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陣野は今度こそ、病院のベッドに落ち着くことになった。
だが、医師たちがいくら検査をしても、急激な衰弱の明確な原因は分からなかった。
陣野はただ、深い眠りの中に落ちたまま、何日も、何日も目を覚まさなかった。
陣野とそれなりに親しかった岡野が知る限り、陣野は会社で何かトラブルがあったわけでも、巻き込まれたわけでもない。
私生活でも特別何かあったわけでもない、と思う。
そこまで深く話をしたことはないから、断定はできない。
が、何となく心にしこりが残る。
「……いやあ、気味が悪くてねえ」
数日後、アパートの大家を訪ねていった岡野に、苦虫を噛み潰したような顔でそう漏らした。
あの部屋にあった、何百枚ものお札と四角いしめ縄。
大家は万が一の「事故物件」化を恐れて、陣野の部屋の真下の二階の住人たちに、それとなく探りを入れてみたのだという。
上の階から変な物音がしなかったか、何かおかしなトラブルはなかったか、と。
「でも、みんないい迷惑だって顔をするだけでね。上の階の音なんて別に気にならなかったって言うんだよ。本当に、何にもないんだ」
陣野自身についても、アパートの前やゴミ捨て場で会えば、きちんと挨拶するし、おかしなそぶりもなかったと言う。
やがて意識を取り戻した陣野自身も、頑なに口を閉ざした。
面会に訪れた岡野が、あの部屋で何があったのか、あのお札は何だったのかと尋ねても、陣野はただ視線を彷徨わせるだけだ。
「すまない」「もう忘れてくれ」と繰り返すばかりで、詳しいことは何も話してくれなかった。
ただ、思わずという感じで一言「声が……、なんというか…多すぎて……」と呟いた。
何かが、微妙に引っかかる。
あの窓を開けた瞬間に、声に聞こえた風の音などもそうだ。
気になった岡野は、仕事の合間を縫って、陣野に何が起きていたのかを独自に調べ始めた。
だが、一介の会社員が働きながら割ける時間など、たかが知れている。
ネットの掲示板を漁り、地域の図書館で古い新聞のスクラップをめくってみても、陣野のアパート周辺でオカルトめいた噂や、凄惨な事件が起きた記録など、調べられる範囲ではどこにも転がっていなかった。
机の上に広げた地図アプリをぼんやりと眺め、アパートを中心に指先でスクロールさせていたその時、一瞬、隣町の丘の上にある「山之内」という文字が目に留まった。
そういえば…
不意に思い出した陣野との世間話。
「以前お世話になった人の家に挨拶に行って、泊まらせてもらったことがある」
何かわかるかと思ったわけではないが、岡野はその家を訪れてみることにした。
陣野の住む場所の隣の町の、小さな丘の上にある一軒家 ――山之内家。
昭和の名残を残す、庭付の大きめの家。
雨戸まであり、手入れが大変そうだなあ、などという感想を持った。
インターホンを押し、応対に出たのは、その家の若い娘だった。
「陣野さんの同僚の方ですか? ええ、以前こちらに泊まられたことは覚えていますよ。
でも、その時は特に体調を崩された様子もありませんでしたし……。お力になれず、すみません」
娘は心底不思議そうに、そして申し訳なさそうに言う。
その穏やかな佇まいや、よく手入れされた古い家の雰囲気に、怪しいところなど何一つ感じられなかった。
「いえ、そうですよね。突然押しかけてすみませんでした」
突然訪れた岡野に対し、にこやかに応じてくれた娘からはそれ以上何も聞き出せず、丁重に礼を言って山之内家を後にする。
結局、何も分からないままだ。
それはアパートの大家も同じだった。
彼は彼で、自分の所有する物件の価値に関わるため、役所の資料や古い土地の履歴を躍起になって調べ上げていた。
だが、やはり何も出ない。
アパートが建つ前の土地そのものにも、部屋自体にも、過去に凄惨な事件があったわけでもなければ、何かに祟られるような因縁も一切存在しない。
どこにも、理由がない。
ただ、陣野の部屋の真ん中だけが、何かに削り取られたようにぽっかりと異様な空気をもっただけだった。
だが、大家の胸に植え付けられた気味の悪さは、どうしても消えなかった。あの、部屋の真ん中に敷き詰められていた無数の札と、その中で干からびるように倒れていた陣野の姿が、どうしても脳裏に焼き付いて離れない。
幸いだったのは、退院した陣野が「もうあの部屋にはいられない」と、早々に解約を申し出てくれたことだった。
陣野が引っ越して完全に空室になったあと、大家はあの部屋をどうすべきか頭を悩ませた。
事件性がない以上、そのまま次の入居者を募集しても法律上は何の問題もない。
だが、あの部屋をそのまま他人に貸す気にはどうしてもなれなかった。
もしまた同じようなことが起きたら、今度こそこのアパート全体の評判に関わる。
考え抜いた末、大家は一つの妥協案を出した。
部屋の「真ん中」に、すっぽりと収まるような、背の低い特注のクローゼット兼収納家具を設置したのだ。
陣野がお札を敷き詰め、しめ縄で囲っていた、あの二畳ほどの空間。そこを物理的な家具で埋めてしまい、人間が立ち入ったり、座り込んだりできないように「潰して」しまったのである。間取りとしては歪になったが、広めのワンルームだったため、収納の多い部屋として誤魔化すことはできた。
貸し出し物件に載せる前に、彼は一度だけあの部屋に入ってみた。
家具で塞いだ「あの場所」の前に立ってみる。
何も起きない。何も感じない。
心の底から安堵して、息を吐いた。
そうしてリフォームを終えた部屋は、数ヶ月後、何も知らない新しい入居者へとあっさりと貸し出された。
「……まあ、これで大丈夫だろう」
大家は入居者が決まった書類を眺めながら、自分に言い聞かせるように呟いた。
何が起きていたのかは分からないが、もうあの床の上に誰かが座り込むことも、あそこで眠ることもできない。
床を家具で、物理的に空間を塞いでしまったのだ。
だからそれで終わりのはずだ。
大家はそれ以上考えるのをやめ、帳簿を閉じた。
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とある日記の断片
×月×日
風が通ると、減る。
少しだけ薄くなる。
×月×日
声声声声
(以下にじんで読めない)
×月×日
(ぐしゃぐしゃに塗りつぶされた文章の中、かろうじて読める箇所がある)
巻き込んでしまおうか。いや、それは




