青帝降誕
[6 青帝降誕]
点々と闇夜を照らす明かりのともし火。
文明と言う名の力がイルミネーションとして、ビルの上から眺める者の瞳の内を満たす。
(これは偽りのともし火。
そして、人が人である証)
道具が人を人で有らしめた。
だが、それは過ちではないのかと男は思考する。
(…生み出された恩恵は、誰しも感謝を抱くものでもあるまいに)
この者にとって、人の力は哀れにしか見えない。
(終着点が明確に想像の範疇に収まる、
惨めな世よ。
これも、進化の過ちか。
なら、全てを太極に戻せばいい)
原初、宇宙は天地未分化の深淵なる{混沌}に満ちていた。
この混沌から光明が出で、軽く澄んだ氣、{陽}の氣が満ちたりて天となる。
次に混沌から暗黒が出で、重く濁った氣、{陰}の氣が沈んで地となり天地開闢と成す。
陽の氣の集積が{火}となり、火の精が{太陽}となる。
一方、陰の氣が集積は{水}となり、水の精は{太陰}、つまり{月}となる。
原初なる混沌を{太極}といい、これから派生した天地をそれぞれが{乾}{坤}とした。
{易に太極あり、両儀を生ず}とあり、両儀は天地、陰陽、乾坤を指す。
天の氣は下降し、地の氣は上昇し、お互いが作用し人類及び万物が発生した。
天上は日と月の陰陽が組み合わさり五惑星をはじめ諸々の星となり、地上では火と水の陰陽の組み合わさりが、木火土金水の五元素となった。
木火土金水は輪廻、循環しその動きが五行と呼ぶ。
(もう直ぐ、始まる。
何の因果か器とそれを満たす水{陰陽}がこの世に揃った。
後は鬼の力が受け継がれているかだな。
最後のピースが揃わねば、太極は生まれ出でん)
木なる行は、五方では東、五徳では明、五常では仁、五声では角、五星では歳星(木星)を表す。
太極より生まれし陰陽を含む万物。
これらが元の姿に帰る時、そう、それは人類の派生をも混沌に返すのだろう。
(先ずは一つ目、木の皇帝、青帝の帰還。
それにより、全てが始まる。
誰も気付くことのない。
終末の黄昏まで歯車は止まる事は無い)
慌しく音が下方より競りあがってくる。
これがあの者の足音だと確信しながら、静かに佇むのだった。
「これは、マイったね。
ココまでタちナラぶとソウカンだな」
「軽口を叩いている場合ですか」
「そうはイっても、あのニンズウにトオせんぼされちゃあ、サキにはススめないぜ」
「しかも、あれはマシンガンというものですね。
最新鋭の銃器をここまで揃えるとは…。
流石に弾丸の物量で押されたら、動けませんね」
軽い口調とは裏腹に、エンブリオは厳しい表情を浮かべる。
ここは二十三階の廊下。
飾り気の無い通路の奥に、ズラリと並んだ警備兵が高速で弾丸を吐き出す筒を此方に側に向け待機していた。
飛び出しかけた赤凪を、エンブリオがギリギリの処で引き止めた。
憮然とする赤凪に、エンブリオが取り出したコインを通路に放り投げる。
コイン及び終着点の壁が蜂の巣となり、飛来する弾丸の数に赤凪は仰天した。
「…だからといって、此処で足踏みをする気はないぞ」
「手はあるのですか?」
「…誰かくないを持っていないか?」
「…クナイ?」
「はあ?
クナイだと」
「…赤凪さん。
今時そんな物、使う人いませんよ」
エンブリオとデミタスの二人が疑問符を浮かべ、一人くないを知っている鼎がため息混じりに答える。
「…そうなのか?」
「クナイってナンなんだい、おジョウちゃん」
「投げ易い様に加工した刃物です。
昔、忍者と呼ばれる暗殺職の人が使っていた物です」
「投げやすい刃物か。
なら、これでも良いか?」
エンブリオが腰に備え付けているポシェットから、十センチはある大きな針を探り出した。
エンブリオからそれを受け取ると、赤凪はあらゆる角度からそれを観察する。
「調整が難しいが、何とかなるだろう。
在るだけ出せ。
それとさっきの硬化もだ」
エンブリオ、デミタスは言われた通りに針とコインを赤凪に差し出す。
赤凪は符を取り出し、それでコインを包む。
「鏡先眼」
瞳を閉じ、赤凪は通路の奥に向かいそのコインを投げる。
赤凪の脳裏には警備兵に猛然と突き進む、疾風なる飛来物としての映像が映し出されていた。
つまり、赤凪の視界は今、符に描きこまれた黒点に移されていのだ。
飛来するコインに警備兵は反応し、無数の凶弾を打ち込んでいく。
脳裏に弾丸が迫り、打ち抜かれていくイメージが流れ込んでくる。
(痛みが伴わないとはいえ、打ち抜かれるのは良い気分じゃないな)
今度は手加減等一切無い全力の膂力で、幾つものコインを曲がり角の影から投げ放つ。
それらは空を裂き、壁にめり込んでいく。
あまりの速度と出来事に、警備兵の誰もが反応出来ないでいた。
「飛び出す準備をしとけよ!」
赤凪はそれだけ告げると、針を先ほどめり込ましたコインに目掛けて飛刀させる。
「ナるホドな、そういうことか」
理解したデミタスは雰囲気を周りの建物に同調させ、目の前にいながら姿が霞んでいく。
エンブリオは未だ理解しておらず、半信半疑で壁際に体を寄せ、飛び出す準備だけ済ませておく。
キッキッン。
鉱物同士がぶつかり合い、弾き合うそんな音がそれぞれの耳に飛び込んで来る。
そして、直ぐに幾つもの苦痛のうめき声が通路に響いた。
「今だ!」
赤凪の号令を元に、三人が疾風と化す。
警備兵の殆どが腕を押さえ込み、銃器を取り落としていた。
(跳弾か!
硬貨を反射板にして針を当てたのか!)
しかも明らかに腕だけを狙っており、跳弾とは信じられない正確さをだった。
(それに何て速さだ!)
同時に飛び出した筈なのに、エンブリオは遠ざかる赤凪の背中に驚きを禁じ得なかった。
あの公園での対峙で、エンブリオが赤凪の姿を見失った理由が垣間見えた。
警備兵の何人かは此方の行動に反応したが、構え直す暇を与えては貰えなかった。
赤凪は三十メートルを僅か五歩の踏み込みでゼロにし、抜き身の赤凪穂を振り翳す。
キッキッキッキーン。
甲高い音と共に、鉄屑へと変貌してゆく銃器。
そして、その作業が終わった時に赤凪は敵のど真中に陣取っていた。
「こいつ!」
頭に血が上り、判断能力を失った警備兵が赤凪に群がる。
警備兵はコンバットナイフを抜き出し、幾つもの銀の線が赤凪に向かい描かれていく。
…どの銀線も赤凪に傷と言う模様を付けるに至らず、空を泳いでいく。
(ダンス!
否、舞か!)
それは凶事の中に在りながら異彩で艶やかな、演舞。
赤凪が囮となっている間に後ろから、数人の兵を気絶させていたエンブリオとデミタスは思わず足を止め、その光景に見入ってしまっていた。
いつの間にか仕舞われた刀を腰に、赤凪の舞台が演じられていく。
流れる足運びで空間を支配ししていく。
間は魔である。
それに取り付かれた警備兵は、知らず知らずに赤凪に殺陣の役者として扱われていた。
只がむしゃらに敵を追い、そして殺意を描く。
それが警備兵に与えられた役であり、それ以上は観客も役者も望んでいない。
エンブリオの予想は正しかった。
赤凪の武術の根本は、高坂に伝わる神楽舞が基盤となっている。
今にも和琴、大和笛、笏拍子、篳篥が辺りから聞えてきそうな艶やかさで、舞は仕だす。
腕の振り、流れる捌き、空間を完全に掌握し、神楽舞が披露されていく。
(これは一種の結界だ!)
エンブリオの脳裏に、結界という仏教用語が浮かんでくる。
客観的に外から眺めていたため、その本質に気がつけたのだ。
張られた意識領域が、その領域にあるものを全て理解する。
そして役者に一人となった兵は操られ、赤凪の思い描くままに打ち込んでしまう。
その様は、あらゆるものを引きずり込み、砕いていく削岩機を彷彿とさせる。
だが、あくまで軽やかで優雅な舞。
警備兵は自ら急所を晒しに動いて…、動かされていた。
その動きを意識させず、次々に当身をその身に受け、転がっていく。
(…恐ろしいまでに洗礼された動き、これがシャナ)
エンブリオは戦慄が背筋を駆け上り、全身の鳥肌が立つのを抑えられなかった。
(これは武踏!
まさか、あの人に匹敵する、完成された武踏をこんな所で拝むとは…)
エンブリオは、嘗て戦闘いろはを教え込んでくれた人物、その者が見せてくれた武踏の洗礼さを思い出す。
質は西洋の様式を取っており、型は違うが、その優雅さに秘められた凶の旋律は同じ位の位置にあった。
「…お前ら、手伝う気はないのか」
演舞を終えた赤凪は、呆然と此方を眺めている二人に非難の声をあげた。
「…済みません」
カラカラに乾いた喉から謝罪を何とか搾り出し、エンブリオはそれに伴い夢心地の心境から抜け出す。
「鼎、先の進むぞ」
「あ、はい!」
角からヒョッコリと顔を覗かしていた鼎が、悪戯を見つかった子供の様に返事する。
「…次はするなよ」
「…ごめんなさい」
鼎は危険だと分かっていながらも、赤凪達が気になって思わず壁の影から顔を覗かしていた。
それを赤凪が咎めており、そして心配しているのが伝わってくる。
口を閉じると赤凪は先に向かい歩き出す。
「…スナオにシンパイだとイえばいいものを。
ひねくれてるな」
鼎の耳元でデミタスがちゃめっけタップリに呟く。
「そこが年齢相応だと思いませんか、デミタスさん」
嬉しそうに破顔する鼎に、デミタスは肩を竦め、ご馳走様としんがりを勤めるために鼎の背中を押す。
「さあ、イトしのナイトドノがおマちかねですよ、おヒメサマ」
耳まで真っ赤にした鼎は知りませんと言い、赤凪の後を追う。
「エンブリオもヤッカイなのみホれたな」
「いい加減、男女を見ると色恋沙汰にするのをやめなさい」
「おや、マン、ウーマンがそれイガイのイシキがモてるものか」
「…やさぐれたおっさんですか、貴方は」
「ジュンジョウボウやが」
フンと鼻を鳴らし、エンブリオも先に行った二人を追う。
「…そこが気に入ってるんだけどな…」
取り残されたデミタスも誰にも聞えない独語すると、気配を周りに解けこめせ、追うのだった。
二十九階にやっと到着した四人は、そこに聳える大型の扉の前で立ち止まっていた。
内から漂ってくる無数の獣の気配が赤凪達を困惑させ、此処で逡巡させていた。
「ナンだ、このケハイは?」
「恐らく、テラングィードの作り出したキメラでしょう。
あの男の悪趣味な、幻獣モドキコレクションですよ」
吐き捨てるように答えるエンブリオ。
「おやおや、酷い言い様ですね。
幻想に埋もれし芸術をこの世に再現する。
この崇高なる理念が理解できないとは。
やはり、愚かなままに生き延びたようですね。
マシュカーゼ…、衰退したものだな」
扉越しに澄んだ声音が響いてくる。
蠱惑的で、聞くものを廃退させ、何処までも引きずり貶めていく甘美な声帯の振るえ。
パキッ!
硬い物体が圧力に耐え切れずに砕ける音がする。
微かなその音に釣られ、鼎は視線をそちらに向けると、怒りの形相に変貌していたエンブリオの顔があった。
歯が欠ける程に噛締め、いつも温厚に形成されていた表情は見る影も無いくらいに怒りの形相に変貌していた。
「…エンブリオさん」
エンブリオは今にも飛び出しそうだったが、肩に置かれたデミタスの手がそれを制した。
「エンブリオ、レイセイさをカけば、テキのオモうツボだ。
クールにいきな」
そして、肩を何度か叩く。
「…そうですね、あんな見え透いた挑発に乗っている場合ではありませんね」
デミタスのお陰で理性を呼び戻したエンブリオは、ゆっくりと扉を開けていく。
其処には三対の巨大な魔獣が、テラングィードと毒島に付き従い整然と立ち並んでいた。
テラングィードの右に、赤い毛並みのライオンの身体を持ち、鱗に覆われたサソリの尾、そして頭部に人の顔が三列の凶悪な牙を湛えた魔物がいた。
古代ペルシャ語で「人食い」を意味するmartiya~khwarの誤語が語源とされている獣、マンティコアだ。
後ろに立つのは半身半馬。
上半身を男性の顔と胴体の人間、下半身は逞しい四肢で地を蹴り上げる牡馬。
ラテン語で槍や棍棒をあらわす言葉が由来としられているケンタウルスが、野性的な美しさでそこに立像していた。
そして左には、トカゲのような緑色な皮膚に身を包み、五メートルはある手足のない縄見たいな体をしている。
ドラゴン種の一つ、長い身体を持ち、手足がない生命体を示す言葉の名を持つ、ワームがそこに現臨していた。
(ここまで生命を玩ぶか!)
エンブリオは奥歯する砕きそうな歯軋りをし、精神力で怒気に身を任せてしまいそうな自分を押さえ込む。
「どうです、遺伝子結合の結晶は。
人では到達できない最高のフォルム、スキル。
あらゆるもの蹂躙するのもはこう有るべきだと思いませんか?」
これらの幻獣は、テラングィード持つ遺伝子適応能力を使い生み出された実験体だった。
本来、こんなツギハギだらけの生物が現存することはできない。
それぞれの遺伝子情報が拒絶しあうからだ。
人の体にウイルスが入れば、それを異物として排除するのと同じに。
だが、テラングィードの体で生成された適応遺伝子、エリクシルを用いることにより、それらを一つの生命と認識させることを成功させたのだ。
こうしてフランケンシュタイン生物が生まれ、現代に幻獣が誕生していた。
部品を見れば分るとおりに、人のパーツも使われている。
まさに凶科学の結晶と言えよう。
「茶番ばかりですね、貴方は」
勤めて冷静に言葉を紡ぐエンブリオ。
「…芸術が理解できない無知な」
「蹂躙するのは力だ。
畏怖しか残らぬものを芸術に例えるなど、それこそ無知」
「畏怖こそ芸術なのですよ。
畏敬と畏怖こそが神々と呼ばれるもの達が一身に受けた負の念。
それらを彷彿とさせるものを芸術と呼ばず、なんとしますか?」
「そんなものは黒く塗り唾された唾棄すべき闇に他ならない。
そんな見えぬものに何かを見出せるものか!」
「…これはこれは、あの脅えるだけのマシュカーゼが吠えるようになりましたね」
「その名を貴様が口にするな!」
エンブリオは感情を吐き出すように叫ぶと、冷静さを撮り戻っていく。
「今日でお前との因縁にケリをつける」
左瞼を閉じ、ヌール ジャハンが表に出す。
エンブリオの臨戦態勢が整った。
「毒島、お父さんは何処!」
鼎が一歩前に出て、毒島の前に姿を晒す。
「鼎お嬢さん、御出で頂かなくてもお迎えは寄越したはずですが」
「お父さんは何処!」
「父親か…。
クックックッ、仁君も罪作りな人だ。
こんなに心配している娘さんが器だとはね。
鼎、正に名は体を表すか、クッハハハハハ!」
(え、何の話?
それより、お父さんは此処にいないの?)
「安心したまえ、彼ならこの上に居る。
身動きは取れないがね、ハッハッハハ」
「生きているなら話は速い。
お前らを殺して上に行く、それだけだ」
赤凪の言葉に乗ってやってきた殺意に、毒島の笑いが凍る。
「おやおや、これは物騒な発言だ。
雇い主を殺させる訳にはいきません。
私が相手になりますよ、濁混の主よ」
「鼎下がってろ」
鼎に階段の影に隠れるよう指示し、赤凪は妖刀を抜き放つ。
「毒島さん、下がっておいた方が良い。
彼の殺気に充てられますよ」
「わ、分った!
手始めに二つの五行を手にするのだ!
娘は殺すなよ!」
「承知しています」
毒島は奥にある扉の影に隠れる。
「さて、どいつをアイテにするか。
…エンブリオ、おマエはテラングィードにムかえ。
サンタイのケモノはオレラでなんとかする」
「俺ら…、だと」
デミタスの提案に、赤凪が不満そうな声を上げる。
「タノむよ、ニイちゃん。
こいつのヒガンなんだよ、アイツをウつのは」
「別に構わないが、足手まといだけにはなるなよ」
デミタスは、赤凪の不満が一緒に闘うという部分だということに気づいた。
「…ジシンカだな。
だとイうことでエンブリオ、おマエはカタキへGOだ。
いいな」
「しかし」
相手は未知数の獣が三体。
テラングィードを討ちたいのは山々だが、分が悪い戦いに成るのは避けられない。
「お前が敗れたら俺が殺る。
安心して殺られて来い」
「…もうスコし、イいようがあるだろうに」
デミタスが嘆息を付き、エンブリオを見る。
「だ、そうだ。
ケリをつけにいきな」
その瞳を見つめ返し、エンブリオは頷く。
多謝と呟き、その手に青き刃が宿る。
マンティコアの喉元がブルブルと震え始める。
赤凪の背筋に嫌な汗が吹き上がってくる。
「横に逃げろ!」
正面から、何か得体の知れない恐怖が膨れていく。
赤凪の指示を聞き入れた二人は、両サイドに分かれるように跳ぶ。
マンティコアの変形した大口が開かれると耳鳴りがしてくる。
「ガアーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
マンティコアの咆哮。
最初の声以外は透明な音となる。
赤凪はその場から急いで退避すると、後ろの壁が巨大なハンマーに砕かれたように吹き飛んでいく。
「衝撃波だと!」
あまりの出来事に、エンブリオは叫んでいた。
マンティコアの声帯内で増幅された振動は、人の耳には聞き取れない特有の振動数、破壊的な超音波衝撃を生み出した。
蝙蝠などの超音波能力の特性を特化させた恐るべき破壊能力。
横へ退避した隙を見逃すことなく、床を踏み抜きそうな勢いでケンタウロスが赤凪に迫る。
その手には常人では振るうこともまかりならない、重さ百キロの両刃斧、ハルバードを携え襲い掛かってくる。
赤凪は半身をずらし、ケンタウロスの電光石火の一撃を赤凪穂で受け流す。
(くっ、流しているのにこの衝撃は!)
正面から受けていれば、赤凪穂ごと胴体が真っ二つにされていたことだろう。
刀を取り落としそうになりながらも何とか凌ぐ。
それを見越したようにワームが、とても這っているとは思えないスピードで赤凪に接近し、その太い胴体を振るう。
赤凪はそれを上空に跳んでかわし、赤凪穂を握り直し打ち下ろす。
キーンッ!
(なっ、刃が通らない!
なんて硬さだ!)
鉄と鉄がかち合う音が響き、赤凪穂が弾かれる。
着地と同時にケンタウロスが旋回して、第二撃を加えようとハルバード振り上げる。
が、追撃は来なかった。
「ハヤく、そのバがらヌケダせ!」
銃声と共にデミタスの救いの声がする。
デミタスがケンタウロスを牽制したお陰で、赤凪はどうにか窮地から脱出した。
どうにか体制を立て直す赤凪。
(あんな斬撃じゃ駄目だ!
地に足が着いていない状態ではとてもあの地虫は切れない。
しかし、足を止めていたらあの馬に追い込まれ、鵺もどきに狙い打ちされてしまう!)
見えない間接攻撃。
そして機動力、膂力共に上をいかれた。
最後に鉄壁も守りを持つもの。
そして何より怖いのは互いの能力をカバーしてくる、あの連携攻撃にこそあった。
まるで脳が直接繋がれており、互いの行動を理解しているかのような一糸乱れぬ波状攻撃。
(こいつが一番厄介だ。
なら、長所を一つずつ潰していくしかない)
赤凪は赤凪穂を右手一本で構え、左手に符を構える。
(やばい、地上から離れすぎていて早急に発動しない!)
符の効力が現れる前に、ケンタウロスの突撃が再び訪れる。
何の変哲もない、機動力任せの一撃が繰り出される。
赤凪は咄嗟に符を手放し、赤凪穂を両手で構え直す。
(こいつの長所は機動力、それを奪えれば)
迫るケンタウロスに臆することなく、腰を落とし、踏込んで来る足に集中する。
赤凪はギリギリのところでケンタウロスの突撃をかわし、その合間にその足を切り落とすつもりでいた。
ケンタウロスのハルバードは軌跡を描き、赤凪の前方を砕いた。
(なにっ!)
無数の石飛礫が赤凪の眼前で生まれ、赤凪の体を叩く。
咄嗟に急所を覆い隠し、後方へと体を逃がす。
飛礫が肉を裂き、めり込んでくる痛みが迸る。
着地すると素早く斜め後ろに転がり、ケンタウロスの追撃を避ける。
致命的な怪我は負ってないようだが、裂けた腹部からの出血が酷い。
それに両腕に急所を守った為に、幾つもの破片が腕をズタスタにしていた。
そこにワームの巨体が鞭のように撓り、赤凪を押し潰そうと迫ってくる。
(ちっ!)
奥歯をかみ締めると、赤凪は足を地に貼り付ける。
「シットッ!
ナニをしている!」
デミタスはマンティコアの強襲を避け、逃げない赤凪に向かい叫んでいる。
刹那、赤凪の両腕が二倍近くに膨れ上がり、めり込んでいた破片が外へと弾かれていく。
そして、赤凪穂が軌跡を描くことすらなく、振り抜かれていた。
ド―――ン!
床が耐え切れず大穴が形成され、そこから二つに分断されたワームの片割れが落下していく。
「はあ、はあ、はあ、はあ」
いつの間にかデミタスの隣で、荒い呼吸音をさせている赤凪が居た。
(どうやってイドウを!)
驚愕するデミタスに、赤凪が語りかけてくる。
「はあ、…悪いが、暫くあの二体の行動を制限してくれ」
息も絶え絶えだが、ハッキリとした口調で赤凪が告げる。
「どうした、アシでまといではなかったのか?」
皮肉交じりに返答し、黒皮の手袋を装着する。
「ナンプンもやれんぞ!」
デミタスが虚空に手を翳し、走り出す。
デミタスに張り付いてマンティコア。
が、途中で静止し、デミタスから距離をとる。
(くっ、ミえるのか!
ゴクウスのワイヤーが!)
デミタスは走りながら張り巡らせた、ワイヤーの包囲網を見抜かれていた。
敵の感の良さに、舌打ちする。
(ケハイをマワりにシンクロさせても、こいつらユらぎでカンチしやがる。
しかも、どうゆうことかオレのテがツギツギにヨまれている!)
赤凪を助ける際にも、死角からケンタウロスを狙い撃ちしたのだが、まるで全方位を視界として網羅しているかのように、こちらの射撃に気づき躱されてた。
マンティコアは下がると、喉を鳴らしだす。
(ヤバイ、タイナイでハンキョウさせゾウフクされたショウゲキがくる!)
マンティコアが口を開くと、人の可聴領域を超えた透明な咆哮がワイヤーを蹴散す。
デミタスは、不可視な攻撃を空気の微妙なズレで測り回避する。
だが、空気の振動は予想以上に広く、左足の人差し指の先端を奪い去っていく。
(これはヤッカイなヤクソクをしたかもしれんな。
フンなんていうんじゃなかったぜ)
地に足が着くと、思い出したように足の先端から血が滴りだす。
(オヤユビはケンザイか。
なら、フんバれるな)
穴の開いたブーツでから零れる雫。
幸いなことに、移動の最重要核である親指が残っていることに感謝しつつ、傷めた左足から動き出す。
(おっと、アイテはオレよ)
ケンタウロスが赤凪に走り出すのを確認すると銃を抜き放ち、間髪入れずに全弾を残っているワイヤーに向かって放つ。
(さて、のるかそるか)
銃弾はワイヤーに触れると四つに解れ、散弾銃の如き数量となりケンタウロスに降り注ぐ。
虚を突かれたケンタウロスは退避が遅れ、広範囲の飛礫にその身を晒す。
「グゥゥリィィィ!」
分厚い筋肉に覆われた肉体に、散弾では致命的な傷を負わせることは適わなかった。
だが、ケンタウロスの意識を此方に向けることに成功した。
(あれま、これはもしかして)
デミタスはマンティコアとケンタウロスの双眼を受けながら、形勢を逆転させる糸口を掴んだ気がしていた。
(迂闊過ぎだ!
これが俺一人ならとっくにあの世行きじゃないか!)
己の訛りきった心構えに、反吐が出そうだ。
(いつから、平穏の国の住人となった!
思い出せ!
飢えと極寒の中を生き抜いた日々を!
憎まずして生きられなかった環境を!)
甦る幾つもの記憶。
そこには呪いよりも呪われし罵倒だけが飛び交い、絶望だけを時とともに刻んでいく自分の姿が映し出される。
誰にも必要とされず、疎まれ、嘆きの言葉さえ新たな憎悪に直結され、自身を貶めていく楔だけが数を増やしていく。
光があれば闇が色濃く、明確になる。
浄眼の使い手を排出していた高坂家。
その光が浮かび上がらせた闇は次第に大きさを増し、一人の赤子に宿り排出された。
生まれた直後、赤凪の瞳を見た産婆は発狂し、臍の緒を切断するために使われた包丁で自分の腹を乱刺しにし、腸を撒き散らし絶命した。
高坂家が生み出した光を全て覆い隠してしまう、そんな闇を瞳に宿した忌むべき子供の誕生だった。
邪眼には封印が施され、存在そのものが露呈せぬよう屋敷の奥深くで育てられた。
物心付いた最初の記憶は、首を絞めてくる母の姿だった。
その口から「貴方さえ生まれてこなければ!」と、なりふり構わずわが子の命を闇に帰そうとしていた。
乳母が異変に気づいたお陰で、一命を取り留めたものの、それが幸にはならなかった。
それ以来母は気がふれてしまい、二度と赤凪の前に現れることはなかった。
毎日のように鬱憤を晴らしに来る腹違いの兄弟たち。
生傷が絶えない日々が続いた。
それでも生きようと思えたのは、育て支えてくれた乳母に拠るところが大きい。
それも赤凪が八歳の時に亡くなり、味方はこの屋敷には居なくなった。
それが切っ掛けとなり、赤凪の内に燻っていたどす黒い感情が動き始めた。
いつものように憂さ晴らしにきた長男、隆景は部屋の異様な雰囲気に身を竦めた。
熱帯のように蒸し暑く、反面冷や汗の止まらないねっとりと絡み付いてくる感覚に。
それが赤凪から噴出されている瘴気だと気づくこともなく。
隆景がその部屋から命からがら逃げ延びたが、両耳と片腕を失い精神的にも大きな傷を負い、生ける屍と化した。
高坂家の汚点。
生みの親であり、現党首だった父褌雅は強大な力を有し、手におえなくなった赤凪を絶縁し、幕府の駒として戦場に送る事とする。
それで死ねば御の字、手柄を立てれば幕府が高坂に対する評価が上がると。
だが、幕府ですら赤凪の異様な能力に恐怖した。
どんな過酷な戦況の只中に放り込んでも生還し、味方すら邪魔なら紙屑として切り捨て、戦場を混沌の坩堝に貶めていった。
恐れた幕府は京の山奥に築いた異能力者収容施設、通称天岩戸に赤凪を放り込むことにした。
(あの日凪穂に会うまで日々、こんな甘い考えは直、死に繋がったはずだ!)
破片により抉れたわき腹に指を添えると、赤凪は躊躇することなく内部へと指を侵入させていく。
生暖かいく、指にまとわり付く粘液。
激痛と吐き気を呼び、それに耐えるために歯を食いしばる。
指が硬い鉱物に触れると、挟み込み体内から排除する。
それに伴い、衣服を侵食していく赤色。
抜き取ることに成功すると、朱に染まった破片を忌々しげに叩きつける。
(覚えておけ!
己の所業を!
抜け出せるはずがない!
地獄をもがく以外に術などあるものか!)
赤凪は符を取り出すと、書き連ねてある術式の一部を血で塗りつぶし、意識を集中させる。
符に力が流れ込むのを感じると、わき腹に翳す。
「変生」
感情とは裏腹に静かな声音を発し、符術を発動させる。
深手の傷が次第塞がっていき、生々しい傷痕を残して、完全に塞がった。
(五行がかなり消費したな。
やはり、相反するものは堪える。
先ほど使った暗示も折り重なって、全身の疲労が濃い。
短期で決めねば、勝ち目は薄い)
相剋に拠れば、水は火に勝ち、火は金に、金は木に、木は土に勝つとある。
人には其々に五行のどれか一つが特化している。
赤凪の場合は木の五行が人より多く含まれており、代わりに金の五行が少なめに体内に循環している。
その為、赤凪は変化系の符術を苦手としており、使えば多大なエネルギーを消費してしまうのだ。
普段、赤凪の符術は龍脈の流れを利用しており、龍脈の通っていない場所や地上から離れた所ではその効力は薄く、時間も掛かってしまう。
だから、龍脈に作用を齎す術式を血で消し去り、普通の符術として使用したのだった。
赤凪は冷静に自己分析し、勝算を導き出す。
{破壊、蹂躙、殲滅。切断、分解、解体。
惰性、食欲、性欲。
かいほうしろ、カイホウシロ、開放しろ。留めるな、トドメルナ、とどめるな。
ノゾムママニ、望むままに、のぞむままに}
(……)
突如内側から滲み出てくる、言葉の羅列。
{生まれながらに呪われし者が何を躊躇う。
お前は逃げられない。
先程自分で理解したではないか、抜け出せはしない。
お前は忌むべき存在。
誰にも必要とされず、そしてお前も必要としない。
それが己だと言うことを見ぬふりで通すつもりか、愚かな}
今度は、はっきりと意味を成した言葉が赤凪に投げかけられていた。
「誰だ、貴様は」
{この世はお前を受け入れぬように、形成されているのだ。
なら、枠など何の意味があるか。
壊せ、犯せ、喰らえ。
それがお前の望みでもあろうが}
胸糞が悪い囁きは、地底から噴出すマグマのように赤凪の感情のボルテージを上げていく。
{いい子ぶるな。
本当はあの娘を凪穂の代わりにしたいのだろ。
なら、力ずくで物にすればいい。
どうせ、あの娘も拒みはせんよ。
なんせお前に惚れてるようだからな}
「黙れよ」
赤凪は思い出す。
夢の中で引き裂いた存在を。
{厭だね。
お前の所為で俺はばらばらにされ、八日も掛けて戻ってきたんだ。
楽しませろよ。
だが、意外と有意義な体験だったぜ。
お前の触れられなかった心の奥底まで覗き見ることができたんだ。
混沌として中々愉快だったぜ、お前の人生は。
だから、判るのさ。
今のお前は偽善の皮を被っているに過ぎない。
肉を裂く快感、ともし火をゆっくりと吹き消す魅力、力無き者を蹂躙する優越感。
だから、あの時、凪穂が止めなければ殺していたんだろ、快楽に溺れるために}
「五月蝿い」
赤凪は否定しきれなかった。
{留めることはない、凪穂に調教される前に戻るだけだ。
野獣と同じ、本能の赴くままに。
何なら俺があの娘を犯してやろうか。
そうすりゃあ、お前も踏ん切りがつくってもんだろう}
「それ以上卑しい口を開くな、羅刹!」
口に付いた名。
それは京の都に現れし鬼の名。
怒声は含まれた殺気は、デミタスに襲いかかろうとした二匹の獣をその場に繋ぎ止める。
{やっと俺を思い出してくれたのか、鬼殺しよ!}
赤凪の内から歓喜が湧き出してくる。
{そうだ、お前が奪った俺の命!
お前が生きている限り俺も生き続ける!}
(俺の中に居る!)
靄で胡乱でいた記憶が少しずつだが、晴れてくる。
そこは闇夜をも鮮明に照らし出す、戦火の真っ只中。
赤凪と対峙するは、陰の印を持つ、星の衝動{波}、陰璽星瀾。
そして、視点はその鬼のものであった。
{これは俺様の記憶。
貴様の記憶はあの小娘が持っていってしまったからな}
正面から自分を見据えた。
胸から高熱で揺らぐ町並みが見える。
通常胸に収まっている、胸骨、肺、そして心臓。
仕舞いに、体を支える背骨すら無くなっており、半径二十センチの大穴が胸を開通していた。
どう足掻いても死は免れない中、己の凶眼だけは炯炯と輝いていた。
{おっと、無駄話が過ぎたな。
敵さんは待っちゃくれないらしい}
脳内を覆っていた光景が瞬時に掻き消え、代わりに網膜から投影された映像が脳に到達する。
マンティコアが此方に標準を定め、咆哮をあげようとしていた。
赤凪は軋む体に鞭打つ形でその斜線軸から退避すると、毛穴が開ききる暴音が真横を横切る。
(……どいつもこいつも、邪魔だ)
収まりきらない怒りのボルテージが、途方もない破壊衝動を生み出す。
消えたはずの羅列が頭の中でダカーポし、それに意識が支配されていく。
(壊せ、潰せ、滅しろ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ・・・・・・・・・・・・・・・・・・何もかも!)
それは内に秘めた魔物の誘惑。
そう、あくまで誘惑であり、その本質は赤凪自身が奥底に沈めていた感情。
奥歯を三回噛み合わせる。
それが暗示の引き金。
全身が膨張し、筋肉と神経が張り詰める。
赤凪は、衝撃波を放ち動きの止まっているマンティコアに猛ダッシュを駆けるのだった。
力の差は歴然だった。
何度も繰り出す青刃は空を切り、テラングィードの衣服すら触れることも叶わない。
己の肉体を限界まで鍛えあげ、人であることまで捨てた。
(それでも、この男には及ばないのか!)
無力。
現実はいつもこの言葉を突きつけてくる。
(あの夜と同じではないか!)
月明かりの下、鮮やかに広がる赤黒き水溜り。
一メートルおきぐらいに点在し、それは街全域を覆いつくしていた。
雲一つ無い空。
だが屋根からは雫が滴り、粘り気のある絵の具で街を染め上げていく。
路上には原型を留めていない肉の塊が当たり前のようにあり、それは奇妙にも光景にマッチしたオブジェとして異世界を彩っていた。
異世界、なれど現実。
動くものは一つ無いこの街で、全身を塗らした人形は佇んでいた。
静寂の中、ポタポタと滴る音と奴の声だけが支配する異世界。
壊れることは叶わなかった。
そうすればどれだけ楽だっただろうか。
恐慌に陥り、発狂することも、泣き喚き、逃避することも、体と心はそれらを望もうとはしなかった。
無力感だけが空虚な胸を埋め尽くしていた。
奴は言った。
「マシュカーゼは至高なる一族。
堕落し、試行錯誤を忘れ、のうのうと歴史に埋もれるなど許されるはずは無い。
なら、惨劇により幕を引くのも一興。
だが、お前は最後の一線になって貰おう。
這い蹲り、もがき、足掻け。
そして、思い知るがいい。
己の限界と人の境地を。
私を追い求めろ。
さすれば、お前は人を超えた場所へ辿り着ける」
惨劇の主、テラングィード D マシュカーゼはそう言った。
「愚者に成り下がったか、エンブリオ。
…それとも、まだ足りぬのか、痛感が」
無機質な表情で、休むことなく続けるエンブリオの猛攻を流すテラングィード。
「…まさか、この期に及んで道徳理念を持ち得たまま、私を討てると思っているのですか?」
十二年前と同じくテラングィードはエンブリオを嘲笑った。
無駄な年月を重ねた分、冷淡に。
(どうして!
どうして追いつけない!)
軽やかに青刃をかわされる。
どんなに素早く踏み込もうとも、圧倒的な能力の差は如何せんどうしようもなかった。
優れた遺伝子だけを組み込まれた、最強の生物。
「この十二年は無駄だったようだな」
つまらなそうに呟くと、人差し指に光を湛え、虚空をなぞる。
「く」と空中に光の後が残り、
「K」
とテラングィードの発動音により、光の文字から火炎放射器並の炎が迸る。
古代ルーン文字を用いた魔術。
テラングィードが使用したのは古代ルーン文字の中でも最も古いElder Runeを基盤とした魔術だった。
ルーン文字とはデンマーク、スウェーデン、ノルウェー、イングランド及び、部分的にはドイツ、ポーランド、ハンガリー、ロシアで中世期に用いられた独特の形体をもつ文字。
ルーンとは秘密、ささやき、神秘、魔法の印という語源であり、北欧神話オーディン神が世界樹ユグドラシルに我が身を9夜に渡って吊り下がり、生死の狭間で見出されたとされている。
エンブリオは距離をとり、頭の中に円形の大形の盾を思い浮かべる。
エンブリオと業火の間に、青き盾が生み出される。
「そんな盾でKenazの意味を防げますかね?」
テラングィードは不適な笑みを浮かべた。
それに伴い火力が次第に増していき、青き盾を赤々と熱されていく。
盾の横から漏れてくる熱波は、エンブリオの皮膚を焦がし、熱気は精神力を削いでいく。
その上周りの空気が消費されていき、呼吸すら間々ならなくなっていく。
「手間の掛かる。
ならこれでどうですか?」
掌を窄め、開きなおすとそこに一枚のタロットカードが握られていた。
そこには騎士の駆る重装甲馬車の絵柄が描かれていた。
それをルーンの吐き出す火にくべる。
「Kenazに組し大アルカナ、THE CHARIOTの相乗効果です。
さて、征服と勝利の正位置、貴方に覆せますか?」
先程とは比べ物にならない放火がエンブリオを包み込む。
完全に炎に覆われ、エンブリオの姿は爆炎に飲み込まれていった。
「詰らない、これが十二年の実験の結果か」
テラングィードの呟きは直ぐに、跡形も無く掻き消される。
エンブリオを覆っていた炎が爆発を起こし、四散したのだ。
そして、色鮮やかな朱の中から青き閃光が飛び出していく。
爆発の中、テラングィードは瞬き一つせずに迫る浄化の光に片手を頭上に構え、受け止めた。
「なっ!」
「見事です。
肌に感じるこの冷気。
なるほど、急激な温度差による爆発を利用してKenazを突破し、それに紛れ必殺の斬撃を打ち込む。
並の者なら確実に討てたでしょうね」
全身に幾つもの火傷を負いながらも攻撃に転じたエンブリオは、テラングィードの不敵さに恐怖が蘇ってくる。
十二年前よりも大きくなって。
毒物を処理する際に、随時持ち歩いていた液体窒素の小型ボンベを使い、爆発を起こした。
爆発の中心で全身を覆う膜を創造し爆発から身を守り、その勢いを利用し攻撃したが、全てがテラングィードに読まれていた。
(底が見えない!
どうすればこいつに勝てる!)
「…おやおや、蒼白ですね。
戦意を削いでしまいましたか?」
その嘲る表情に触発され、エンブリオは烈火の如き怒りを顕にし、連斬でテラングィードに迫る。
「死角から死角へと移動し、急所を寸分違わずに斬り入れる。
…お手本のような戦い方だ。
それ故に洗練されればされるほど読み易い。
復讐者にしてはお綺麗なことだ」
斬刃の暴風を軽々とかわし、講釈を垂れる。
そして魔力の篭った指が斬撃の合間を縫って、エンブリオに触れる。縦と斜めに線を書き込み、
「N」
テラングィードのルーンが発動する。
振り下ろす筈の腕が途中で止まる。
腕だけではなく、あらゆる筋肉が硬直しているのではないかと疑わしくなるほど、体の細胞の全てが自身を裏切る形で静止する。
(なんだ、何をした!)
「Nauthiz、束縛させて貰いました。
貴方に出来ることは、息をして血液を循環させるか、思考する事だけ。
…生態マネキンといったところですか」
(動け、動け、動けえええ!)
指先一つ自由にならず、瞬きも禁じられ、己の叫びさえ声に変換できない。
「感想を述べて貰いたいところですが、開口もできないのではそれも叶いませんね。
…そうですね、今一度カンフル剤を投与しておきましょう。
それで駄目なら、この実験は破棄すべきですね」
テラングィードの発言は、心頭がふれるのではないかと想えるほどに、エンブリオを憎悪へと支配していく。
「それ以上卑しい口を開くな、羅刹!」
その最中、怒声に紛れ、心臓をわし掴みにされた錯覚に陥る程の殺気が辺りを包み込んだ。
「これは、混沌なる者か。
質もさることながら、広く深く掘り込まれた技術。
そして、鬼の力。
…凝縮された刻こそ、最高の美酒を造りだすか…、面白い。
マンティコア!」
テラングィードの呼びかけに、マンティコアが振動波を赤凪に解き放つ。
(ジョウダンじゃないぞ!
オレまでサッキのホコサキになってんだ!)
フロアに居るもの総てに向けられた殺意に、デミタスの背中に嫌な汗が滲み出てくる。
デミタスだけでなく、ケンタウロス、マンティコア、はたまたテラングィードまでもがその身を一度硬直させるほどの気配が満ちていた。
デミタスは少し空いた時間を利用し、戦況を把握するために視線を流し情報を得る。
(サイテイをトオりコして、サイアクだな。
エンブリオはテキのシュチュウにオちてる。
ナイトどのはボウソウチュウ。
…オレヒトリでナニをしろと)
嘆息を付かずには要られなかった。
あっという間に悪化に一途を辿った戦況は、ピークを迎えていた。
この戦場において、見極め、動けるのはデミタスを残すのみとなっていた。
(…これはオトナのタタカいカタをヒロウするしかないな)
デミタスは冷徹に冷静にあらゆる状況に対処すべく、認識力にロックを掛ける。
デミタスの認識には、敵と道具の二つしか存在しなくなる。
(イケニエはマンティコア、ケンタウロスがケンセイにハイる。
ワームのハンシンがサイキドウとサイセイをカイシ。
テラングィードはエンブリオのソバからハナれるケハイなし。
…ノコるは)
場を揺らがせる。
それがデミタスの最優先に導き出した答えだった。
圧倒的な加速でマンティコアに迫る赤凪に対し、その動きに唯一付いていけるケンタウロスが間に立ち、迎え撃つ。
巨大ミミズのワームは赤凪に真っ二つにされたにも拘らず、強靭な生命力と再生能力で身を立て直そうとしていた。
つまり、此方に攻撃している余裕は無い。
(ホンタイはこっちか)
デミタスは横目でそれを確認しながら、銃から空の薬莢を引き抜き、素早くリロードする。
そして、ワザと明確な殺意を赤凪に放ち、銃声を迸らせる。
赤凪はこれに気づき加速に急停止をかけ、弾丸を避ける。
何故かその時、ケンタウロスの動きが止まり此方を凝視している。
(オレのコウドウがハアクできなていない。
つまり、テキのホントウのシテンは…)
デミタスは情報整理をし、目ぼしい場所をピックアップしていく。
目測をつけながら、時間稼ぎようにワイヤーをトラップ形式で仕掛ける。
(アトもうイチド)
赤凪、ケンタウロス、マンティコアの獣の殺気だった視線がデミタスに向けられる。
何の感性も伺えない虚ろな隻眼は、それらを受け流す。
(このケモノタチのモウコウにモちコタえられるのはイチドだけ。
しかもセイゾンリツはキワめてヒクいときている)
目的は相手の裏をかく事。
デミタスは漆黒のグローブから放たれる必殺の鋼の糸を、張り巡らせたワイヤーに巻きつけ、全力で引く。
摩擦と本来切れ味を増すために塗りこまれている油とが絡み合い、ワイヤーの壁は緋色の壁へと姿を変えた。
これに対し、二つの殺意が動揺しているのが感じ取れる。
もう一つは躊躇することなく紅蓮の壁に飛び込み、一太刀の元にワイヤーを切断していく。
切れた反動でワイヤーは攻防一体の構えを解き放ち、進入者に牙を剥く。
(シャナか。
なら、リヨウさせてもらう)
紅蓮の牙は反発作用を引き起こし、速度を増し縦横無尽に辺りを薙ぎ払う。
それを凶悪な獣は物ともせず、躱し、打ち払い、行進を停止することは無かった。
だが、デミタスの目的は他にあった。
炎の熱が空間を揺らがせていく。
そうすると、目測をつけておいた箇所に違和感が生じてくる。
何も無いはずの場所に、物体の存在を示す立体的な違和感が浮き上がってくる。
(あれが、シレイトウか)
余りに的確かつ、乱れぬ連携に劣勢を強いていた。
そこからデミタスが導き出した答えは、頭脳となる者がこのエリアに要るのではという疑点だった。
五感が異常発達した怪物達とはいえ、悉く動きを見抜かれた。
だが、虚を突いた攻撃にまるで反応を示さなかったケンタウロス。
弾丸を軽く否すケンタウロスが、散弾如きで足を止め、それを身に受けるだろうか?
そう考えた時、指令塔となる第四の魔物の存在がいるのではとデミタスは導き出した。
最初はテラングィードが指令を下しているとも考えたが、此方に意識を向けている様子は無かった。
そうすると、部屋全体を見渡せ、戦闘に巻き込まれない場所が有力な候補となる。
熱の揺らぎにより、敵の姿を見つけ出した。
場所は獣の群れの先の隅に位置する。
(これはマタ、トオいバショで…)
デミタスは、失笑しか浮かべられなった。
特に罠の内に在りながらその動きを止めない、元味方が厄介な存在として道を塞いでいた。
(…まだノコっているか。
…オクのテもイきノびねばイミをナさない。
ツカいドキか)
デミタスは、無残な跡を残す左の瞼に触れる。
(ヒニクなものだ。
こんなノコりカスがオクのテとは)
この時ばかりは、デミタスは殺していた感情が表に表れていた。
物悲しげな隻眼だけが、奥底の想いを訴えている。
(イマサラ、ナニを!
あれはオレのイシだ!)
頭に過ぎる危険な思考を振り払い、デミタスは右手のグローブを脱ぎ、嵐の只中に身を投じる。
動くものに反応する赤凪が、デミタスを薙ぎ払うべく膂力を振り絞って打ち込んでくる。
(このヤロウ、シんでもウラむなよ)
デミタスは胸の中で毒づくと、掌にイメージを集中させる。
全身の細胞が覚えていたのだろう、左眼窩から力の流れが走り、右手に注がれていく。
そして、赤凪の凶刃をデミタスの右手に握られた蒼き槍が受け止める。
デミタスは、赤凪の膂力に逆らわず、振る抜かれた反動を利用し、飛ばされた。
そん勢いを利用し、ケンタウロスの間合いに滑り込む。
完全に裏を斯いた形で懐に潜りこみ、蒼槍がケンタウロスの胸板を切り裂く。
「ゴォォォォ!」
ケンタウロスに鮮血が迸る。
感触で皮しか切り裂けていないと分る。
恐るべき筋肉の壁。
咆哮を上げながら、ケンタウロスはハルバードを平らにし、押しつぶしに来る。
デミタスは、危険を承知でケンタウロスの四本の脚の間をすり抜け、これを回避する。
この間に左手から紡がれるワイヤーを四肢に絡めておくことを忘れない。
抜け出すと、後方で巨体が横臥する轟音がした。
(ナンてバカヂカラだ。
ウデがモげそうだ)
赤凪の一撃は、デミタスから腕力を奪い去っていた。
腕が痺れ、ケンタウロスに致命的な傷を負わせる程の膂力が得られなかったのだ。
左目の傷が淡い微光を宿していた。
今にも消えそうな、そんな残り火。
(ノコりわずか…。
サイゴのシゴトだ、ヌール ジャハーン)
嘗て左の眼窩に納まっていた力の欠片が、最期に煌びやかに輝く。
腕の痺れが抜いていく。
蒼き槍が煌々と光を増し、概念的要因を強く具現化する。
デミタスの行く手を、マンティコアが阻む。
視界の隅にワームが行動を起こしていないのを確認した。
つまり、マンティコアが最後の砦となる。
マンティコアは喉元を震わせる。
増幅したエネルギーが捌け口を求めて放たれた。
ここにおいて、魔物達の連携が仇となった。
デミタスはワザとケンタウロスの直線状に並ぶようにして、マンティコアに迫っていた。
そしてケンタウロスは、先程バランスを崩し横倒しになってしまって身動きが取れなくなっていた。
仲間の存在が破滅の音波の範囲を限定してしまったのだ。
デミタスはヘッドスライディングでマンティコアの衝撃波を躱す。
ケンタウロスを避けるように放たれた振動波は、デミタスの頭上をいなしただけで、触れることは無かった。
(ヒニクというかナンというか、こいつらのホウがナカマイシキがタカいとは)
頭上の危機感が去ると、デミタスは左手で跳ねるようにして上体を起し、無防備と化したマンティコアの喉笛に鋭利な突起物で刺し貫こうとする。
だが、全身を襲う倦怠感が標的を霞ませ、身を逸らしたマンティコアを捕らえることが出来なかった。
(…ゲンカイか。
ショセンはノコりビでは、タンジカンしかモたないか。
ならせめて、あのシレイトウをウちツラヌく)
デミタスは薄れゆく蒼き光をもう一度輝かせる。
幸い、先ほどの攻撃で指令塔に続く障害物は排除し終えていた。
一刻の猶予も許されない。
左眼窩で幾つもの結晶の欠片が死に絶えていく。
元々、これらはヌールジャハーンを抜き出す際に欠け落ちた、結晶の片鱗。
時間と共に体に浸透し、失われる筈のもの。
たが、デミタスはそうならない事を知っていた。
結晶は周りのものを取り込み成長する鉱物。
それがデミタスの眼窩で消滅せず、成長を続けたヌール ジャハーンの欠片は、力の一部を発露させれる程になっていた。
だが、所詮欠片は欠片。
力を行使すれば消費し、元の鉱物へと戻っていく。
燃え尽きかけた木炭に火を注ぐ、デミタスが行っているのはそういった行為に等しい。
だが、木炭はその姿が消滅するまで熱を抱き続ける。
蒼槍の具現化は後僅かだった。
デミタスは蒼槍を強く握り締め、ステップを踏む。
「ウオォォォォッ!」
デミタスは精神力を総動員させ、脳内麻薬を分泌させる。
それにより、虚脱感に見舞われた肉体を制御下におく。
そして、気合一閃。
ステップから投げ放たれた蒼槍は空を裂き、揺らぎに向かい直進していく。
揺らぎに接触すると、鉄板に穴を開けた時に響くかのような、パンッとした音が響く。
そして、フシュウウゥという生物の呻き声が上がった。
(コロしきれてないか!)
景色の色彩が歪み、大きな一つ目の化け物が姿を現す。
その眼球には次第に光力を失っていく蒼槍が生えていた。
「ジャッジメンッ!」
デミタスの叫びに呼応し、蒼槍は眩む輝きを放つ。
「シュゥゥゥゥゥゥ!」
悶え苦しむワンアイに光が収束し、そして内部から外側にむけて四散した。
蒼き光と共にワンアイの体も爆発して粉々となる。
それと同時にデミタスの眼窩から力の波動が感じられなくなり、左の瞼から青き火が消沈していく。
(ヤバイな、スコしムチャをしスぎたかもしれない)
倦怠感が一気に押し寄せ、デミタスは足元をふらつかせる。
指揮系統を失ったとはいえ、戦力差は圧倒的。
(トッパコウはヒラいた…が、このサキはどうしたものか)
身構えているマンティコアを視界に納めながら、デミタスは苦笑するしかなかった。
鼎は轟く破壊音を耳にしながら、状況が分らないままうつ伏せに階段へ伏していた。
皆の安否が気になって仕方が無いが、赤凪に叱られたばかりなので、疼く心にブレーキをかけ耐えていた。
「それ以上卑しい口を開くな、羅刹!」
(何この声、赤凪さん!)
それと同時に、赤凪と始めて対面した夜よりもきつい圧迫感が襲い掛かってくる。
(しゃ・な・・さ・ん・・、ど・うし・・・たの)
思考が薄れていく圧迫感。
唇は蒼く変色し、眼球が痛みを発し乾いていく。
喉に上手く空気を流せず、鼎は呼吸困難に陥りそうになる。
(……は、は、は、は…、おちついて、じがをつよくもって)
大きな呼吸に切り替え、崩壊へと突き進みかけている自我を呼び戻す。
赤凪に習った抗の行、初歩にあたる行為だ。
テラングィードが攻めてきた夜、自害までしかけた鼎だったが、今は自力で自我を保つことに成功した。
「はあ、はあ、はあ…、あたしてんさいかも」
軽口を叩いて、圧迫感から意識を逸らす。
抗力が発動し、思考能力が回復してくる。
(この感じ、赤凪さんだ。
自制が効かないくらいに殺意を抱いてる?
それにラセツって誰?)
疑問は尽きないが、それよりも心配が先立ってくる。
これまで赤凪が憤りを露わにすることはあったが、この殺気の性質はところ構わずだった。
(おかしいよ、これ。
全然赤凪さんらしくない!)
何か起こったのは明らかだ。
鼎は腰に吊るしているポシェットに触れる。
中には、教材から見よう見まねで描いた初歩的な符と、護身用に仁から手渡されていた銀弾の詰まった小径銃が入っていた。
階段の奥から熱気が漂ってくる。
異変は加速していく一方だった。
突如として加熱する温度、空気を裂く音、殺意に塗り固められた気配。
(どうなってるの!
…私はまた、手を拱いてることしかできないの!)
過去の過ち。
それが鼎をこの場に留めてさせていた。
自分の起こした行動が、父親を危険に晒したあの夜の事を。
鼎は、足手纏いにしか成らない自分が歯痒くて仕方が無かった。
そして記憶が疼く。
手の届かない場所で進展し、目の前から消えていく絶望感。
(わたしは!)
その時、階層を満たす閃光が鼎の頭上を通過する。
それが鼎の押さえつけていた自制を剥ぎ取り、気が付いたら小径銃を右手に携えて魔のフィールドに足を踏み出していた。
黒く彩られた感情とは逆位置に、冷めた思量が脳内を駆け巡る。
機動力を奪い、行動力を奪い、そして命を奪う。
生への執着により、磨き上げた殺しの技量。
それは感情に左右されることなく、効率よく効果的な殺し方を選出していく。
殺意はこのフロアにいる総てのものに向けられていた。
それに呼応し、赤凪穂が邪悪な顔を見せる。
自ら煌々と輝き、紅き刀身からとめど無く瘴気が吐き出されていく。
{それで良い、もう直ぐだ!
解放の刻は!}
同調して落ちていく意識に、思わず笑みが毀れる。
{終わる、やっとこの境遇から抜け出せるわ!}
心に巣食う鬼は、悲願を目の前にし興奮を隠せないでいた。
{殺せ、奪え、壊せ、そして人であることを忘れろ!
お前は鬼だ!}
暗示により飛躍的身体能力を行使しながらも、一項に疲れや限界が見えてこない。
湧き上がる力の本流。
津波のように大地を削ぎ、山のように不動なる横溢。
自分が自然という脅威に転進したかのように、無尽蔵に力が湧き上がってくる。
マンティコアに疾走すると、間にケンタウロスが割り込んでくる。
赤凪の認識には、魔物は形しか投影されていない。
そして認識はは敵以外何も存在しなかった。
あらゆる情報を、鋭敏な感覚が察知する。
鋭利な殺気が、こめかみを狙い定めているを感じる。
床を抉り、急停止をし飛来する殺気を躱す。
そして新たな敵、短筒を構えた男を目視する。
(先ず貴様からだ!)
男は肉眼に捕らえにくい極細の鋼の糸に鋼の糸を絡みつけ、引き抜く。
すると張り巡らされた糸は火を纏い壁と成した。
(炎の結界か、小癪な)
瞬時に炎の壁まで詰めると、一刀両断の下に紅蓮を割る。
斬られると鋼線は急速に引っ張られ、焔を撒き散らしながら辺りを薙ぎ払っていた。
瘴気を孕んだ刀身が、襲い掛かってくる幾つの鋼線を撃ち切る。
炎と熱の揺らぎに惑わされること無く的確に線を見極め、最小の動きでこれを裁く。
その最中に男が飛び込んでくる。
何の感慨もなく、その男を切り捨てようと鋼線を避ける中で刀を振るう。
不意に虚空に槍が現れ、暫撃を受け止める。
槍ごと切断する勢いで振り抜くと、男は逆らわずに吹き飛んでいく。
その追撃を行おうと動こうとするが、足下をワイヤーが駆け抜け断念せざる得なくなる。
不意に口元に微笑が浮かぶ。
(「獲物として申し分ない!
命のやり取りこそ、生の証ぞ!)
何重にも仕掛けられていたワイヤーは、未だ反動により肉を裂くべく飛来してくる。
軽やかに躱し、反動の中核にあたる支点を次々に断っていく。
身体に染み付いた端正な舞を披露するかの如く。
罠が完全に停止する頃にはワイヤーの油が切れ、火は沈下していた。
瞬間、閃光が眩く爆発を起こし、肉片が飛び散ってくる。
嬉々として其方に目を向けると、減退が一目で観測できる獲物の姿だった。
(…獅子が犬に成り下がったか。
つまらぬ)
失望し、横手から迫るワームを一瞥する。
(虫けらが、俺様に集るな!)
先程まで敏捷と思えたワームの動きが、スローモーションに掛かったかのように鈍重に見える。
刀を上段に構え、峯に取り出した符を添える。
「扇」
刀身を中心に、肉眼できない扇形の空気の扇子が展開される。
ワームは己の体を武器に体当たりを決行してくる。
当たれば骨は折れ、内臓までもグチャグチャに潰されるほどの威力を備えた鋼鉄特急。
だが、それを全く意に介さず、その場に留まり床に根を張る。
比喩ではなく、木の力で地と繋がり足の裏が張り付いているのだ。
これにより体重に関係なく、伝動する総ての力を収束し標的に叩きこむことが可能となる。
次の瞬間、空間から大気が剥ぎ取られた。
神速で打ち下ろされた斬撃は扇で空気を受け止め、圧力を蓄えワームへと叩きつけられた。
パンッ!
元々半身しかなかったワームの体は圧力に負け、平らに潰れていた。
再生しきっていなかった切れ目から中身が飛び出し、器官の数々を床にぶちまけていた。
体液は漣となりフロア全体に広がり、吐き気を込上げさせる様な激臭が辺りに充満した。
叩き付けた衝撃に耐え切れずに床が貫け、ワームの死骸が下の階層に落ちていく。
「素晴らしい!
過酷な環境に晒され実った渾身の果実、それにより生み出された最高の美酒!」
こちらの光景を観察していた魔の者は、歓喜を高らかに歌っていた。
好物を晒された獣のように虹彩を細め、喰らいつく眼光を光らせてくる。
何の舞いぶれも無く銃声がこだまする。
魔の者は無造作に額に手を翳し、飛来物を細く優雅な指先で挟む。
「これはお嬢さん、無粋なことを」
フロアの入り口に少女が煙を吐く短筒を構えていた。
その顔は蒼さを通り越し、蒼白な血色を称えていた。
報復に対する恐怖ではなく、殺しを自主的に決行してしまったことによる自壊が少女に色を失わせていた。
「エ、エンブリオさんを解放しなさい」
震える唇を噛み締め、要求を主張する。
(…あの娘誰だ。
何処かで出会ったことが…)
「赤凪さん、何をしてるんですか!
早くエンブリオさんを助けないと!」
(何を言っているんだ、この娘は?
えんぶりおとは誰だ)
色彩が無い。
世界が灰色に染まり、何一つ認識できない。
あるのは敵と己。
それだけの筈だった。
(忘れている?
おかしい、俺はこの娘を知っている!
なのに思い出せない!)
{敵だ!
あれがお前を縛る鎖だ!
断て、そして束縛から抜け出せ!}
(違う!
あれは、あれは、あれはーーー)
「少し過ぎた行為ですね。
お仕置きが必要ですか。
…別に殺すなと命令させただけ、四肢が揃っていることもないでしょう。
マンティコア!」
男と向かい合っていた獣は素早く反転し、娘の方角に大きく口を開く。
「ジョウちゃん、ニげろ!」
男は叫び飛び掛ろうとするが、獣の獣皮が針のように尖り、男に向かい乱射された。
これにより、男はマンティコアと呼ばれた獣に近づくことが出来ないでいた。
聞えない咆哮が轟くと、振動波が娘に目掛けて咆哮を奏でる。
(あれは、あれは、あれは、あれは、あれは)
既視感。
前にも一度、これと同じ光景に出くわしたことがあった。
(そう、あれは!)
「凪穂ぉぉぉ!」
世界に色が戻って来る。
{貴様!
又、女の為に命を投げ出すのか!}
気付いた時には娘の庇い、衝撃波をまともに受けていた。
鎖骨から肋骨にかけて粉砕されていく粉骨音。
食道を通して込上げる液体は鮮明な赤色を空にばら撒いた。
(あ、これはやばいな。
…妙に気持ちいいや)
衝撃波により空中を彷徨う身で、遠退く意識が心地よかった。
そんな中視界の隅に無事な姿の娘が映し出される。
(かな・・・えか、重・・しょ・うだな、お・・れは)
「・・・・・!」
必死に叫んでいる鼎を余所に、赤凪の瞼が下りてくる。
壁に衝突した衝撃が完全に赤凪を闇へと誘っていくのだった。
仄かな黄赤色が黄昏時を示していた。
山間に位置する草むらを飽きもせずに眺める者がいた。
「何がそんなに楽しんだ、こんな風景」
「…赤凪は楽しくないの?
朝、昼、晩と表情を変えるこの景色が」
「楽しくないね。
…予定を狂わされた。
よもやこんな山間で野宿を余儀なくされた俺は、非常に不愉快だ」
「良いでしょ、急ぐ旅でもないし。
それより赤凪もこっちに来て一緒に見ようよ、綺麗だから」
突然座り込み、ここで夕焼けを拝むと駄々を捏ねられた。
どうも逆らえずに、渋々了承してしまった自分の甘さを後悔する。
「素敵だね、旅は。
こんな風景に幾度も出遭うことが出来るなんて」
うっとりとした口調と瞳で語りかけてくる。
「…馬鹿かお前は。
なら、多く出遭うために先に進むできだろうが」
「判ってないなぁ。
心奪われるものはそうそう出遭えないでしょう?
私はこの場所の今が見たいの」
仕方なく、自分もその者の隣に腰を下ろす。
そうすると、嬉しそうに此方を見詰めてくる。
眉目秀麗な顔立ちが夕焼けの照らされ、その美しさ軽く息を停めてしまう。
「ん、どうしたの?」
見惚れていたなど、口が裂けても言えない。
言えば、この女が増長するのは目に見えている。
「いや、何でもない」
ぶっきらぼうに答えると、凪穂に習い黄赤色の大地に視線を送る。
「…だな」
初めてだった。
風景に目を留めたのも、それを感性が反応するのも。
正直に綺麗だと感じた。
夕焼けに負けず、本来の焼付くような緑色で己を誇示する草たち。
それらが風に揺れ、さわさわと音を奏でる。
「…赤凪は強いね」
突然意味の分らない話を振られた。
「…それは厭味か」
脈絡も無いその話に、呆れて半眼するしかなかった。
何故なら、俺は一度もこの女に勝ったことがないからだ。
あの真夏の鬱陶しい日差しの只中、俺は打ち震えながらこの女の四肢をもぎ取り、腸を引きずり出し、一面を赤に染める為に襲い掛かった。
結果は気力がそぎ堕ちるまで、何度も何度も打ち倒され、精神の隅々まで敗退的な敗北感を刻み込まれた。
これがこの女、凪穂との殺伐とした出逢いだった。
因みに、俺はその後も幾度となく殺しを試みたが、此処に凪穂が生存しているので判るとおりに、全敗を記していた。
「…違うよ、私が言いたいのは心の話」
「それこそ馬鹿げている」
これまでの自分の生き方を否定され、それを認めてしまった己の何処に強さ等存在するのだろうか。
「人は自分が一番見えないものなんだね。
私には見えるよ、赤凪の強さ」
「ほう、なら俺の強さとやらを言ってみろ」
「どんな苦境にいても生きることを諦めないとこ」
「…することが無かっただけだ。
それ以外にな」
生きる事が目的だった。
在るのはそれだけで、それ以外は空虚で何も無かった。
「私には無理だな。
赤凪と同じ境遇に立たされたら絶対に生き延びられない」
「嘘だな、お前みたいな図太くて、無神経な女は確実に生き延びる。
俺が保障する」
「ひ、酷い!
私ほど繊細で可憐な女性は京中探してもいないよ」
「誰が繊細で可憐だ。
それにお前みたいな童子が女性など三年早いわ」
「何よ!
自分だってお子様の癖に!」
「…止めよう。
余りに無益だ」
「…そうだね。
…そうそう、さっきの続きだけど」
未だ続けるのかと毒づき、その場に寝転がる。
「受け止めてくれる優しさかな」
それを聞いた途端、顔が夕焼けと同色に染っていく。
「馬鹿が、何言ってやがる!」
「本当だよ。
だから、私は貴方と共に歩みたいと思えたの。
あの箱庭から抜け出して」
「…俺もだ。
お前だから連れ出そうと思った」
何の感慨もなく言葉が出た。
本心からそう思えたからだろう。
「ありがとうね、赤凪」
「礼など不要だ。
誠意は行動のほうが良い」
「…破廉恥な男だね、君は」
くすりと微笑し、凪穂の顔が俺の顔に影を落とす。
微かに触れるだけの接吻。
耳まで赤くした凪穂は照れながら、直ぐに離れようとする。
だが、素早くそれを阻止し、手を後ろ髪に忍び込ませると引き寄せ再び唇を重ねる。
暫くして、開放すると少し怒った表情の凪穂がいた。
「破廉恥だよ、やっぱり」
「破廉恥結構、こうしたいのはお前だけだから」
臆面もなくそう言うと、立ち上がり夜営の準備に取り掛かる。
「赤凪」
優しさに満ちた呼び掛け。
俺は振り返らずに紡がれる言葉に耳を傾ける。
「色々な所を旅して沢山のものを見て周ろうね。
この世界が殺伐としたものだけでないことを、私たちの目で、耳で、肌で感じていこう。
…生きていこうね」
「…ああ」
(そうだったな。
あいつが居なくても、世界は多彩で、彩られている。
それを俺は忘れていたんだな。
過去が俺を支え、未来に紡がれていく。
これは重荷ではなく、糧なのだと教えて貰ったはずなのに)
「…行くんだ」
「ああ、夢は終わりだ。
俺は未だ、生きているからな」
「もう大丈夫だね。
赤凪は強いから」
これは幻想。
都合の良い夢。
「夢の中までお前に迷惑かけるとは、何処まで俺は女々しいことか」
それでも構わない。
これが恐らく最後なのだから。
「じゃあね」
「ああ」
振り返れば、今一度愛しきもの姿を捉えることができるかもしれない。
だが、赤凪はそうせずに赤き穂の揺らぐ思い出の場を後にするのだった。
(もう少しだ!
もう少しでこの暗闇から抜け出せる!)
漆黒に埋もれしながら、光源を目指し我武者羅にもがく。
(あの男が帰ってくる前に早く!)
(何を焦ってるんだ、羅刹よ)
本来ありえない声に、恐怖が走る。
(何故、こんなに早く這い上がってこれる!
深淵に堕ちた貴様が!)
(前にも言った筈だ、これは俺の夢だとな。
否、俺の中と言った方が正しいか)
そうだ。
命の共有はすれど、砕かれ、形成され直した状態ではこの男が主として優先されているのだ。
(お前が言ったことではないか。
お前が生きている限り俺も生きると。
逆説も然りという訳だ)
ぶり返してくる忌まわしき記憶。
(それにな、お前は俺を恐れているだろ。
でなければ、あれ程卑屈な挑発を繰り返しはしない。
そして一度として俺の眼前に立たなかったのがいい証拠だ)
見透かされた物言いに、嘗てないほどの憤りが湧き上がる。
(ふざけるな!!
俺様が貴様など!!)
(否定するな、俺もお前が怖い)
(なに!)
困惑し当惑する。
この男がこんな台詞を吐くとは意外だった。
(判るだろう、お前は俺に似ている)
それは解体され、隅々までこの男の経験に触れた時に認識していた。
この男は俺に似通った考えを持つ者だと。
破壊衝動を晒けだす化け物を恐怖することなく、見据えてくる者対する言い知れぬ悪寒。
似ている。
だが、それを認める気にはなれない。
何故ならこいつは嫌悪しか感じないからだ。
認めれば、自分を否定する材料としかならないからだ。
(認めなければ、お前はこの闇から抜け出すことはできない。
この闇はお前の作り出した壁に過ぎない)
(馬鹿な!
貴様が俺様を押さえ込んでいるのではないか!)
(なら、俺が深淵に沈んだ際に肉体を乗っ取り、己がものとすれば良かろう。
それがお前の目的だろうが)
いくらもがいても近づかぬ光。
それがこの男の言葉を肯定している。
(何故だ!
条件は同じだった筈!
なのに何故お前なのだ!)
(己を認めれぬ者は自ずと自滅の道を歩む。
…俺はお前より一歩だけ先を歩いているに過ぎない)
理解できない。
どうしてこの男が俺に問答を投げかけているのかが。
(引く手が必要なら俺が手を貸そう)
(奇妙な事をぬかすな!
何を企んでおる!)
(判らぬはずはないだろう。
俺の軌跡を見てきたお前が)
引く手。
この男は脅えながらも女の手を掴んだ。
それは己の生き方を放棄した弱さだろうか?
それとも己の可能性を踏み出した強さだろうか?
(お前にも見えるはずだ。
世界の色が赤と黒の二色で構成されていない美しいものだと。
だから、俺と共に来い!)
困惑は窮まっていた。
自分に課していた定義が脆く儚いものなのだろうか?
分からない。
判らない。
解らない。
わからない。
(星から生まれたお前が理解できぬはずが無い!)
背景の暗闇から一変し、流れ出す風景。
緩やかにせせらぐ川の流れ。
風に戯れる木々のざわめき。
何処までも広がり、天候により表情を変える水平線。
それはこの男が心に留めてきた星の鼓動。
その時、初めて男が、赤凪が目の前で腕を差し出していることに気づいた。
(共に来い、羅刹!)
不思議だった。背景に吸い込まれるようにその手を取っていた。
(母なる星を俺の目で見られるのか)
(ああ)
相容れぬものだと、憎しみしか持ち合わせていないと思っていた。
(俺らは同じ太極から零れし者。
混沌は白だけでも黒だけでもない)
そうか、それも良いかもしれない。
我らは元は混沌であり、太極であり、太極であった。
別れたとはいえ、その思想は受け継がれている。
(よかろう、貴様の口車に乗ってやるわ!
だが、貴様が弱さを見せたとき、今度こそこの肉体は貰い受ける。
今ならそれが可能だろうからな)
それは虚勢で無くなっていた。
認める事が、此処まで心境を換えれるとは露にも思わなかった。
(一つだけ忠告しといてやろう。
あの夜、貴様は刺した刀を媒介に俺と繋がり、お前は命を永らえた)
紡ぎ、同化する。
それが赤凪に残された最後の手段だった。
(あの時、お前と俺は一つになった。
まさか貴様が陽木を受け継いでいるとは思わなんだからな。
別れていたものが一つに帰る。
自然の定理により、俺らは紡がれた。
お前の計算通りにな)
そう、陰陽が結ばれのだ。
(お前は滅び行くことで、総てを星に返した。
だが、灰はかき集められ再び地上に降り立つこととなった。
解せぬとは思わぬか?
星に張り巡らされた龍脈に分散した灰は交じり合い、形状を変異させ、元の姿とは似ても似つかない情報として変革を繰り返す。
にも拘らず、我らの記憶を正確に掻き集め再構築を成している。
…誰が成したかは想像するのは難くないが、そんなことが可能だとおもうか?
現にそれは成されているのだから疑う余地はないが、人の範疇を遥かに超えている。
それは五行を極めし者、覚者に他ならない。
なら、合間見えるかもしれぬな、この時代で)
(!!)
(雑談はこれまで、行くが良い、共有者よ!)
閃光が周囲を包み込み、赤凪と羅刹を飲み込んでいく。
そして意識が統合されていくのだった。
ポツ、ポツ、ポツ。
頬に暖かい水分が何度も滴ってくる。
耳元に嗚咽と聞き取りにくい名が含まれていた。
「しゃなさん、しゃなさん、しゃなさん、しゃなさん、しゃなさん」
壊れたレコードのように同じ言葉を繰り返し続ける。
(又啼いているのか、鼎は)
目蓋を開けるまでも無く、グシャグシャになった顔をしている鼎の表情が浮かんでくる。
「啼くな、嘆いても俺は生き返らんぞ」
「へっ」
瞳を開くと、予想通りな顔があった。
悲壮感しか伺えない、見るのも辛い表情だった。
「たく、人の忠告を聞かないからそうなる。
…ま、自制を失った俺の言えた台詞ではないがな」
上方にある鼎の顔に手を伸ばし、拳骨をくれてやる。
コツッ。
骨と骨の小気味良い音がする。
「……痛いです」
随分と反応が遅れて、鼎は打たれた額を押さえる。
「正気に戻ったなら、そこから顔を退けろ。
起き上がれん」
上半身を起こしに掛かると、全身から痛みが生じる。
(これは結構やられてるな。
右鎖骨に肋骨五本、内臓も相当いかれてる。
回復に五分は掛かるな)
幸い複雑骨折が主な為、折れた骨が器官に刺さるという二次被害だけは免れていた。
(赤凪本人の体ならのた打ち回って、とっくにお陀仏だな)
肉体がギシギシと呻いている。
バラバラに砕けた破片が元の形に修復されていく。
鬱々とした樽さが支配する身体だが、活性化され過剰に馴染んでいく感覚はそれを補って余りあった。
「赤凪さん、無茶しないでください!
動ける状況じゃないんですよ!」
「馬鹿が、大声出すから休憩もろくに取れねえじゃねえか」
気配が全て此方に向く。
どうやら、状況を弁えていないこの馬鹿の所為で、傷を塞ぐ暇さえ貰えないようだ。
「鼎、俺の後ろに隠れてろ」
「でも!」
反論してくる鼎。
「責任感じてるならなお更だ。
…安心しろ、直ぐに親父さんに会わせてやる」
内包された源素が溢れ出さんと、体中を駆け巡る。
ふらつく脚でどうにか立ち上がり、状況を確認する。
どうやら大した時間は経過していないらしい。
エンブリオは束縛され、デミタスは息も絶え絶えで、マンティコアと開放されたケンタウロス達と向き合っていた。
「赤凪さん、無理です!
止めてください!」
「止めて如何する?
このまま皆殺しされろとでも?
生憎と生易しい戯言は戦場では何の力も持たない。
…覚悟して俺に命を預けろ。
まあ、勝ち戦だから心配する必用もないがな」
息苦しさが抜け、ふらついていた脚が地に確りと定着する。
「これは大きくでましたね、混沌の主よ。
どうやってこの苦境を乗り切る気ですか?」
耳聡く聞いていたテラングィードが、挑発的に余裕の眼差しを送ってくる。
「証拠を見せてやるから、襲ってきな」
不敵な笑みが自然と作られた。
「良いでしょう。
マンティコア、ケンタウロス。
相手をして差し上げなさい」
その号令の元、幻獣達はその凶悪な牙を剥く。
マンティコアがロングレンジから咆哮攻撃に移る。
ケンタウロスは助走付け、マックススピードで赤凪に突撃を決行してくる。
赤凪は無造作に一枚の符を摘まみ出した。
陰陽の交じりが、符に注がれていく。
そして、異変は起きた。
符が膨れ上がり膨張を始める。
先ずは白と黒の色合いしか持ち合わせていない符から褐色と青緑色が加わる。
それは樹皮と青々しい葉の色だった。
マンティコアの透明な咆哮が響く。
が、符は赤凪の手元から枝を伸ばし、壁を形成してこれを完全に塞いだ。
「えっ、えっ、えっ!」
鼎の驚愕の声と共に爆発的に符は成長を遂げていく。
襲い来るケンタウロスの正面から突起した枝の群れが迎え撃つ。
加速が仇となり、強靭な肉体すら貫く衝突力を得ることとなる。
貫きやすい所から順に肉体に進入を果たす枝達。
眼球、口内、間接、急所。最早、原型など崩壊し絶え間なく針が新たな穴に穿つ。
そこに在るのは体液を噴出すスプリンクラーが出来上がった。
符の膨張は留まらず、部屋全体に領域を広げていく。
マンティコアは迫る枝を躱すべく、移動をしようとするが脚に絡みついた蔓につかまっていた。
「ギィィィ!」
只の咆哮を吐くマンティコア。
死神に脚を掴まれた獣はケンタウロスと一途を辿った。




