歓迎式典
テンカの部屋は、思っていたよりも広かった。
寝室のほかに、小さな書斎兼応接室、着替え用の小部屋、専用の洗面室があり、奥にはキリカ用の控えの間へ続く扉もある。壁は白い石を基調としており、窓からは東棟の中庭が見えた。
ハヅキ家の屋敷のような畳も、障子に似た建具もない。
けれど、机も本棚も、衣装棚も、武具掛けも、学生がここで暮らし、学ぶには十分すぎるほど整っていた。
「悪くない部屋じゃ」
「はい。こちらなら、姫さまにも不自由は少ないかと」
キリカは室内を確認しながら答えた。
扉の位置。窓の大きさ。隠れられそうな死角。呼び鈴用の術具。控えの間から寝室までの距離。
側仕えというより、完全に護衛の目で見ている。
テンカは腰の《継火》へ手を添えた。
寮監から説明された通り、部屋には武具掛けが用意されている。そこへ置けばよいのだろうが、テンカは無意識に、寝台からも机からも手を伸ばしやすい位置を選びかけた。
「姫さま」
「何じゃ」
「その位置ですと、すぐ手が届きますね」
「癖じゃ」
「寮内での抜刀は禁止です」
「分かっておる。分かっておるぞ」
テンカは少しだけ名残惜しさを覚えながらも、《継火》を武具掛けへ置いた。
黒い鞘に緋色の一筋が走る愛刀は、皇国式の部屋の中でも不思議と浮かなかった。
キリカがその様子を見て、わずかに目を細める。
「やはり、近くにないと落ち着きませんか?」
「そうじゃな。だが、ここは戦場ではない」
「はい」
「……もっとも、油断するつもりもないがな」
「そこは安心いたしました」
キリカは涼しい顔で言った。
その返答に、テンカは小さく笑う。
荷物の大半は、後で運び入れられる。歓迎式典まで時間は多くないため、今は最低限の身支度だけを整えればよい。
キリカが旅装の乱れを直し、髪を軽く整える。
鏡の中のテンカは、ハヅキ領を出た時より少しだけ学園の空気に馴染んで見えた。
「これでよろしいかと」
「うむ。では行くか」
部屋を出ると、ちょうど隣室の扉も開いた。
エリシアが姿を見せる。
白銀の髪はきれいに整えられ、淡い青の瞳にはいつもの静けさがある。真新しい制服を着ているはずなのに、すでに何年も着慣れているかのような落ち着きだった。
「早いのう」
「時間に遅れる理由がありませんもの」
「初日から模範的じゃな」
「当然ですわ、テンカ。初日だからこそ、です」
エリシアはすました顔で答えた。
その背後では、フロストレイン家の侍女らしき女性が静かに頭を下げている。どうやらエリシアにも随行者はいるようだが、キリカほど前へ出る気配はない。
家ごとに、側仕えとの距離も違うのだろう。
「では、参りましょうか」
「うむ」
テンカとエリシアは並んで歩き出した。
キリカはいつものように、テンカの半歩後ろへつく。
東棟の廊下には、同じく歓迎式典へ向かう新入生たちの姿があった。真新しい制服に袖を通し、期待と緊張を顔に浮かべている者もいれば、慣れない寮の広さに戸惑っている者もいる。
テンカとエリシアが並んで歩くと、廊下の空気が少しだけ変わった。
視線が集まる。
だが、露骨に道を塞ぐ者はいない。上級貴族用区画に近い場所だからか、学生たちも最低限の礼儀は心得ているようだった。
「やはり目立っておるな」
「今さらですわ」
「それは先ほども聞いたぞ」
「今も同じですもの」
エリシアの声は揺るがない。
中央棟前へ向かうと、そこでは生徒会の上級生たちが新入生の誘導を行っていた。
「東棟の新入生は中央回廊から講堂へ進んでください。混雑している場合は北側の回廊を使えます。案内板を確認し、走らないようにお願いします」
澄んだ声が、人の流れを整えていた。
レイナだった。
黄金色の髪を揺らし、手元の書類を確認しながら、上級生や職員へ的確に指示を出している。妹を前にした時とは違い、表情は穏やかだが隙がない。
「掲示板前に人が溜まりすぎています。式典後の確認に回すよう案内してください」
「はい、レイナ会長」
「来賓席側の通路は新入生を通さないように。講堂内の案内係をもう2人増やしましょう」
「分かりました」
生徒たちは自然にレイナの指示へ従っていく。
それを見て、テンカは少しだけ感心した。
姉は本当に、この学園で生徒会長なのだ。
「姉上」
テンカが声をかけると、レイナが振り返った。一瞬だけ顔が明るくなったが、すぐに生徒会長の顔へ戻る。
「テンカ。準備はできましたか」
「うむ。部屋も確認した」
「何か不自由は?」
「ない」
「本当に?」
「姉上」
「はい」
「顔が崩れかけておるぞ」
「崩れていません。わたくしは生徒会長です」
横でエリシアが小さく目を伏せた。笑ったのかもしれない。
レイナは咳払いを一つして、案内係の上級生へ視線を戻す。
「わたくしはこのまま式典の準備があります。テンカたちは新入生席へ。キリカは随行者席へ案内されるはずです」
「承知しております」
キリカが答えると、レイナの視線がわずかに和らいだ。
「キリカ、式典中は席が離れます。けれど、テンカをお願いします」
「はい、レイナ様」
キリカの声は静かだった。
テンカはそのやり取りを聞きながら、改めてこの場所の規則を感じていた。
ハヅキ家の屋敷なら、キリカは当然のように隣にいる。大魔境へ入る時も、天巡神社で戦った時も、キリカは半歩後ろにいた。
だが、ここでは違う。
キリカは登録随行者であり、学生ではない。
テンカは学生として、自分で席へ向かわねばならない。
「姫さま」
キリカが低く呼んだ。
「わたしは後方の随行者席へ参ります」
「うむ。案ずるな」
「案じております」
「姉上が増えたようじゃ」
「光栄です」
「褒めておらぬ」
そう返しながらも、テンカは口元を緩めていた。
キリカは一礼し、係の案内に従って講堂の後方へ向かった。
テンカとエリシアは、新入生の流れに加わる。
講堂は、想像以上に広かった。
高い天井には皇国学園の紋章が刻まれ、壁には歴代の学園長や著名な卒業生の肖像画が並んでいる。正面には壇が設けられ、その奥には皇国旗と学園旗が掲げられていた。
座席は学年ごとに分けられ、新入生席は前方の中央に用意されている。
制服は同じでも、立ち居振る舞いや付き添いの有無、持ち物の質には違いがあった。貴族家の出と分かる者もいれば、胸元に奨学生の徽章を付けた学生もいる。
同じ空間に座っていても、視線や姿勢、纏う空気にはそれぞれの生まれが滲む。
それでも、今は皆が同じ新入生だった。
「こちらですわね」
エリシアが席を示す。
テンカはその隣へ座った。
すぐに、周囲の囁きが耳へ届く。
「あれがハヅキ家の……」
「隣はフロストレイン様でしょう?」
「生徒会長の妹君と北方侯爵家の令嬢が並んでいる」
「今年の新入生、すごいな……」
声は抑えられているが、視線は正直だった。
テンカは軽く息を吐く。
「しばらくは、こういう目で見られるわけじゃな」
「慣れますわ」
「そなた、慣れさせる気しかないのう」
「事実ですもの」
エリシアは平然としていた。
その落ち着きが、少しありがたい。
やがて鐘が鳴り、講堂内のざわめきが静まった。
壇上へ、学園長が上がる。
白髪を後ろへ撫でつけた老紳士だった。深い紺の長衣をまとい、手には細い杖を持っている。声は大きくないが、不思議と講堂の隅まで届いた。
「新入生の皆さん。皇国学園へようこそ」
講堂の空気が、ぴんと張った。
「皆さんは今日から、この学び舎の一員です。家名を背負う者もいるでしょう。故郷の期待を背負う者も、己の才一つを頼りにここへ来た者もいるでしょう」
学園長は新入生席をゆっくりと見渡した。
「ですが、この席に座った今、皆さんは等しく学生です。ここで問われるのは、何を与えられたかだけではありません。何を学び、何を選び、何を成すかです」
テンカは黙って聞いていた。
家名ではなく、学生として。
その言葉は、先ほど学生証を受け取った時の感覚と重なった。
「4年間は長いようで短い。どうか、恐れず学びなさい。失敗を恥じる必要はありません。知らぬことを知らぬままにすることこそ、学ぶ者にとっての恥です」
学園長はそこで柔らかく微笑んだ。
「皆さんの学びが、皇国の未来を照らすことを願っています」
静かな拍手が起きた。
続いて、壇上へレイナが進み出る。
生徒会長としての姉の姿に、講堂内の空気が再び変わった。
上級生たちの視線が自然に向き、新入生たちも姿勢を正す。
テンカは、壇上の姉を見上げた。
レイナは妹だけではなく、講堂全体を見ていた。
「新入生の皆さま。ご入学、おめでとうございます」
澄んだ声が響く。
「皇国学園は、皆さまの家名を飾るための場所ではありません。皆さま自身が、何を学び、何を選び、どのような者として立つのかを問われる場所です」
その声には揺らぎがなかった。
妹を前にして頬を染める姉の姿は、どこにもない。
「この学園には、皇国各地から多くの学生が集まります。考え方も、育った環境も、得意とする分野も違います。だからこそ、学ぶ意味があります」
レイナの言葉に、新入生たちは静かに耳を傾けていた。
「分からないことがあれば、どうか尋ねてください。困った時は、周囲を頼ってください。そして、誰かが困っている時には、手を差し伸べられる人であってください」
レイナの視線が、ほんの一瞬だけ新入生席の一角へ落ちて、すぐに戻る。
だが、テンカには分かった。
「皆さまの学園生活が、実りあるものとなることを、生徒会一同、心より願っています」
レイナが一礼する。
講堂に拍手が広がった。
テンカも静かに手を叩く。
「立派じゃな」
小さく呟くと、隣のエリシアが淡い青の瞳を向けた。
「ええ。レイナ様は、多くの方に信頼されていますのね」
「うむ」
テンカは壇上から下りる姉の背を見ていた。
誇らしい。妹として胸を熱くするだけではなく、一人の人間が積み上げてきた時間を静かに眩しく思う気持ちも、そこにはあった。
歓迎式典が終わると、新入生たちは講堂の外へ流れ出した。
中央棟前の掲示板には、所属組と初日の案内が張り出されている。式典前は確認を後回しにされていたため、今度こそ多くの学生が掲示板の前へ集まっていた。
「人が多いのう」
「ですが、確認しないわけにはいきませんわ」
テンカとエリシアは人の流れに従って掲示板へ近づいた。
キリカは少し離れた場所で控えている。随行者が掲示板前の人混みに入ると邪魔になると判断したのだろう。
掲示板には、1年1組、1年2組、1年3組と、組ごとの名簿が並んでいた。
1年1組の欄へ目を向けたテンカは、そこに自分の名を見つけた。
テンカ=ハヅキ。
すぐ近くに、エリシア=フロストレインの名もある。
「同じ1組じゃな、エリー」
「ええ。退屈せずに済みそうですわ」
「それは、わらわの台詞ではなかったか?」
「隣人の台詞は、共有してもよろしいでしょう?」
「都合のよい理屈じゃ」
テンカが笑うと、隣で誰かが小さく息を呑んだ。
視線を向けると、1人の少女が掲示板を見上げていた。
年はテンカたちと同じくらい。
栗色の髪を肩のあたりで切り揃え、胸元には奨学生の徽章を付けている。手には何枚もの紙を抱えており、その端から細かな術式図のようなものが覗いていた。
「あ、あの……」
少女はテンカとエリシアを見比べ、慌てて頭を下げた。
「失礼しました。私も、同じ1年1組みたいで」
「そうか。そなたの名は?」
「ミナ=アーレンです。実家は小さな魔導具工房で、奨学生枠で入学しました」
声は緊張していたが、必要以上に怯えてはいない。
テンカは少女の抱えた紙へ視線を落とした。
円と線で構成された図。
魔導灯の術式回路に似ているが、ところどころに見慣れない補助線がある。
「それは、魔導具の図か?」
ミナの目が一瞬で変わった。
「分かるんですか?」
「詳しいわけではない。ただ、魔導灯の回路図に似ておると思っただけじゃ」
「はい。魔導灯の出力を安定させるための補助回路です。まだ試案ですけど、燃費を少し改善できるかもしれなくて」
早口だった。
先ほどまでの緊張が、魔導工学の話になった瞬間、どこかへ吹き飛んでいる。
テンカは目を細めた。
「魔導工学を学びに来たのか」
「はい。魔力はあまり強くありません。でも、術式や魔導具の仕組みなら、誰かの役に立てると思って」
ミナはそこで、はっとしたように口を閉じた。
「す、すみません。初対面で話しすぎました」
「構わぬ。面白い話であった」
「面白い、ですか?」
「うむ」
テンカは頷いた。
「わらわは、魔導工学には明るくない。だが、知らぬものを知るために学園へ来た。そなたの話も、その一つじゃ」
それから、テンカはふと思い出したように続けた。
「そういえば、魔導列車というものにも一度乗ってみたいと思っておった。記憶の奥にある物語の乗り物に、少し似ている気がしてな。だが、あれは魔導工学で走るのであろう?」
ミナは目を丸くした。
「は、はい。魔導列車は大型魔導機関と軌道術式を組み合わせた移動設備で……あ、すみません。話し始めると長くなります」
エリシアが隣で静かに言う。
「初日から、興味深い学友が増えましたわね」
「うむ。退屈せずに済みそうじゃ」
「それも、わたくしの台詞ですわ」
テンカとエリシアのやり取りを見て、ミナは戸惑ったように瞬きをした。
それから、少しだけ笑った。
掲示板の前では、まだ多くの新入生が自分の名を探している。
皇国学園、1年1組。
北方の友と、魔導工学の奨学生。新しい縁は、すでにテンカの隣にあった。
歓迎式典は終わったばかりだというのに、学びはもう始まっているらしい。
テンカはそう思いながら、掲示板に記された自分の名をもう一度見上げた。
クラス表記、ハリ◯タっぽくしたい願望ありつつ、分かりやすい形にしました。まぁ、あちらは寮なので形式が異なりますが。
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