦線復帰なんてしてほしくない』と思われてるんじゃないかって」
「そんなことは……」
「ええ、わかってますわ……きっと、皆さんと一緒に戦っていた時の『夜神夕子』は、とても頼りになる仲間で、今でも帰ってきてほしいと思える人なのだろうと。でも……憶えて、いませんもの……私はきっと、もう二度とそうはなれないとわかってしまいましたもの……」
きっと、Cクラスの皆さんの中での『夜神夕子』は、まだ戦場にいた頃の『夜神夕子』なのだと思う。
けれど……私は昨日、決定的にその時の私から分岐して、分離して、戦場から帰ってきてしまった。
もう、たとえそれで自分が死ぬのだとしても、『殺し合い』は二度としたくない。
そう思ってしまう、そう思える今日の私に進んでしまった。
私は二度と、あの頃の『強さ』は取り戻せない。
けれど……
「もう、そんな私には戻れないのに……今でも、頼られたいとは思ってしまう。浅ましく、殺し合いにも耐えられないのに、『不明』は殺し合いでもなければロクな使い途もない能力だってわかっているのに……今の私のままでも、頼られるようになりたいと思ってしまっている。強欲が過ぎますわ」
前は私の中で『頼られる』と『戦場で上手く舞う』と『敵を倒して活躍する』は同義の概念で、区別する必要もなかった。
頼られて、舞って、活躍して……それら全てが一纏めになった『戦う』という言葉で自分の価値と欲求を一致させていた。
『戦火の狂気』の中でそうすることで、力を奮う気持ちよさと自分に与えられる役割を紐付けて自分の命と心を守っていた。
けれど、気持ちを切り離して認識できるようになった今では、『殺す』なんてどうやっても気持ちよくなんかなれないし、『舞う』のも嫌なことばかり思い出すからできればもう二度と考えたくないと思ってしまう。
『殺さず』『舞わず』、それでも皆さんに頼られて仲間の輪に入りたい、そこに自分もいるのだと誇らしく確信できる自分でいたい。
私には、それくらいしか上手くできることなんてないと知っているのに……
「うーん……なるほど! つまり夕子さんは、自分の転生特典を他のに変えてみたいんですね! なら、せっかくですしその毛皮ごと、そのまま一緒に改造しちゃいましょう!」
……。
…………。
………………。
「……………………はい?」
「ちょうど今日明日は休日ですし、その毛皮は素材としては最高級品です! 権能の抜けた容量の枠もありますし、そのまま夕子さん専用の神器としてカスタムしちゃいましょう!」
「え、あの、何を仰っておりますのかしら? 転生特典を、他のに、変える……そう言われました? あの、この世界の人間であるあなたにはわからないかも、いえ、むしろ私よりも歴史とかに詳しいのかもしれませんけれど、転生者の転生特典というのは転生の時に決定したものから変えることなんてできないもので……」
「はい、わかってます。でも、外付けの神器に付けた機能を回すための原動力として転生特典を組み込むのは難しくありませんよ? 蓬さんに蒸気機関の神器を持ってもらえば簡単に擬似的な能力変更ができるのと同じです」
「…………」
言われてみれば、確かに道理ではある……のかもしれない。
確かに、私の『不明』の守護者も、触れたものを呑み込んで抉ってしまう性質さえ解決すれば単なる怪力の触手として水車や発電機を回して機械を動かすようなことはできなくはないはず。
現に、まだあまり上手く行っていないけれど、私がアンナさんから勧められて手袋やパペットに『不明』を吹き込んで動かす方向で能力の練習をしているのもそういったシンプルな動力としての使い方ができる可能性があるから。
けれど、現状では『不明』を吹き込んだ容れ物を以前のような出力で動かすイメージはできない……そんなことをしてしまえば、布の境界なんてたちまちに破れて『不明』が暴走するイメージができてしまう。
その厄介な性質と出力制限の問題を解決するのが、ちょうどまさに私の能力との相性が良すぎて切り離せないこの毛皮から作った神器だということなら……
「『専用の神器を使うタイプの転生特典』は、その神器を紛失するリスクだったり持ち運びにくさだったりが弱点になったりもしますが、夕子さんの場合は『不明』を擬似収納として使えるようにするだけでそこら辺は解決するはずです! 紛失とか奪われるとかっていうのも、そもそも外したくても外せないなら全く問題になりません!」
「で、でも、それだと呪いの精神的な影響がそのまま……」
「それはとりあえず中和用の呪紋でなんとかします! それに、精神影響の根本的な部分が感情の増幅なら、夕子さん自身の不満が解決に向かえばそれに合わせて弱まっていくはずです! その方が、その子の気持ちとしても報われると思います!」
「…………」
一種の供養……ということになるのやら。
食べたいものを食べられず死んだ人の墓前にそれを供えるように、どうしても死ぬまで満たされなかった欲求が呪いの怨念と化した亡き骸を肌見放さぬ装備品に作り直して、一緒にその欲求を満たすため旅路を共にする……そんな、メルヘンやファンタジーのお話の中で適用されそうな死後の和解法。
けれど、そんな美談なんて自己満足……
『メルヘンやファンタジーのお話じゃないのだもの』
……いいえ、そう、でしたわね。
「……メルヘンやファンタジーにできないのは、『戦争』のお話でしたわね」
脳裏をよぎったソニアさんの言葉。
生存競争、というのも一つの戦争のようなものなのかもしれないけれど……あの儀式は、『戦争』じゃなかった。
捕らえられた生き物を殺して、その生きた証である血肉をいただく狩りの最終行程……普段から食べている食事と同じ、命に『いただきます』を告げるべき行程。
命をぶつけ合って、浪費して、血肉を大地にばらまいて腐らせたり燃やしたりするだけの戦争とは違って、生き物が何年も生きて練り上げた生涯の器に価値を認めて受け継ぐ行為。
美談にしてしまっているだけかもしれないけれど、受け入れなければ生きてはいけない事実。
それをせめて、『命をいただいて』人生という旅路に『連れて行く』という解釈は、あの『悪神送り』という儀式そのものに近い部分があるのでしょう。
そも、あの儀式の目的が『神器の素材を得る』というものだったことを考えれば、呪いの宿った悪神の血肉を最終的に神器に加工して有効活用することで供養とするというのは理にかなった解決法とも言えますわ。
ただ、そうなると……
「でも……そもそも、技術的に可能ですの? 『森の民』でもないのに、素材を神器に加工するなんて……」
「そこはお任せください! わたし、こう見えてもちゃんと『贋作工房』の弟子ですから! 神器作りは慣れてます! なんて言ったって、『王弟派』に大量の神器を納品しちゃったせいでここにいるくらいなので!」
…………そうでした。
忘れていたけれど、この根本的に他人への悪意のなさそうなダミーさんも外の世界でやらかした結果、このCクラスで恩赦をもらうために仕事をしている側。
そして、蓬さんが語っていたその罪状がテロリストへの神器提供。
オマケに、この部屋はどう見ても彼女の工房も兼ねていて……
「じゃあ、そうと決まれば早速作業に取りかかっちゃいますね! はい、ポチッと」
『ガシリ』。
ダミーさんが壁のボタンを押すのとほぼ同時に私の両手両足を掴む『手』の感触。
目を向けたそれは、ベッドの下の闇から伸びる何本もの『人間の手』という本格的なホラーじみた怪異で……
「ひっ、あの、これは!?」
「『神の手の贋作』です。素材を夕子さんから外さずにそのまま加工しちゃうので、動かないように固定しちゃいますねー」
手脚を引っ張られ、ベッドの上で大の字で固定される。
それに、私の四肢を掴んでいない腕がお札の貼られた注連縄みたいなものを私の身体のあちこちに結びつけて、他の腕たちと共に強く引き締めると不思議なくらいピタリと全身の動きが封じられて指一本まともに力が入らなくなる。
しかも、オマケに黒いゴム質の私の体表に、指先に付けた白い塗料で線を引いていく手も現れて、それはまるで……昨日の、あの儀式場での『彼女』の受けた仕打ちそのままで……
「あ、あの……怖いんですけど、私もしかして、これから解体とかされません……わよね? 死ぬほど痛いこととかされませんわよね!?」
「あっ、加工用の道具とか見るの怖いですか? それならー、これ付けておきましょうか。あと、一応は舌を噛まないようにこれも口に付けてもらってぇ……」
「むぐっ!? んぐぐっ!?」
悪意なく大量の手数の有利を振りかざして、私の口に布を噛ませるだけでなく、目の上に巻かれるしっかりとした厚い布地の目隠し。
ソニアさんは私が暗いのを怖がるとわかっていて薄手の布での目隠しにしてくれたけれど、ダミーさんは悪意のないまま作業的に私の視界を真っ暗にして……
「んぐぐぅううっ!」
「準備完了ですね。あ、強制鎮静のための呪紋はちゃんと機能してるから、能力の暴発は我慢しなくて大丈夫です。それに、加工中の痛みとかも感じないようにしてあるので、安心してください」
安心できない。
技術力の高さはわかっても、それを扱う彼女のあまりの悪意のなさが逆に怖い。
いきなり人にこんな扱いを始めてもそこに悪意や害意がないのが、私を神器を作るための素材の一部としてしか見ていないような態度が怖い。
けれど、今の私にはどうすることもできなくて……
「じゃあ、始めますねー」
ダミーさん一人ではない、何十本という腕が一斉に動き出して私の全身に群がる音と気配。
暗闇と合わせて噴き上がる恐怖の感情が強制的に鎮静されて頭の中が高速で対流するような、私を加工しようとする悪意なき職人の手によって心まで支配されてしまっているような感覚。
きっと『まな板の上の鯉』の方が、まだ幾らかマシだった。
言われた通り痛みを感じないまま、むしろそれが恐ろしくすら感じる『加工』の音と気配を感じ取りながら、私はそう思った。
黙々とした作業。
加工音、図面を引くような音、計算中の呟き。
私がどう藻掻いても意に介さず続けられるその気配は、ある種の芯が通っているように本当に貫徹された集中力だけが感じ取れるもので。
「………………」
何時間経ったのか。
強制鎮静で心すら支配される感覚から逃れるためか、いつしか私自身も自分が『作業台の上の物言わぬ素材』なのだと思い始めて自己暗示のような状態に入っていた頃合いで。
「……夕子さん、この子はきっと、怨んでるんじゃないと思います」
ダミーさんの声が、ポツリとそう言った。
『物言わぬ素材』の私に向けて何かを言ってもしょうがないのに。
「ただ、ずっと妬ましくて、羨ましくて、自分の持ってないものを他のみんなは持っていて……世界の中で自分だけがそれを持っていないみたいに思えてしまって。寂しかったんだと思います」
「………………」
「でも、最後の最後の瞬間に、あなたが『それ』らしきものをくれた……その瞬間に、混乱して、満たされて、でもそれを自分にすら分け与えてくれる存在に、それだけあり余っている人に嫉妬して、奪いたくなったから、呪った」
「………………」
「でも、その夕子さん自身も同じように飢えていたとわかって、自覚してくれて……ずっと欲しくて欲しくてたまらなくて、奪おうとしても奪えなかったそれは、そもそも『奪うもの』じゃないことを知ってしまったから」
「………………」
「本当に、とても良く馴染むんです。きっと……空虚になってしまったばかりだから。この子はきっと……突然変異で大きくなってしまっただけで、まだ子供で、純粋で、欲しいものをどうやって手に入れたらいいかわからないこともわからずに、自分にできてしまう方法で手を伸ばしていただけです。ちゃんとしたお金の稼ぎ方も使い方も知らなくて、偽物の金貨を彫って安いパンを貰ってた私みたいに」
「………………」
「その子は、あなたに縋り付くしかなかったんです。心の穴を埋めたくて、同じものを求めているあなたに。いきなり心の中まで押しかけられて迷惑に思うかもしれないけど……一緒に見つけてあげてくださいね、ちゃんと満たされて、ちゃんと幸せになる方法を。この子だって、やり方は間違ってて迷惑をかけるだけだったとしても、幸せになりたくて頑張ったはずなんですから」
……その後も、夜まで『加工』は続いた。
作業が終わって解放された私の顔にはまた、涙で腫れた痕があったけど、それが加工への恐怖から流れたものなのか別のものなのかはわからなかった。
そして、その夜……
「で……夕子もダミーも、休日だからって食堂にも出てこないし誰も姿を見てないと言うから部屋でぶっ倒れてないかって調べてみれば、『悪神送り』で呪われた夕子を使った『神器作り』に勤しんでいたと。ダミー、お前のために『神器を作れるような素材』を仕入れてやれないのは、それが手元にあればとんでもないものを衝動的に作り始めるお前の非常識と倫理観のなさを多少は矯正できないかと『贋作工房』から頼まれてるからというのは言ってあったはずだよな?」
腕組みした千里先生の前で、二人揃って正座。
……昨日のデジャヴみたいなシチュエーションですわねこれ。
まあ、今回は隣にいる方が余裕綽々のソニアさんではなく涙目でプルプル震えながら目を伏せているダミーさんなのですけども。
この表情から察するに、本当に『こうすると誰かに怒られる』とは考えてなかったみたいですわね。
「はぁぁ……夕子も、途中までは不可抗力だったのはわかるが、呪われてるとわかったら恥ずかしくてもまず大人に頼れ。できる範囲の解呪くらい話を聞けばすぐにしてやるし、それがダメでも手段は探してやるから。少なくとも脱げない毛皮を身に着けたまま神器に改造するなんて荒業よりは安全な方法をな」
「はい……その通りですわね」
冷静になって考えてみれば、森の民の『悪神送り』が神器の素材を手に入れるための儀式だとしても、そこで呪われて脱げなくなった毛皮を身に着けたまま神器に改造するなんて言う方法が解決の正攻法であるわけもなく。
私が無事にこうして今も生きているのは、純粋にダミーさんがそうできてしまうだけの技術の持ち主だったというだけの話ですわ。
「いいか、お前らがそれぞれ個室を与えられているのは、こういう相互作用で常識外の問題を起こすことがあるの仕方ないとしても、せめて大人や周りのCクラスがいてすぐに止められる場所でやってもらわないと困るからだ。こういう言い方はすべきではないが……どうしても前にいた環境の関係で、人を傷付けたり殺めたりといった行為へのハードルが低い者も少なくないからな」
「…………」
「今回みたいなことが増えると、部屋の中まで監視をつけたり他人の部屋への出入りを禁止したりといった不自由なルールを追加しなければいけない事態にもなる。そのことも理解した上で振る舞いを改めるように、二人ともいいな?」
「「はい、ごめんなさい……」」
「それと、夕子……まあ、なんだ。その格好は……お前の趣味、なのか? いや、否定したいわけではないのだが、お前の私服がそれというのは意外が過ぎるというか……いや、制服と着物ばかりで洋服の趣味は知らなかったとは思うが」
……そう。
今の私の『服装』は、ダミーさんの改造の結果。
私の能力を動力にその使い方を拡張する神器として、いくつかの機能を使い分けられるように形態変化できるようにしてくれたとのことでお試し中に千里先生が乗り込んできたので、結局そのままの流れでお叱りを受けてしまったのだけれど。
「これは……その、身体強化用の『バニーガール・フォルム』であって、断じて私の趣味でも私服でもありませんわ」
肌にピッチリと張り付くゴム質の黒いブーツと長手袋に、胴体を護るコルセットというボディラインがもろに出る服装に感覚補助のアンテナを兼ねたウサギの耳。
一応は『あり得るファッションの範囲』に収まるものとしてこれを神器と知らない者が見ればそのまま『バニーガール』と表現するであろう外見。
……これは、身体強化にも使えるからと、試着だけしてみるつもりで、言われた機能を起動してみただけ。
出来心で着てみて……その結果、こんな姿は決して戦英プロの皆さんには見られるわけにはいかないと思った矢先に千里さんに見つかり、部屋の中で行われた改造施術の痕跡について問い詰められてこの始末。
今まで一切服装に触れずに叱りつけてくれた千里先生には大いなる優しさを感じますが……
「その、なんだ……意外と似合ってはるぞ? 普段とはギャップのある大胆さとか……」
「お世辞は結構ですわ……」
破廉恥極まるこの機能だけは固く封印して二度と使わないことを心に誓いますわ、本当に。
妖怪図鑑『【黒い恋人】』
原材料『黒い恋人の毛皮』、『不明の守護者』。
『森の悪神』の穢れと毛皮により、半ば偶発的に成立した呪具を操作しやすく改造した夜神夕子専用神器。
元の『黒い恋人』が自身のサイズをかなり自在に変動させられる能力を持っていたことからその毛皮も高い伸縮性と形状の自由度を持っており、夕子の守護者を制御する『容れ物』として機能する。
『悪神送り』で摘出された毒袋に由来する印象操作の権能は失われているが、権能を納める『器』そのものは残されており、ダミーの手によって夕子の守護者の機能を用途に応じて尖らせ擬似的に『使役獣(兎型)』『自己強化』『収納空間(不明領域の自己収容)』の機能を果たす神器として扱えるように調節されている(新能力の付与というよりは蓬が自力で獲得した【火演】の派生補助)。
また、夕子が受けた呪いは『帳消し』になったわけではなく、あくまで夕子自身の順応を助けた形になっているため、普段は気にならずとも臓器移植による記憶の伝播に近い影響が出る可能性も……?
「妖怪……というよりは、曰く付きの皮袋ですわね。もしかしたら、一度顔に貼り付いたら二度と外せないという『肉付き面』の亜種のような怪異の類という見方もできるのかもしれませんけれど」──by 夕子




