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山之内家では、娘が今朝も雨戸を開ける。
「うーん……よいしょ」
戸袋の奥で引っかかっている雨戸はガタガタと音を立てて、歪み始めているレールの上を滑っていく。
全ての雨戸を仕舞い込み、座敷を柔らかな光が満たしていく。
優しい風が奥の間の障子窓へと通り抜けていく。
今日は、その風に乗って、あの世間話でもしているかの声のような音も聞こえた。
”無理だったよ”
”そうかい、無理に増やさなくてもいいだろう”
おや、今日は妙にくっきりと聞こえるなあ、と不思議に思いながらも、娘は日常に戻っていく。
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一週間の入院のあと、陣野は実家で療養していた。
そして、一ヶ月もすると、元の元気を取り戻していた。
彼は退院したその足であのアパートを引き払い、別のアパートへと引っ越した。
あの部屋で何があったのか、結局最後まで誰にも話そうとはしなかったが、今の彼の健康そうな顔色を見る限り、あの奇妙な「病」からは完全に解放されたようだった。
「せっかくだからさ。ちゃんとお礼を言っておきたくて」
引っ越しも落ち着いたある休日、陣野は岡野を誘い、一台の車を走らせていた。
向かった先は、小さな丘の上にある山之内家だ。
陣野が倒れていたとき、岡野が手がかりを求めて一度だけ訪ねた、あの恩師の家である。
岡野が訪れたことで陣野の身を心配してくれた事への挨拶。
そして岡野は、あの日連絡もなしに酷く不明瞭な理由で訪問した事への非礼を詫びるためだった。
「綺麗なところだな」
車を降りた岡野が呟く。
前に来た時には、周囲を見回す余裕がなかった。
坂道を上りきった場所に佇む山之内家は、陽の光をいっぱいに浴びて、どこか懐かしい昭和の面影をそのまま残していた。
庭の木々が風に揺れる音を聞きながら、陣野が玄関のインターホンを押す。
少しして、がちゃりと静かに扉が開いた。
「はい――あ、陣野さん!」
応対に出たのは、あの時の若い娘だった。
彼女は陣野の元気そうな姿を見ると、ぱっと顔を輝かせた。
「すっかり良くなられたんですね。本当に良かった……! 父はあいにく今留守にしているんですけど、どうぞ、中へ入ってお待ちください。お茶を淹れますから」
「あ、いや、そんな大層な用事では……」
「いいえ、せっかく来てくださったんですから。さあ、どうぞ」
娘の屈託のない笑顔と、温かいもてなしに圧されるようにして、陣野と岡野は靴を脱ぎ、廊下へと上がった。
古い木造の家特有の、い草と乾いた木の匂いが鼻腔をくすぐる。
「どうぞこちらへ」
娘が案内してくれたのは、玄関から左にある、あの南向きの大きめの座敷だった。
大きな窓からは柔らかな光がたっぷりと差し込み、白っぽく褪せた古い畳を黄金色に照らしている。
部屋の隅には色褪せた桐の箪笥があり、どことなく懐かしさを覚える穏やかな空気がある。
「座ってお待ちくださいね」
娘がパタパタと台所へ向かう足音を見送りながら、二人は座布団が置かれた卓のある座敷の真ん中へと進んだ。
「……いい部屋だな」
岡野が畳の上にどさりと腰を下ろす。
「ああ、そうだな…、うん、あの日もここに布団を敷いてもらって泊まったんだった」
陣野もまた、微笑みながらその隣へ腰を下ろす。
その時、陣野が一瞬顔をこわばらせ、はっとしたように周囲を見回す。
そして、窓の外…先月まで自分が住んでいたアパートの方角へと視線を走らせた。
「どうした…?」
岡野が不思議そうに尋ねるが、陣野の顔色はわずかに悪い。
「今、風が…」
その声にかぶせるように明るい声がした。
「お待たせしました。…粗茶ですが」
娘がお盆に急須と茶碗を入れてきて、笑いながらそう言い、二人の前にそっと出す。
お茶請けの小さなお饅頭も添えられている。
顔色の悪い陣野に気が付き
「まだお加減本調子ではないのでは…」
と心配そうに言う。
「あの……なにかを引きずるような……」
陣野が意味不明な事を言いだしたため、岡野はぎょっとするも、娘は明るく笑う。
「あら、陣野さんも聞こえたのですか。
ええ、あのほうきで掃除するみたいな音、たまに聞こえるんですよ。
屋鳴りの一種だと思うんですけどね」
娘の言葉に沿うように、縁側から奥の間の障子窓へと柔らかに風が流れていった。
ー了ー




