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陣野という男は、一言で表すなら「几帳面を絵に描いたような人間」だった。
デスクの上の文房具は常に決まった位置に並び、書類の端は一ミリのズレもなく揃えられている。
出社時間も退勤時間も、まるで時計の歯車のように正確だった。
そんな陣野が会社を無断欠勤し始めてから、今日で四日が経つ。
彼が、連絡もなしに穴をあけるなど、入社以来一度もなかった。
「何か事件にでも巻き込まれてなきゃいいけどな」
課長に促され、同僚の岡野が陣野の住むアパートへと向かったのは、どんよりとした曇り空の午後だった。
岡野は少し前の陣野を思い出す。
「陣野、最近ちょっと疲れてないか? 飯、ちゃんと食ってる?」
昼休みのオフィスで、岡野が声をかけたことがあった。
その頃の陣野は、薄暗い給湯室の片隅や、誰もいない会議室で一人で過ごすことが増えていた。
「……ああ。いや、ちょっと忙しくてね」
陣野は力なく笑ったが、その目はどこか焦点が合わず、自分の頭上より少し高い位置を泳いでいるようだった。
「陣野は真面目が過ぎるからさ、何かあったのかもしれないけど、あんまり考え込みすぎるなよ」
岡野の言葉に、陣野はただ静かに頷くだけだった。
思えば二週間くらい前から様子がおかしかった気はする。
もうちょっと深く聞いてみるべきだったのかもな。
岡野は少しだけ反省しながら、陣野のアパートを目指していた。
駅から少し歩いた高台の住宅地。その一角に建つ、築年数の浅い三階建てのアパートが陣野の住まいだった。
外階段をトントンと上り、最上階である三階の、一番奥の部屋を目指す。
「陣野ー。岡野だけど、いるか?」
インターホンを鳴らし、ドアをノックする。返事はない。
ただ、ドアの向こうで、衣服が床を擦るような、あるいは何かをずるずると引きずるような、妙にスローテンポな気配がした。
何度目かのノックの後、ガチャリと重苦しい音がして、ドアが数センチだけ開いた。
「……何。何の用」
隙間から覗いた陣野の顔を見て、岡野は息を呑んだ。
酷くやつれ果てていた。頬は完全にこけ、目の周りには墨を塗ったような濃い隈が浮かんでいる。
最後に会社で見た時から、わずか数日で十キロ近く体重が落ちたのではないかと思わせるほどの変貌ぶりだった。
「陣野、お前、その顔どうしたんだよ。病気か?」
「帰れ」
掠れた声だった。
陣野は視線を岡野に合わせようとせず、宙の、それも岡野の頭上より少し高い位置に視線を合わせている。
「今すぐ帰れ。頼むから、もう来ないでくれ」
「何を言ってるんだ。そんな体で一人でいられるわけないだろ。おい、開けろよ」
「いいから帰れ!」
普段の陣野からは想像もつかない怒号とともに、ドアが乱暴に閉められようとする。
岡野は咄嗟に靴を隙間に挟み込み、強引にドアを押し開けた。
その日のうちに、岡野は抵抗する陣野を半ば引きずるようにして病院へと連れて行った。
医師の診断は「重度の栄養失調と極度の衰弱」。
即座に入院の手続きをとることになったが、岡野がわずかに目を離した隙に、陣野は病院のパジャマのまま、忽然と姿を消してしまった。
翌日。
嫌な予感を拭えない岡野は、再び三階のあの部屋へと向かっていた。
階段を上る足が重い。
三階の廊下に出ると、なぜか昨日よりも空気が薄く、張り詰めているような錯覚を覚えた。
ドアの前へ立つ。鍵はかかっていなかった。
「陣野? 入るぞ」
声をかけながらドアを押し開けた瞬間、岡野の身体は硬直した。
薄暗い室内の、その「真ん中」だけが異質だった。
ワンルームのフローリングの床、その中央のわずか二畳ほどのスペースを囲うように、細いしめ縄が四角く張り巡らされている。
しめ縄は、家具や壁ではなく、床に直に打ち付けられた細い杭のようなものに固定されていた。
そして、そのしめ縄で囲まれた内側の床には、何百枚もの白いお札が、隙間なく敷き詰められていた。
不揃いな文字で何かが書き殴られた紙切れが、まるで鱗のように重なり合っている。
そのお札の海の真ん中に、陣野は膝を抱えて丸くなっていた。
「……入ってくるな」
陣野は顔を上げず、お札が敷かれた床を見つめたまま、ぶつぶつと呟いた。
「もう二度と来ちゃだめだ。ここに来たら、気づかれる。繋がってしまう」
「陣野、お前、これ何なんだよ。何をしてるんだ?」
岡野が一歩、踏み出そうとした。
「来るな!」
陣野が弾かれたように立ち上がり、狂乱した様子で岡野を突き飛ばした。
その腕は驚くほど細くなっているのに、異常な力がこもっていた。
岡野は玄関のドアの外へと強引に締め出され、背後で激しく鍵がかかる音が響いた。
静まり返った廊下で、岡野は自分の荒い呼吸の音だけを聞いていた。
何かがおかしい。
あの部屋の真ん中、お札が敷き詰められたあの空間だけ奇妙な浮遊感があるというか…。
まるで、三階建てのアパートの部屋の中にいるはずなのに、もっとずっと見晴らしのいいところに放り出されたかのような――。
このままだと、陣野はあの中で誰にも見つからずに死んでしまう。
そう確信した岡野は、冷や汗を拭いながら、アパートの大家の元へと走り出した。
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とある日記の断片
×月×日
昼は、人数が多くなる。だから避けた。
×月×日
今日はよく眠れた。昨日もよく眠れた。ずっと眠っている。
時計を見るのを忘れていた。




