如月ー8
この後、更なる衝撃が待っています。
お楽しみ頂ければと思います。
「…ここは…」
“彼”が目を覚まし起き上がって見渡したそこはその時はまだ見たこともない場所だった。
見渡す限りの雲海。
目も覚めるような真っ青の空。
上空からも雲の切れ間から光が幾筋も差し込んでいる。
時折七色に輝くその内の一筋が“彼”の額に降り注いだ時
「…!」
“彼”は全ての記憶を取り戻した。
本当の名は“ザドキエル”で
“生命の樹”の“ケセド”を守り慈悲と慈善と記憶を司る
大天使だった事を。
地上の“悪魔”の誘いに惑わされ堕天してしまった弟バラクを追って自身も堕天してしまった事を。
そして人間に姿を借りた“悪魔”から“人類の為に必要な大切な魂”を守った事を。
きっと地上での肉体がああなったため、魂が天界に呼び戻されたのだ。
そうだ。ここは天界だ。
神が統治し天使達が住み、死者が一時的に滞在する
“仮の楽園”だ。
「…全ては“主”の御心どおりだ。ザドキエル。堕天した者が辿る運命はそなたも知っているだろう。」
「!!」
突然上空から声が降ってきた。
エフェクトをかけたような、男性とも女性ともつかない声だ。
ザドキエルは瞬時に察した。
天界の番人の声だ。
「弟は…バラクもそちらに居るのでしょう!彼は…私より先に地上に堕ち人として生き、自らの不遇に絶望し自殺したのです。ここに戻されているのではないのですか!?」
ザドキエルは立ち上がり肩にかけた藍色の長い布を翻し真っ白な翼を広げながら言った。
「そうだ。だが堕天した罪は重い。バラキエルにはその罪にみあった罰を与えている所だ。」
「罰…何を…何をしているのですか!やめて下さい!どうか弟を赦してやって下さい!」
番人の声にザドキエルは恐れおののき必死に訴えた。
「“主”は大変に慈悲深い。堕天し人として生きる事になっても地上で幸せになれるようにとバラキエルに“道”をご用意してくれたのだ。だがバラキエルはその道を歩まなかった。その“道”を歩んでさえいれば、このような事になる事はなかった。“主”の御心を見ようともせず、悪の道に走った。罪によって穢れた魂は罰によって更正されねばならない。」
番人は尚も冷たく言い放った。
「“主”が用意した“道”…」
ザドキエルは顔をしかめながら呟いた。
“道”とは人の生きる道、一生、人生の事だった。
「ザドキエル、そなたにも“道”が与えられた。そなたは“主”の導きにも忠実に従い正しい道を歩んだ。罰は軽くて済む。安心せよ。」
「…バラキエルに会わせて頂けませんか?」
番人の言葉で自らの罰の軽さに安心するよりも弟の身のほうがザドキエルには重大だった。
「バラキエルに会わせて下さい!」
ザドキエルは翼を広げ上下に大きく動かすと足元を蹴り空中に舞った。
「バラキエルは雲の神殿の牢に容れられている。会いたくばそこにゆくがいい。」
番人が言い終わるか終らない内にザドキエルは大きな白い翼を羽ばたかせ、驚異的なスピードで“雲の神殿”に向かった。
天界では光の筋は地上でのエレベーターやエスカレーターのような役割をしている。
幾筋もの光の筋に沿って飛び、雲の神殿にザドキエルは辿り着いた。
白い大理石に似た石材でできた巨大な神殿では毎日のように死者の裁判が繰り広げられていた。
生前どのような罪を犯したか、生き方は正しかったか、魂が天秤にかけられ、一定の数値を満たせば天界での“一時滞在ビザ”を受ける事ができるのだ。
このエリアは凡そクリスチャンやユダヤ教徒等、主に“アブラハムの宗教”と呼ばれる人々の“あの世”だった。
神殿で無事判決を終え滞在ビザを手に入れた人々はその後天界の楽園で生活することを許される。
一定の数値に満たなかった者はもう一度地上に降ろされるか、罪が重すぎた場合は地獄へ落とされるケースもあった。
中には地上でやり残した事をやり遂げるため自ら手続きを済ませもう一度生まれ変わって地上に戻る魂もあった。
つまり生まれ変わりはあると言う事になるのだ。
よく“人生は一度きり”などと言われているがそれは間違いであり、輪廻転生の概念はどの宗教の教えでも同じなのだ。
ザドキエルは神殿の裏手に周り裏口から内部に入ると地下に続く階段を降りた。
薄暗い地下には堕天した後天界に呼び戻された天使が繋ぎ止められている牢があった。
「…バラキエル!?…バラキエル!」
ザドキエルはバラキエルの名を呼びながら端から並ぶ牢を順に除き込んだがどの牢も空だった。
「…その…声は…兄さん…?」
不意に一番奥の牢から声がした。
「バラキエル!!」
バラキエルは一番奥の牢に繋がれていた。
ほとんど金髪に近い黄土色の髪、右が茶色で左が緑のオッドアイ、美しい顔立ちにしなやかで流麗な肉付きの美しい体。
七色のプリズムを称えた艶やかな漆黒の翼
しかし、着ている服は、ザドキエルが地上で見た“あの衣装”に変わっていた。
彼が地上で、“トニー・イップ”として生きていた時バレエのコンクールで着用していた、“海賊”の“アリ”の衣装だ。
「…聞いてないよ…地上があんなに酷い所だなんて…」
“アリ”姿のバラキエルは憔悴しきった様子で項垂れながら呟いた。
薄暗くて初めはよく見えなかったが目を凝らすと身体中に鞭で打たれた跡が無数にあった。
自慢の美しかった漆黒の翼も所々折れ、羽根も抜け落ち、冷たい床に無惨に散っていた。
「…パン職人か宣教師になっていれば幸せになれていたなんて話も聞いてない…!そんな道…どこに示されていたと言うんだよ…!俺は…俺はただ知りたかっただけなんだ…!」
「人が何故…“夢”を抱いて生きるのか…“夢”の正体を…」
バラキエルは両目から涙を滴らせながら訴えた。
「バラク…ああ!可哀想に…!こんなに傷だらけになって…辛かったね…苦しかったね…」
ザドキエルは牢の外から格子ごしにバラキエルの頬を撫で涙を拭った。
「兄さん…ごめんなさい…俺が地上に憧れたばかりに…兄さんまで辛い思いを…」
バラキエルの言葉にザドキエルは強く頭を振って言った。
「いいんだ。もういいんだよ。またこうして会えたんだから…ずっと会いたかった…。お前を探していたよ…。バラク…!」
「兄さん…兄さん!俺…地上で沢山罪を犯してしまったよ…沢山の人を哀しませてしまった…“主”も赦してはくれない…もう駄目だ…」
バラキエルは深い哀しみに美しい顔を歪ませながら言った。
「大丈夫だ。バラク。俺は赦すよ。俺はお前を赦すただ一人の存在だ。だから哀しまないで。」
ザドキエルは格子ごしにバラキエルの痛めつけられた体を優しく抱き締めた。
「兄さん…俺地上に大切な人を置いてきてしまったよ…。謝りたいよ…。凄く、凄く良い子だったんだよ。凄く可愛かった。俺、あんな良い子にまで酷い事を…」
「大丈夫だ。一緒に地上に戻ろう。何とかここから出してやる。地上に戻って謝りに行こうな。俺も約束してきたんだ。“絶対一人にしない”って…だから一緒に帰ろう。」
ザドキエルはバラキエルの傷だらけの背中を擦りながら言った。
バラキエルの美しい漆黒の翼にはまだ愛の温もりが宿っていた。




