大食堂の新しい席②
テンカたちが選んだ卓へ着くと、ミナが小さな声で言った。
「あの、すみません」
「なぜそなたが謝る」
「私が一緒にいたから」
「違う」
テンカは短く言った。
ミナが顔を上げる。
「今のは、そなたのせいではない。わらわが、そなたと同じ卓につくと決めた。それだけじゃ」
「でも、ハヅキ様に迷惑が」
「ハヅキ様、では少し遠いのう」
「え?」
「呼び捨てにせよとは言わぬ。テンカ様でも、テンカさんでもよい。そなたの呼びやすい形で呼べ」
ミナは完全に固まった。
エリシアが隣で静かに息を吐く。
「テンカ。それでも、ミナには十分難しいと思いますわ」
「そうか」
「そうですわ」
ミナは慌てて首を振った。
「い、いえ。驚いただけで……では、少しずつ」
「うむ。それでよい」
テンカは頷いた。
やがて食堂係が料理を運んできた。
配膳されたのは、白パンに肉と豆の煮込み、香草を浮かべた野菜のスープ。それに、薄く焼いた魚と果実水だった。
皇国式の食事としては、十分に整っている。
ただ、テンカは皿を見て、少しだけ目を細めた。
「米はないのか」
エリシアが首を傾げる。
「毎日は出ないのではありませんか?」
「由々しき問題じゃ」
「そこまでですの?」
「そこまでじゃ」
ハヅキ領では、米も味噌も醤油も珍しいものではない。
だが、皇国学園は皇国式の学び舎だ。食文化も当然、ハヅキ領とは違う。分かってはいたが、白パンを前にすると、少しだけ故郷の食卓が恋しくなる。
ミナが遠慮がちに言った。
「でも、この煮込み、おいしいですよ。豆が柔らかくて」
「ふむ」
テンカは匙を取った。
一口。
肉の旨味と香草の香りが広がる。
「悪くない」
「でしょう?」
ミナの顔が、少し明るくなった。
「食堂の煮込みは、奨学生の先輩方にも評判がいいと聞きました。量もありますし、温かいですし」
「そなた、食堂についても調べておったのか?」
「はい。学園生活は、食費と時間配分が大事なので」
実に堅実だった。
エリシアが感心したように頷く。
「事前調査は重要ですわね」
「はい。魔導工学も、まずは観察と記録ですから」
そこで、ミナの目が少しだけ輝いた。
テンカは匙を置く。
「その魔導工学の話じゃが」
「はい」
「魔導列車は、本当に魔導工学で走るのじゃな」
ミナの表情が変わった。
先ほどまでの緊張が、するりと抜け落ちる。
「はい。大型魔導機関で生み出した力を、車体下部の駆動術式と軌道側の安定術式で受けて動かします。普通の馬車と違って、道そのものにも術式が組み込まれていて、車体だけでは完結していないんです」
早口だった。
テンカは瞬きをする。
「すでに少し難しいのう」
「あっ、すみません」
「謝るな。続けよ」
「よいのですか?」
「うむ。知らぬことは面白い」
ミナの頬が、ほんのり赤くなる。
「えっと、つまり魔導列車は、車体と線路が一組なんです。車体の魔導機関だけが強くても駄目で、軌道術式の流れが乱れると速度が落ちたり、揺れが大きくなったりします」
「なるほど。刀だけ良くても、足場が悪ければ踏み込めぬようなものか」
「たぶん、近いです」
ミナは嬉しそうに頷いた。
「魔導具も同じで、魔力の出力だけではなく、流れを安定させることが大事なんです。小さな魔導灯でも、補助回路が悪いと光が揺れますし、燃費も悪くなります」
エリシアが淡い青の瞳を細めた。
「魔力の流れを安定させるという点では、氷術の制御にも通じるかもしれませんわ」
「氷術にも、ですか?」
「ええ。冷気を強く出すだけなら、ある程度はできます。けれど、形を保ち、狙った場所だけを凍らせるには、魔力の流れを乱さないことが重要ですわ」
ミナは紙束の端を押さえた。
「それ、詳しく聞いてもいいですか?」
「構いませんわ」
「氷術の制御図って、魔導回路の安定式と似ているところがあるかもしれなくて。もし比較できれば、補助回路の組み方にも応用できるかもしれません」
エリシアは少しだけ目を丸くした。
それから、口元をわずかに緩める。
「興味深いですわね」
「はい!」
ミナは勢いよく頷いた。
その様子を見て、テンカは目を細める。
先ほどまで、自分が同じ卓にいていいのかと迷っていた少女は、もうそこにはいなかった。
魔導工学の話になれば、ミナは前を向く。
その姿は、とても分かりやすい。
「実家は、小さな魔導具工房だと言っておったな」
テンカが尋ねると、ミナは頷いた。
「はい。街の外れにある、小さな工房です。魔導灯や暖房具、水汲み用の補助具なんかの修理が多いです。大きな魔導機関を扱うような工房ではありません」
「それでも、そなたは大型の魔導機関に興味があるのか」
「あります」
ミナの返事は早かった。
「魔導列車みたいな大きなものも憧れます。でも、それだけじゃなくて、小さな魔導具でも、人の暮らしを変えられると思うんです」
ミナは手元の紙束へ視線を落とした。
「強い魔力を持っている人だけが便利に暮らせるんじゃなくて、魔力が弱い人でも、術式を組み合わせれば使える道具がある。そういうものを作れたら、きっと役に立つと思って」
その声には、先ほどの早口とは違う熱があった。
テンカは静かに聞いていた。
魔導工学。
刀や五行とは違う道。
けれど、誰かを守り、支えるという意味では、遠いものではないのかもしれない。
「よい志じゃな」
ミナは顔を上げた。
「よい、ですか?」
「うむ」
テンカは頷く。
「強き者だけが立てる場所では、いつか支えきれぬものが出る。弱き者でも使える道具を作るというのは、よい考えじゃ」
ミナは言葉を探すように口を開きかけ、結局、小さく頭を下げた。
「ありがとうございます」
「礼が多いのう」
「すみません」
「謝罪も多い」
「す、すみま……あ」
ミナは途中で止まり、恥ずかしそうに目を伏せた。
エリシアが静かに言う。
「少しずつ慣れればよろしいと思いますわ」
「はい」
そこで、食堂の別の席から小さな笑い声が聞こえた。
先ほどの桃色の髪の少女たちではない。別の新入生たちが、こちらをちらちらと見ながら何かを囁いている。
好奇心と噂、少しの畏れ。
それらが混じった視線だった。
ミナがまた身を固くしかけたので、テンカは果実水の杯を持ち上げた。
「噂は勝手に歩く」
テンカは静かに言った。
「ならば、こちらは座って飯を食えばよい」
エリシアが目を伏せた。
「実にテンカらしい解決ですわ」
「腹が減っては、噂にも勝てぬからな」
「噂と戦うおつもりですの?」
「戦わぬ。面倒じゃ」
ミナが、今度ははっきりと笑った。
小さな笑いだったが、先ほどよりも自然だった。
テンカはそれを見て、満足げに頷く。
大食堂の昼食は、思っていたよりも賑やかだった。
上級生たちの笑い声、新入生の緊張した会話、食器の触れ合う音。それらが重なり合い、配膳口から漂う温かな料理の香りとともに、食堂全体を満たしていた。
壁際では、キリカが静かに控えていた。テンカの方を気にしてはいるが、余計な口出しはしない。
ここはハヅキ家の屋敷ではない。キリカがすべてを整えてくれる食卓でもなく、自分で席を選び、誰と話すかを決める場所だった。
食事を終える頃には、ミナの紙束には新しい書き込みが増えていた。
そこには、エリシアの氷術制御について聞いたこと、魔導列車の軌道術式について後で調べたいこと、そして大食堂の煮込みの味まで書き込まれていた。
最後の項目だけ妙に生活感があって、テンカは思わず笑いそうになった。
「ミナ、それは何の記録じゃ」
「え? あ、これは、食堂の献立と味の記録です。食費と体調管理の参考にしようと思って」
「そなた、本当に記録が好きなのじゃな」
「はい。忘れると困るので」
「よいことですわ」
エリシアが真面目に頷いた。
「北方でも、魔物の移動経路や氷結時期の記録は重要ですもの」
「それは食堂の煮込みと同じ扱いでよいのか?」
「記録という意味では同じですわ」
「そなたら、妙なところで気が合いそうじゃな」
テンカがそう言うと、ミナとエリシアは顔を見合わせた。
ミナは少し緊張しながらも、嬉しそうに笑う。
エリシアも、ほんのわずかに目元を和らげた。
その時、食堂の鐘が鳴った。
午後の予定へ移る合図らしい。
食堂内の学生たちが、次々と席を立ち始める。
「そろそろ、1年1組の教室へ向かわねばなりませんわ」
エリシアが言った。
「うむ。ミナ、行くぞ」
「え、私もご一緒していいんですか?」
「同じ組であろう」
当たり前のように言うと、ミナは少しだけ目を丸くした。
それから、小さく笑う。
「はい」
3人が席を立つと、壁際に控えていたキリカも静かに歩み寄った。
「姫さま」
「うむ。問題はなかったぞ」
「そのようですね」
キリカはミナへも軽く会釈した。
ミナは慌てて頭を下げる。
「よ、よろしくお願いします」
「こちらこそ。姫さまの学友であれば、大切なお方です」
「学友……」
ミナはその言葉を小さく繰り返した。
テンカは何も言わなかった。
大食堂を出ると、中央棟の回廊には午後の光が差し込んでいた。
掲示板の前で名を見つけた時には、ただ同じ組だと分かっただけだった。けれど、同じ卓を囲み、同じ料理を食べ、同じ話題で笑えば、その名は少しだけ近いものになる。
皇国学園での新しい日々は、まだ始まったばかりだ。
1年1組の教室へ続く回廊の先で、新入生たちのざわめきが聞こえていた。
「さて」
テンカは足を止めず、前を見た。
「次は、授業じゃな」
初めての大食堂で得た新しい席を胸に、テンカは教室へ向かった。
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