大食堂の新しい席①
掲示板の前から離れる頃には、新入生たちの流れも少しずつ落ち着き始めていた。
それでも、中央棟前の広場にはまだ多くの学生が残っている。自分の名を見つけて安堵する者。友人らしき相手と同じ組になったことを喜ぶ者。逆に、知った顔が近くにいないのか、不安そうに案内札を見つめる者。
皇国学園の初日は、誰にとっても慌ただしいものらしい。
「この後は、大食堂で昼食。その後、1年1組の教室へ集合じゃな」
テンカは掲示板の横に張られた初日の案内を読み上げた。
歓迎式典を終え、所属組を確認し、昼食を取った後に初回授業。
入学初日から、なかなか詰め込んでくる。
「歓迎され、名を探し、飯を食い、すぐ授業か。皇国学園は忙しい場所じゃ」
「学園へ来た以上、当然ですわ」
エリシアは涼しい顔で答えた。
「そなたは本当に模範的じゃな、エリー」
「テンカが少し呑気なのですわ」
「わらわがか?」
「ええ」
揺るぎない返答だった。
テンカは小さく笑い、隣に立つミナへ視線を向ける。
栗色の髪を肩のあたりで切り揃えた少女は、胸元の奨学生の徽章へ指を添えたまま、案内札を熱心に見ていた。紙束を抱えた腕には、先ほどから少し力が入っている。
「ミナ」
「は、はい」
「大食堂は分かるか?」
「いえ、まだ。案内図では中央棟にあると書かれていましたけど」
「ならば、共に行けばよい。同じ1年1組であろう」
ミナは目を丸くした。
「私も、ご一緒していいんですか?」
「同じ場所へ向かうのに、別々に歩く理由があるのか?」
「いえ、でも……」
ミナの視線が、テンカとエリシアの間で小さく揺れた。
言いたいことは分かる。
ハヅキ辺境伯家の次女と、北方侯爵家の令嬢。その隣を、奨学生である自分が歩いていいのか。そう迷っているのだろう。
テンカは少しだけ考えた。
身分の差がない、などとは言わない。
この世界には家格があり、役割があり、背負うものがある。皇国学園が「学生は等しい」と掲げていても、現実にすべてが同じになるわけではない。
だが。
「今は、大食堂へ向かう学生同士じゃ」
テンカは静かに言った。
「そなたが嫌でないなら、共に行こう」
ミナは一瞬だけ言葉を失った。
それから、小さく頷く。
「はい。ありがとうございます」
「礼を言うほどのことではない」
エリシアが隣で目を伏せる。
「テンカは、時々そういうところがありますわね」
「どういうところじゃ」
「自覚がないところですわ」
「む。何やら釈然とせぬ」
ミナが、少しだけ笑った。
その笑みを見てから、テンカは歩き出す。
キリカはいつものように半歩後ろへついた。
中央棟の回廊は、新入生と上級生で混み合っていた。壁際には案内係の学生が立ち、大食堂、談話室、寮区、教室棟の方向を示している。
天井は高く、白い石の柱が等間隔に並び、柱の間には魔導灯が取り付けられていた。昼間なので灯りは薄いが、夕刻になれば柔らかな光で回廊を照らすのだろう。
「ハヅキ家の屋敷とは、やはり空気が違うのう」
テンカが呟くと、キリカが頷いた。
「はい。皇国式の造りが多いようです」
「石も悪くはない。だが、少し音が響く」
「足音で人数を把握しやすいですね」
「そなたも大概、護衛の目で見ておるな」
「姫さまほどではありません」
「否定できぬのが困る」
エリシアが横から静かに言った。
「お二人とも、学園見学というより防衛設備の確認をしているように聞こえますわ」
「癖じゃ」
「癖です」
テンカとキリカの声が重なった。
ミナはそれを聞いて、戸惑ったように瞬きをする。
「貴族の方って、皆さんそうなんですか?」
「たぶん、違いますわ」
エリシアが即答した。
「テンカとキリカが少し特殊なのだと思います」
「少しで済むかのう」
テンカは苦笑した。
やがて、回廊の先に大きな両開きの扉が見えてきた。
大食堂。
扉の上には、皇国学園の紋章と麦の穂を組み合わせた意匠が彫られている。中からは、多くの声と食器の触れ合う音、温かな料理の香りが流れてきた。
扉をくぐると、広い空間が目の前に開けた。
高い天井には梁が渡され、壁際には大きな窓が並ぶ。長い卓がいくつも置かれ、すでに多くの学生が昼食を取っていた。
上級生らしい者たちは慣れた様子で席を選び、新入生は少し戸惑いながら空いた場所を探している。
制服は同じでも、座る場所には自然と偏りがあった。
貴族家の子女は貴族同士でまとまり、騎士家の出と分かる者は似た空気の学生同士で集まり、奨学生らしき学生たちは食堂の端の方に固まっている。
誰かがそう決めたわけではないのだろう。
だが、人はどうしても、自分に近い場所へ座りたがる。
学ぶ者は等しく学生。
歓迎式典で聞いた言葉を、テンカは思い出した。
それでも、誰と同じ卓につくかまでは、言葉一つで変わるものではないらしい。
「姫さま」
キリカが低く呼んだ。
「何じゃ」
「わたしは壁際の随行者席へ控えます」
「ここでもか」
「はい。大食堂は学生の共有区画ですので、給仕や席取りは控えるよう説明を受けております」
「なるほど。食事の席も、自分で選べというわけじゃな」
「はい」
キリカは静かに頭を下げた。
「何かあれば、すぐに」
「分かっておる。だが、飯を食うだけじゃ」
「姫さまがそう仰る時ほど、何か起きる気がします」
「そなたの中で、わらわはどういう扱いなのじゃ」
「大切な姫さまです」
「答えになっておらぬ」
キリカは涼しい顔で微笑み、壁際へ下がった。
テンカはその背を見送ってから、改めて食堂を見渡す。
「さて、どこに座るか」
「あの……」
ミナが小さく声を上げた。
「私は、奨学生の方が多い席に行った方がいいかもしれません」
「なぜじゃ?」
「その方が、目立たないと思うので」
ミナの声は小さい。
先ほどまでよりも、明らかに緊張していた。
大食堂の中では、すでにいくつもの視線がこちらへ向けられている。
テンカとエリシアが並んでいるだけでも目立つ。その隣にミナがいることで、さらに視線が増えていた。
「席は決められておるのか?」
「いえ、自由です」
「ならば問題ない」
「ですが」
「ミナ」
テンカは静かに名を呼んだ。
「そなたは、わらわたちと同じ1年1組の学友じゃ」
ミナが息を呑んだ。
「同じ卓につくことに、何を遠慮する必要がある」
エリシアも淡々と続ける。
「それに、先ほどの魔導工学のお話の続きを聞きたいですわ」
「え」
「途中で止まりましたもの。大型魔導機関と軌道術式の話です」
ミナの目がわずかに揺れた。
緊張と、興味。
どちらが勝つかは、すぐに分かった。
「……あの話、聞いてくださるんですか?」
「もちろんじゃ」
テンカは頷いた。
「わらわは魔導工学に明るくない。知らぬことを学びに来たのじゃから、詳しい者の話は歓迎する」
ミナは紙束を抱え直した。
「で、では……少しだけ」
「うむ。少しだけじゃな」
そう言って、テンカは空いた卓へ向かった。
食堂の中央から少し外れた席だった。
あまり奥へ引っ込みすぎず、かといって目立つ中心でもない。入口と配膳口が見え、壁際のキリカとも距離が離れすぎない。
無意識にそういう席を選んでいる自分に気づき、完全に癖じゃな、とテンカは内心で苦笑した。
席へ向かう途中、近くの卓にいた少女が顔を上げた。
淡い桃色の髪をきれいに結った、貴族家の令嬢らしい学生だった。周囲には同じように身なりのよい新入生が数人座っている。
「ハヅキ様」
丁寧な声だった。
テンカは足を止める。
「何じゃ」
「よろしければ、こちらの席をお使いになりますか? 空けられますので」
言葉だけを見れば親切だ。
だが、その視線は一瞬だけミナの徽章へ向けられていた。
テンカはそれを見逃さなかった。
「気遣い、感謝する」
テンカは穏やかに答えた。
「だが、わらわたちはあちらに座る。先に決めたのでな」
「そうですか」
少女は微笑んだまま頷いた。
「ハヅキ様は、もう奨学生の方とも親しくなさっているのですね」
周囲の声が、少しだけ静まった。
ミナの肩が強張る。
エリシアの淡い青の瞳が、わずかに細くなった。
テンカは一呼吸置いた。
棘はある。
だが、刃ではない。
ここで切り返しすぎれば、ミナを余計に目立たせるだけだ。
「同じ1年1組じゃ」
テンカは静かに言った。
「学友と席を同じくすることに、何か不思議があるのか?」
少女は一瞬だけ言葉を失った。
その隙に、エリシアが涼やかに続ける。
「皇国学園では、学ぶ者は等しく学生と伺いましたわ」
「……ええ。もちろんです」
少女は微笑みを保ったまま、軽く頭を下げた。
「失礼いたしました」
「うむ」
テンカはそれ以上言わず、席へ向かった。
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